第64話 新しい彫り跡
その後は、写しとのにらめっこが再び続いた。
地図を見て気づいた、あの特別な遺跡には今は行けない。今できることは、また、文字の解読を試みることだった。
でも、みんな分かっていた。もう、限界。
知っている文字は、相変わらず、数えるほど。その間を埋める言葉は、どれだけ睨んでも読めない。地図から得られる情報もほとんど無かった。1つだけ違う特別な印が川の向こうの遠い地にあること。それだけだった。
「もうだめだ」と、ある日、陽翔が布の前に寝転がって天井を見上げた。「もう何日も、何の進展もない」
陽翔の言う通りだった。
桃矢も同じ事を感じていた。いくら写しを見ても、何も変わらない。何も見えてこない。行き詰まってると思った。
「もう一度、行くしかないと思う」
みんなが、桃矢を見た。
「遺跡にですか」と朽名が聞いた。
「うん」と桃矢は言った。「これだけみんなで隅から隅まで写しを見ても、何も見つからない。ならば実物を、もう1度、見るしかない。遺跡にはまだ写してない部分が沢山あるし、実物の壁を前にすれば、写しでは気づけなかったことに、気づけるかもしれない」
「3度目、か」と中嶋さんが腕を組んだ。「片道、7日もかかる。楽な道のりじゃない」
「僕も行った方が良いと思うな。もう何日も同じ事を繰り返しているだけで、何の成果もない。もう限界だよ」と山田さんが桃矢をフォローした。
中嶋さんは、しばらく考えてから、頷いた。
「同感だ」と中嶋さんは言った。「正直、私も、写しだけでは限界を感じていた。行く価値は、ある」
「私も賛成」と川原さんが言った。「現地でもう一度、自分の目で、じっくり見たい」
麗華はみんなを見渡した。
「無理はしない約束ね。危ないと思ったら、すぐ引き返す。それが守れるなら、行きましょう」
こうして、3度目の遺跡探索が決まった。
また、長い道のりだった。
今回もルウとミウが、半日手前まで送ってくれた。3度目ともなれば、慣れた道のりだった。
そして、桃矢たちは、また、あの遺跡の前に立った。
蔓と苔に覆われた、石造りの構造物。何度見ても、その大きさには圧倒される。桃矢たちは、肩のボルンの弱い光を頼りに中に入った。
真っ直ぐ本文の部屋へ向かった。
壁一面にびっしりと刻まれた文様。これまで写しを何日もかけて見てきた。けれど、こうして実物を前にすると、写しでは分からなかった、生々しい質感がここにはあった。
桃矢は肩のボルンとともに身を寄せて、壁を左から右へゆっくり見ていった。
今回のもう1つの目的は、文様がある壁を大きく俯瞰しながら、何か見落としが無いか確認することだった。昨晩の打ち合わせで、今回は、写しを取る前にじっくりと壁を観察してから写しを取ることに決めていた。
桃矢も自分の分担の壁をじっくりと観察していた。その壁は前回来たときに写しを取った場所だった。
その時だった。
ふと、桃矢の目が壁のある部分に吸い寄せられた。
なぜかは、自分でも分からない。そこを読もうとしたわけでも、何かに気づいたわけでもない。ただ、何となく、その部分が気になった。
桃矢は念のため、気になるその部分に顔を近づけた。
そして、気づいた。
その部分だけ、彫り跡の縁が妙に深く、鋭かった。
「中嶋さん」と桃矢は声をかけた。「ここを見てください。ここの彫り跡」
中嶋さんが肩のボルンごと顔を寄せた。長いことその部分を見つめ、それから、すぐ隣の文様と見比べた。
眉がひそめられた。
「……妙だな」と中嶋さんは言った。「縁が鋭い。しかも摩耗がほとんどない。彫ったばかりみたいだ」
「でも、ここ、何千年も前の遺跡ですよね」と桃矢は言った。
「そのはずだ」と中嶋さんは言った。「だから、おかしいんだ。見てくれ。こっちの文様は、縁が丸く摩耗している。長い年月で角が取れている。これが、古い彫り跡の本来の姿だ。なのに、すぐ隣のこの部分だけ、まるで、つい最近彫ったように鋭い」
川原さんも寄ってきて、壁に指を這わせた。
「ほんとだ。摩耗してる線としてない線が混ざってる。あり得ないわ」
川原さんはトルコで古い神殿をいくつも見てきた。
「こういうものはね、全体が同じように古くなるものなの。同じ時代に、同じ手で、一気に彫る。だから、風化もだいたい揃う。なのに、これは、すぐ隣同士で片方だけ新しい。同じ壁に同じ時に彫られたはずなのに。こんなこと、普通はあり得ないわ」
「補修されたんじゃないか」と山田さんが言ったが、「補修なら、跡がまとまってるはずだ」と中嶋さんは首を振った。「でも、これは違う。古い線と新しい線が、1つの文章の中にばらばらに混じってる。そんな直し方を誰が、何のためにする」
誰も、答えられなかった。
「ねえ……」と、朽名が小さな声で言った。「これ、前に来たときもあったかなぁ。 私たち、前にこの壁をみんなで写したよね。この部分は私がなぞったもん。でも、こんな、鋭い線を写した覚えないんだけどなあ……。こんなに目立つのに」
桃矢も記憶をたどってみた。
2度目の探索で、何日もかけてこの壁を写した。この一帯も、確かに写したはずだ。なのに、こんな鋭い彫り跡に気づいた覚えがない。どれも摩耗した古い線ばかりだった気がする。
「言われてみれば」と桃矢は言った。「前は、気づかなかった気がする。なんでだろう」
「見落としてたんじゃないのか」と山田さんが言った。「ボルンの光は暗いし、何日も作業して目も疲れてたから。これだけびっしりあるんだ、見落としの1つや2つあってもおかしくないさ」
「……そうかも」と朽名は、あっさり頷いた。「うん、きっとそうだ。前は暗くて、気づかなかっただけ」
桃矢もそう思うことにした。きっと、見落としていたのだ。これだけの文様だ。見過ごしたとしても、不思議はない。
そう、思うことにした。それ以外に、考えようがなかったから。
でも、桃矢はその「混ざり方」が気になった。
もし、新しい線が何かの意味を持って彫られたなら。ばらばらに見えても、何か、規則があるかもしれない。
「鋭い線だけ、追ってみませんか」と桃矢は言った。「何か規則性があるかもしれません」
全員で壁を寧に見ていった。鋭く新しい線と、古く摩耗した線。肩のボルンの弱い光の下で、目を凝らして少しづつ見ていく。根気の要る作業だった。
やがて、全貌が見えてきた。
新しい線は、ある一帯に固まっていた。
それはあの場所だった。
争うポヨンヌの絵のすぐそば。
桃矢たちが「ポヨンヌの昔の話」を読み取った、まさにその一帯。そこに、新しい彫り跡が集中していた。
「ここ……」と陽翔が掠れた声で言った。「俺たちが、いちばん『読めた』って思った場所だ」
しばらく、誰も口をきけなかった。ボルンの弱い光だけが、壁の文字をぼんやりと照らしていた。
ここは前回、何度も何度もみんなで驚きながら見た場所だった。なのに、彫り跡の違いに気がつかなかった。あり得ない。
桃矢の頭の中で、嫌な考えが浮かんできた。
自分たちは、この遺跡がはるか昔に滅んだ「光を放つ者たち」が遺したものだと考えていた。何千年も前に放置された過去の遺物だと。
でも、もし、そうでないとしたら。
もし、誰かが、最近、この記録に手を加えていたとしたら。しかも、よりによって、自分たちが「ポヨンヌの昔の話」だと読み取った、まさにその場所に。これは、誰かが自分の存在を伝えるためにわざと残した物だったら。桃矢は得たいの知れない存在の影に薄ら寒い思いをしていた。
「桃矢くん」と麗華が低い声で言った。その顔も、強張っていた。「今、何を考えてるか、当ててみましょうか」
「……たぶん、同じことです」と桃矢は言った。
「ええ」と麗華は言った。「でも、今は、答えを出せない。確かめようがないもの。決めつけるのは、よくない」
麗華の言う通りだった。分かったのは、ただ1つ。同じ壁に、同じ手で、同じ時に彫られたはずの文字に、なぜか、新しいものと古いものが混ざっている。そして、新しい彫りが、自分たちが読んだ「昔話」の場所に固まっている。それだけだった。
本当の理由は、分からない。誰が、何のためにしたのか。
その夜、遺跡の外で野営をしながら、桃矢はあの時の事を思い出していた。
壁の一点に、ふいに目が吸い寄せられた、あの瞬間のこと。まるで、何かに導かれるように、そこを見ていた。
まるで、誰かが、「ここを見ろ」と教えてくれたかのように。
もちろん、そんなはずはなかった。気のせいだ。桃矢はそう自分に言い聞かせた。武田が頭の中で「声」を聞いていることを桃矢は知らない。だから、その奇妙な感覚を、ただの気のせいとして、片づけるしかなかった。
それでも、胸の奥には説明のつかない感覚が残っていた。
マジ暗の闇が、遺跡を静かに包んでいた。その闇のはるか彼方。この星の者ではないものが、静かに、桃矢たちを見守っていた。




