第26話 力の使いどころ
力の使いどころを間違えるな。
小学生の時、空手道場の師範がよく言っていた言葉だ。
山崎翔太はその言葉を念仏のように繰り返し聞かされながら育った。
空手の力は、人を痛めつけるためにあるんじゃない。守るためにある。
弱い者を踏みにじるためにあるんじゃない。踏みにじろうとする者を止めるためにある。
師範はそれを説明するとき、いつも同じ言葉を使った。
力には、使いどころがあると。
山崎は、その言葉を素直に信じてきた。
信じられたのは、たぶん、自分が弱い側に立ったことがなかったからだ。
体格に恵まれ、中学に上がる頃には、同学年の誰よりも拳の力があった。
いじめの現場を目撃すれば、黙って通り過ぎることができなかった。
強い者が弱い者を踏みにじる光景を山崎は見過ごせなかった。
武田と出会ったのは、小学5年生の武道大会の表彰式だった。
その大会は、剣道・空手・柔道など複数の種目が同じ会場で開かれる地区の大会だった。
山崎は空手の5年生の部で優勝し、武田は剣道の5年生の部で優勝した。
種目ごとに時間をずらして表彰が行われたため、控え室で順番を待ってた。
武田は最初、壁際に一人で立って腕を組んでいた。
話しかけづらい空気を自分から作っているような、そういう立ち方だった。
山崎も別に話しかけるつもりはなかった。
きっかけは、たまたまだった。
同じく待機していた6年生の優勝者が、コーチらしき大人に向かって、審判の判定に文句を言い始めた。
聞こえてきた内容は、準決勝で自分が勝てたのは相手の反則負けのおかげで、本当なら自分は負けていた、それなのに優勝として表彰されるのは納得できない、というものだった。
山崎はその話を聞きながら、その6年生はすごい人だなと思った。
ふと横を見ると、武田も同じ方向を見ていた。その顔は、山崎と同じ事を考えてるようだった。
「あいつ、強いな」
山崎がそう呟くと、武田は少し間を置いてから、「ああ」と答えた。試合の話ではない、ということは、2人ともわかっていた。
それから、自然と話すようになった。
どこの道場か、何年やっているか。
たわいない話をしているうちに、山崎は、武田が自分と同じような目をしていることに気づいた。
何かを測るような、値踏みするような目ではなく、ただ、相手を見ている目。
強さというものを、勝ち負け以外の物差しで見ている目。
表彰式が終わった後、武田の方から「連絡先、教えろ」と言ってきた。
命令口調だったが、山崎は気にしなかった。
学校が違うから、次に顔を合わせる機会はいつになるか分からない。
それでも、この男とはこれからも話したい、と山崎は思った。たぶん、武田も同じことを思っていたのだろう。
小学校も中学校も別々だったが、連絡だけは取り合っていた。
試合の結果を報告し合い、昇段のタイミングを比べ、互いの近況をぽつりぽつりとやり取りする。
頻繁ではないが、途切れることもない。そういう距離感の付き合いが、小学校の表彰式からずっと続いていた。
同じ高校に進学すると分かったのは、中学3年の冬だった。
武田から先に連絡が来た。
「同じ学校になるらしいな」
それだけだった。
山崎は「そうか」と返した。それで十分だった。
実際に同じ校舎で顔を合わせた初日、武田はすでに他の生徒とは違うオーラを纏っていた。
再会の挨拶もそこそこに、山崎はその背中を見て、ああ、こいつは変わっていないな、と思った。
ただ、高校に上がってから、武田の周りには少しずつ、山崎が嫌いなタイプの連中がくっつき始めた。
石原圭太と田崎信一。武田の威光を借りて、大きな顔をする種類の人間たちだ。
山崎は最初からあの2人が好きではなかった。
でも、武田はそれを知っていながら、石原たちを遠ざけなかった。
リーダーとしての体裁を整えるための、使いやすい駒として置いていたのかもしれないし、あるいは、自分に無条件で従う人間が必要だったのかもしれない。
山崎にはよく分からなかった。
突然この見知らぬ星に放り出された時、山崎が真っ先に思ったのは、武田がいるから当面は大丈夫だろう、ということだった。
案の定、武田はすぐに動き出していた。
一緒に来てくれと声をかけられた時、山崎は迷いなく頷いた。
武田が動くなら、自分が隣にいるのは当然だという感覚が、ごく自然にあった。
転移後の混乱の中で武田が皆を動かし、水場を確保し、生活の基盤を一つずつ整えていく様子を、山崎は隣で見ていた。
師範の言う「正しい力の使い方」が、ここでは自然と体現されているように見えた。
こんな状況でも、やっぱり武田は武田だと思っていた。
違和感を覚えたのは、いつからだっただろう。
長谷川さんが1人で川へ行って戻らなくなり、捜索の末に遺体で見つかった頃から、武田の言葉の質が少しずつ変わり始めた。
動ける人間が、動ける分だけ動く。
その言葉そのものは、間違いではない。限られた体力と食料で生き延びるために、合理的な判断を下すことは必要だ。
だが、武田がその言葉を口にする時の声の温度が、山崎には引っかかった。
合理性の衣を着た何かが、その言葉の奥にある気がした。
でも、山崎はそれを武田に問いたださなかった。
問うことができないまま、グループが二つに割れた。
一橋さんが水汲みの列を遅らせたことが引き金になって武田が本音をぶちまけ、麗華が「武田くんたちとは別行動を取る」と宣言したあの場面。
武田が「俺たちはここを出る」と告げ、バスを離れていく側になったあの瞬間、山崎は一瞬、残る麗華たちの方へ視線を向けた。麗華の言い分はもっともだと思った。
でも、結局、武田の隣に留まった。
それが正しかったのか、今でも分からない。
ただ、武田をあいつらとだけ行かせるわけにはいかなかった。
武田の側にいて、力を貸さないといけないと思った。今でも武田を親友だと思っている。
石原達が初めて獣を捕まえたあの日、山崎も一切れ口にした。久しぶりの肉は旨かった。
だが、その夜が問題だった。
眠れなかった。理由のない苛立ちが、体の芯からじわじわと滲み出てくる。
誰かに怒鳴りつけたい。何かに八つ当たりしたい。それが自分の感情だとは、どうしても思えなかった。
その後も毎日、肉を食べた。そしていらだちを抱える日々も続いた。
この変化は自分だけでは無いと思った。石原や田崎の言動も荒々しくなっていた。
肉を食べ初めてから、みんなの態度や言葉遣いにとげが出てきた気がする。
肉が原因だとの証拠はなかった。ただ、自分の体に起きていることは、誤魔化しようがなかった。
このままだと、自分はいつか使うべきでない場面で力を使う人間になりそうだった。それだけは、あってはならなかった。
そこで思い切って肉を食べるのを止めた。
石原には「なんとなく、だよ」とだけ言い、大沢さんには苛立ちの変化に気づいていないか静かに確かめて、食べないよう促した。大沢さんは素直に頷いた。
武田は、まだあの肉を食べ続けている。
苛立ちが増していることに、本人も気づいているはずだ。だが、止められない。
他の食料も乏しいなか、苦労して手に入れた肉を手放す勇気を今の武田は持てないのだろう。
武田の弱さの部分を長い付き合いの中で山崎は知っていた。
力の正しい使いどころを見誤らないために、自分は肉を止めた。
肉を止められない武田には、まだ自分が必要だと山崎は思った。




