第74話 エボンヌの街
その街は、森を抜けた先の、なだらかな丘の斜面に広がっていた。
桃矢は思わず足を止めた。石を積んで組まれた壁。焼いたレンガを重ねた家。木の梁が渡され、屋根には板が葺かれている。1つや2つではない。いくつもの建物が道を挟んで軒を連ね、斜面に沿って幾重にも並んでいた。ポヨンヌの村の、蔓と葉で編まれた住まいとは、まるで違う。ここには、人の手で長い時をかけて築かれた、確かな暮らしがあった。地球の北欧の街並を見ているようだった。
「……街だ」と山田さんが呆けたように言った。「本当に、あったんだ」
道を肩にたくさんの荷物を担いだエボンヌたちが行き交っている。ネイやカイと同じ種族だ。ポヨンヌのような、ずんぐりとした体つきではない。人に近い、すらりとした体に、指の分かれた手。服も着ている。着ている服もそれぞれ違う。また、どのエボンヌにも肩にはボルンがいた。
通りを進むと様々な果物を並べたお店や道具らしきものを並べたお店もあった。エボンヌ同士が何かのやり取りをしてる。どこからか、焼けた実のような、香ばしい匂いも漂ってくる。
やがて、槌を打つ音と煙突から煙が出ている石造りの家の前を通りかかった。
「工房もあるのか」と中嶋さんが横目で工房らしき家を見ながら目を細めた。「あそこで物を作ってる。この街の物は全部自分たちで作り上げということか」
桃矢たちは道行くエボンヌの1人に、おそるおそる近づいた。桃矢が思い切って声をかけた。
「私たちは、ネイの友人です」と桃矢は言った。「ネイからこの街へ来れば、遠い道のりを行くのを助けてくれる人がいるかもしれないと聞きました」
ネイの名を出すと、そのエボンヌのハラシロが、ふっと和らぐように淡く光った。
『ネイの友人。それなら、トアのところへ行くといい』
そのエボンヌは丘の上のほうを示した。『空を飛ぶ道具を扱う者だ。トアとネイは古クからの友人でね』
空を飛ぶ道具。その言葉に桃矢たちの心はざわついた。
「ここには飛行機まであるのか」陽翔の驚いたような声に山田さんが「さすがにそれはないだろう。この街並をみてもここは中世ヨーロッパの頃の文明レベルだし」
「いや、見た目だけで判断するのは早計だ。ここは地球じゃない。儂たちの知らない何かがあるかもしれんぞ」と中嶋さんらしい冷静な分析だった。
桃矢も同感だった。カイたちは光を集めて熱を発生させる道具など、地球では見たことがない機能を持った道具を持っていた。
丘を登る道を歩きながら、桃矢たちは、この街のあまりの物珍しさに、いくども足を止めた。
食べ物を売る店先では、焼いた実や干した魚のようなものを並んでいた。朽名が「いい匂い」とふらりと近づいた。店のエボンヌが、『どうぞ』言って、干した実を一つ、朽名の手に載せてくれた。朽名がおずおずと口に運び、目を丸くした。「甘い……! すごい、こんなの、初めて」。その素直な喜びように、店のエボンヌのハラシロが嬉しそうにほのかに光った。
陽翔が「勝手にもらうなよ」と苦笑しながら、朽名の隣を歩いた。
朽名がこうして、行く先々で無邪気に笑うことで、みんなの緊張がほぐれていく。陽翔にはそれが嬉しかった。
大沢さんは、薬草らしきものを吊るした店先を興味深げに眺めていた。「これ、傷に効くのかな」という大沢の顔は確かに医者の卵だった。
「さすがに車のような物は無いか…」と周りを見渡していた中嶋さんが残念そうに言った。確かに、車どころか、荷車も見当たらない。みんな、大きな袋をいくつも肩にかけて運んでいる。見た目は似ていても、力や体力は人間より遙かにありそうだった。
山田さんは、行き交うエボンヌの数に圧倒されていた。「こんなにたくさんのエボンヌがいる。体の色もそれぞれ違う。この辺はポヨンヌに似てるな……ネイやカイは、この街から村々を回ってたんだな」
これまでカイとネイしかエボンヌを見たことがなかった桃矢たちは、街の中にあふれかえっているさまざまな色のエボンヌたちを見て圧倒されていた。
頭では、ネイの話で分かっていた。この星にはポヨンヌの他にエボンヌもいて、この大陸の所々で暮らしている。けれど、こうして目の当たりにすると、その事実は、まるで違う重みを持って迫ってきた。
丘の中腹にさしかかった頃、道の脇にひときわ目立つ石造りの建物があった。白い外壁の大きな建物で、壁に窓はどうやら天井はガラスのような透明な物で出来ているらしい。橙色の光と青白い光が様々な角度から差し込むようになっていて、中の光景は2つの光の乱舞でとても幻想的な雰囲気を醸し出していた。ありの光景にみんなはそのまま高い入口をくぐって中に入ってしまった。
中に入ると、外の喧騒がすっと遠のいた。天井は思いのほか高く、奥の壁には桃矢たちには読めない記号な様な文字とあの遺跡で見た輪郭がぼやけた光を放つ何者かの姿が描かれていた。何人ものエボンヌたちが床にうずくまるようにして、静かにたたずんでいた。誰も口をきかない。立っているエボンヌも、ただ、じっと奥の壁の方を見つめている。
「祈ってるみたい」と朽名が声をひそめた。
「あの壁の絵」と桃矢が息を呑んだ。「あの遺跡の壁画と同じだ。光を放つ者たち」
遺跡で見た、正体の分からない光の者たち。それを、この街のエボンヌたちは、祈りの対象としている。エボンヌたちはあの光の者たちが何者か知っているのだろうか。何を思い、何に祈っているのか。桃矢たちには分からなかった。ただ、ここの静けさと神聖な雰囲気が桃矢たちには場違いな気がして、みんなは互いに目配せをすると、入口から出て行こうとした。
その時、床にたたずんでいた年老いたエボンヌが、桃矢たちの気配に気づいて、ゆっくりとこちらへ向き直り、語りかけてきた。
『遠い昔。空から光り輝く者たちが降りてきた。私たちの祖先に恵みを授けた者です』
老エボンヌの体が、静かに揺れた。
『だが、その者たちの造った場所には、近づいてはならない。近づけば、体の奥が重くなる。恵みを授けた者たちが、なぜ、近づいてはならぬ場所を遺したのか。……私たちにも分からない』
恵みを授けた者。近づいてはならない場所。桃矢は陽翔と顔を見合わせた。あの遺跡の壁画。ここの壁の絵。そして、体の奥が重くなるという場所。すべてがつながっているような気がした。ただ、その先は分からなかったが。
桃矢は老エボンヌに、深く頭を下げた。
立ち去ろうとした、そのときだった。
頭の中に、また声が聞こえた。
桃矢はびくりと身をこわばらせた。あの遺跡で語りかけてきた声のあの感触。同じだった。桃矢はとっさに身構えた。
けれど、少し様子が違った。
驚いて周りを見ると、みんなも同じように身を固くして、驚いた顔をしていた。陽翔も、麗華も、山崎も。今度は桃矢だけではなかった。
《どうか、驚かないでほしい》
その言葉は、みんなの頭に届いていた。声の質が、遺跡のものとは違う。冷たさがない。圧迫感もない。むしろ、こちらの怯えを気づかうような、ひどく静かな響きだった。
《遠い道のりをよくここまで来た。あなたたちの歩みを私はずっと見ていた》




