第54話 星を管理するもの
武田は最近、眠れなかった。
眠れない、というより、眠る必要を感じなくなっていた。遺跡から戻って以来、体が疲れなくなった。1日中動いても、夜になっても、頭が冴えていた。最初は気のせいだと思っていた。しかし、日が経つにつれ、それが確かな変化だと分かってきた。
そして、あの声が聞こえるようになった。
最初に気づいたのは、遺跡から戻った数日後のことだった。1人で拠点の外れに立っていた時、頭の中にあの声が響いた。遺跡の奥で聞いた、あの声だった。
《調子はどうだ》
武田は最初、空耳だと思った。しかし、声は続いた。
《あなたは、私の声を聞ける。遠くにいても》
武田は周囲を見回した。誰もいなかった。声は武田の頭の中にだけ響いていた。
《驚くことはない。あなたは選ばれた。だから、つながっている》
「お前は誰だ」と武田は、声に出さずに聞いた。
《答える前に1つ確認したい。地球に帰りたいか》
「帰りたい」
《では、話を続けよう》
それ以来、声は時々、武田の頭の中に響くようになった。
声は武田に多くのことを教えた。
獣の習性。植物の性質。道具の作り方。天候の読み方。武田が「分かる」ようになったことは、全てこの声がもたらしたものだった。声は武田の頭の中に知識を直接流し込んだ。武田はそれを使った。グループは豊かになった。みんなが武田を讃えた。
しかし、武田はその声が何者なのか、まだ知らなかった。
ある夜、武田は1人で拠点を離れて声に尋ねた。
「お前は、何者だ。そろそろ教えてくれてもいいだろう」
声は、少し間を置いてから答えた。
《私はこの星を管理しているもの》
「管理?」
《そうだ。この星のすべてを見守っている。生き物たちの営み。星の巡り。複合光の流れ。すべては、私の管理下にある》
「お前は神なのか?」
《神ではない。この星の管理を引き継いだもの。私の前にも管理する者がいた。さらにその前にも》
武田は今聞いた言葉を整理していた。この星を管理している存在。生き物を始め、全てを見守っている何か。それが、自分に語りかけている。
「なぜ、俺なんだ」と武田は問うた。「なぜ、俺たちを呼んだ」
《あなたたちが、この星に必要だからだ》
「必要?」
《この星には私の手に負えない問題がある。私にはそれを解決する力がない。あなたたちには、ある》
「俺たちの、何が必要なんだ」
声は、少し間を置いた。
《争う力だ》
争う力。
この星の生き物たち、ポヨンヌやエボンヌは、争いを知らない。武田はそれを聞いていた。彼らには「争い」という概念そのものがない。だから、争いが必要な時、彼らには何もできない。
しかし、人間は違う。人間は争うことを知っている。力で物事を解決することを知っている。武田は特にそうだった。武田は弱さを切り捨てることに、ためらわなかった。目的のためには非情になれた。それが武田の強さだった。
《あなたは、特別だ》
声は言った。
《あなたたちの中でも、あなたは特に、私の求めるものを持っている。合理的な判断。冷静な決断力。役に立たない者を切り捨てる冷徹さ。それは、この星の生き物には無いものだ》
武田はその言葉に安らぎのような感覚を覚えた。
地球にいた頃、武田の冷徹さは批判されることが多かった。弱者を切り捨てると非難された。麗華は武田に「ついていけない」と言った。武田の論理は、多くの人間にとって受け入れがたいものだった。
しかし、この声は、その武田の冷徹さを肯定した。必要なものだと言った。求めていると言った。
武田は生まれて初めて、自分の本質を丸ごと肯定された気がした。
それは、武田にとって抗いがたい誘惑だった。
声は、武田に「仕事」の輪郭を少しずつ示し始めた。
《この星のどこかに、私が滅ぼせなかったものがいる。それを、あなたたちに滅ぼしてほしい》
「それは、何だ」
《まだ、言えない。時が来れば話す。今は準備をしてほしい》
「準備とは」
《力をつけることだ。あなたの仲間たちを強くすること。そして、この星のことをもっと知ること》
武田はその指示に従った。
まず、役割を明確に分けた。これまでは、なんとなく石原と田崎が力仕事をし、他は適当に動いていた。武田はそれを改めた。石原と田崎を狩りの担当に固定し、声から得た知識をもとに、効率的な狩りの手順を叩き込んだ。落とし穴の掘り方、獣道の見極め方、待ち伏せの時間帯。石原と田崎は、武田の指示通りに動くだけで、面白いように獲物を仕留められるようになった。
斉藤と太田には、食料の保存と管理を任せた。声から得た知識で、武田は肉を干して保存する方法を知った。塩がなくても、特定の植物の灰を使うことで肉が長持ちすることを教えた。斉藤と太田はその作業に没頭した。武田に役割を与えられたことが、二人には誇らしかった。
大沢には水と植物の管理を任せた。大沢は医師家系の医学部生で、もともと薬草に多少の知識があった。武田はどの植物が薬になり、どの植物が毒かを大沢に伝えた。大沢は最初は戸惑っていたが、与えられた役割をこなした。
鈴木には、拠点の整備を任せた。寝床の管理、火の番、道具の手入れ。地味だが、欠かせない仕事だった。鈴木は黙々とそれをこなした。
小林だけは、これといった役割を与えなかった。
小林はエボンヌと言葉を交わせる、貴重な存在だった。マナが生きていた頃は、通訳として重宝された。しかし、マナが死んだ今、小林の役割は宙に浮いていた。それでも武田は「何かあれば通訳を頼む」とだけ言って、それ以上は求めなかった。小林はそれがありがたかった。輪の中で無理に役割を演じなくて済んだから。
山崎には、何も命じなかった。
山崎は武田の唯一の友人だった。命ずる、という関係ではなかった。武田は山崎が自分の判断で動くことを暗黙のうちに認めていた。山崎は狩りを手伝うこともあれば、拠点の作業を手伝うこともあった。決まった役割はなかったが、誰よりも全体を見ていた。そして、武田のやり方に少しずつ違和感を募らせていた。
武田は毎朝、全員を集めた。
その日の作業を割り振り、前日の成果を確認した。誰が何をして、どれだけの成果を上げたか。武田はそれを細かく把握した。成果を上げた者には、はっきりと「よくやった」と言った。そうでない者には、容赦なく叱責した。
最初はみんなの中には小さな反発もあった。しかし、武田のやり方は成果が出ていた。食料の確保は安定し、生活は楽になった。何より、自分が何をすればいいかが明確になった。それは、この異常な状況において、奇妙な安心感をもたらした。
斉藤が「武田くんがいれば、私たち大丈夫ですね」と言った。太田が頷いた。石原と田崎は武田の指示を絶対のものとして従った。
学校で生徒会長として培った統率力に、声がもたらす知識が加わる事で、武田のリーダーシップは、これまでとは別次元のものになっていた。
食料はもはや不足しなかった。干し肉は蓄えられ、何日分もの備蓄ができた。獣を狩る効率は上がり、けが人も出なくなった。生活の基盤が揺るぎないものになっていった。
それだけではなかった。武田は声から得た知識で、武器も作り始めていた。木を削り、石を研ぎ、先を尖らせた槍。蔓を編んで作った投擲用の縄。獣を狩るための道具ではなかった。誰に対して使うのか、武田は言わなかった。
武田は声のことを誰にも話さなかった。いや、話せなかった。山崎にすら全ては話さなかった。「この星に、俺たちを呼んだものがいる」とだけは伝えたが、それ以上は言わなかった。声が何者で、何を求めているのか。それを、武田は1人で抱えていた。
誰も、武田が背負っているものを知らなかった。
武田が抱えている悩みを知らない皆は、武田を讃えた。武田についていけば間違いないとも言った。しかし、それらの讃辞は、武田の孤独をかえって深くした。彼らは武田の指示に従っているだけだった。武田が何を聞き、何を抱えているのかは、誰も知らなかった。
ある夜、山崎が武田のところに来た。
「武田」
「何だ」
「最近、1人でいることが多いよな。何か抱えてるんじゃないのか」
武田は山崎を見た。山崎は小学生の頃からの友人だった。武田が唯一、心を許せる相手だった。
武田は一瞬、全てを話そうかと思った。この星を管理している声のことや求められている「仕事」のこと。
しかし、言えなかった。言えば山崎は反対する、そんな予感がした。
「何も抱えてない」と武田は言った。「ただ、考えることが多いだけだ」
「俺に話せないことか」
「お前が気にすることじゃない」
山崎はしばらく武田を見ていた。それから、静かに言った。
「武田。俺はお前が何をしようとしてるのか、分からない。でも、1つだけ言わせてくれ。地球に帰りたいのは、みんな同じだ。でも、帰るために何かを犠牲にするようなことだけは、するなよ」
武田は黙ったままだった。
山崎はそれ以上何も言わず、その場を離れた。
1人になった武田の頭の中に、また声が届いた。
《あの男は、邪魔になるかもしれない》
武田は答えなかった。
《優しさは、時に弱さになる。あの男は優しすぎる》
「山崎は俺の友人だ」と武田は言った。
《友人でも、正しい道を進むためには邪魔になることはある。覚えておくといい》
武田はその言葉に何も返さなかった。ただ、夜空を見上げた。
あの星のどこかに地球がある。帰りたい。みんなを連れて帰りたい。
そのためなら、武田は何でもするつもりだった。
たとえ、それが何を意味するとしても。




