第29話 橋を渡る
拠点に戻った4人から話を聞いた時、みんなの反応は、それぞれだった。
一橋さんは、目を丸くして「まあ、生き物がいたの!」と声を上げた。三浦さんは「危なくないのか」と真っ先に聞いた。川原さんは「逃げなかったというのが気になる。警戒していないのか、それとも別の意味があるのか」と、看護師らしく冷静に分析した。大葉さんは「子供みたいな反応だったんですね」と、どこか温かみのある声で言った。中嶋さんは一言、「そうか」と頷いて、それきり黙って火をくべ続けた。
長田さんだけが、「こんな星の生き物なんて、何をするか分からないわ」と、不安げに車椅子の上で身を縮めた。大葉さんが「大丈夫ですよ」となだめたが、長田さんの表情は暗かった。
陽翔は、興奮の抑えきれない様子で身振り手振りを交えて説明した。山田さんは「こっちを怖がってなかったのが、一番印象的だったな」と付け加えた。
その日、麗華は改めて全員に向かって言った。
「明日、また川の上流に行こうと思います。もう少しあの生物について知っておくべきだから。あの生物は脅威なのか、それとも。とにかく、こんな近くに住んでいる相手の事をもっと知っておきたい」
誰も反対しなかった。
翌日、アカがゆっくりと高く昇り始めた頃、桃矢たちは再び川沿いを上流へと向かった。
今日は人数を増やした。前日の4人に加え、朽名と川原さん、一橋さんが加わった。一橋さんは「是非自分の目で見たい」、川原さんは「何かあった時のために」と続けた。朽名は陽翔が行くのに自分が行かないなんて、なんて言っていた。高橋は「えへへ、私はまた今度」と言って残ることにした。少し怖がりのようだ。長田さん、三浦さん、大葉さんと中嶋さんも拠点に残った。
川沿いの道を歩きながら、一橋さんがしきりに周囲を見渡していた。
「昨日も、この辺りを通ったの?」
「はい。丸い石が並んでいるところがあって、その先に」
「あら」
一橋さんが、不意に立ち止まった。
川の対岸に丸い石が川岸に沿って規則正しく並んでいる。一橋さんは、その石の列をしばらく眺めてから、静かに言った。
「確かに意図的に並べてあるわね。それも丁寧に」
川原さんが、植物の構造物の方をゆびさした。
「あの構造物……昨日、気配があったのはあの中から?」
「そうです」
7人は昨日と同じように、こちら側の岸で果実の採集を始めた。声を潜めて作業する必要はないと桃矢は思っていたが、自然とみんなは小声になっていた。
来た。
木々の隙間から、橙色の体毛に覆われた姿が、ゆっくりと姿を現した。昨日と同じ個体だと思った。見た目は同じだった。
対岸の石が並んでいるところまでで来て、立ち止まった。菱形の目が、7人を順番に見まわした。
お腹の白い部分が、ほんのりと光っていた。
「……怖そうな感じはしないわね」
川原さんが小声で言った。
「川原さんもそう思いますか」
桃矢は答えた。
その時、橙色の個体の後ろの方から別の2体が近づいてくるのが見えた。
一体は薄い緑がかった水色、もう一体は灰色がかった桃色だった。どちらも、橙色の個体の後ろに立ってこちらをじっと見ている。
「複数いる」
山田さんが、息を呑んだ。
一橋さんが、ゆっくりと川岸に近づいて、橙色の個体の前に立った。
「こんにちは」
穏やかな声で、一橋さんが言った。
通じるとは思っていない。けれど、何も言わないよりはいい、という判断がその声の調子から伝わってきた。長年、子供たちに向けてきた、柔らかな声だった。
橙色の個体は、一橋さんの声に、頭をわずかに傾けた。それから、一歩、前に踏み出した。
川原さんが、思わず「あっ」と小さく声を上げた。近づいてくる、という本能的な緊張が走ったが、その個体の動きには攻撃の気配はなかった。ただ、純粋な好奇心に引っ張られるように、川岸へと近づいてきた。
桃矢達も川岸絵と移動して一橋さんに並んだ。
川を挟んで、こちら側の7人と向こう岸の3体は向き合う形になった。二つの菱形の目が、改めて7人の顔を見回した。
お腹の白い部分が、さっきより強く光っていた。
しばらく、そのまま見つめ合う時間が続いた。
それから、橙色の個体は、ふと、上流の方へと視線を向けた。それから桃矢たちを見た。また上流を見た。
「……こっちを誘ってるのか?」
陽翔が首をかしげた。
橙色の個体は、ゆっくりと上流の方向へ歩き始めた。数歩進んで、立ち止まる。振り返って、桃矢たちを見る。また数歩進む。また振り返る。
「ついてきて、ってことだよな、これ」
山田がさんが低い声で言った。
「行ってみましょう」
桃矢の言葉に麗華が頷いた。
7人は対岸の橙色の個体と並ぶように、川のこちら側を上流へと歩いた。橙色の個体はこちらが動き出したのを確認すると、今度は途中で立ち止まることなく、そのまま歩き出した。2体もついてきていた。
上流へ向かうにつれ、川幅が少しずつ狭まってきた。水の流れも少し早くなってきている。
やがて、目の前に、太い蔓と木の枝を複雑に組み合わせた、橋のようなものが見えてきた。
「橋だ」
川原さんが、息を呑んだ。
「ここを渡れってことか」
陽翔が桃矢を見た。
桃矢は橋を見た。次に、対岸の3体を見た。3体は橋のたもとで立ち止まり、こちらを見ていた。
「どうする?」
桃矢はが麗華に問いかけると、「渡るしかないよね」と麗華が橋を見ながら答えた。
「まず、僕から渡ります」桃矢が言いながら橋の方前へ移動した。
「気をつけろよ!」陽翔が声をかけた。
桃矢は思い切って橋の上に右足を乗せた。右足に体重をかけてみる。大丈夫そうだ。思い切って左足を前に出し、橋の上に乗ってみた。意外と橋はしっかりしていた。体重をかけても、大きく揺れることはない。桃矢が渡りきると、橙色の個体は一歩退いて、空間を作った。桃矢を迎え入れるような動きだった。
続いて麗華、山田さん、陽翔、朽名、川原さん、最後に一橋さんが渡った。一橋さんが橋を渡り終えると、少し後ろにいた2体も近くに寄ってきた。
7人は対岸に立った。これまでずっと向こう側だった場所に、今、自分たちはいる。
橙色の個体が、一橋さんの方へと歩み寄った。川原さんが緊張で息を止めるのが、桃矢には分かった。しかし、個体は立ち止まって、その場でゆっくりと体をかがめた。まるで、おじぎのような仕草だった。
一橋さんも同じようにゆっくりと頭を下げた。
お腹の白い部分が、これまでで1番強く光った。
「……光ってる」
川原さんが、目を瞬かせながら呟いた。
「感情と連動して光ってるような気がする」
桃矢は答えた。うれしい時、安心している時。それがあの光に出るのだとしたら、今この個体は、どんな気持ちなのだろう。
そこから先は、ボディランゲージを試みた。
桃矢が手を差し伸べると、橙色の個体は、しばらくじっとそれを見てから、自分の手をそっと近づけた。触れるかどうか、という距離で止まって、しばらくして引いた。山田さんが、籠の中から果実を1つ取り出して、地面にそっと置くと、その個体は果実をじっと見てから手を伸ばして持ち上げた。それから、桃矢たちの方を見て、何かを発した。
低くて、柔らかい音だった。
言葉なのか、鳴き声なのか、桃矢には判断できなかった。ただ、その音には、不快な色がなかった。むしろ、温かみのある響きだった。
「何か言った」
麗華が、桃矢の隣で呟いた。
「うん」
橙色の個体は、果実を持ったまま、近くにいる二体の方へと振り返り、同じような音を出した。2体が前に出てきて橙色の個体に並んだ。
「こちらを怖がってないな」
山田さんが、感心したように言った。
「むしろ、こっちが少し怖がってる」
陽翔の言葉に、緊張していた場の空気が、わずかに和らいだ。川原さんが、小さく笑った。
アカがゆっくりと傾き始めた頃、7人は引き揚げることにした。帰りの合図として、桃矢が橋の方を指差した。橙色の個体は、その動作を見ていた。引き止めるような素振りはなかった。ただ、静かに7人が橋へと向かうのを見ていた。
橋を渡り、こちら側の岸に戻ってから振り返ると、3体はまだ対岸に立っていた。
「また来るね」
一橋さんが、帰り際にそう言った。声の方向に向かって、小さく手を振った。
橙色の個体のお腹の白い部分が、明るく光った。
それが返事なのかどうかは、桃矢には分からなかった。でも、そうだと思いたい気持ちが、自分の中にあった。
帰り道、7人はさっきまでの事を思い返しながら黙々と歩いていた。
桃矢は歩きながら、あの個体の菱形の目を思い返していた。
分からないことだらけだった。何者で、何を考えているのか。でも、1つだけ、確かなことがあると思った。
あの目は、自分たちを怖れていなかった。また、威嚇もしていなかった。
それだけで、今は十分だと、桃矢は思った。
拠点に戻った7人を、皆が待ちかねていた。
「それで? 今日はどうだった?」と、真っ先に身を乗り出したのは大場さんだった。
「橋を渡って、目の前に立って、お互いお辞儀をしたの」
一橋さんが、どこか誇らしげに答えた。「私が声をかけた子がね、首私の前に来ておじぎをしたの。こ八十年近く生きてきたけど、あんなに嬉しいおじぎは初めて」
その一言で、車内の空気が沸いた。桃矢が手を差し伸べたら、触れる寸前まで自分の手を近づけてきたこと。山田の置いた果実を、拾い上げて持ち帰ったこと。そして、低くて柔らかい、不快さのかけらもない声で、何かを発したこと。陽翔は昨日以上の身振り手振りで、その一部始終を再現してみせた。
「威嚇でも警戒でもないと思うな。あれはたぶん、挨拶ね。間違いない」と言う朽名の表情は嬉しさに満ちていた。
「危険は、本当にないのか」と三浦さんが念を押し、中嶋さんが「少なくとも、獣の類いとは違うでしょうな」と静かに頷いた。葵は「じゃあ今度は、私も行く。その時はあの甘い方の実を持っていこうかな。絶対喜びそう」と、早くも次の算段を始めていた。
「……ふん。物好きなことだね」
長田さんだけは、まだ車椅子の上で腕を組んでいた。けれどその口ぶりは、昨日の「何をするか分からない」より、いくらか柔らかくなっていた。
報告会は、いつまでも終わらなかった。行かなかった人から「私も見てみたい」という声が上がり始めていた。




