第80話 声の正体
右へと向かう通路は、これまでの階段とは違い、坂道のようになっていた。坂道と言っても、その勾配は僅かで、少し歩行速度が速くなる程度で比較的歩きやすかった。しばらくゆるやかに続く坂道を歩き続けて分かったのは、通路は左巻きの螺旋状に下へと向かっていた。
8人の灯火具の光が、弧を描いて湿った石の壁をぼんやりと照らす。空気は更に冷たくなっていた。
誰も言葉を発しなかった。というか、会話する余裕がなかった。
太陽飛翔が「リアルダンジョンだな、ここ。モモはこういうの得意だったよな」と
場の雰囲気を和まそうとしたが、桃矢からの返しはなかった。その様子を見た山田さんが「俺は苦手だなぁ」と茶化すように答えた。
桃矢はあの声に言われた事を未だに考えていた。自分たちの目で見て確認する。この先、何があるのか。どんな物があっても、どんなものがいても、自分は受けいられるだろうか。あの声に馬鹿にされた「やさしさ」。
桃矢がこれまでの人付き合いの中で自ら作り上げた格言。
「やさしさは武器より強し」
はたして、この異世界でも通用するのか。桃矢は通路を歩きながら自問自答していた。
やがて桃矢たちは、広大な広間に出た。灯火具を高く掲げても、奥の壁までは光が届かない。皆で灯りを寄せ合い、壁づたいに少しずつ進んだ。すると正面の壁一面に、びっしりと刻まれた彫り物が、闇の中から浮かび上がってきた。
桃矢は息を呑んだ。見覚えのある光景だった。あの村の近くの遺跡で読み解いた、昔のポヨンヌ。争ってばかりだった祖先。そこへ現れた光を放つ者たち。祖先から争う心を抜き取っていく場面。
ここにはその続きの物語が彫り込まれていた。壁の高さは見上げるほどで、灯りを動かすたびに、新しい場面が闇からせり出してくる。
「同じ物語だ」と中嶋さんが灯りを近づけた。「こんな所に続きがあったとは」
指先で彫り跡の縁をそっとなぞった。異国の遺跡を見慣れた者の、慎重な手つきだった。そしてふと、動きを止めた。「…なんだここは」と中嶋さんは声を落とした。
「ここは明らかにおかしい。この部分だけ、まわりと違う。彫りが新しい。この光を放つ者たちを讃える絵。この絵だけあとから彫られてる。それも、最近彫ったみたいに新しい」
桃矢も覗き込んだ。言われてみれば、確かにそうだった。祖先を描いた古い彫りの上に、光を放つ者たちの荘厳な姿だけが、真新しい縁で重ねて刻まれている。まるで後から誰かが、その部分だけを描き足したようだった。石の削りかすが、まだ溝の底にわずかに残っているようにさえ見える。何千年も前の遺物なら、こんなことは起こりようがない。
その時、穏やかな気配がみんなの頭に入ってきた。
《よく、見抜いた》
あの声だった。穏やかな声。今度もみんなに聞こえた。
《その絵は、偽りだ。この場所そのものが、あなたたちが思うほど古くはない。遥か昔の遺物などではない。ある1つの存在がこれを築き、都合のいいように、その物語を壁に描いた。光を放つ者たちが描かれているな。複数の尊い者たち。だがそれは偽りだ。いたのは、ただ1つの存在。その存在が、自らを何体もの尊い者に見せかけ、そう描かせただけだ》
今の話にみんなは呆然としていた。ポヨンヌの祖先を救った光を放つ者たち。桃矢たちがずっと信じてきた、この星のはじまりの物語。みんなで少しずつ読み解いて、胸を打たれたあの物語。その土台が、今、音を立てて崩れていく。山田さんが、灯りを持つ手を思わず下ろした。「……作り話だったのか。俺たちが、あんなにありがたがってたものは」
「1つの存在?」と麗華が頭の中の声へ問いかけた。「その1つの存在というのは、何なの」
《この星を管理している者だ》
声は静かに答えた。
《遥か昔から、この星の生き物を見守ってきた者。あなたたちが遺跡の中で聞いた、あの冷たい声。武田を導いている、あの声。この場所を築いた者であり、光を放つ者たちの正体だ。1つでありながら、多くの者たちのように装った》
「じゃあ」と桃矢は頭の中で聞いた。「あなたは?」
《私は、その管理者を管理する者。上位者だ。管理者がその責務を正しく果たしているか。それを監視する立場だ。あの冷たい声とは、立場が違う》
桃矢の中で、2つの声の輪郭がまた1つ、はっきりとしてきた。この星を治める者と。それを管理する者。
「なら、教えてくだい。あの冷たい声は地の底には、恐ろしいけだものがいると言った。本当に、恐ろしいものなのか」
声はしばらく間を置いた。それから、静かに語りだした。
《恐ろしいものではない。地の底には確かにある存在がいる。……ずっと昔、あの者が、1つの過ちを犯した。争ってばかりだったポヨンヌから、争う心を抜き取った。だが、その抜き取った暗いものを、消しきれなかった。やむなく、地の底深くに封じ込めた……》
《長い、長い年月が過ぎた。封じ込めたエネルギーは、やがて自我に目覚め、肉体を造った。その後、多くの新しい者たちが生まれ育った。地の底で静かに暮らし、独自の文明を築いていった。彼らは自分たちのことをノイラと呼んでいる。あなたたちが、けだものと聞かされた者たちだ。だが彼らは、暴れるでも、襲うでもない。ただ地の底で静かに生きているだけだ》
《彼らは、地上へは出てこられない。この星の2つの太陽の光。あなたたちが浴びると体をいやしてくれる太陽の光は、彼らには害となる。地上に出れば、生きてはいられない。だから彼らは、地上には出てこない。無害なのだ》
「無害……」と、大沢さんが掠れた声で繰り返した。「じゃあ武田たちは……何もしない相手を、滅ぼそうとしてるのか」。その声には、いたたまれない気持ちがにじんでいた。
「なぜだ」と桃矢は、頭の中で再度聞いた。「無害なんだろう。地上に出てこられないなら、なぜあの声は、彼らを滅ぼそうとする。武田を使ってまで」
声はしばらく間を置いた。今度の間は、少し長かった。
《自分の過ちを隠すためだ。ポヨンヌから争う心を抜き取ったのは、この星を管理する者が、犯してはならないことだった。星を管理する者は、その星の生命体の進化に関わることに干渉しては成らない。それは基本原則だ。地の底の者たちは、その過ちから生まれてしまった。彼らが在るかぎり、過ちの証拠が残り続ける。管理者にそれが露見する前に自らの過ちをなかったことにしたい。彼らを消し去って》
無害な者を、ただ自分の過ちを隠すために消そうとしている。あの声が武田に言ってきた「為すべきこと」の正体が、こんなにも身勝手なものだったとは。
《あの声は自分の行為を隠蔽するため、この星を訪れた高度な知的生命体がポヨンヌ達を変えたように見せかけるため、あの絵を造り、エボンヌたちには光の存在たちを信仰させた》
《あの声は、ポヨンヌ達から負のエネルギーを抜き取る際に想像上のエネルギーを使った。そのため、そのエネルギーを一旦、地中深くに封印し、最低限の星の管理をするための存在を造り、自らはエネルギー回復のためのに眠りについた。》
《その眠りは数千年にも及んだ。その間にノイラたちが生まれてしまった。その存在に気づいたあの声は、再度、原則を破る勇気が無かった。……そこで、原則に抵触しない者を使うことにした》
「原則に抵触しない者」と桃矢はつぶやいた。そして、悟った。この星の生まれではない者。よそから来た者。
《武田たちだ。そして本当は、あなたたちも。この星に生まれていない者ならば、原則に触れず、干渉できる。あの声は地球から、あなたたちをこの星へ運んだ。自分の過ちを消すために。そして自分の手駒に武田を選んだ》
桃矢の胸に怒りが満ちていた。
「武田は手駒として使われてたのか。あの声の、都合のいい道具として」山崎は絞り出すように言った。声が震えていた。友が知らぬ間に他人の過ちを隠す駒にされ、力を与えられると信じ込まされ、仲間を切り捨ててきた。その事実が、山崎の胸を深くえぐっていた。「じゃあ……あいつが悪いんじゃないのか。全部、あの声が仕組んだことだったのか」。山崎の目には、悔しさとかすかな安堵が、入り混じっていた。
「1つ、聞かせてくれ」と桃矢は乾いた唇を開いた。本当は、聞くのが怖い質問だった。「この星に地球に帰る道があるか」
声は静かに告げた。
《ある。帰る手立ては、確かにこの星に在る》
みんな息を呑んだ。帰れる。地球へ。そのひと言に安堵が拡がった。
《だが、それはあの、冷たい声が握っている。あの声はそれを、武田に餌としてぶら下げている。地球へ帰る道は今、あなたたちを欺く者と武田の側にある。それでどうするかは、あなたたちに委ねる》
声はそう告げると、静かにその気配は消えていった。
誰もしばらく動けなかった。
朽名がうつむいた。膝が少し震えている。地球には家族がいる。帰りたい。まだ16歳の少女には、あまりに重い話だった。陽翔がその肩にそっと手を置いた。帰る道が向こうにはある。ならば、という考えが一瞬、頭をかすめたのを、陽翔は否定できなかった。
「なあ、桃矢」と陽翔が低い声で言った。「もし…もし、武田の言うとおりに、あの声に従えば。俺たちも帰れるのか。地球に」
拠点で待つ、中嶋さんたちの顔が桃矢の脳裏をよぎる。みんなの帰りを信じて、拠点に残った人たち。帰りたい。みんな帰りたいのだ。その願いが、よりによって、無害な者を滅ぼそうとする、あの声の手の中にある。
桃矢は目を閉じた。頭の中が静かに冴えていく。
従えば、帰れるかもしれない。けれどその帰り道は、何もしていない者たちを踏みつぶした先にある。自分の過ちを隠したいだけの、あの声の都合で。武田はそうとは知らずに、動かされている。ここで従えば、自分たちも同じ駒になる。帰りたさと引き換えに、無害な誰かを滅ぼす側に回る。それは、あの声のやり方に屈することだ。
しかも、あの声はいつも嘘をついていた。従ったからと言って、地球に帰れる保証は無い。
「嫌だ」桃矢は静かに言った。
「帰りたい。俺だって帰りたい。みんなを、拠点のみんなを、地球に帰したい。でも、こんな帰り方は、嫌だ。何もしてない相手を踏みつけた道の先に、帰り道があるなら。俺は、そんな道は選びたくない」
桃矢はみんなを見た。
「それに、信用できる相手じゃ無い。武田は使い捨ての駒だ。用が済めばどうなるか分からない。俺は、武田をあの声からとり戻したい。無害な者たちを滅ぼさせない。帰る道は他で探す。きっと、ある。あの声だけが握ってるとは、限らない」
「お前らしいよ、もも。分かった。俺も、そっちに賭ける。こういうときのお前の読みは、いつも正しかったからな」
朽名が顔を上げで小さく頷いた。まだ不安げだが、その目には、陽翔と桃矢を信じる光があった。
他のみんなも頷いた。
「桃矢くんを信じる。私も他人を犠牲にしてまでも帰りたいとは思わない」と麗華は断言した。
「行きましょう。この先に、その無害な者たちがいる。武田も向かってる。間に合ううちに」桃矢の言葉にみんなは灯火具を握り直した。
下へ続く道に進もうとした時だった。遠くの方から、かすかな音が聞こえてた。石を踏む足音。それが、幾重にも壁に反響して響いている。正面から入った武田たちのものだ。姿は見えない。だが、その足音の向かう先は、自分たちが向かう先と同じ地の底。
「近いな、あいつら」山崎がその音のほうを見た。
「急ぎましょう。でも、出来れば鉢合わせは避けたい。石原たちとぶつかりたくないから」




