第59話 ポヨンヌを変えたもの
翌日も、7人は遺跡に入った。
この遺跡に通い始めて、5日目になる。
昨日見つけた、壁の下部の絵。争うポヨンヌ。降り注ぐ光。穏やかなポヨンヌ。
あの絵には、続きがあるはずだった。
あの絵がある部屋に付くと、みんなはボルンの光を集めるように固まって、昨日見つけた絵の続きを探すべく、壁づたいに少しずつ移動していた。
そこで、みんなの足が止まった。
新たな絵があった。
これまで描かれていたのは、ポヨンヌだった。だが、その先の壁には、見たことのない複数の姿が描かれていた。ポヨンヌやエボンヌではない、別のもの。
ほっそりとした姿だが、輪郭はぼやけている。人間のような手と足があるようだが輪郭がぼやけていて、全体像が曖昧だった。体の周りには、細い線が放射状に幾筋も伸びている。まるで、その姿そのものが、光を放っているかのようだった。
「これは……何だ?」と山田さんが、後ろから覗き込んで言った。
「見たことのない姿だ」
中嶋さんが顔を近づけた。じっと、長いこと見ていた。
「妙だな。この絵だけ描き方が違う。ポヨンヌやエボンヌは、はっきりとした形で描かれている。でも、この姿だけは、わざと曖昧に描いてあるように見える。輪郭をぼかして、光だけを強調している」
「神様かな?」と山田さんが言った。「ほら、地球の壁画でも、神様って、こういう感じで描かれてたりするだろ」
「そうかもしれん。特別な存在として描かれているのは間違いない」
桃矢は、その光を放つ姿を見つめた。
ポヨンヌでもエボンヌでもない、第3の何か。この遺跡を造った者たち、「古い者たち」とでも呼ぶべき存在。そんな考えが、ふと、頭に浮かんだ。根拠はなかった。ただ、この精巧な石組みを造り、こんな記録を遺せる存在が、ポヨンヌやエボンヌであるはずがないとは思った。今のポヨンヌにも、エボンヌにも、こんなものは造れない。
川原さんが、別のことに気づいた。
「ねえ、これ見て」と川原さんが、絵の配置を指した。「この光を放つ姿が描かれているのは、光が降り注いでる場面より上なの」
桃矢は絵全体をもう一度、端から見直した。
争うポヨンヌ。その次に、空から降り注ぐ光。その光を浴びて、穏やかになるポヨンヌ。そして、その光が降り注ぐ場面の右上に当たる場所に、あの光を放つ者たちが描かれていた。
「偶然、上に描いてあるだけかもしれない」と桃矢は言った。
「かもしれない」と川原さんは言った。「でも、トルコの神殿で見た壁画は、上に描かれているものほど、偉い存在だったの。王様とか、神様とか。下に、その支配を受ける人々が描かれる。上下の位置には意味があった」
桃矢は、もう一度絵を見た。
上には光を放つもの。下にはその光を浴びて変わるポヨンヌ。
もし、川原さんの言う通り、上下に意味があるとしたら。
この絵はこう言っていることになる。光を放つものたちが、上からポヨンヌに光を降らせた。そして、ポヨンヌは変わった。
その日は、そこまでだった。ボルンの光が目に見えて弱くなり、桃矢たちは外に出た。
野営地に戻り、写しを広げて焚き火を囲んだ。
「もし、桃矢の言う通りなら」と陽翔が火を見つめながら言った。「昔、ポヨンヌは争ってて、その姿を見た光を放つ者が、光を降らせて、ポヨンヌを大人しくさせた。そういうことになる」
「大人しく、というか」と麗華が言った。「争う心をなくさせた、というか」
しばらく、誰も話さなかった。焚き火の爆ぜる音だけが、響いていた。
「……ポヨンヌさんたち」と朽名がぽつりと言った。「自分たちが、昔は争っていたことを知らないんですよね」
「だろうな」と陽翔が言った。
「ハナも、ユウも、知らないんだ」と朽名は、火を見つめながら言った。ハナとユウは、朽名が村でいちばん仲良くしている、二体のポヨンヌだった。「あんなに優しいのに。その優しさが、昔、誰かに、そういう風にされたものだったなんて。本人たちは、何も知らないで、笑ってて」
「なんだか、切ないです」と朽名は言った。「知らないでいる方が、幸せなのかな。それとも、知らないのは、かわいそうなのかな。……私、分からなくなっちゃった」
誰も、答えられなかった。
次の日も、その次の日も、桃矢たちは遺跡に通った。
光を放つ者たちが描かれた壁の周りの文字を必死に読もうとした。だが、やはり読めなかった。光を放つ者を表すらしい記号。ポヨンヌの記号。光の記号。意味の分かる記号はところどころに、ぽつり、ぽつりと見つかる。でも、その記号と記号の間をつなぐ言葉が、まったく読めなかった。
一度、進みかけたことがあった。
陽翔が同じ記号が、本文の中に何度も繰り返し出てくることに気づいた。「これだけ何度も出てくるなら、『する』とか『なる』とか、よく使う言葉なんじゃないか」と陽翔は言った。山田さんが「だったら、ポヨンヌの記号の次に出てくるこれは、『ポヨンヌが、する』って読めるんじゃないか」と勢い込んだ。
桃矢もそうかもしれないと思った。だが、中嶋さんが首を振った。
「待て。それを確かめるには、別の場所でも、同じ並びが同じ意味になっているか、見ないといけない」
全員で、本文の中から、その記号の並びを探した。すると、同じ並びが太陽の記号の次にも、川の記号の次にも、出てきていた。
「太陽が、する。川が、する」と山田さんが読み上げて、自分で首をかしげた。「……意味が通らないな」
「通らん」と中嶋さんが言った。「ということは、さっきの読み方は、間違いだ。この記号は、『する』ではない。もっと別の、私たちには見当もつかない役割の言葉だ」
せっかく掴みかけた糸が、ぷつりと切れた。
陽翔が布の前で、大きくため息をついた。「振り出しか」
「振り出しじゃない」と中嶋さんは言った。「一つ、これは違うと分かった。それも前進だ。地球の学者だって、こうやって、間違えては戻り、間違えては戻りを繰り返して、何十年もかけて読んだんだ」
桃矢は、その言葉に頷いた。頷きながら、内心では途方もない壁の高さを感じていた。自分たちは、学者ではない。ただの、迷い込んだ素人だった。それでも、読み解くしかなかった。
光を放つ者たちがポヨンヌに「何かを」したのか。「与えた」のか、「奪った」のか、「変えた」のか。肝心の言葉は、分からないままだった。
そんな中、朽名がポヨンヌ達が光を浴びた場面を見ていると、右隅のポヨンヌたちから煙のようなものが立ち上っているのを見つけた。
「陽翔、これ、見て」と朽名は隣にいる陽翔に声をかけた。「ポヨンヌの体から、煙のようなものが出てる」
「ほんとだ」と陽翔が顔を近づけた。「煙みたいなのが、もやもやって」
みんなが集まってきた。桃矢には、それはまるで光を浴びたポヨンヌから争う心のようなものが、抜き出ていくに見えた。だから、ポヨンヌは穏やかになった。
筋は、通っているように思えた。抜き取られたものは、そのまま、光の中に溶けて消えてしまったのだろう。
その続きの絵を探した。
煙のようなものが、ポヨンヌの体から抜け出るところまでは描かれている。だが、その先を描いたはずの壁の部分は剥がれ落ちていた。
風化したのか。もともと、何もなかったのか。それは、分からなかった。
「ここ、欠けてますね」と川原さんが残念そうに言った。
光を降らすもの、光を浴びて体から何かが抜けていくポヨンヌ。ここまでだった。
遺跡の探索を切り上げる日が近づいていた。持ってきた食料も残り少なく、ボルンたちの疲れも限界に近かった。これ以上長居すれば、帰りの道のりが危うくなる。
最後の日、7人は、これまで読み解いたことを、絵の前で、もう一度、確かめ合った。
昔、ポヨンヌは争っていた。傷つけ合っていた。
そこへ、光を放つ者たちが現れた。
その者たちは光を降らせ、ポヨンヌから争う心を抜き取った。
ポヨンヌは穏やかになった。今のポヨンヌに。
それが、この壁画が語る、ポヨンヌの遠い昔の物語だった。
「結局、文字は読めなかったな」と山田さんが少し悔しそうに言った。
「でも、絵が教えてくれた」と中嶋さんが言った。「文字が読めなくても、絵を遺してくれた。読めない者にも伝わるように。それは、この記録を遺した者たちの優しさだったのかもしれん」
7日間の探索を終え、帰路についた。帰り道、草原の端にルウとミウが待っているのが見えた。
ずっとここで待っていてくれたわけではないだろう。それでも、桃矢たちが戻る頃を見計らうように、2体はそこにいた。
『おかえり』とルウが言った。ハラシロが、温かく光っていた。
「ただいま」と桃矢は言った。
その温かい光を見て、桃矢は、遺跡の絵を思い出していた。
今、目の前にいるルウのこの優しさ。この穏やかさ。それは遠い昔、誰かがポヨンヌから争う心を取り上げた、その結果として、ここにあるのかもしれなかった。
ルウはそのことを知らない。きっと、どのポヨンヌも知らないだろう。自分たちが、かつて争っていたことも。誰かに変えられたかもしれないことも。ただ、優しいまま、この星で穏やかに暮らしている。
桃矢は、それをルウに伝えるべきか、迷った。
でも、言えなかった。
ルウのハラシロの温かい光を見ていると、その昔話はあまりに重すぎる気がした。
「いろいろ、あったんです」と桃矢は、それだけ言った。
『そう』とルウは言った。それ以上は、聞かなかった。ただ、桃矢の隣に並んで、一緒に村への道を歩き始めた。




