第32話 ボルン
「ルウ、聞いてもいいですか」
桃矢が問いかけると、ルウのお腹の白い部分がゆっくりと光った。
「俺たちのことを、ずっと見ていたと、最初に言いましたよね。見ていたのに、なぜ近づかなかったんですか」
少し間があった。ルウが、頭を傾けて考えているように見えた。それから、言葉が届いた。
『あなたたちの中に、暗いものがあった』
「暗いもの?」
『重くて、胸が苦しくなるような何か。あなたたちの一部から、ずっと出ていた。近づきたかった。すぐに会いに行きたかった。でも、近づくと胸が重くなった。だから、できなかった』
その言葉に、桃矢は少し驚いた。近づかなかったのではなく、近づきたかったのに、できなかった。ポヨンヌにとっては、見知らぬ存在への警戒よりも、会いたいという気持ちの方が強いのかもしれない。恐れを知らないのか、それとも絶対的な強者の自信?
今はまだ分からなかった。ただ、他を威圧するように存在には見えない。
桃矢は、『暗いもの』という言葉に武田達の事が頭をよぎった。グループが分かれる前のこと、武田が「動ける者が動ける分だけ動く」と言い、場の空気が張り詰めていたあの頃。ポヨンヌが近づけなかったのは、あの時期のことだったのかもしれない。
「一部の人たちが、俺たちと別れて離れていきました。その後から近づいてきたんですか」
『そう。暗いものがなくなった。それから温かいものが感じられた』
「温かいもの」
『悲しみもあった。でも、その中に、やさしさがあった。思いやりがあった。そういうものは、こちらに伝わってくる』
麗華が静かに言った。「長谷川さんや、今泉さんのことを悼んでいた時も、感じていたんですね」
『感じていた。だから、近くに行きたかった』
一橋さんが柔らかく言った。「来てくれてよかった」
ルウのお腹の白い部分が、温かみのある光でゆっくりと輝いた。
一橋さんが、静かに前にでた。そして、ルウの前で立ち止まって、そっと手を差し出した。
ルウは、その手をじっと見た。それから、自分の丸みのある手を一橋さんの手のひらの上に、そっと重ねた。触れるか触れないかの、ごくわずかな接触だった。
ルウのお腹の白い部分が、これまでで1番明るく光っていた。
一橋さんは、何も言わなかった。ただ、ルウから伝わる暖かさに包まれていた。
しばらくして、桃矢は光の玉ことを聞いた。
「この光の玉ことを、教えてもらえますか。ルウたちの肩にもいる」
ルウは、自分の肩の上の光をちらりと見た。それから、桃矢の肩の上の光を見た。
『ボルンと呼んでいる』
「ボルン。まあ、素敵なお名前ね」と一橋さんが微笑んだ。
『ボルンは友達』
「友達?」
『昔から一緒にいる。この星でともに生きている存在』
「俺の肩に止まったのは、なぜですか」
ルウは、少し考えてから言った。
『あなたが、やさしかったから』
桃矢は、何も言えなかった。
『やさしい心を持つ者の近くに、あの子たちはいたがる。逆に、重くて暗いものを持つ者には、近づかない。それがあの子たちの性質』
「離れていった人たちに、近づかなかったのも、そのためですか」
桃矢が聞くと、ルウは少し間を置いてから答えた。
『あなたたちと別れた者たちは……この星の生き物の肉を食べている』
桃矢は、思わず息を呑んだ。
「肉を?」
『この星の生き物を捕まえて食べている。それが、心を変えていった。あの子たちは、それを感じ取っている』
桃矢たち武田達の消息を初めて知った。バスを離れてから、武田たちがどこに行き、今、何をしているのか。分かれてしまった後のことは、何も知らなかった。
「知らなかった……」
桃矢は小さく呟いた。麗華も険しい顔で黙っていた。
「ルウたちは、何かしてほしい事はありますか?」
少し間があってから、麗華が聞いた。
ルウは頭を傾けた。ミウとハナの方を一度見た。それから、答えた。
『一緒にいてほしい』
麗華が静かに頷いた。「私たちも、そうしたい」
ルウのお腹の白い部分が、静かな光り方に変わった。
『でも、あなたたちの心からは、ときどき、さみしさの色が届く』
麗華の目が、わずかに見開かれた。地球に帰りたいという思いがいつの間にかポヨンヌたちに伝わっていた。
「私たちは、いきなりこの星に連れてこられました。だから本当はみんな早く元いた場所に帰りたい。でも、帰り方が分からない」麗華が静かにいった。
『わかった』
それだけだった。
でも、桃矢には、ルウの「分かった」という言葉が、軽くないと感じられた。
帰り際、桃矢には、もう一つだけ、聞いておきたいことがあった。
「ルウ。光、ボルンは……話せるんですよね。昨日の夜、俺に話かけてくれました。でも、それきり、何も」
『ボルンは、言葉を使わない。心をそのまま渡す。だから、あなたたちの言葉も、私たちの心も運ぶことができる』
『ボルンが言葉を使ったのなら……それは、よほどのこと。長いあいだ、渡せずに抱えていた心なのだと思う』
桃矢は、肩の上の小さな光を、そっと見た。あの夜聞いた短い一言を、この小さな存在は、どれだけの間、抱えて飛んでいたのだろう。
光がふわりと、一度だけ瞬いた。言葉はなかった。でも、それで十分だった。
アカがゆっくりと傾き始めた頃、8人は橋を渡って戻ることにした。
橋のたもとで別れ際、ルウの言葉が届いた。
『また、来てほしい』
「必ず来ます」
桃矢が答えた。麗華が頷いた。一橋さんが小さく手を振った。
ルウのお腹の白い部分が、温かく輝いた。ミウとハナも、それぞれのお腹の白い部分をふわりと光らせた。
8人が橋を渡り終えてから振り返ると、3体はまだそこに立っていた。アカの橙色の光が、対岸の木々を染めて、3つの影を長く地面に落としていた。
帰り道、誰もしばらく口を開かなかった。
言葉にするには、あまりにも多くのことが、この午後に起きていた。
陽翔が、歩きながらぽつりと言った。
「俺、絶対また来る」
それから、自分の右肩のボルンをちらりと見て、続けた。「……にしても、『おまたせ』って言われたの、じわじわ来るな。俺、そんなに待たせてたのかな」
「向こうも、ずっと会いたかったんだと思うよ」
桃矢は、自分のボルンを見ながら言った。
「陽翔は、やさしいからね」と自慢げに朽名が陽翔の腕をギュッとした。
陽翔は少し照れたように、でも嬉しそうに黙って頷いた。
肩の上でボルンが、そっと明滅した。
(今日は、ありがとう)
桃矢は、心の中でそう伝えた。ボルンは少し強く光ってから、またゆっくりと落ち着いた。
それで十分だった。




