第78話 届いた背中
大地は乾いていた。
桃矢たちはそれぞれの荷物を背って、大遺跡の方に歩き出した。前方には、巨大建築。近づくにつれ、視界を覆うほどに大きくなっていく。崩れた石の塔がいくつも連なり、黒っぽい壁が周りを囲んでいる。そして、その手前を、武田たちの列が進んでいた。荷物を背負って一列に歩く、いくつもの小さな影。空から見たときよりも、その姿はずっと近くに感じられた。
ボルンが激しく明滅を続け、危ういと光で叫び続けていた。けれど桃矢の体には、ポヨンヌやエボンヌを苦しめるという重さは、やはり感じられなかった。この星の生き物ではない自分たちだからこそ、ここに来られた。
「もうすぐだ」と山崎が低く言った。その目は、前方の列の先頭あたりに注がれている。「あの歩き方。あの背中。間違いない、武田だ」
みんなの足が速まった。距離が少しづつ縮まっていく。
やがて列の最後尾の男が、足を止めて振り返った。そして、桃矢たちの姿を認めて、大きく目を見開いた。
「……お前ら」その男、田崎が掠れた声を上げた。
列の動きが止まった。次々と振り返る顔。見覚えのある顔だった。同じバスに乗り、同じ星に投げ出され、途中まで共に生きてきた者たち。だが、彼らの表情は、桃矢の記憶の中のものとは、違っていた。頬がこけ、目つきがとても鋭い。肉を求め、争いに傾いた暮らしが、その体つきまで、変えてしまったようだった。
列の中程の何人かは、桃矢たちを見ると直ぐに前を向いてうつむいてしまった。女生徒たちだった。全員が石原や田崎のように、心まで荒れてしまったわけではないのかもしれない。武田に言われ、流されるまま、ここまで来てしまっただけの者もいるようだ。そう思うと、桃矢の胸に、かすかな望みが灯った。まだ、間に合うかもしれない。
朽名が小さく息を呑んだ。「あの人たち……あんなに変わってしまって」その声には、痛ましさがにじんでいた。
1人の男が、ゆっくりと歩み出てきた。
武田だった。
山崎が1歩、前へ出た。「武田。……俺だ。迎えに来た。帰ろう。もう、こんなことやめよう」
武田はしばらく、黙って山崎を見ていた。
「迎えに?」と武田の声は、低く、平坦だった。「何を言ってる。俺は、為すべきことをしているだけだ。お前たちこそ、なぜここにいる。邪魔をしに来たのか」
「邪魔なんかじゃない」と山崎が食い下がった。「お前、おかしいぞ。何かの声に動かされてるだけだ。それは、お前の意思じゃない。目を覚ませよ、武田」
武田の眉が、ぴくりと動いた。「声?」と武田は言った。かすかに、苛立ちが混じっていた。
「俺を導いてくれている。俺には力があると認めてくれた。この星で為すべきことがあると。地球へ帰る道も示してくれた。……お前たちには何も分かっていない。ただ寄り集まって、慰め合っているだけのお前たちには」
「昔のお前は、そんなこと言わなかった」と山崎は、なおも食い下がった。「以前のお前は、誰かを見下したりしなかった。力がどうとか、そんなことで、人を測る奴じゃなかっただろう」
武田の表情がほんの一瞬、揺らいだ。心の奥底から、かつての何かが、浮かびかけた。「……山崎」と武田の口が、小さく動いた。声のトーンが、わずかに和らいだ気がした。
桃矢は、その変化を逃さなかった。「武田」と静かに呼んだ。「1度だけでいい。その声じゃなくて、俺たちの話を聞いてくれないか」
その時、石原が武田の脇から、ぬっと前へ出てきた。
肩を怒らせ、拳を握ったまま桃矢たちをにらみつけた。田崎も石原の横に出てきた。2人は怒りの表情を浮かべ、握った拳に力を込めていた。はっきりとした敵意が、2人から立ちのぼっていた。かつて、こんな事をする男たちではなかった。教室の隅で、軽口を叩き合っていた、ただのクラスメイト。それが今は、獣のように牙をむいている。
「武田さん、こいつら、また邪魔しに来たんだ」と石原が吐き捨てるように言った。「ここで、始末したほうがいい。目の前の障害物は、排除するに限る」
場の空気が張りつめた。山田さんと大沢さんが、身をこわばらせた。桃矢は、とっさにみんなをかばうように山崎の隣に並んだ。麗華は、朽名と陽翔を、そっと後ろへ下がらせた。
一触即発だった。誰か1人が動けば、たちまち、取り返しのつかないことになる。
「待ってくれ」と桃矢は、両手をゆっくりと開いて見せた。武器も敵意も持っていないと示すように。「争いに来たんじゃない。武田。……おまえが聞いてる声が、何なのか。おまえ何をさせようとしてるのか。俺はそれを確かめたいだけだ。俺らは、同じバスに乗ってた仲間じゅないか」
その瞬間だった。
桃矢の頭の中に、あの、冷たい感触が滑り込んできた。遺跡で聞いた、冷たい声。
《また、お前か》
声は、桃矢だけにそう告げた。
《邪魔をするな。この者たちは、為すべきことのために、ここへ来た。お前のやさしさは、それを乱すだけだ。去れ。去らぬなら、お前の連れている者たちが、どうなっても知らぬ》
声は、それ以上言わなかった。言わなくても、石原の怒りに満ちた顔や田崎の握りしめた拳。彼らを見れば分かるだろうと言うかのようだった。
「……帰れ」と武田は言った。抑揚のない声だった。「俺は為すべきことをするだけだ。お前たちは、関係ない。ついて来るな。次は、こいつらを止めない」
武田は背を向けた。石原と田崎は、なおも桃矢たちを睨みつけながら、その後に続いた。武田たちは、再び大遺跡へ向かって歩き出した。
「武田!」と山崎が叫んだ。
武田は、振り返らなかった。
桃矢は、山崎の腕をそっと掴んだ。「今は、退きましょう。ここで無理に止めれば、石原たちとぶつかることになる。そして、誰かが傷つく。それは、いちばん避けたいこと」
あと少しだった。あと少しで、届きそうだった。それなのに。山崎は奥歯を噛みしめ、それでも桃矢の言葉に従った。無理に止めて、みんなを危険にさらすわけにはいかない。それは、山崎にも痛いほど分かっていた。
「……くそっ」悔しさで山崎の拳が、震えていた。
武田たちの列が遠ざかっていく。追いついたのに、届かなかった。
声は、武田の心に、深く根を張っていた。言葉だけでは、もう、引き戻せない。あの声の本当の目的を暴かない限り。
みんな、うつむいていた。せっかく、ここまで来たのに。長い道を歩き、川を渡り、気球に乗って、やっと追いついたのに。徒労感で崩れ落ちそうだった。ムードメーカーの朽名でさえ、かける言葉が見つからなかった。
そのときだった。
頭の中に、また声の気配がみんなに届いた。
あの神殿で聞いた声。穏やかで、押しつけない気配。
《争わなかったね》
声は、静かにそう言った。桃矢たちの選択を認めるような響きだった。
《力で止めることもできた。しかも、相手はあなたたちを脅していた。それでも、あなたたちは、争わない道を選んだ。その選択を、私は見ていた。無駄ではなかったと思う》
「またお前か」と桃矢は、頭の中で身構えた。「武田を導いてる声と、同じじゃないのか。何が目的だ」
《同じではない。それは、前にも言った。ただ、1つ、伝えたい事がある》
声は、すこし間を置いてから続けた。
《あの大遺跡には、正面の入口のほかに、右手側の崩れた壁の陰に、もう1つ、下へ中に入る入口がある。正面の入口は、あの者たちが使うだろう。あなたたちは、鉢合わせを避けて中を確かめたいなら、右手側の入口を行くといい。あの遺跡は見た目と違い、地下深くまで続いている。行くなら最深部を目指しなさい。》
声は、それだけ言うと、また、そっと引いていった。神殿のときと同じで、こちらの間合いを待つような、静かな去り方だった。
みんなは、しばらく、動けなかった。
あの声は今度も、自分たちを助ける方法を教えてくれた。大遺跡へ入る、別の入口。嘘かもしれない。罠かもしれない。でも、エボンヌの街で、あの声は「空を飛ぶ手段がある」と言った。それは、確かにあった。今度も、また。
「桃矢くん」と麗華が、そっと言った。「今の声……信じる?」
「分からない」と桃矢は、正直に答えた。「でも……街のときも、この声は、本当のことを言った。気球があった。武田を導いてる声は、俺たちを追い払おうとする。この声は、俺たちに進む道を教えようとする。……向いてる方向が、やっぱり、逆なんです」
「僕も信じていいような気がする」めずらしく大沢さんが発言した。「僕はこれまで色々な人と出会ってきた。人を馬鹿にする人、いじめる人、そして弱い者を助ける人。あの声はそのどれでも無い、そんな感じだった。僕等の敵では無いが単なる味方でもない。僕等を試しているような、そんな感じだった。だから、僕等は、僕等の信念を曲げず、最後まで諦めずに…」
「大沢さんの言うとおりだ。ここで諦めたらこれまでの努力が全て無駄になる。声が俺らを試しているなら、俺らが行く道を示すべきだ。俺はまだ諦めていない。武田を救う」山崎はみんなを見回した。
2つの声。同じように頭に届くのに、片方は突き放し、片方は導いてくれる。まだ、信じきれはしない。けれど、桃矢の中では、信じてみたいという気持ちが生まれつつあった。
「行きましょう」と桃矢は、みんなに向かって言った。「声の正体や目的、武田に何をさせたいのか、その答えは全部、あの大遺跡の中にある」
「儂も賛成だ」中嶋さんが腕組みをしながら同意した。
でも、おかしいと思ったら、すぐに退く。……全員で、帰る。それは、変わりません」
麗華が最終決定を下した。「行こう。遺跡の中に」
武田たちが正面の入口に入るのを確認してから、桃矢たちは遺跡に向かって歩き出した。
大遺跡の黒い壁が目の前にあった。空から見た時も巨大だったが、こうして地上から間近に見ると、組まれた石の1つひとつが巨大だった。右手側の壁の方へ歩いて行く。しばらく壁沿いに歩くと。長い年月に朽ちた壁の、崩れた隙間の陰に、確かに、正面の入口よりは遙かに小さいが、人ひとりがくぐれるほどの入口が、ぽっかりと開いていた。
桃矢は入口の前に立った。ひんやりとしたと冷たい空気が奥から流れ出てくる。土と少しかび臭い匂い。その奥は、真っ暗だった。自分たちは、この道から最深部を目指す。おそらく武田たちの行き先も同じだろう。全ての答えがこの闇の奥にある。
「怖いか」と桃矢は、隣の陽翔に聞いた。
「怖いに決まってるだろ。でも、ここまで来て、引き返すのは、もっと嫌だ。行こうぜ、桃矢」
その軽口が、こわばっていたみんなの緊張をわずかにほぐした。麗華が朽名の手をしっかりと握る。山田さんと大沢さんは、互いに頷き合って入口をしかりと見た。
山崎は、もう振り返らなかった。
「行こう」
こうして、桃矢たちは、大遺跡の中への1歩を踏み出した。




