第67話 邪魔者
旅立ちの準備は着々と進んでいた。
以前の武田なら、50日の遠征などと聞けば、真っ先に危険を数え上げたはずだった。だが今は、その慎重さが失われていた。声が導いてくれる。声が、為すべきことを教えてくれる。それだけで、武田の足は迷わなかった。
声がまた武田の中に降りてきたのは、シロが傾いた薄明かりの時間だった。
《準備は進んでいるようだな》
「ああ」と武田は頭の中で答えた。
《結構。だが武田、1つ、知っておくことがある》
声の調子が、いつもと少し違った。武田は意識を傾けた。
《お前たちを妨げようとする者がいる》
「妨げる者?」武田は眉をひそめた。「地の底の、あいつらのことか」
《いや。地の底ではない。この地表の者だ》
武田は続きを待った。
《覚えているだろう。お前のやり方を拒み、袂を分かった者たちのことを》
武田の頭に麗華の顔が浮かんだ。気弱そうな桃矢の顔も。あの日のことが、まざまざとよみがえってきた。
動けない者を切り捨ててでも全滅を避けるべきだと言った武田に麗華は激しく食ってかかった。そして武田のやり方を拒み、年寄りや弱い者を連れて、別のグループを作った。武田たちは新天地を求めてその場を後にした。それ以降、互いに顔を合わせてはいない。
《あの者たちは、やさしさを掲げてお前が為すべきことを阻もうとするだろう。弱さを美徳と信じ、必要な犠牲から目を背ける者たちだ。お前があの場所の力で地の底の脅威を断とうとすれば、あの者たちはきっと、それを許さぬ》
「……」
《覚えておくがいい。お前の行く手には、邪魔者がいる》
声はそれだけ言うと静かになった。
邪魔者。
その言葉が武田の中にするりと入り込んできた。そして、いったん入り込むと、奇妙なほどすんなりと定着した。
そうだ、と武田は思った。あいつらは邪魔者だ。
考えてみれば、最初からそうだった。麗華は武田の判断を認めなかった。全滅を避けるための苦渋の決断を冷酷だと言い張った。きれいごとを並べてグループを割った。あいつらが掲げるやさしさは、結局、現実から目を背けるための言い訳にすぎない。
あの場所へたどり着き、地の底の脅威を断つ。それは、皆を救うために、どうしてもやらなければならないことだ。それなのに、麗華たちは、それを止めようとするだろう。やさしさを振りかざして。
やはり、あいつらは邪魔者だ。
麗華たちは、もう仲間ではない。行く手を阻むかもしれない、障害。武田はそう思い定めた。
ふと、いつかの記憶が武田の脳裏をかすめた。
まだグループが一つだった頃。夜の見張りを代わってくれた者がいた。武田にそっと毛布をかけてくれた手があった。あの頃は、皆が1つだった。麗華とも肩を並べて、この星で生き延びる道を探していた。
その記憶は、ほんの一瞬、武田の胸を温かくした。
だが武田は、その温かさを振り払った。感傷だと思った。あの頃とは違う。あいつらはやさしさを選び、俺を拒んだ。情に流されれば、果たすべき役割を果たせなくなる。
あいつらは、俺がすべきことを阻もうとしている。もしかしたら、あの特別な場所に、先回りするつもりかもしれない。奪われる前に、先んじてたどり着かねば。
武田は知らなかった。その「邪魔者」たちが、本当は何を案じているのか。声が、なぜそこまであの者たちを遠ざけたがるのかも。
その夜、火を囲んだ時、ついに武田はそれを口にした。
「これから先、麗華たちには気をつけたほうがいい。あいつらは、俺たちの邪魔をしてくるかもしれない」
みんなが武田を見た。
「邪魔って」と、最初に口を開いたのは山崎だった。「どういうことだよ。麗華たちが、何かしてきたのか」
武田は、答えに詰まった。声がそう言った、とは言えなかった。
「……勘だ」と武田は言った。「だが、間違いない。あいつらは、いずれ俺たちとぶつかる」
山崎はしばらく武田を見ていた。それから、ゆっくりと首を振った。
「なあ武田。俺は、逆だと思う」と山崎は言った。「あいつらとぶつかる必要なんかないだろう。むしろ、もう一度麗華たちと、きちんと話したほうがいい」
「話す?」
「ああ」と山崎は頷いた。「分かれたまま、にらみ合ってたって、いいことなんか1つもない。こんなわけの分からない星で、人間同士が潰し合うなんて馬鹿げてる。麗華たちが知ってる事と俺たちが知ってる事を持ち寄って、これからどうするか一緒に考えればいい。協力すりゃいいだろう。元はと言えば、同じバスに乗っていた仲間だぞ」
山崎の言葉は、まっすぐだった。
武田の胸にその言葉は届きかけた。
だが、届く手前で別の声がそれを押し返した。あなたにしか、できない。邪魔者がいる。
「だめだ」と武田は言った。「あいつらとは、相容れない。一度、袂を分かった連中だ。今さら、何を話す」
「何をって、決まってるだろ」と山崎は引かなかった。「これから、どうやって生き延びるかだよ。地球に帰る道だって、もしあるなら、みんなで知恵を出し合ったほうが、良いに決まってる。なあ武田、お前だって、本当は」
「この話は、終わりだ」
武田は、山崎の言葉を断ち切った。
山崎は、口をつぐんだ。
石原が低く笑った。「話し合いなんて必要ない。邪魔なら、排除するだけだ。簡単な話さ」
田崎も隣で頷いた
その石原の言葉に声を上げたのは、大沢だった。
「……僕も、山崎の言うとおりだと思う。争う理由なんてないよ。昔から、1人より2人、2人より3人で考えた方が良い知恵がでると言われてる。もう一度合流して、みんなで考えたほうがいい」
武田は、大沢を一瞥した。だが、何も言わなかった。役立たずの言うことなど聞く価値もない、そう言いたげに、視線をそらした。大沢はそれ以上は言わず、肩を縮めた。
その様子を見た山崎が、武田をにらんだ。大沢をかばうように口を開きかけたが、これ以上言っても、武田はより一層反発するだけだと、言葉をぐっとのみ込んだ。
斉藤と太田は、武田の言葉に迷いなく頷いていた。
「武田くんが言うなら、そうなんだと思う」と斉藤が言った。「武田くんの勘は、いつだって正しいもの」
太田も、うんうん、と同意した。2人は、武田が何を根拠にそう言っているのか、気になどしていなかった。武田の言葉。それだけで、2人には十分だった。
みんなの輪から少し外れたところに、小林は1人で座っていた。
山崎の「協力すればいい」という言葉に、小さく頷いていた。何も言わなかった。ただ、その横顔は、山崎と同じ方を向いていた。
小林はマナが死んでから、ずっと口数が少なかった。あのエボンヌの行商人と小林は、ボルンを通して言葉を交わすことができた。武田のグループでただ1人。マナがいなくなってからは、誰とも心の通う話ができずにいた。今も、ひとりだけ、みんなの輪に加われずにいた。
鈴木も黙っていた。
武田が麗華たちを「邪魔者」と呼んだとき、鈴木の表情がわずかに曇った。向こうのグループには、仲のいい友達がいる。高橋葵。いずれ俺たちとぶつかるという話に、鈴木は何かを言いかけ、結局、何も言えなかった。
武田は、1人1人の様子を、見るともなく見ていた。従う者と従わない者。火を囲む小さな輪の中に、いつのまにか、見えない亀裂が出来始めていた。
だが武田は、その亀裂から目を逸らした。今は、あの場所へたどり着くことだけを考えればいい。そう、自分に言い聞かせた。
皆が寝静まったあと、武田は1人、火のそばに残っていた。
山崎の言葉が、まだ耳に残っていた。元はと言えば、同じバスに乗ってた仲間だぞ。
仲間。武田は、その言葉を胸の中で転がした。かつては、そうだったのかもしれない。だが、もう違う。あいつらは袂を分かった。やさしさを選び、武田を拒んだ。そして今、武田の行く手をふさごうとしている。
《あなたにしか、できない》
声の言葉が、また武田を揺らした。その心地よさの前では、山崎の「協力すればいい」も、かつての仲間の顔も、急速に色を失っていった。
武田は立ち上がり、川の向こうの方を見た。マジ暗の闇がすべてを覆っていた。あの闇のずっと向こう、50日の彼方に、あの場所がある。そこへたどり着けば、すべてが解決する。地の底の脅威を断ち、皆を救い、もしかしたら、地球へ帰る道さえあるかもしれない。
その行く手に立ちふさがる者がいるのなら、排除するまでだ。
武田の中で、決意が固まった。




