第11話 川魚
それから数日、23人の暮らしは、バスを拠点としながら川沿いの開けた場所までを行き来する日々になった。密林の奥には立ち入らない。そう決めたものの、安全な場所だけで23人分の食料を確保し続けるのは、そろそろ限界だった。
この星の1日は、地球の感覚では到底測れないものだった。橙色と青白い色、2つの光が揃って空にある時間が長く続く日もあれば、橙の光だけが妙に長くとどまり続け、なかなか青白い光に入れ替わらない日もある。逆に、あっという間に両方の光が沈んで暗闇となり、慌てて火を確保しなければならない日もあった。
それでも生活のリズムを作るためには、何かしらの目安が必要だった。だから桃矢たちは、便宜上、橙の光が射し込む時間を「朝」、その後の活動時間を「昼間」、光が弱まり暗闇に近づく時間を「夜」と、地球の感覚に当てはめて呼ぶことにしていた。
「朝」は近場で果実を探したり、水を汲みに行く。「昼間」は、できる範囲で川沿いを探索し、食べられそうな果実を探す。「夜」は見張りを立てながら、眠れるかどうかも分からない時間を過ごす。その繰り返しだった。
そんな日々を過ごす中、中嶋さんは毎日の光の動きをバスの窓ガラスに簡単な印をつけて記録しているとみんなに伝えた。「すぐには動きの法則を読み解くのは難しいかもしれないが、それでも記録を続ければ、いつかは法則が分かる日が来る」バスの運転手として、地道な仕事を積み重ねてきた男の言葉は、頼りになるものだった。
着替えがないというのも、日が経つにつれ大きな問題となってきていた。誰もが転移した時の服のまま、もう何日も同じものを着ている。蒸し暑い気候の中では、汗はすぐに布へ染みつき、夜になるとバスの車内には、酸っぱい匂いが漂うようになっていた。
「衛生の面から、洗濯のルールを決めませんか」
ある朝、そう切り出したのは、看護師の川原さんだった。
「汗をかいたままの服は、匂いも出ますし衛生面でも良くないです。せめて下着だけでも、定期的に洗いましょう」
とはいえ、着替えはない。下着を洗えば、乾くまでの間、上の服とズボンやスカートだけで過ごすしかない。その意味に気づいた誰かが小さく咳払いをし、車内に何とも言えない沈黙が落ちたが川原は動じなかった。
「これは絶対に必要なことです。二日に一回、男女で時間と場所を完全に分けて洗濯をするようにします。洗っている間、見張りは川に背を向けて、離れた場所に立つ。それだけ守れば、問題はありません」
武田がその場で当番表を組み、洗濯のルールはその日のうちに動き出した。体を清めるのも同じ要領で、お年寄りの体拭きは大葉さんと川原さんが受け持つことになった。山田さんは焚き火の灰を溜めておくことを提案した。灰汁で揉み洗いすると、水だけより汚れや匂いが落ちるのだという。キャンプで覚えた知恵だった。
橙の光が強い時間帯は乾きが早く、岩と枝に渡した蔓が、そのまま物干し場になった。下着を干している間の、妙にそわそわと落ち着かない時間を、誰もが経験することになった。決して快適とは言えない暮らしだった。それでも、洗いたての布が肌に触れる感触は、この星に来てから初めて取り戻した「人間らしさ」の1つだった。
「またこれかよ……」
誰かが、配られた果実を見て小さくため息をついた。最初は貴重な恵みとして喜ばれていたその果実も、毎日同じものばかり食べていればさすがに飽きてくる。それに、量も十分とは言えなかった。育ち盛りの高校生たちにとって、常に小さな空腹感が付きまとう生活は、想像以上に耐えがたいものだった。
配給の列に並ぶ顔ぶれの中にも変化が出てきていた。最初の頃は誰もが遠慮がちに少なめの量を受け取っていたが、ここ数日は、わずかでも多くもらおうと、配る役の人間に愛想良く話しかける人もいた。逆に、大人しい性格の生徒は、いつも1番後ろに並び、結果的に1番少ない量で我慢することになっていた。
桃矢はその様子を見ながら、内心で危機感を覚えていた。
体力的な消耗だけではない。精神的な疲労が目に見える形で蓄積し始めている。表向きは「みんなで協力している」という体裁を保ちながら、その裏では、誰もが自分のことだけで精一杯になりつつあった。
今泉さんは、最近、ほとんど口を開かなくなっていた。隣に座っていても、ぼんやりと宙を見つめていることが多い。ただ、配給のときだけは急に元気になって、少しでも大きな果実を選び取ろうとする姿を見せていた。以前なら考えられない、そんな小さな変化にも桃矢は密かに気づいていた。
長谷川さんは、みんなの輪に加わることはなくなった。最近ではいつも1人、離れた場所に座るようになっていた。
「長谷川さん、大丈夫ですか」
川原さんが何度も声をかけているところを桃矢は見かけていた。だが彼は「ああ、大丈夫」と短く答えるだけで、それ以上、何も言わなかった。
桃矢は塞ぎ込んでいる様子が気になって、思い切って長谷川さんに声をかけてみたことがあった。
「長谷川さん、何か手伝えることありますか」
「いや、ない」
返ってきたのは、それだけだった。会話を続ける気力すら残っていないような感じで、桃矢にはそれ以上踏み込むことができなかった。市役所職員という、普段から人と接する仕事をしているはずの長谷川さんが、こうも頑なに心を閉ざしてしまっていることに、桃矢は言いようのない不安を感じていた。
その日の午後、桃矢は山田さんと中嶋さんの3人で川魚を捕まえにきていた。
中嶋さんが長年の経験から、魚が集まりやすい流れの緩やかな場所を見極めてくれた。
「川魚は、流れの遅いところに集まりやすいんだ。あとは、辛抱強く待つしかない」
3人は岸辺にしゃがみ込み、じっと水面を見つめ続けた。
しばらくすると、水面の下を何かが横切るのが見えた。
「来た!」
山田さんが小声で叫び、即席の網を素早く水中に差し込む。網はみんなの持ち物を寄せ集めて作ったもので、網の部分はストッキングを使った。
何度も網を突っ込むも相手は素早かった。
その後しばらくは同じ事の繰り返しだった。
「いや、まさかスーツでサバイバルする日が来るとは思わなかったよ」と山田さんが笑いながら手に持った網を振った。
面接用に着ていたジャケットは既に半袖になっていた。ズボンの裾も川に入っても濡れないよう、膝下まで折り返してある。転移した日にはあれほどきちんとしていたスーツ姿も、今ではすっかり様変わりしていた。
「面接、結局行けずじまいだったしな。今頃は会社の採用担当も俺のことなんて覚えてもないだろうな」
その軽口にはわずかな寂しさも滲んでいた。それでも、山田さんはすぐに気持ちを切り替えるように網を構え直して川をのぞき込んでいた。
逃げ惑う魚影を3人がかりで岸へと追い込んでいく。何度も逃げられ、何度も失敗を繰り返しながら、ようやく1匹を捕らえることに成功した。
「やった……!」
網の中で跳ねる魚を見て、桃矢は思わず声を上げた。だが、よく見ると、その姿は地球の魚とは明らかに違っていた。
体の側面が淡い紫がかった銀色に光っている。鱗の1枚1枚が、まるで小さな宝石のように2つの太陽の光を反射していた。目は地球の魚よりも大きく、まんまるとしていて、どこか愛嬌すら感じさせる。
「……綺麗だな」
山田さんがしみじみと呟いた。
「食えるんですかね、これ」
「分からん。でも、試すしかないだろう」
中嶋さんが淡々とそう答える。捕らえた魚は、その場で軽く処理をして、後で火を通すことになった。3人がかりでかなりの時間奮闘した。それでも、得られた成果はわずか1匹だった。
「結局1匹か…」
山田さんがため息混じりに言った。
「明日も来るしかないですね」
1日1日、こうして地道に食料を積み重ねていくしかない。それが、偽らざる現実だった。
漁を終えた後、3人は交代で川で体を洗うことにした。
洗ったと言っても、川の水で体を洗うだけ。せっけんや洗剤がない中、汗と土埃にまみれた体は、完全には綺麗にならない。それでも男女で時間と場所を分け、川の浅瀬で水浴びをすることで、最低限の清潔感は保てていた。
「いやー、生き返るわ」
山田さんが、川の水を頭からかぶりながら、大きく息を吐いた。冷たさに一瞬身をすくめたものの、すぐに気持ちよさそうな顔になる。
「水、思ったより冷たくないですね」
「ああ。地球の川よりちょっとぬるい気がするな。不思議なもんだ」
中嶋さんがそう言いながら、体を洗っていた。数日ぶりに味わったこのさっぱり感は、何ものにも代えがたかった。
青白い光が空を覆う時間に差し掛かっていた。薄暮に似た淡い明るさの中、桃矢がふと川面に目をやると、光の玉がふわりふわりと宙を漂っているのに気づいた。
「……あれ、何だ?」
桃矢が指差すと、2人もつられてそちらを見た。
淡い黄緑色の光の玉が、川辺の茂みの上をゆっくりと飛び交っている。地球の蛍にのような色だが、大きさは遙かに大きく、拳ほどの大きさで丸い。そして呼吸でもするかのように、光はゆっくりと、強くなったり弱くなったりしながら宙を漂っていた。
「火の玉じゃないよな」
山田さんが目を細めながら呟いた。
「プラズマもあんなふうな形を取ることがあるとテレビで見たことがある」
中嶋さんも興味深そうにその光を目で追っていた。
「綺麗だな」
山田さんがぽつりと呟いた。桃矢も小さく頷いた。
光の玉はしばらく川辺を漂った後、まるで吸い込まれるように、奥の茂みの中へと消えていった。




