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いつもの市バスは、異世界行き  作者: チーム エボンヌ
第一章 サバイバル編

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第16話 分裂

 2人が言い合ってから、武田と麗華の間にできた溝は、埋まる気配を見せなかった。

 地球の感覚でいう「一週間」に相当するくらいの時間が、もう経っていた。

 表向きはこれまで通りに見えた。

 武田は変わらず的確な指示を出し、麗華もいつものように周囲に気を配っている。

 けれど、2人が直接言葉を交わす場面は、目に見えて減っていた。

 その溝は2人だけのものではなかった。

 水汲みや見回りを担う者たちの間にも、「動くべきだ」という空気と、「慎重であるべきだ」という空気が、はっきりと分かれ始めていた。

 誰がどちらの考えに近いか、口に出さずとも態度の端々から伝わってくる。


 火を囲む場面でも、最近では自然と座る位置が固定されつつあった。

 武田の近くには、山崎、石原、田崎、斉藤、太田といった顔ぶれが集まり、麗華の近くには、一橋さんや三浦さん、大葉さん、川原さんといった顔ぶれが集まるようになっていた。

 桃矢は、その分断の気配を肌で感じ取っていた。これまでは1つだった輪が、まるで見えない線で2つに区切られていくような、そんな感覚だった。

 今なら、まだ、溝の修復も間に合うのかもしれない。

 桃矢はそんな淡い希望を抱きながらも、自分に何ができるのか、答えを見いだせずにいた。


 その日の夕方、水汲みから戻った石原が、イライラしながら田崎に話しかけていた。

 水を入れた容器を地面に乱暴に置くと、川岸でしか採れない、あの半透明の巻貝が1つ、容器の縁にくっついていた。石原はそれを取って、地面に思いっきり投げつけた。

「もう、限界だって。今日は俺、起きてから何も食ってないんだぞ」

「俺もだよ。なんか最近、配給の量、減ってきてないか」

「採れる量が減ってるんだから、当然そうなるだろ」

 石原は、苛立たしげに自分の腹を押さえた。

「武田さんも武田さんだよ。麗華にはっきり言い返せばいいのに、なんかいつも煮え切らない感じでさ」

「いや、あれは、武田さんなりに気を遣ってるんだと思うぞ。みんなの前で、年寄り切り捨てろなんて、簡単に言えることじゃないだろ」

「気を遣ってる場合かよ。俺らがこんなに苦労してんのに」


 2人の声はそれほど大きくはなかったが、近くにいた何人かの耳には、はっきりと届いていた。

 誰も、その会話に口を挟もうとはしなかった。

 けれど、その内容に密かに共感している者も少なくないようだった。

「なあ、思うんだけどさ」

 石原が声をさらに潜めた。

「長谷川さんがいなくなって、ちょっとだけ、配給が楽になった気がしないか」

 その一言に田崎はぎくりとしたように石原を見た。

「お前、それ……」

「いや、言ってはいけないことだとは思ってるよ。でも、事実として、1人分の食料が浮いたのは確かだろ」

 その会話を少し離れた場所で聞いていた桃矢は、背筋が冷たくなるのを感じた。

 誰も、悪人になりたいわけではない。

 けれど、追い詰められた人間の心は、少しずつ確実に何かを踏み外していく。


 翌日、ついに恐れていたことが起こった。

 きっかけは、些細なことだった。

 一橋さんが早く歩けないため、配給の列が滞ったことに、苛立ちの声が上がったのだ。

「もう少し、早く動いてもらえませんか」

 声を上げたのは、石原だった。一橋さんは申し訳なさそうに頭を下げる。

「ごめんなさいね、年寄りで」

「いえ、そういう意味じゃ……」

 三浦さんが一橋さんを庇うように声をかけた。

「俺の肩、貸そうか」

「ありがとう。でも、大丈夫よ。これくらい」

 一橋さんは気丈に笑ってみせたが、その足取りは、明らかにいつもより重かった。


 その様子を見ていた武田が、ついに、重い口を開いた。

「……はっきり言う」

 武田の声は、低く、けれどみんなに響き渡った。

「今のままのやり方だと、いずれ全員が共倒れになる。」

 車内に、緊張が走った。

「水汲み、食料探し、見張り。これらが出来るのは、結局、若くて体力のある人間に限られる。それなのに、配分は全員平等。これでは、頑張っている人間が報われない」

「武田くん、それは……」

 麗華がすぐに口を挟もうとした。

 だが、武田はそれを遮るように続けた。

「動ける人が、より多くの役割を担い、より多くの配分を得る。動けない人は、その分、最低限の配分で耐えてもらう。それが、共倒れを避けるための、唯一の現実的な方法だと思う」

 その言葉は、皆に重く響いた。

 誰も、すぐには言葉を発せなかった。

 長田さんが車椅子の上で、小さく身を硬くしているのが見えた。

 一橋さんと三浦さんは俯いていた。


「それ、本気で言ってるの?」

 沈黙を破ったのは、麗華だった。

 その声はこれまで聞いたことのないほど、怒気を帯びていた。

「動けない人は、命の重さも軽くしていいって、そう言ってるのと同じだよね」

「そうは言ってない。ただ、現実的な配分の話をしてるだけだ」

「現実的って言葉で、誰かを切り捨てることを正当化しようとしてるだけじゃない」

 麗華の声がはっきりと響いた。

「一橋さんも、三浦さんも、長田さんも、みんな必死に、この状況に耐えてる。動けないからって、命の優先順位が下がるなんて、絶対におかしい」

「じゃあ、お前はどうするんだ。みんな平等に、じわじわ衰弱していく道を選ぶのか」

「平等に頑張る道を探すのが、リーダーの仕事じゃないの?」

 武田は一瞬、言葉に詰まった。けれど、すぐに表情を引き締め、言い返す。

「綺麗事だけで、全員を生かし続けられるなら、苦労はしない」

「綺麗事じゃない。やさしさを捨てた瞬間に、私たちは、もう人間じゃなくなる」

 麗華のその一言に沈黙が拡がった。


 武田は何かを言い返そうとして、口を開きかけた。

 けれど、言葉が出てこなかった。麗華の目に宿る、強い意志の光に気圧されているようにも見えた。

「武田くん、あなたが本当はどう思ってるか、私には分からない。でも、今、あなたが言ったことは、絶対に間違ってる。動けない人を見捨てるような考え方に、私は絶対についていけない」

 麗華の強い言葉には、もう迷いがなかった。

 誰も、何も言えなかった。

 武田もそれ以上、言葉を続けることができなかった。


「私は、武田くんにはついていけない」

 長い沈黙の後、麗華が静かに、けれど、はっきりとした口調で告げた。

「私はできる限り、みんなで助け合う道を探す。動けない人を切り捨てるような考え方には賛同できない」

「……それは、お前の自由だ」

 武田の声は平静を装っていたが、顔には動揺の色が浮かんでいた。


 麗華はゆっくりと立ち上がると、一橋さん達の方へと視線を向けた。

「私の考えに賛成してくれる人は、私と一緒に、武田くんたちとは別行動を取りましょう。無理強いはしません」

 その言葉に、まず大葉さんが、長田さんの車椅子を押しながら、麗華の方へと歩み寄った。続いて、一橋さんと三浦さんが川原さんに支えられながら、ゆっくりと近づいていく。

「ありがとうね、麗華ちゃん」

 一橋さんが目に涙を浮かべながら、そう呟いた。

 桃矢はその光景を、息を呑んで見つめていた。

 争いが苦手な自分にとって、どちらのグループに加わるかという選択は簡単だった。

 武田の力と効率を重視する空気には、もとより馴染めない。

 けれど、それ以上に、桃矢の心を動かしたのは、麗華が言った、あの一言だった。

『やさしさを捨てた瞬間に、私たちは、もう人間じゃなくなる』

 その言葉に桃矢は、深く頷ていた。

 これまで漠然と感じていた違和感、武田の発言に対する拭いきれない不安、そのすべてに、麗華がはっきりと言葉を与えてくれたような気がした。

「俺も、川嶋さんについて行きます」

 桃矢が思い切ってそう言うと、陽翔もすぐに隣に並んだ。

「俺も、もちろん」

 陽翔の隣に、朽名がすっと並んで腕を組んだ。陽翔についていく。そんな強い意思が見えた。

 今泉さんも迷う様子もなく、すっと麗華の側に歩み寄った。

 山田さんは、少し迷う素振りを見せた後、麗華たちの方へと歩いてきた。

「俺、就活で何度も挫折してきたから、分かるんだ。誰かを切り捨てる考え方には、賛成できないよ」

 その言葉に麗華は小さく微笑んだ。

「ありがとう、山田さん」

 中嶋さんも、無言のまま麗華たちの方へと歩き出した。長年、乗客を安全に送り届けてきた運転手としてのプライドが、その選択を後押ししているようだった。


 結局、武田と行動を共にするのは、山崎翔太、石原圭太、田崎信一、大沢優斗、斉藤朋花、太田凜、小林萌、鈴木芽依の8人だった。

 また、麗華と行動することを決めたのは、星野桃矢、松井陽翔、朽名結菜、高橋葵、山田一樹、今泉友加里、中嶋俊治、大葉妙子、長田玲子、一橋陽子、三浦淳一、川原真弓の12人が集まった。

 22人だった1つの輪が、はっきりと、2つに分かれた瞬間だった。


 武田は最後まで、麗華たちの方を見ようとはしなかった。

 けれどその横顔には、これまで桃矢が見たことのない、複雑な感情が浮かんでいるように見えた。

 後悔なのか、苛立ちなのか。桃矢には分からなかった。

 山崎だけが、一瞬、麗華たちの方へ視線を向けた。何か言いたげな表情だったが、結局、何も言わずに武田の隣に留まった。

「これ以上、麗華達とは一緒に生活できない」

 武田が低い声で自分のグループに向けてそう告げた。

「俺たちはバスを出て、自分たちで新しい拠点を探す」

 それは武田なりの高齢者への最後の配慮だったのかもしれなかった。

 武田の言葉に、石原や田崎が戸惑ったような顔を見せた。

 けれど、誰も異を唱えなかった。

 住み慣れたバスを離れることへの不安よりも、もう麗華たちと同じ場所にいることへの気まずさが、勝っていたのかもしれない。


 荷物をまとめ、移動を始めた武田たちの一団を桃矢は少し離れた場所から見送っていた。

 遠ざかっていく武田たちの背中が見えなくなると、バスの周りには、急に静けさが訪れた。残ったのは、13人と1台のバスだけだった。

「これから、よろしくお願いします」

 麗華は、改めて一同に向き直り、深く頭を下げた。

 その声には、リーダーとして振る舞おうとする強がりと、初めて背負う重圧への不安が、わずかに滲んでいた。

 中嶋さんが静かに頷いた。

「このバスは、これからもみんなを守る場所になります。私にできることは、なんでも協力します」

 その落ち着いた声が、不安に揺れる一同の中でありがたかった。

 桃矢はその様子を見ながら、改めて思った。

 これから、自分たちはこの見知らぬ星で、新たな日々を築いていかなければならない。

 頼れる大人もいれば、まだ若い自分たちもいる。決して楽な道のりではないかもしれない。

 でも、この人達と一緒なら、何とかなりそうな気がしていた。


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