第12話 不安
その夜、見張りの順番が回ってきた桃矢は、陽翔と火の番をしていた。
「なあ、最近みんな、ちょっとピリピリしてないか」
陽翔が声を潜めてそう言った。
「うん。俺もそう思う」
「眠れてないんだろうな、みんな。座席で寝ると体が痛くなるし、外だと地面は硬いし、虫もいるし」
「それもあるけど、先が見えない不安も大きいと思う」
桃矢は火を見つめながら答えた。
「水も食料もなんとかなってる。でも、いつまでこの状態が続くのか、誰にも分からない。終わりが見えない不安って、案外、目の前の危機より人を疲弊させるのかもしれないな。それに……」
「それに?」
「みんな、表向きは『協力しよう』って言ってるけど、本音では、誰よりも先に自分が助かりたいって思ってる気がする。それ自体は、責められないことだと思うけど」
陽翔はしばらく黙って火を見つめていた。
「……怖いこと言うなよ」
「ごめん。でも、そんな気がするんだ、最近のみんなを見てると」
長期戦になればなるほど、集中力と精神力が消耗していく。誰かが倒れる前に、何とかしなくてはと思うのだが、今の所、この状況を打開できる材料は何一思いつかなかった。
翌朝、ちょっとした言い合いが起きた。
きっかけは些細なことだった。
果実の配分を巡って、田崎が「自分の分が少ない」と声を荒らげたのだ。
「俺、昨日も少なめだったぜ」
「みんな同じ量にしてるよ」
「いや、絶対少ない。おまえら、こっそり自分の分多くしてるんじゃないか」
「は? 適当なこと言うなよ」
「だって、お前ら毎日真っ先に食ってるだろ」
「それは……係だから先に確認してるだけで」
「それを言い訳って言うんだよ」
言い合いは、次第に激しくなっていった。普段ならこんな小さなことで揉めることはない。
でも誰も止めようとはしなかった。何人かは、同じような不満を感じていた。ただ、口にしなかっただけだった。
言い合いから喧嘩へとエスカレートしそうになった、その時だった。
「みんな、限界が近いのは分かってる。でも、ここで仲間割れしてどうする」
武田の力強い声が響いた。
「それに、はっきり言っておく。この状況で、全員が同じだけ生き延びられるとは限らない。動ける人間が、動ける分だけ動く。動いた人間は動いた分の対価を得る。それが結果的に、みんなのためになる」
その一言にみんなの空気が凍りついた。
何人かが、ちらりと高齢者たちの方へ視線を向ける。
長田さんはその視線の意味に気づいたのか、車椅子の上で小さく身を硬くしていた。
誰も、それ以上は何も言わなかった。
けれど、その沈黙こそが、これまでとは違う何かの始まりを予感させるものだった。
その夜、桃矢は偶然、火の番を交代する際に、武田が1人、少し離れた場所で深いため息をついているのを見かけた。
普段の堂々とした態度からは想像できない、疲労の滲んだ横顔だった。
「武田、大丈夫か」
声をかけたのは陽翔だった。武田は一瞬驚いたように振り返り、すぐにいつもの表情に戻った。
「ああ、平気だ。少し疲れただけだ」
「無理すんなよ。お前が倒れたら、みんな困るんだから」
「分かってる」
短いやり取りだったが、桃矢はその場面を少し離れたところから見ていた。誰よりも気を張っているのは、間違いなく武田だった。
完璧なリーダーを演じ続けることが彼にとってどれだけの重圧なのか、桃矢には計り知れなかった。
あの武田の言葉は、みんなの心にわだかまりを植え付けた。
表立って反発する者はいなかったが、誰もが互いの顔色を窺うようになっていた。
誰が「動ける人間」で、誰が「動けない人間」なのか。
口には出さずとも、そんな線引きが、いつの間にかできつつあった。
これまで場を和ませようと積極的に話題を振りまいていた一橋さんも口数がすくなくなり、さみしそうな顔をして座席に座ったままだった。
その様子に気づいた桃矢が「一橋さん、腰の方は大丈夫ですか」と気遣うと、一橋さんは意外そうな顔をした。
「あら、そういえば……ここ最近、あまり痛まないのよねえ。不思議だこと。堅い地面に座ったりしてるから、むしろ悪化しそうなものなのに」
一橋さんは自分の腰を軽く叩きながら、首をかしげていた。
その日の昼、桃矢は山田さんと果実の採取に出かけていた。
道中、見覚えのある赤紫色の果実の木の隣に、これまで気づかなかった別の植物を見つけた。
地面を這うように伸びる蔓に小さな鈴のような形の実がいくつも付いている。実の表面には細かい銀色の産毛のようなものが生えていて、触るとパリパリと軽い音を立てて崩れた。
「これ、食えるかな」
山田さんが実の1つを摘み取って匂いを嗅いだ。
「青臭いような、ちょっと甘いような……うーん、判断つかないな」
「無理に試さない方がいいですよ。今は、確実に安全なものだけにしましょう」
桃矢がそう言うと、山田さんは素直に頷いて、実を蔓に戻した。
未知の植物はこの星にはまだ数えきれないほどあるはずだった。
安全だと分かっているものだけを頼りに生きるしかない今の状況は、まるで、底の見えない川を一歩ずつ足下の石を確かめながら渡るようなものだと桃矢は思った。
「最近、嫌な雰囲気だよな」
山田さんがぽつりと呟いた。
「ええ」
「俺もさ、本音言えば、自分のことしか考えられない時もある。情けない話だけどさ」
「でも、それを誰かに言えないんだよな。言ったら最後、『お前もか』って思われそうで」
桃矢は、その言葉に妙な共感を覚えた。
誰もが自分の中の醜さに気づきながら、それを誰にも見せられずにいる。だからこそ、表面上は「協力している」という体裁を必死に保ち続けているのかもしれない。
「最初の頃は、みんなもっと素直だった気がするんですけどね」
「だよな。あの頃は、まだ余裕があったんだろうな。今は、1日生き延びるだけで精一杯だから」
山田さんはそう言いながら、自分の手のひらを見つめた。マメができて土と泥で汚れたその手は、ほんの何週間前までスーツを着て面接を受けていた人間のものとは、とても思えなかった。
「俺さ、正直、最初は足手まといにしかなれないと思ってたんだよ。就活もずっとうまくいってなかったし。でも、こっちに来てから、初めて誰かに必要とされてると感じた。なんか複雑なんだよな」
「複雑?」
「だって、地球にいた頃の俺は、ずっとダメな奴だったんだ。それが、こんな場所では役に立てる。なんか、笑えないっていうか」
山田さんはそう言って、自嘲気味に笑った。桃矢は、その言葉に何と返せばいいか分からず、ただ黙って耳を傾けていた。
「山田さんは、ちゃんと考えて行動してると思いますよ」
「いや、そんなことはないって。お前の方がよっぽど、ちゃんと周りを見てるだろ」
山田さんは苦笑しながら、手にした棒で地面の植物をかき分けた。
「お、これ食えそうじゃねえか」
話題を逸らすように、山田さんが新しい果実を見つける。
桃矢もそれに合わせて、観察に意識を戻した。
けれど、頭の片隅には、先ほどの会話の余韻がずっと残り続けていた。
夕方、バスに戻ると、また小さな揉め事が起きていた。
今度は、見張りの順番を巡るものだった。
「俺、昨日もやったんだけど」
「いや、順番的にはお前のはずだろ」
声を荒らげていていたのは、見張りを割り当てられていた石原だった。これまでなら、武田の手前、こんな態度を取る人間ではなかった。けれど、積み重なった疲労が、彼の理性を崩しかけていた。
「辛いのはお前だけじゃないだろ」
「うるせえな、お前がやれよ」
なだめようとした田崎の口調もきつかった。普段なら笑って受け流すような軽口にすら、棘が混ざるようになっていた。
周りの何人かも、見て見ぬふりをするように、そっと視線を逸らしている。
誰も、進んで仲裁に入ろうとはしなかった。下手に首を突っ込んで、自分が次の見張りを押し付けられるのを、誰もが恐れているようだった。
「俺がやるよ」
桃矢は思わずそう口にしていた。
陽翔が驚いたように振り返る。
「お前、昨日もやっただろ」
「いいよ、別に。どうせ寝たところで何度も目が覚めるから同じさ」
桃矢のその一言で、揉めていた石原と田崎は、気まずそうに目を逸らした。
「……いや、悪い。やるよ、俺が」
結局、石原が見張りに向かった。だが、その表情には複雑な色が浮かんでいた。
麗華がその様子を少し離れた場所から見ていた。
「星野くん、ありがとう」
不意に声をかけられて、桃矢は心臓が跳ねるのを感じた。
「あ、いや……別に、たいしたことじゃないし」
「そうかな。私には、なかなかできないことだと思うけど」
麗華はそう言うと、軽く微笑んでまた別の場所へと歩いていった。
桃矢はその背中をしばらく見送りながら、頬が熱くなるのを感じていた。
もっとも、それが特別な意味を持つ言葉でないことくらい、桃矢にも分かっていた。
麗華は誰に対しても気さくに声をかける人間だ。今のも、その延長線上にある、ただの一言に過ぎない。
それでも、桃矢の心の中には、その一言がいつまでも残り続けていた。
武田は、今夜も山崎たちと何やら相談を続けている。その輪に麗華の姿はなかった。
以前は自然と武田のそばにいることが多かった麗華だが、ここ最近、2人の間には、目に見えない距離が生まれ始めているように桃矢には感じていた。
翌日も不穏な空気が続いていた。
麗華は不安げな顔をしていた太田や鈴木たちのところへ行き、何か明るい話題を振っているようだった。
長田さんの世話に疲れ切った様子の大葉さんにも、声をかけてしばらく代わりに付き添っていた。
誰かが困っていると、直ぐに手を差し伸べる。それは、誰かに指示されてやっていることではなく、麗華という人間の根っこの部分にある資質なのだろう。
その姿は、昨日の武田の言葉とは、あまりにも対照的だった。
桃矢はその様子を少し離れた場所から眺めながら、改めて思った。麗華が多くの人から慕われているのは、ただ容姿が整っているからでも、成績が良いからでもない。誰に対しても変わらず向ける、あの自然な優しさこそが、彼女を特別な存在にしているのだと。
遠くで、武田が山崎たちとまた何か低い声で話し込んでいる。
その内容までは聞こえなかったが、桃矢は何か嫌な予感を拭いきれずにいた




