第62話 2つの声
武田はその日以来、1人で考え込む事が多くなった。
食事の時も、皆が火を囲む中、武田だけは少し離れた場所に座った。誰かが話しかけても、上の空で返す。食事時間以外は1人で草原の外れで長い時間過ごしていた。
皆、それに気づいていた。気づいていても、誰も何も言えなかった。このグループのまとめ役だった武田が、日に日に、遠くなっていく。誰も、その理由を知らなかった。
武田だけが知っていた。自分が誰と話しているのかを。
拠点のから少し離れた誰も来ない場所。そこに立って、武田は、頭の中の声を待っていた。
「考えておく」と答えてから、武田はずっと同じことを考え続けていた。地の底に滅ぼすべきものがいる。声はそう言った。だが、それが何なのか、武田は知らなかった。
知らないものを滅ぼせと言われても、頷けるはずがなかった。武田はそういう人間だった。決断する前に、まず、対象を知る。地球にいた頃からの武田のやり方だった。
「教えてくれ」と武田は、声に向かって、頭の中で言った。「地の底にいる者たちのことを。もっと詳しく」
しばらく、間があった。
《よい心がけだ。敵を知ろうとするのは、賢明な者の証だ》
声は満足げだった。
《では、話そう。あの者たちがどういう存在か》
《あの者たちは、力こそがすべてだと考えている》
声は、ゆっくりと語り始めた。
《強い者が弱い者を支配する。それが当然のことだと。弱い者は淘汰されるべきだと。彼らの世界には、助け合いも思いやりもない。あるのは、力の序列だけだ》
「力の序列」と武田は繰り返した。
《そうだ。彼らは、慈悲を弱さと呼ぶ。誰かを哀れむ心、誰かを許す心。そういったものを、彼らは嘲笑う。それは、淘汰されるべき劣った者の言い訳に過ぎない》
武田の頭に、ある光景が浮かんだ。
地球の教室。武田が、正しいと思うことを言うたびに、向けられた冷たい視線。あいつは、冷たい。あいつには、優しさがない。そう言われ続けた、あの日々。
その武田から見ても、声の語る者たちは、異質だった。武田は力を重んじる。だが、力で誰かを支配したいわけではなかった。淘汰だの、序列だの、考えたこともない。
《彼らは、地上のポヨンヌたちを見下している》
声が続けた。
《あの穏やかな者たちを、退化した哀れな存在だと。争うことをやめ、牙を捨てて、ただ優しく寄り添うだけの暮らし。それを、彼らは生きることを放棄した者の姿だと嘲るのだ》
武田は眉をひそめた。
ポヨンヌ。武田はまだ見たことはなかった。マナからその存在は聞いていた。そして、報告では、麗華たちが親しくしているという存在。
それを退化した哀れな存在だと、嘲笑う。
武田の中に、わずかな不快感が生まれた。
《彼らの世界では、生まれた子さえ、力を示せねば顧みられない。弱く生まれた者は、誰にも守られず、ただ淘汰される。親が子を慈しむという、あなたたちには当たり前のことさえ、彼らにはない》
「……むごいな」と武田は思わず漏らした。
《むごい、と感じるか。それは、あなたが彼らとは違うという証だ》
声はどこか満足げだった。
確かに、声の語る者たちはむごい。けれど、武田は別のことも考えていた。
力を示せねば顧みられない。弱い者は淘汰される。それは、これまで自分が行ってきたことと同じではないか。
だが、すぐに思いを打ち消した。違う。自分は、弱い者を切り捨てたいわけではない。ただ、全員が生き残るために、優先順位をつけようとしただけだ。あの者たちとは、違う。
違う、はずだった。
「1つ聞きたい。その者たちは、ただ、争っているだけなのか。地の底で、どうやって暮らしている」
少し、間があった。
《彼らは、優れた、技術を、持っている》
ゆっくりと、言葉を選んでいるかのような答えだった。
《地の底の中で、彼らは、独自の技術を築いてきた。あなたたちが見れば、目を疑うようなものを、作り上げている。地上のどんな道具も、エボンヌの技術も、遠く及ばない》
「そんなものを作れる者たちが、ただ、争うためだけに、それを使っているのか」
《そうだ。彼らにとって、技術も、知恵も、すべては、より強くあるための手段に過ぎない》
武田は、黙った。
優れた技術を持ち、目を疑うものを作り上げる。それほどの者たちが、ただ支配と淘汰のためだけに生きている。これまで声は間違ったことを言わなかった。この話はにわかには信じがたい話だが、本当なのだろう。
《もし、あの者たちが地上に出てくれば》
声は、声の調子を少しだけ強めた。
《この星の穏やかさは終わる。ポヨンヌは蹂躙され、エボンヌは滅ぼされ、あなたたち人間も虐殺される。彼らの持つ力は、あなたの想像をはるかに超えている》
「力、というのは」と武田は聞いた。「具体的には、何だ。どれほどのものだ」
《それは……あなたには、まだ、想像もつかないだろう》
声は、そこで、言葉を濁した。
《とにかく、桁違いだ。あなたたちが地球で知っていた、どんな力よりも》
武田は、その言葉に引っかかりを覚えた。
声は、これまで、いつも具体的だった。狩りの方法も、道具の作り方も、事細かく教えてくれた。なのに、敵の力のことになると、急に曖昧になった。桁違いだ、としか言わない。
なぜだ、と武田は思った。
だが、武田はその問いを口にしなかった。
《あなたなら、分かるはずだ》
声は、武田の迷いを見透かしたように言った。
《力を持つことの意味を。力を正しく使うことの意味を。地球の者たちは、あなたのその力を恐れ、遠ざけた。だが、私は違う。あなたの力こそが、この星を救うのだと知っている》
その言葉が、また、武田の中に、染み込んできた。
あなたの力こそが。
地球では、誰もそうは言わなかった。生徒会長として皆の上に立ってはいても、武田の内にある冷徹さ、必要とあらば切り捨てる強さは、煙たがられ、冷たいと退けられてきた。並び立つと認められた麗華でさえ、その強さを目の当たりにして、武田に背を向けた。その力を必要だと言ってくれる。ただ1つの存在が、声だった。
武田はその声に抗えなかった。抗いたくなかった。
《あの残虐な者たちを放ってはおけない。彼らが目覚め、地上に這い出てくる前に。手を打たねばならない。あなたにしか、できないことだ》
本来の武田なら、ここで立ち止まったはずだった。
相手の力は、桁違いだという。なのに、自分たちが手にした力など、まだ、わずかなものだ。槍を覚えた石原と田崎。少しばかり増えた狩りの収穫。それだけだ。そんな手勢で、想像もつかないほどの力を持つ相手に、どう立ち向かえというのか、冷静な武田なら、真っ先に、そう問い返したはずだった。敵うわけがない。無謀だ。
だが、その疑問は、武田の頭には浮かんでこなかった。
いつからか、武田の、あの冷静で正確な計算が消えていた。損か得か、勝てるか勝てないか、退くべきか進むべきか、かつての武田を誰よりも武田らしくしていた慎重さ。それが、最近、ひどく鈍くなっていた。石原や田崎が些細なことで激昂するようになったのと、同じ原因だったのかもしれない。
だが、武田は自分の変化にだけは、なぜか、気づけなかった。気づかぬまま、ただ、必要とされる心地よさだけが、武田を前へ前へと押していた。
「……分かっている」と武田は言った。声に向かって、というより、自分自身に言い聞かせるように。
《よい。準備が整えば、あなたをその場所へ導こう》
「その場所?」
《いずれ、話す。今は、力を蓄えておくことだ》
それだけ言って、声は聞こえなくなった。
武田は、夜空を見上げた。敵の輪郭が少しだけ見えた。力こそすべて。慈悲を嘲る者たち。
だが、敵の力はどれほどのものなのか、どうやって強大な敵に立ち向かえば良いのか、まだ分からないことが多かった。
武田は、その疑問を考えないことにした。今はとにかく進むしかない。そう思うことにした。
拠点に戻ると、石原と田崎が、火のそばで、何か言い争っていた。
石原も田崎も、声のことは知らない。武田が、地の底の敵のことを考えていることも知らない。ただ、武田の指示に従い、狩りをし、武器を作り、力をつけている。そして、いつのまにか攻撃的になっていた。
武田はその二人を見て、さっきの声の話を思い出していた。
力こそすべて。弱い者は淘汰される。慈悲は弱さ。
それが、目の前の石原と田崎の姿に重なって見えた気がした。
武田はその考えをすぐに振り払った。
その夜、武田が眠ろうとした時、山崎が隣に来て腰を下ろした。
「石原と田崎、またやり合ってたな」
「ああ」と武田は言った。
「なあ、武田。俺、ちょっと、怖いんだ」
武田は山崎を見た。
「石原や田崎は、以前はあんなに尖ってなかった。なのに、今は目つきが違う。何かを狩ること楽しんでるみたいに見える時すらある」
武田は答えなかった。
「俺たちは生き残るために力をつけようと頑張ってきた」と山崎は言った。「それは、間違ってないと思ってた。今も少しは、そう思ってる。でも、最近、分からなくなってきたんだ。俺たちは、何のために強くなろうとしてるんだ?」
何のために。
武田は、その答えを既に声から聞いていた
声は言った。皆を救うため。
でも、山崎はその武田の「皆を救う」を知らなかった。地の底の敵のことも知らない。だから、ただ、強くなっていく仲間たちを見て、怖いと言っている。
武田は、山崎にすべてを話したい衝動に駆られた。地の底の敵のこと。声のこと。自分が、皆を守るために決断しようとしていることを。
だが、話せなかった。
話せば、山崎は間違いなく止めるだろう。麗華と同じように。
「……心配するな」と武田はそれだけ言った。
山崎は、しばらく武田の横顔を見ていた。それから、小さく、息を吐いた。
「お前がそう言うなら。でも、武田。1つだけ、覚えておいてくれ。お前が、どこに行こうとしてるのか知らないけど。俺は、お前の友達だ。それは、ずっと、変わらない」
武田は何も言えなかった。
山崎はそれ以上は何も言わず、自分の寝床に戻っていった。
武田は、1人、火を見つめていた。
お前の友達だ。その言葉が、声の言葉とは違う温かさで、武田の中に響いていた
2つの声。あなたの力が必要だ、と言う声。お前の友達だ、と言う声。
どちらも、武田には嬉しかった。どちらの声に従えばいいのか。今の武田には、まだ、答えを出せなかった。




