第13話 不協和音
昼過ぎ、水汲みから戻った石原と田崎が、少し離れた場所で声を潜めて話しているのを桃矢は偶然見かけた。
「なあ、これ、いつまで続くんだろうな」
「さあな。武田さんに聞いてみろよ」
田崎が、半ば冗談めかして返す。だが、その声には隠しきれない疲労の色があった。
「正直さ、もう限界に近いんだけど」
石原が声を潜めて続けた。
「毎日水汲や食料探し、更には見張りまでやってるのに、一橋さんたち座って待っているだけの人たちと、もらえる量は同じだろ。これ、おかしくないか」
田崎はその言葉にわずかに表情を曇らせた。
「……まあ、確かに。働いてるのはほとんど俺らだもんな」
「だろ? なのに、貰える配分は同じ。納得いかねえよ」
石原の声には、明確な不満が滲んでいた。
「そういえば、斉藤さんも最近、似たようなこと言ってたな」
田崎が思い出したように付け加える。
「ああ、武田さんには絶対言わないけどな。あの子、武田さん信者だから」
「俺らだって、武田さんのこと信じてないわけじゃないよ。でも、限度ってもんがあるだろ。毎日くたくたになるまで動いて、それで結局、座ってるだけの年寄りと同じ扱いってのは、納得いかねえよ」
「分かるよ、その気持ち。でも、表立って言ったら薄情な奴だって思われそうじゃん」
「だから、誰にも言わずにこうやって愚痴ってるんだろうが」
2人は、しばらく無言で水筒を見つめた。桃矢が少し離れた木の陰にいることに気づいていないようだった。
その日の夕方、武田は1人、川での漁の成果を確認していた。川面には、夕暮れの橙色の光が反射して、ゆらゆらと揺れている。岸辺の半透明の巻貝たちが、薄暗くなり始めた空気の中で、ほんのりと光を灯し始めていた。夜が深まるにつれて、その光はもっと強くなるのだろう。武田は、ふとそれに目をやりながら、誰に見せるでもない、疲れた表情を浮かべていた。
「武田」
声をかけてきたのは山崎だった。
「どうした」
「いや……ちょっと、聞いてほしい話があって」
山崎は珍しく言いにくそうに、言葉を選びながら切り出した。
「最近、石原とか田崎に不満が溜まってきてるみたいなんだよな。お年寄りたちと同じだけしかもらえない食料の配分に」
武田はしばらく無言で水面を見つめていた。表情は変わらないが、その肩にほんのわずかに力が入ったのを、山崎は見逃さなかった。
「具体的に、何て言ってるんだ」
「働いてるのは自分たちなのに、なんで動けない人と同じ量なんだって。まあ、気持ちは分からなくもない。俺だって毎日くたくたになるまで水汲んで、食料探して、見張りまでやってるわけだから」
「お前は、どう思う」
「俺は……正直、複雑だ。みんな生きるために必死なのは分かる。でも、年寄りだからって、命の重さが違うわけじゃないだろ」
山崎の言葉に武田は小さく頷いた。だが、その表情には、何か割り切れないものが浮かんでいた。
「俺だって、そう思いたい。でも、現実的に考えると……」
武田は、そこで言葉を止めた。続きを言うことを、自分自身が躊躇しているようだった。
「現実的に、なんだよ」
「いや、何でもない。今は、まだ言うべきタイミングじゃない」
武田はそう言って一方的に話を切り上げた。山崎は釈然としない表情を浮かべながらも、それ以上は追及しなかった。
水面に映る武田の顔は、いつもの自信に満ちた表情とは、少し違って見えた。誰にも見せたことのない、迷いと焦りが入り混じった、本当の表情だったのかもしれない。山崎はそんな武田の横顔を、しばらく黙って見つめていた。
夜、桃矢は陽翔と共に見張りをしていた。あたりは完全な暗闇に包まれていて、地球では見たことのない星々が頭上に広がっていた。けれど、この暗闇もおそらくそう長くは続かない。じきにまた、橙か青白い色、どちらかの光が差し込み始めるはずだった。
「昼間、石原と田崎が話してる内容を聞いちゃったんだよ」
桃矢は声を潜めてそう言った。
「何の話?」
「食料の配分のこと。年寄りたちと同じ量しかもらってるのが、納得いかないって」
陽翔はしばらく考え込んだ。
「まあ、気持ちは分かるけどな。あいつらも毎日きついだろうし」
「うん。でも、それを言い出したらきりがない気もする」
桃矢自身、似たようなことを何度も考えたことがあった。誰がどれだけ働いて、誰がどれだけ食べるべきか。そんな計算を始めれば、いずれ誰かを切り捨てる発想に行き着いてしまう。
「武田は、ちゃんと抑えられるのかな」
陽翔は首をかしげた。
「さあな。でも、あいつ、完璧主義者っぽいから。弱音とか不満とか、表に出さないようにするタイプだろ」
「それって、いつか限界来そうだよな」
「だな」
2人はそれ以上、言葉を続けなかった。
火の向こうで、武田が何かを考え込むように、1人座っている姿が見えた。あの中で、今、何を考えているのか。桃矢には知る由もなかった。けれど、漠然とした不安だけが、胸の奥に積もっていった。
その晩、桃矢が見張りを終えてバスに戻る途中、偶然、石原と田崎がまた小声で言い合っているのを耳にした。
「もう1回、武田さんに言ってみようぜ。さすがに、このままじゃ俺らがもたない」
「言って、聞いてくれると思うか? あの人、自分が1番苦労してるって顔するだけだろ」
「だったら、もういっそ」
石原がそこまで言いかけたところで、足音に気づいたのか、2人は急に口をつぐんだ。桃矢の方を振り返り、何事もなかったかのように、それ以上の会話をやめてしまう。
石原はいそいそとその場を離れていった。田崎も気まずそうに後に続く。
桃矢はその背中を見送りながら、言いようのない胸騒ぎを覚えていた。
石原が言いかけた「もういっそ」の続きは、何だったのだろう。考えれば考えるほど、嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
寝床に戻ると、すでに陽翔は眠りについていた。桃矢もその隣に体を横たえる。けれど、なかなか寝付くことができなかった。
水汲みや見回りを担う者たちの中で渦巻く不満。武田のこと。見知らぬ土地で生き抜くのに精一杯の状況の中、不協和音が見え隠れしだしている。みんなで力を合わせて切り抜けなければいけないのに。
桃矢は暗闇の中で眠れない時間が続いていた。




