第49話 接触
しばらく進むと、大きな広間に出た。
天井が高く、左右に石柱が並び、その奥に石の扉があった。扉の表面全体には細かい文様が刻まれていた。扉の中心には、水晶玉のような物が埋め込まれ、そこからから放射状の線が描かれていた。
武田が扉の前に立った。全員がその後ろに集まった。
しんとした空気の中、武田が扉に触れようとした、その時だった。
背後でドサッという音がした。
全員が振り返った。
マナが、仰向けに倒れていた。
「マナさん」と小林が駆け寄った。「どうしたんですか、大丈夫ですか」
マナは小林を見た。その目が、いつもと違った。遠くを見ているような目だった。
『……よかった』とマナは言った。かすれた声だった。『ここまで、連れてこれた』
その声は、妙に、平坦だった。誰かに言わされた言葉を、そのまま口にしているような。小林の知っている、あの穏やかで温かい、マナの声ではなかった。
「マナさん」小林の声が震えた。「しっかりしてください」
マナの手を取り呼び続けた。
弱まっていたマナのハラシロの光が、ふっと明るくなった。
その時、マナの目にいつもの輝きが戻った。拠点で小林と会話していた、あの目だった。その目は、まっすぐ、小林だけを見ていた。
『あなたに、会えてよかった』
今度は、間違いなく、マナ自身の声だった。
それが最後の言葉だった。
マナのハラシロの光が、消えた。
体がから力が抜け、静かに床に横たわった。
小林がマナの肩を揺すった。「マナさん、マナさん」呼び続けた。返事はなかった。ハラシロは、もう光らなかった。同時にマナの肩にいたボルンも消えていた。まるで最初からいなかったかのように。
小林は泣きながら、マナの横に座り込んでいた。
石原が「死んだのか」と小声で言った。田崎が「そうみたいだな」と答えた。2人の声には何の感情も交ざってはいなかった。
武田は、無言で小林とマナを見ていた。
しばらく誰も動かなかった。
やがて武田が口を開いた。
「マナを安置する。小林と鈴木、それから山崎、マナのそばにいてくれ」
そう言って、扉に向き直った。
「他は俺に続け」
部屋の中は、広く、静かだった。
天井は広間よりさらに高かった。灯火具を掲げても照らしきれず、上の方はよく見えなかった。正面の壁には複雑な文様が刻まれていた。通路や他の部屋の文様とは明らかに違うものだった。記号の羅列ではなく、大きな円や多角形、直線が組み合わさった、何かを象徴するような紋様だった。線の上には、所々に小さな光る石が埋め込まれ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
誰もがこの部屋が特別な部屋だと感じていた。
部屋の中央には円形の窪みがあり、その中には四角い台座が据えられていた。
台座は、腰ほどの高さがあり、一辺が人の肩幅ほどの大きさだ。表面は滑らかで、長い年月を経ているにもかかわらず、ほとんど傷がなかった。台の四隅には、小さな柱のような突起があり、その突起から、細い線が台の中心に伸びており、4つの線は中心で交わっていた。
その交点の部分が、わずかに光っていた。
武田たちが部屋に入ると、その光が少しずつ変わり始めた。明るくなるというより、光が膨らみ始めたかのようだった。同時に台の上の空間が、ゆっくりと変わっていった。空間が歪み、陽炎の様に揺らめいていた。
斉藤が後退しようとして、足がすくんだ。太田が石原の腕をつかんだ。大沢が膝をついた。石原は歯を食いしばっていた。田崎は壁際に背をつけたまま動けなかった。全員が何かを感じていた。形のない圧力。言葉にならない感覚。この部屋に、何かがいる。それだけは皆感じていた。
武田は何事も無いかのように、平然と台座の前へと歩みを進めた。
そして、言葉が届いた。それは武田にだけ届いた。
声ではなかった。音でもなかった。言語ですらなかった。しかし意味だけが、翻訳を経ずに武田の頭の中に直接届いた。他の者には、ただ圧迫感だけが増した。
《待っていた》
武田は微動だにしなかった。
「誰だ、おまえは」
《あなたたちを呼んだものだ》
「俺たちを呼んだ?」と武田は声に出した。「なぜだ」
石原が「武田……?」と呟いた。武田の前には誰もいない。台座があるだけだ。それなのに武田は、そこに何かがいるかのように話しかけていた。大沢が小声で「武田、何か聞こえているのか」と言ったが、武田は答えなかった。
《この星で成すべき仕事がある。あなたたちにしか、できない仕事だ》
「仕事」
《そう。あなたたちは力を持っている。この星の者たちが持っていない力を》
「何の力だ」
《争う力。決断する力。切り捨てる力》
武田の目が、わずかに変わった。
「その力が、この星で必要なのか」
《必要だ。だから呼んだ》
「取引をしたい、ということか」
《協力を求める。見返りも用意できる》
「見返りとは」
《あなたたちが求めているもの。地球への帰還》
武田の口元が、わずかに動いた。
「話を聞こう」
それから武田は黙った。長い沈黙が続いた。その間、他の者には何も分からなかった。武田が何を聞き、何を考えているのか。台座の前に立ち、何もない空間を見つめたまま動かない武田をただ黙って見ているしか出来なかった。田崎は壁から離れられなかった。石原はじっと立ったまま固まっていた。大沢は片膝をついたまま、目に見えない重圧に耐えていた。斉藤は目を閉じていた。太田だけが、武田の顔を見続けていた。
どれほどの時間が経ったか、誰にも分からなかった。やがて武田が台から離れた。その瞬間、部屋の圧迫感がすっと消えた。全員が同時に、深く息を吐いた。
全員が広間に戻った。
石原が壁に手をついた。「なんだったんだあれは」と言った。声が震えていた。田崎はしゃがみ込んだ。大沢は「気分が悪い」と言って深呼吸した。斉藤と太田は無言で立っていた。
山崎は武田の顔を見た。顔つきが変わっていた。何かを大きな事を決めたときの顔だと、山崎は感じた。
「何があったんだ」と山崎は武田に聞いたが、「後で話す」
それだけだった。
マナは広間の端に横たわったままだった。小林がずっとそばに座っていた。目を赤くしていた。
武田はマナを見た。それから言った。
「外に運ぶ。この星の者が死んだ時の弔い方を、俺たちは知らない。でも、ここに置いていくわけにはいかない」
大沢と山崎がマナを丁寧に抱え、遺跡の出口へと向かった。
遺跡の近くの大きな木の下にマナの遺体を横たえた。小林はマナから離れなかった。もうハラシロは光らない。もう商売の事を語る力強い言葉も聞くことは無い。
山崎は空を見上げた。アカが低くなりかけていた。
マナがなぜ倒れたのか、武田たちには分からなかった。遺跡の中で何かに体を削られたのか、あるいは全く別の何かが起きたのか。ただ、ここまで案内してくれた。それは確かだった。
みんなで木の根元に土を掘り、マナを埋めた。その上に石を積んでお墓とした。そこから離れようとしたない小林を説得し、帰途についた。
帰り道、武田は誰にも、部屋の中で何があったかを話さなかった。
山崎が隣に並んで再度聞いた。
「武田。中で、何があった」
武田は少し間を置いてから答えた。
「必要なことが分かった」
「それで?」
「それだけだ」
それ以上は何も言わなかった。
ただ前を見て歩いた。その背中が、山崎には今日初めて、遠くなったように見えた。




