第22話 肉
「獲った! 獲ったぞー」
石原の興奮した声が、拠点に響き渡った。
手にしているのは、ウサギほどの大きさをした、見たことのない小動物だった。
体毛は灰色がかっていて、長い耳の代わりに、奇妙な角のような突起が頭に生えている。
即席で作った罠に、まんまとかかったらしい。
「マジか、やったな!」
田崎が嬉しそうに駆け寄った。
果実と川魚だけの食事が続いていたグループにとって、それは、久しぶりに見る「肉」だった。
「やっと、肉にありつけるな」
石原が得意げに言う。
武田は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
「食べて大丈夫なのか」
武田がいぶかしげな顔で聞いた。
「分からないけど、まあ、見た目は普通の動物だし。先ずは試してみようよ」
石原の言葉に、武田はしばらく考え込んだ。
栄養不足は、日に日に深刻になっている。タンパク源を確保できるなら、それはグループにとって大きな前進になるはずだった。
「……分かった。少量から試そう」
武田の許可が出たものの、すぐに問題が浮上した。
「で、これ、どうやって捌くんだよ」
田崎が困惑した顔で言った。
誰も、動物を解体した経験などない。
「それでもやるしかないだろ? たぶん魚とおんなじだよ」
声を上げたのは、石原だった。
「まあ、そうだよな」
田崎の言葉に石原が続けた。
「でもさ、ナイフとかないと無理だぞ……」
その言葉に、田崎がもぞもぞとポケットを探った。
「これ、使えるか?」
田崎が取り出したのは、コンパクトな十徳ナイフだった。
「兄貴が新婚旅行でスイス行った時の土産。なんとなく、護身用にずっと持ち歩いてたんだ」
「お前、そんなもん持ってたのかよ」
石原が驚いたように目を見開いた。
道具はあっても、経験はない。
それでも、石原は、思い切って作業を始めた。
「えーと、先ずはここから……」
石原の手は、何度も止まり、迷いながら動いた。
慣れない作業に、額には汗が滲んでいる。
田崎も手伝ったが、初めての経験、しかも見たこともない異星の動物。
結局、苦労の末に切り出した肉は、思っていたよりもずっと少なかった。
石原と田崎は、しばらく声が出なかった。
あれだけの大きさの動物を狩ったのに、取り出せた肉はほんの僅か。
それでも、確かに「肉」と呼べるものが、手元に残っていた。
その小さな肉片を、武田たちは木の枝を削った串に刺して火で炙り始めた。
焼けた肉の匂いが、拠点に広がっていく。
「うわ、いい匂いだな。久しぶりの、肉だ!」
田崎が涎を垂らさんばかりの顔で言った。
最初に試食したのは、石原だった。
恐る恐る、小さく一口かじる。
「……ん、いける。いけるぞ、これ!」
その声に、誰もが安堵の表情を浮かべた。
「マジか、じゃあみんなで食えるな」
しばらく様子を見て、石原の体に異変がないことを確認すると、武田たちは、そのわずかな肉を分け合うことになった。
「私、苦手なんです、お肉」
肉が回されてくると、小林はやんわりと断った。
「昔から、ちょっと匂いとか苦手で。果実とお魚だけで大丈夫です」
「そっか、もったいねえな」
「じゃあ、小林の分、俺がもらっていいか」
すかさず、石原がそう言った。
「は? なんでお前なんだよ」
田崎がすぐに反応する。
「獲物獲ってきたの、俺だろ。優先権あると思うけど」
「捌いたのは俺だろ? 俺にも権利があるはず」
2人の間に険悪な空気が流れ始めた。
たったひとかけらの肉を巡って、これまでにないほど真剣な言い争いになっていく。
「お前ら、みっともないぞ」
山崎が呆れたように口を挟んだ。
「たかが肉一切れだろうが」
「うるせーよ」
石原が、思わずそう言い返した。
それから、自分の言葉に、少し驚いたような顔をした。
普段なら、山崎に対してそんな口の利き方をすることはなかった。
「武田、リーダーのおまえが決めろよ」
山崎が苦々しい顔で、武田の方に視線を向けた。
武田はしばらく黙っていた。
たかが一切れの肉のために、これほどまでに殺気立つ仲間たちの姿に、内心、強い戸惑いを覚えていた。
けれど、リーダーとして、判断を下さなければならない。
「……太田と斉藤にあげよう。2人とも、体力的にきついはずだ」
武田の決定に石原と田崎は、不満げな顔をしながらも、それ以上は何も言わなかった。
「武田さんが、そう言うなら……」
太田は申し訳なさそうに肉を受け取った。
けれど、その表情には戸惑いの色も滲んでいた。
これまで、こんなことで誰かと誰かが言い争う場面を、見たことがなかったからだ。
わずか一かけらの肉のために、これほどまでに張り詰めた空気が生まれる。
それは、これまでなかった種類の緊張感だった。
小林を除いた11人で分けるとはいえ、1人分は、本当にひとかけらほどの量だった。
それでも、そのひとかけらは、これまでの食べ物とはまるで違っていた。
「うまい……! こんなにちゃんとした肉、久しぶりだ……!」
田崎が目を輝かせながら頬張った。
空腹だった体に、肉の旨味と脂が染み渡っていく感覚は、これまでの果実や魚とは、明らかに違う満足感をもたらした。
「こんなに美味いなら、もっと獲らなけゃな?」
石原が興奮を抑えきれない様子で言った。
「罠、もっと増やそうぜ。この肉あれば、もう空腹に悩まされずに済む」
「……そうだな」
武田も肉を口にしながら頷いた。
久しぶりに、体に力がみなぎるような感覚があった。
その日を境に、武田たちの食生活には、明らかな変化が訪れた。
肉の味を知ってからというもの、次々と小動物を探すようになっていった。
石原と田崎は罠を増やして、小動物を仕留めていった。
肉を食べるたびに、体に力が漲っていくような実感がある。
「やっぱ、肉食わないと、体に力入んないよな」
石原が満足げに言う。
「俺らだけじゃない、武田さんだって、最近顔色良くなってきたじゃないですか」
田崎の言葉に、武田も曖昧に頷いた。
確かに体力的な疲労は、以前より軽減されているような気がした。
けれど、その一方で、武田は自分の中に、何か小さな違和感が芽生え始めていることにも気づいていた。
それは苛立ちだった。
些細なことに苛立つようになっていた。
誰かの言葉に必要以上に棘を感じてしまう。
これまでなら受け流せたはずのことが、今は妙に神経を逆撫でする。
肉を食べ始めた日から、グループの空気は、少しずつ変わり始めていた。
「山崎、お前も食えよ。力出るぞ」
石原が肉の塊を山崎に差し出した。山崎はしばらくそれを見つめてから、首を振った。
「いや、いい。俺は、果実と魚で十分だ」
「なんでだよ。もったいないだろ」
「なんとなく、だよ」
山崎はそれ以上の説明を避けた。
けれど、内心では、はっきりとした違和感を覚えていた。
肉を食べた日の夜、自分の中に、これまで感じたことのない種類の苛立ちが芽生えていた。
誰かに対して、無性に強い言葉をぶつけたくなる衝動。
それは、山崎の知っている「自分」とは、明らかに違うものだった。
あの日以来、石原が自分に対する言葉に遠慮が無くなっているのにも気づいていた。
「大沢さんも、肉はもう食べない方がいいと思います」
山崎が隣にいた大沢に、そっと声をかけた。
「え、でも……」
「大沢さんは、肉を食べてからなんか変な感じがするようになっていませんか。すぐイライラするとか」
大沢はしばらく考えてから、頷いた。
「……確かに。気のせいかと思ってたけど」
「気のせいじゃないと思います。俺もそうだったんです。でも、肉を止めたらそんな感じはなくなりました。だから念のため、肉は止めておいた方がいいと思います」
山崎の言葉に、大沢は素直に頷いた。
拠点の中で、肉を積極的に口にする者と肉を食べない者との間に、目に見えない溝が少しずつ生まれ始めていた。
武田はその分かれ目の真ん中で、まだ、どちらの側にも、はっきりと立てずにいた。
力を得られるという実感は、否定しがたい魅力だった。けれど、自分の中に芽生え始めた、この説明のつかない苛立ちも、無視できないものになりつつあった。
武田の中のジレンマは解決できそうになかった。




