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いつもの市バスは、異世界行き  作者: チーム エボンヌ
第三章 対立編

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第83話 失われた笑顔

 目もくらむ光が、広間を白く染めた。

 桃矢たち守ろうとしたボルンの決死の光だった。

 光が弱まって視界が戻った時、桃矢は石原の腕にしがみついていた。

 届いた。

 間に合った。そう思った。

 だが、狂気に蝕まれた男の力は、桃矢の想像をはるかに超えていた。

 石原は片腕だけで、桃矢を無造作に振り払った。

 桃矢の体が、冷たい床へ叩きつけられた。

 痛みに堪えながら石原を見た。

 視界の先で、石原が陽翔に向かっていルのが見えた。

「陽翔!」

 桃矢の喉から、声にならない声が漏れた。

 陽翔はまだ気づいていない。石原の動きが速すぎた。

 間に合わない。


 次の瞬間、小さな影が、陽翔の前へ飛び込んだ。

 朽名だった。

 陽翔を突き飛ばすように、自分の体、陽翔と刃のあいだへ割り込ませた。

「守る」と誓ったのは陽翔のほうだった。

 それなのに、いま陽翔をかばったのは、朽名だった。


 鈍い音がした。

 広間が静まりかえった。

 ついさっきまで、あれほど張りつめていた敵意も、怒号も、すべてが嘘のように消えていた。

 まるで時が、止まったかのようだった。

 朽名の小さな体が、ゆっくりと傾いでいく。

 その顔には、痛みの色は浮かんでいなかった。

 ただ陽翔を見て、かすかに微笑もうとした。

 それから、糸の切れた人形のように床へ崩れ落ちた。

「結菜?」

 陽翔の声は、掠れていた。

 突き飛ばされた体勢のまま、まだ何が起きたのか、飲み込めずにいる。

「結菜。おい、結菜。……なんで、お前が」

 陽翔が朽名に駆け寄った。

 その体を抱き起こす。

 腕の中で朽名の頭が力なく揺れた。

 陽翔の顔から、みるみる血の気が引いていく。

「結菜! しっかりしろ! 結菜っ!」

 陽翔の腕の中で、朽名の瞼がかすかに震えた。

「……陽翔」

 消え入りそうな、小さな声だった。

 陽翔が顔を近づける。「結菜! ああ、結菜、しっかりしろ。大丈夫だ、俺がついてる。すぐ、なんとかするから」

「ごめんね」と朽名は、途切れがちに囁いた。

 最後の力を振り絞って、いつものあの笑みをつくろうとする。

「あの川……きれい、だったね。ポヨンヌの、村の。……また、来ようね。二人で……」

 いつか、ポヨンヌの村で2人で眺めた、あの川。また来ようね。そう約束した、あの日の言葉だった。

「……ああ」と陽翔は、こぼれる涙をこらえきれずに頷いた。「来よう。絶対、また来よう。だから、結菜、頼むから」

 朽名の唇から、ふっと力が抜けた。かたちづくりかけた笑みを、最後まで結ぶことのないまま。その瞳から、光が静かに消えていく。腕の中の体が、少しずつ重く冷たくなっていくのを、陽翔はただ感じていた。

「結菜……結菜っ……!」

 陽翔の慟哭が、暗い広間に響きわたった。天真爛漫で、誰よりも明るく、いつも皆を和ませたあの少女は、もう2度と笑うことはなかった。


 麗華は、両手で口元を押さえていた。

 山田さんと山崎は、灯火具を持つ手を震わせたまま、立ち尽くしていた。

 大沢さんが、はっと我に返り、朽名のそばへ膝をついた。

 震えながら、朽名の傷へと手を伸ばした。だが、その手は途中で止まってしまった。

 脈をとろうとした指が力なく落ちる。

 大沢さんは、何も言わなかった。ただ唇を固く噛み、ゆっくりと首を横に振った。

 その小さな仕草が、全てを語っていた。

「そんな……」山崎が呻くように漏らした。その大きな体が、わずかに後ずさる。

 中島さんは、震える手で口を覆い、目を見開いたまま、その場に凍りついていた。

 麗華が朽名のそばへ、よろめくように歩み寄った。

 だが、その膝が途中で力を失い、へたり込んでしまった。

 守れなかった。麗華の目から涙があふれ出していた。


 石原は自分が何をしたのかさえ分かっていないようだった。血走った目が、次の相手を探していた。

「次はどいつだ」

「石原! やめろ!」

 叫んだのは、武田だった。

 武田は顔面蒼白だった。目の前で起きたことに、凍りついていた。

 自分が力を与え、増長を許し、けしかけてきた男。

 その男が、今、朽名を殺した。

 武田の中で、何かがはじけた。

 武田は、石原に組みついた。「もうやめろ! 石原、目を覚ませ!」

 石原の腕を必死で押さえつけようとした。

 だが、我を失った石原の力は常軌を逸していた。

 石原は獣のように吼えながら、武田を力任せに振りほどいた。

 その反動で、石原は大きくよろめいた。

 広間の一角では、崩れ落ちた床がぽっかりと口を開けていた。

 よろめいた石原の足が、その縁を飛び越えた。

「石原!」

 武田がとっさに手を伸ばした。

 指先が石原の腕を掠める。だが、掴めなかった。

 石原の体は、なすすべもなく、暗い底へ落ちていった。

 石原の悲鳴は、みるみる遠ざかり、やがて聞こえなくなった。

 武田の伸ばした手だけが、虚しく宙を掴んでいた。


 誰も、動けなかった。

 ほんの一呼吸のあいだに、2つの命が、この地の底で失われた。あまりに、あっけなく。

 山崎は石原が落ちた闇の底を呆然と見つめていた。石原は荒んではいたが、かつては同じグループで、寝食を共にした男だった。その男が朽名に手にかけ、自らも闇へと消えた。

 何もかもが、山崎の理解を超えていた。

「なんで、こんな……」

 山崎の口から漏れた声は、行き場を失って、暗い広間に、吸い込まれていった。

 陽翔は朽名を抱いたまま動かなかった。

 誰も陽翔かける言葉をが無かった。

 みんなは、灯火具を握ったままうつむいていた。

 あまりに理不尽で、あまりに突然の喪失を前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


 武田も動けずにいた。

 陽翔の腕の中に横たわる、朽名の亡骸。そして、石原が消えていった、床の穴。

 その2つを交互に見ていた。為すべきことを、為せ。声は、そう言い続けてきた。お前は選ばれた者だと。その果てに待っていたものが、これだったのか。何の罪もない朽名の死。さらに、仲間の無残な死。

 武田の心の中で、凍りついていものが溶け出していた。

 桃矢の言葉。麗華の言葉。山崎のまっすぐな訴え。いま、遅れて胸に響いてきていた。

 地球にいた頃は、互いに力を認め合っていた麗華。

 ただ1人、自分の本当の姿を知っていて、それでもそばにいてくれた山崎。

 あの頃の自分は、こんな結果を望んでいたわけではなかったはずだ。

 俺は間違っていたのか。その問いが、生まれかけた。

 そのとき。


 《止まるな》

 冷たい声が、武田の頭に滑り込んだ。生まれかけた後悔を押さえつけるように。

 《たかが2人、勝手に死んだだけだ。お前が為すべきことは、何も変わらぬ。感傷は弱さだ。進め。為すべきことを、為すのだ》

 武田の表情が、再び強ばっていく。だが、いちど入った心の亀裂は、声の力をもってしても、もう塞ぎきれなかった。

 武田は、朽名から目を逸らせずにいた。

 列の後ろの仲間たちは、青ざめ、震えていた。目の前で起きた惨劇に誰もが凍りついている。この道の先に待つものを、初めてはっきりと思い知らされたように。


 陽翔が朽名を抱いたまま、顔を上げた。

 その目には、もう涙はなかった。代わりに、暗く冷たいものが宿っているた。

 行き場を失った悲しみが、静かな怒りへと、姿を変えていく。

 石原は、もういない。ならば、この惨劇を招いたのは、誰だ。誰が石原をこんなふうにした。誰が、この地の底へ、皆を引きずり込んだのか。

 陽翔の視線が、ゆっくりと武田へ向けられた。その目には、暗く冷たい焔が灯りはじめていた。

 桃矢は、その陽翔の目を見て、胸を締めつけられた。幼なじみの、いつも飄々としていた男があんな目をする所を初めて見た。

 桃矢も冷たい床に手をついたまま動けずにいた。間に合わなかった。

 もし、あの時、ためらわずに、力ずくで石原を押さえ込んでいたら、朽名は死なずにすんだのだろうか。手を上げないというこの信条は、あの冷たい声が言ったとおり、ただのきれいごとだったのか。

 桃矢の頭の中では後悔の思いが渦巻いていた。

 だが、もし、力で人をねじ伏せることを選んだとしたら、それは、力こそすべてだと信じる武田や武田を操るあの声と同じ側に立つことになる。

 やさしさを捨てた、その先に、いったい、何が残る。

 これまで桃矢は、相手を打ち負かすことより、争いを避けることを考えてきた。

 この星へ来てからも、その生き方を貫いてきた。

 戦わず、言葉と機転で皆を守る。そのやり方で、これまで乗り越えてきたはずだった。

 それが、いま、初めて、根本から崩れそうになっていた。

 答えは、出なかった。

 守りたかった。誰ひとり、傷つけたくなかった。その願いのままに動いてきた。

 でも、大切な笑顔が、目の前で消えた。

 暗い広間に陽翔のすすり泣きだけが、いつまでも、静かに響いていた。

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