第72話 旅立ち
山崎たちを迎えた夜から、桃矢はずっと考えていた。
山崎の話では、武田たちは何日も前から旅支度を始めていたという。50日の道のりに備えて、干し肉を蓄えたり、水袋を縫わせたりしていたとのこと。
そして、恐らく武田たちはもう出発している。
このまま待っているだけではダメだ。武田たちに追いつけなくなる。
心を決めた桃矢は、麗華のところへ行った。
「川嶋さん。考えをまとめたんです。みんなにも聞いてほしいし、一緒に考えてほしい。みんなを、集めてもらえませんか」
麗華は桃矢の顔を見て、すぐに頷いた。みんなが火のそばに集まると、桃矢はこれまでの手がかりを1つずつ並べていった。
ネイから聞いた、マナの死。エボンヌとポヨンヌにとって、遺跡は入れない場所だということ。前回、遺跡を訪れた時に気づいた、彫り跡の謎。古い線に混じって、最近彫ったような鋭い跡があったこと。そして山崎たちの証言。武田が遺跡で何かを見つけてから変わったこと。
「全部、遺跡につながってます」と桃矢は言った。「俺たちが写してきた地図に、点在する遺跡の印がありましたよね。その中の、1つだけ違う特別な印。武田が目指してるのは、たぶん、そこです。川の向こうの50日もかかる場所。」
中嶋さんがこれまで解読を進めてきた地図を広げた。「地図を見る限り、確かにそこは大きな川を越えた、ずっと遠くにある。地図の縮尺が正しければ、以前わしたちが行った遺跡までの距離の7倍以上はありそうだ」
「武田は」と桃矢は続けた。「何か目的を持ってそこに向かってる。武田がそこに行ったら取り返しのつかない事になるような気がします」
「彫り跡のことも引っかかる」と中嶋さんが記録の頁を繰った。「古代に造られた遺跡なら、彫り跡は全て同じように古くなるはずだ。なのに、新しい彫り跡が混じっていた。……これは、誰かの、いや、何かのメッセージかもしれない」
得たいの知れない何かの存在。中嶋さんの言葉にみんなの背筋が寒くなった。
しばらく沈黙が続いていたが「俺は、武田を追いたいと思ってます」
桃矢の言葉に、皆が息を呑んだ。
「このままここにいても、何の解決策も見つからない。近くの遺跡には3回行ったけど、武田を変えた手がかりは無かった。だから、武田があの特別な遺跡に着いてしまう前に追いついて、武田と話し合う。もう、それしか無いと思うんです」
誰かのために、危険へ踏み出す。それは、暗闇の中へ大葉さんを捜しに行った事と、根は同じだった。違うのは、その相手が今は自分たちを「邪魔者」と呼ぶ、遠く離れた人たちだということ。それでも、もう一度、1つに戻りたい。その願いは、変わらなかった。
反対の声が上がった。
「気持ちは分かる」と中嶋さんが慎重に言った。「だが、50日だぞ。武田はもう発ったかもしれん。今から追いかけて、間に合うのか。彼らに追いつけるとは、とても思えん」
もっともな指摘だった。50日。既に出発しているかもしれない武田。どれだけ急いで歩いても、途方もない距離を急いで歩くのは無理な事だった。追う、と口で言うのは簡単だ。しかし、現実は、あまりにも厳しかった。
桃矢もすぐには、言葉がでなかった。追わなければ、武田は救えない。でも、追っても、間に合わない。このことが、重くのしかかっていた。
「儂は」と三浦さんが言った。「若い者を戻らぬ旅に送り出すのは、忍びない」
その言葉に桃矢は返す言葉が無かった。
翌日、桃矢たちはポヨンヌの村を訪ねた。
自分たちだけでは、道の見当も、間に合わせる手立ても、何ひとつ浮かばない。この星のことなら、ルウたちのほうがずっと詳しい。少しでも知恵を借りられないか。そんな、すがるような思いだった。
村に着くと、ルウのそばに、藍色の布をまとったネイの姿があった。行商の途中で立ち寄っていたらしい。桃矢たちが遺跡の話を始めると、ネイが近づいてきた。
桃矢はありのままを話した。武田を追いかけたいこと。今から追いかけても間に合いそうも無いこと。知らない土地を50日もかけて進むことの無謀さ。
『あなたたちが行こうとしている場所のことは知っている』
ネイは一息つくと続けた。
『そこまでの道のりは遠い。ただ、そこに行く道の途中、大きな川を越えた先に私たちエボンヌの街がある』
「街……」と桃矢は繰り返した。
ネイによると、エボンヌの街は、ポヨンヌの村とはまるで違うものだった。石やレンガ、木で建てた家が立ち並び、品物を売る店、物を作る工房、食べ物を出す店まである。エボンヌたちが寄り集まって暮らす場所。エボンヌの営みの中心地だ。
『そこへ寄りなさい。私の名を出せば、力になってくれる者がいる。遠い道を行く者たちを助けてくれる』
ネイはそれが何かまでは、言わなかった。だが、その言葉は桃矢たちにとっては一筋の光明だった。行き詰まった道に、先が見えた。
桃矢はネイのハラシロを見た。仲間のマナを、遺跡で失ったネイが、今、桃矢たちを遺跡へと向かう道に送り出そうとしている。
「ネイは」と桃矢は静かに聞いた。「俺たちが遺跡に行くのを止めないんですね」
『止めたい』とネイはためらいなく言った。『本当は行くなと言いたい。あなたたちを向かわせたくはない。だが、あなたたちは誰かを救うために行く。マナもそういうやつだった。止めて聞くような者たちなら、私はそもそも力になろうとは思わない』
ネイのハラシロが、ふわりと温かく光った。弱いけれど、確かな光だった。
桃矢はネイに、深く頭を下げた。
拠点に戻って、みんなにネイの言葉を伝えた。大きな川を越えた先にあるエボンヌの街。そこでネイの知り合いを頼れば、遠い道のりの手助けをしてくれるらしい。
まだ、確かなことは何も分からない。それでも、ただ間に合わないと諦めるよりは、ずっとよかった。
「俺は、行こうと想います」と桃矢は改めて言った。「ボンヌの街に、遠い道のりを何とかする方法があるなら、その可能性に賭けてみたい」
川原さんがすっと、手を挙げた。
「私も行く」と川原さんは言った。「遺跡や地図のことなら、少しは分かる。確かに怖いわよ。でも、遺跡のことを知ってる人間が行かなきゃ、何も読み解けない。だから、行く」
「儂も、行くぞ」と、すかさず中嶋さんが言った。「地図を読み解いてきたのは、川原さんと儂だ。それに、この歳になって、あんな途方もないものを目にする機会はもうないはずだ。古い文字も、彫り跡も、この目で確かめたい。足手まといには、ならんつもりだ」
その意気込みに、みんなは微笑んだ。中嶋さんの遺跡への情熱は、誰もが知っている。
陽翔が当たり前のように、桃矢の隣に立った。その横に朽名が、すっと並ぶ。「陽翔が行くなら」と朽名は言って、小さく笑った。
陽翔は朽名の横顔をちらりと見た。危ない旅だ。本当は、置いていきたった。けれど、朽名はこうと決めたら譲らない。それに、朽名がそばにいると、自分の中に勇気がわいていく。陽翔は何も言わず、ただ小さく頷いた。
山崎と大沢さんも頷いた。山崎は武田を誰より知る者として。大沢さんは傷ついた者がいれば、手当てするために。
最後に、麗華が口を開いた。
「私も、行く」と麗華は言った。
麗華自身、何度も迷った。拠点に残って、皆を守るのもリーダーの役目だ。けれど、今回の旅は、みんなの未来に大きく関わることだ。武田と分かり合えるようになれるのか。この星で、これからどう生きていくのか。その分かれ道を、人任せにはできなかった。
それに、麗華は胸の奥で思う。桃矢くんの近くにいたい。この気持ちに気づいてしまった以上、もう、離れた所で待っていることはできなかった。
「拠点は、川原さんにお願いします」と麗華は川原さんに向かって、深く頭を下げた。「大葉さん、一橋さん、長田さん、三浦さん、葵ちゃん、萌ちゃんを守ってください。……私が、ここを離れていいのか、ずっと迷ってた。でも、これは、グループの未来を決める旅です。リーダーの私が、自分の目で見届ける必要があります。それに、看護師の川原さんが拠点に残ってくれると、みんなも安心します」
ところが、川原さんは、すぐには頷かなかった。それどころか、めずらしく、身を乗り出した。
「ちょっと待って。さっきも言ったとおり、私が行かないと遺跡の解読が出来ないかもしれない。私が行かないと」
みんなが困ったように、顔を見合わせた。気持ちは、痛いほど分かる。けれど、拠点には高齢の方もいる。看護師がいるだけで高齢者にとって、どれほど心強いことか。
桃矢は川原の横に移動して、彼女の目を見た。
「川原さんが、一番行きたいのは、分かっています。あの文字を読みたいのも。でも、今回の旅は片道50日、帰ってこられるのは早くても100日以上後のことです。その間、長田さんや一橋さん、三浦さんたちの体を見ていてくれる人が必要です。僕はもう、誰1人として欠ける所を見たくないんです」
桃矢は続けた「それに、地図のことなら、中嶋さんが一緒に来てくれます。川原さんが解いてくれたことは、ぜんぶ、俺たちが持っていきます。川原さんの目は、ちゃんと、一緒に行くんです。拠点を任せられる人は、川原さんしかいない。だから、ここにいてほしい。お願いします」
川原さんはしばらく、桃矢を見ていた。それから、ふっと、肩の力を抜いて、苦笑した。
「……しかたないわね。私のことを立てながら、ちゃんと、逃げ道を塞いでくる。負けたわ、桃矢くんには。」
「すみません」と桃矢も少し笑った。
川原さんはゆっくりと頷いた。「分かりました。みんなの面倒は私が責任を持って行います。ポヨンヌたちもいてくれるし。その代わり、約束して。遺跡で見たものは、文字でも、絵でも、全て記録して持ち帰ること。そして、何より大事なことは、必ず、全員で帰ってきてね」
出発の支度は、慌ただしく進んだ。
今回のメンバーは、桃矢、麗華、中嶋さん、山田さん、大沢さん、山崎、陽翔、朽名の8人。
日持ちする食料と水。火種。みんなで写し取った、あの地図。麗華の指示でそれぞれが持ち物を分担した。
出発を前にみんなが集まった。
「気をつけて、行ってらっしゃい」長田さんが車椅子の上から声をかけた。その言葉は拠点に残る者たちみんなの気持ちだった。若干、後ろ髪を引かれるような思いを持ちつつも、桃矢たちは先ずポヨンヌの村へ向かった。
ポヨンヌの村につくと、ネイはまだ村にいた。この8人で先ずはエボンヌの街を目指して旅をすることを伝えると、ネイが道の途中まで、案内してくれることになった。村のポヨンヌたちが、見送りに集まってくれた。
桃矢は大きな川がある方向を見た。あの先のどこかに、武田がいる。武田を変えた“何か”の答えがきっとある。
怖くないと言えば、嘘になる。けれど、動かなければ、何も始まらない。武田を元に戻すことも、またみんなが1つになるためにも。
桃矢たちの未知への旅が始まった。




