第79話 大遺跡の中へ
入口をくぐると、直ぐ先は光の届かない闇だった。
桃矢たちは、カイからもらった灯火具を取り出した。手のひらほどの緑色の石が円形の金具に取り付けられている。複合光をためて光を出す石。火起こし石とは違い、これは光を出すだけで熱は出ない。桃矢が石の上に交差するように取り付けられている細長い金具に指をかけ、90度回すと、石が光リ始めた。回す角度によって明るさの調整が出来るようだ。みんなもそれぞれの灯火具の光を点けた。8つの灯りが、闇の中に浮かび上がった。
「助かったな。トアさんのおかげだよ」と山田さんが灯火具をかざしながら言った。
「確かに」と中嶋さんが頷いた。「ボルンの光だと、うっすらとしか照らせなかったからな」
しばらく進むと正面は壁で行き止まりとなっていた。その代わり、壁の手前には四角い穴が開いており、灯火具で照らすと、下へと続く階段が見えた。
あの声の言ったとおりだった。この遺跡は地下深くへと続いているようだ。
桃矢を先頭に、下へと続く階段を降りると、空気の質感が変わった。土と苔むした石のような匂い。それに混じって、かすかに、鉄くさいにおいがした。体感温度も数度下がった感がした。足音が遠くまで響く。石の壁が反響を幾重にして返してくるのだ。誰も口を開かなかった。灯火具の光でも、階段の先を照らすのは、せいぜい数歩先まで。その先は真っ暗で何も見えない。桃矢は、みんなとはぐれないように、ゆっくりと進んでいった。
やがて階段が終わり、床が見えてきた。床に降りるとそこは広間だった。広間の中には、2列の石の柱が部屋の真ん中に等間隔で奥へと続いていた。左右の柱の間は白い石畳となっていて通路のようになっていた。
桃矢たちは恐る恐る白い石畳の通路を進んでいった。
その先の床には先ほどと同じ、下へと続く階段の入口があった。
階段を降りて広間に出る。白い石畳の通路を進んで床の階段の入口から下へ降りる。これを何度繰り返しただろうか。もう、10回や20回どころでは無い。最初の頃は数えていたが、まるで無限のように続く繰り返しに桃矢は数えるのを諦めた。
何度目かの広間に出たとき、後ろから中嶋さんが声をかけた。
「1度休憩しないか。これで丁度50階降りた。先の事も考えて体を休めないと」
「え?数えてたんですか」桃矢が驚いた顔で聞くと「降りる度に布に印を入れていたんだよ。記録するのは得意だから」
みんなもホッとした顔をしていた。確かに休息が必要だった。体力的だけで無く、いつまでも続く階段の繰り返しに精神的疲労も溜まっていた。
「その通りね。少し休憩しましょう」麗華の声にみんなは床に腰を下ろした。
下へ下へと降りながら、桃矢は考えていた。
ここは、朽ちた墓場のようなものだと、どこかで思い込んでいた。長い年月に打ち捨てられた、古い者たちの名残。
けれど灯火具の光が照らし出すのは、そういうものではなかった。階段は崩れておらず、鋭角な段が並んでいる。階段の下の広間に並ぶ等間隔の石の柱。それが何層も続いている。ポヨンヌやエボンヌたちで作れるものではない。たとえ地球でもこれほど地下深くまで構造物を作るのは無理だろう。誰が、何のためにこれを築いたのか。桃矢の胸には言い知れぬ不安が渦巻いていた。
ついに無限とも思われた階段の繰り返しに終わりが来た。
階段を降りた先はいつもの広間では無く、目の前には左右に続く通路と壁があった。
桃矢は壁の前で足を止めた。通路は左の方へは平坦な道が続いていた。一方、右の方は、なだらかに下る坂道になっていた。
道が左右に分かれている。片方は下へ、片方は横へと続く。どちらへ進むべきか、灯りをかざしてもその先は見えない。
そのときだった。
左の平坦な道の奥の方の壁がうっすらと光っているのに気がついた。光が直接見えているのでは無い。まるで壁自体が発光しているかのように、うっすらと明るくなっていた。
「なんだ、あれ」陽翔が眉をひそめた。
桃矢にも分からなかった。ただ、正面から入っていった武田たちが、向こうのどこかにいる。もしかしたら、あの壁の光は、武田たちの行く道を照らしているのだろうか。
そんなことを考えていた桃矢の頭に、あの冷たいものが、滑り込んできた。
《引き返せ》
冷たい声。桃矢の体がこわばる。
《ここは、お前たちの来るところではない。この先には、恐ろしいものが眠っている。地の底に巣くう獣だ。お前たちの柔なやさしさなど、1息で噛み砕かれる。引き返せ。命が惜しければ》
声の脅迫は更に続いた。
《お前のやさしさは、ここでは、なんの役に立たない。連れの者たちを、みすみす死なせるだけだ。あの娘も。あの男も。お前が退けば、全員、無事に帰れる。ここまで来た。それで、十分だろう。賢くなれ》
声は、桃矢のいちばん弱いところを突いてきた。みんなを危険にさらしたくない。その思いを逆手に取るように。桃矢は悩んだ。ここで退けば、みんなは無事だ。けれど、それでは、武田を置き去りにすることになる。桃矢は唇を噛みしめた。
その時だった。
もう1つの気配が、そっと、桃矢たちの頭に流れてきた。この声は皆桃矢以外のみんなにも届いた。あの神殿で聞いた、穏やかな声。冷たい声とは、まるで質が違う。
《脅しに屈することは無い。ただ、横道は、行かないほうがいい》
声は、静かにそう告げた。
《その先は、天井から崩れている。進めば行き止まりだ。右側の下へと続く道を選ぶといい。急がなくていい。足元をよく確かめて進みなさい》
声は、それだけ言うと、また静かに引いていった。
桃矢は迷った。冷たい声は、引き返せと言う。穏やかな声は、下へ行けと言う。2つの声が、また真逆のことを言っている。
「山田さん」と桃矢は言った。「山崎と一緒に横道の先、少しだけ、見てきてもらえますか。本当に崩れているかどうか」
山田さんと山崎は頷き、灯火具を掲げて横道を進んでいった。そして、すぐに戻ってきた。「桃矢くん」と山田さんは、声を落とした。「声が言った通りだった。この先は行き止まりだ。天井がまるごと落ちてる。あれじゃ、進めない」
桃矢の肌に鳥肌が立った。
穏やかな声の言った通りだった。冷たい声は、恐ろしいものがいると脅して、引き返させようとした。穏やかな声は、崩れた道を避けて、進む先を教えた。
桃矢の中で、ずっと曖昧だった2つの輪郭が、初めて、くっきりと分かれた。同じように頭に届くけど、これは同じものではない。別のものだ。
思えば、ずっと、そうだった。川を超えたところにあった遺跡で、桃矢を突き放したあの声。この遺跡のもう1つの入口を教えたあの声。届き方は似ていても、片方はいつも、桃矢たちを何かから遠ざけようとしてきた。もう片方はいつも、桃矢たちに進むべき道をさりげなく示してくれた。ただ、恐ろしさからこの2つの声を一緒にして、区別する余裕がなかっただけだ。
「川嶋さん」と桃矢は、麗華のほうを見た。「今、みんなにも聞こえた声の他にもう1つ別の声が話しかけてきました。そいつは、武田を導いてる、冷たい声。引き返せと脅してきた。みんなにも聞こえた声は、街で聞いた穏やかな声。この2つの声は違うものです」
「声が2つあるの?」
「はい」と桃矢は頷いた。「今までは区別がつかなかった。同じ、不気味なものだと思ってた。でも……今回の件も含め、これまで2つの声は、真逆のことを伝えてきた。もう、一緒のものとして考えるのはやめます」
桃矢は意を決して、頭の中で穏やかな声へ呼びかけた。「あなたは、武田を導いてる声とは違う存在なのか。これまで何度も、俺たちを助けてくれた。気球のことも、この道のことも正しかった。あなたは、何者ですか。この遺跡は、何のためにある。教えてください」
しばらく、応えはなかった。桃矢が諦めかけた時、あの気配が戻ってきた。
《違う、と前にも言った。今度は、少しだけ、信じてもらえたようだ》
声は、穏やかに続けた。
《あなたの方から問いかけるのを、私は待っていた。聞く覚悟があるなら、伝えよう。ただし、全てではない。あなたたち自身の目で確かめながら、少しずつだ。確認が出来ないことを言われても、信じるのは難しい》
桃矢は「頼む」と頭の中で答えた。
《まず、1つ。あなたたちを引き返させようとした、あの冷たい声は、嘘をついている。恐ろしいものが眠っていると言ったな。地の底のけだもの。それは、恐れるものではない。あの声が、あなたたちと武田たちに、そう思い込ませたいだけだ》
桃矢の頭の中が、ざわめいた。恐ろしいものではない。では、武田が討とうとしているものは。声が滅ぼそうとしているものは。いったい。
《そして、この遺跡だ。あなたたちは、遥か昔の遺物だと思っている。だが、この壁の彫り跡に、あなたたちは違和感を覚えただろう。その違和感は正しい。ここは、あなたたちが思うほど古くはない。それが何なのかは、奥へ進めば、おのずと見えてくる。今は、それだけだ》
「なぜ」と桃矢は、食い下がった。「なぜ、全部を、今、教えてくれない。分かってるなら」
《信じられぬからだ。人は、目で見て、納得して、初めて信じる。どんな美辞麗句を並べても、言葉だけでは納得させられない。それは、あなたがいちばんよく知っているはずだ。武田を言葉だけでは、引き戻せなかったように》
図星だった。武田に言葉は届かなかった。
《だから、進みなさい。あなたたち自身の目で確かめながら。私は、必要なときには、助言する。それ以上は、しない》
声は、そこでそっと退いた。もっと聞きたい。桃矢の中ては聞きたいことで溢れていた。けれど声は、それ以上は語らず、去った。
「桃矢くん、今の声の言葉を信じるの?」と麗華がそっと尋ねた。
「……信じていいのか? こいつだって、俺たちを騙してるかもしれないだろ」陽翔の言い分ももっともだった。
「分からない」と桃矢は正直に答えた。「でも……気球や遺跡への入り口、そしてこの道の事も正しかった。それに、あの声は、1度に全部を言おうとしない。急かさない。俺たちが、自分の目で確かめるのを待ってる。これが嘘をつく者のやり方には、見えないんだ」
山崎が、遠くのあの淡い灯りの気配のほうを見た。武田たちがいるほうを。「あっちの声は」と山崎は低く言った。「武田に引き返せなんて言わない。奥へ奥へと駆り立てる。逆だな。こっちの声とは」
「そうなんです」と桃矢は頷いた。「向いてる方向が正反対だ。だったら、確かめるしかない。この奥に何があるのか。武田を駆り立ててる声が、何を隠してるのか。全部、この先にある」
麗華はみんなを見渡した。「今聞こえた声を、信じてみよう。でも、無理はしない。少しでも危ないと思ったら、退く。全員で帰る。それは変わらないから」
誰も異を唱えなかった。朽名が陽翔の袖をそっと握った。陽翔がその手に自分の手を重ねた。
桃矢は下へ続く道へと灯火具を向けた。
「行きましょう」
全てを確かめるために。




