表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

side story 2 :牽引力競争

ロコモティ部!サイドストーリー パート2


※エピソードに登場する機械構造・技術描写はあくまでフィクションであり、実在の鉄道車両や設備とは異なります。

 牽引力競争


「……またこの季節か」


 ロコモティ部の事務所には、昼下がりの光が斜めに差し込んでいた。


 静まり返った空間の中、ひときわ目立つ色鮮やかなパンフレットが一枚、机の端にはみ出している。


《第三回 牽引力競争 開催決定!》


 シグルはその文字列を無言で見つめ、やがて無造作に指先で摘まみ上げた。


 ……無駄にツヤのある紙だ。


 手にした途端、その軽さが妙に鼻につく。

 紙のくせに、なぜか誇らしげだ。


「見世物かよ。くだらねぇ」


 呟いた声は、誰に届くでもない。

 ただ、ひとりごとのように、あるいは――自分自身を笑うように。


 シグルはチラシを小さく丸め、ゴミ箱に放り投げた。外れた。


 牽引力競争――鉄道界最大の祭典。


 その名の通り、機関者たちが自らの「牽引力」を競い合う。単なるパワー勝負ではない。

 持続力、制動精度、加減速の滑らかさ。

 あらゆる性能が問われる、いわば“総合力”の戦い。


 そして、そこに立ちはだかるのが“怪物兄弟”――ゴウマ、ゴウキ。

 二年連続で大会を制覇した彼らの名は、今や伝説だ。


 実力だけでなく、あまりに逸脱した逸話も有名だった。

 全力で踏み込んだ瞬間、変電所が吹き飛んだという話さえある。


「出来レースだろ、どうせ」


 そう言い捨てた声には、どこか諦めと……嫉妬にも似た棘があった。

 背後から、軽やかな足音。

 そして――弾けるような声が飛び込んできた。


「シグル! 今のチラシ、見た? まさか参加するつもりなんじゃ――あるよね!?」


「……ねぇよ」



 即答だった。


「えぇ~!? なんで!? 参加費タダだよ!? どうせ暇なんだし、出ちゃえばいいじゃん!」


「俺のどこが暇そうに見える」


「チラシ眺めてたくせに~」


 図星を突かれ、シグルは少しだけ眉をひそめた。


 アカリはニヤニヤしながら机の端に腰かける。

 小柄な身体をぶらぶら揺らしながら、まるで遊び半分のような調子だ。


 だが、シグルの返事は意外なほど静かだった。


「……勝てねぇよ、俺には。アイツら、新型ばっかりだ。俺とは……出力が違う」


 その一言に、アカリの笑顔がぴたりと止まった。


「……シグル?」


「もう歳だ。あの頃の牽引力なんざ、とっくに残っちゃいねぇ」


 目をそらすシグル。


 その横顔は、妙に遠くを見ているようだった。

 アカリはしばらく黙っていたが、やがて、ぽつりと呟く。


「……私、シグルのこと、そんなふうに思ったこと一度もないよ」


「何がだよ」


「逃げるだなんてさ」


 静かに、でもはっきりと言われて。

 シグルは返す言葉を持たなかった。

 ――その時。


「頼もぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおッ!!」


 重々しいドアが勢いよく開き、ひとりの男が突風のごとく飛び込んできた。


 制服姿、背は高く、やたらと目がキラキラしている。

 いや、光って見えたのは目だけではないかもしれない。背後に謎の後光すら見えそうだ。


 アカリは本能的に一歩引いた。


「……うわ、なんか面倒くさいの来た……」


 一方、シグルは無言で机の下にスッと身を沈めた。

 早かった。反射的だった。ある意味で熟練の動きだった。


「こちらに、シグルさんがいらっしゃるとお聞きしました! 共に、牽引力競争に挑ませていただきたく!!」


 声も動きも全てが過剰だった。

 アカリは気圧されながらも、警戒心を隠そうとしない。


「えーと……どちら様?」


「はっ! これは失礼いたしました。我が名は――ツヨシ!! シグルさんとは、兄弟機のような間柄にございます!」


 兄弟機。

 その言葉に、アカリの脳裏に「?」が一斉に点灯する。


 目の前のこのキラキラ男が、あの無愛想なシグルと兄弟……? どこに共通点が?


 いや、よく見ると、確かに似たようなパーツはある……気がする。


 頬骨のラインとか、耳の形状とか。


「ちょ、誰が兄弟だ! 勝手に名乗るな!!」


 机の下から飛び出してきたシグルが、怒りに震える。


「貴方をお呼びするには、それが一番通りがよかったもので!」


「だからって、来るな! 帰れよ、シッシッ!」


「しかし、今こそ力を合わせる時です! 双頭連結器という誉れを受けた我らが再び、火花を散らす時ではありませんか!!」


「双頭連結器とか言うな!! 俺じゃなくても他にいるだろゲサンクとか!!」


 シグルの声が裏返るほどの動揺。

 アカリはそのやりとりを半ば呆れ、半ば楽しげに見守っていた。


 だが――「ゴウマを超えられるとしたら、今しかないんです」


 ツヨシの言葉が、空気を変えた。

 シグルの目が、一瞬だけわずかに揺れる。


「……俺が、アイツに?」


「はい。貴方なら、出来る。少なくとも我々は、そう信じてきましたから」


 それは、暑苦しい信仰にも似た眼差しだった。


 だが、シグルにはそれが不思議と……鬱陶しくはなかった。

 やがてシグルは肩を落とし、ゆっくりと立ち上がった。


「……いいだろう。俺をその気にさせてみろ。できなきゃ――叩き潰すぞ」


 ニヤリと笑うシグル。


 アカリはその表情に、久々に“死神”の名を背負う者の気配を感じた。


 ツヨシは勢いよく頷く。


「さすがはシグルさん! その素直な直列回路! お見それしました!!」


「今、お前ぜってー馬鹿にしただろ」


「してません!! 全力で褒めております!!」


「いや、した!」


「あ、アカリさん! しばらくシグルさんをお借りしますね!! きっと彼は、牽引力競争という大空の舞台で羽ばたいてくれるはずです!!」


「機関者なんだから、空じゃなくて地上を走りなさいよ」


 そう言って笑いながらも、アカリはどこか安心していた。


 久々に見る、シグルの“らしい”顔がそこにあったからだ。

 ツヨシと共に、シグルが事務所を出て行く。


 その背中を、アカリはじっと見送った。


 しばらくして、ふと机の上に目を落とすと、見覚えのない紙切れが一枚。


『アカリへ。俺は自分の限界を超えてみたいんだ。だから、この挑戦に乗ることにした。うまくいくかわからないけど、見守っててくれると嬉しい』


 ――セイジの筆跡だった。


「えっ……セイジ、参加するの!? いや、違うよね? え、何……観戦?」


 アカリは頭を抱えながら、事務所のソファに倒れ込んだ。


「もー! 全員、面倒くさいんだけど!!」


 事務所には、雪解けの音と、壁掛け時計の秒針だけが、春の始まりを告げていた。


 2


 そもそもの話、大会まであと二日しかないというのに、シグルとツヨシのチームは、一度たりとも練習をしていなかった。


 他のチームが既に幾度となくコースを走り、出力の最適化や各種補助機能の調整に余念がない中で、二人はようやく初めての試走に現れたのだった。


 周囲の視線が、どこか落ち着きのない目で二人を見つめている。



 当然だ――初出場の即席チームが、大会最強と目される“ゴウマ”に挑もうとしているのだ。

 しかも、ろくに調整も済ませずに。


 それでもツヨシは言うのだった。


「問題ありません。我々には“信頼”がありますから!」


「信頼、ねえ……」


 呆れたように肩をすくめるシグルだったが、否定しきれない何かが胸に引っかかっていた。


 二人の立つ場所は、フウカゲツ鉄道が管理する旧貨物支線。

 通称“蒼穹ストレート”。

 全長五十キロメートルの直線が八本、まるで空を貫くように続いている。


 静かだったはずの廃線跡には、今や機関者たちの熱気で満ちていた。


 蒼い空の下に、機械の足音が響く。


 そして、鋼鉄の躯体が放つ微細な熱が、大地の空気をゆらりと揺らしていた。


「ここが……大会の舞台か」


 シグルが低く呟く。

 視線の先には、専用に設計された超重量級の有蓋車が、無骨な存在感を放ちながら鎮座していた。


 その一両一両が、数百トンにも達する質量を有している。

 それを、引っ張りながら走るのだ。己の身体で。


 それが牽引力競争――力自慢の機関者たちが、自身の極限に挑む鉄道の祭典である。


「見れば見るほどバカみてぇだな、これ」


 ぼやいたシグルに、ツヨシが爽やかに笑いかける。


「バカになれる者こそ、限界を超えるのです!」


「うるせえよ」


 思わず頭を抱えるシグル。

 その耳に、すでに競技を終えたチームの走行音が遠くに響いた。


「なあツヨシ。大体、練習で牽引力が上がるわけじゃねえだろ。俺たち、人間じゃないんだぞ」


 シグルは無精に言いながら、足元のレールに視線を落とした。


 機関者の出力――すなわち、彼らに内蔵された駆動モーターの定格出力は、基本的に製造時に決まる。

 どれだけ努力しても、電力の兼ね合いとなるので、出力そのものは変えられない。


「そうです。ですが、“使い方”は鍛えられます」


 ツヨシがきっぱりと答える。


「……使い方?」


「はい。我々の肉体は、単なる鋼の骨格だけではありません。モーターからの出力を、人工筋肉にいかに伝え、制御するか。そこが勝負です」


 そう――機関者の躯体には、モーターと人工筋肉が共存している。

 高回転の駆動を生むモーターが“心臓”なら、人工筋肉は“神経と筋肉”の役割を担う。

 それはしなやかで、熱に強く、出力の伝達を、感知と判断を伴ってリアルタイムで最適化する。


 ただし、その扱いは極めて繊細で、一歩誤れば“空転”すら招きかねない。


「筋肉があるからこそ、“力任せ”が通用しないんですよ。早く脚を動かせば、動かすほど、粘着が剥がれて空転を起こす。……無駄な力は、そのまま自滅です。だからこそ、“今どの筋を、どれだけ動かすか”――その判断こそが鍵なんです!」


「……な、るほど?」


 ツヨシの力説に戸惑いながらも、シグルも頷いてみせた。


 出力は変わらない。だが、“伝え方”で結果は変わる。

 どれだけ高出力でも、下手に扱えば、力はただ逃げていくだけだ。


「でもよ、そういうのはお前みたいな熱血野郎がやるもんだろ。俺はもっと、効率良く走りてぇんだよ」


「もちろんです! 我々は兄弟機。熱と冷静、両方あってこその力です!」


「……調子のいいやつだな、お前は」


 だがその言葉に、シグルの口元はわずかに緩んだ。


 そして彼は思い出していた。

 過去――ただ指令通りに走り、止まり、荷を運ぶだけの存在だったあの頃には、

 “自分の出力を引き出す”なんて概念はなかった。


 だが今は違う。考える頭がある。感じる心がある。

 そして、隣には――。


「おい、そろそろ荷のチェックに行くぞ」


「はい! 積荷の重心位置も確認しなければ!」


 二人は並んで歩き出す。

 その背中には、異なる設計思想の、だが似たような歩みを辿ってきた“兄弟機”としての絆が、確かに宿っていた。


 3


 大会のメインイベント――牽引力競争。

 参加者のエントリー手続きがすべて完了すると、予選が始まる。


 大会方式はリレー形式。

 各ブロックは三人一組のチームで構成され、定められた区間を順に走破していく。

 第一走者、第二走者がそれぞれの役目を果たし、最後の走者へと襷――いや、走行権が引き継がれる。


 参加者は十数組。だが、誰もが予想する本命はただ一つ。


「――“INVERTER MAMMOTH LOCO”だ」


 その名を口にするだけで、周囲の空気が引き締まる。

 出場するたびに記録を塗り替える、圧倒的な実力と完成されたチーム戦略。


 そしてその中核を担うのが、リーダーの機関者――ゴウマである。


「……手続きを完了した。あとは、勝利を待つだけだ」


 受付のテントを出たゴウマは、軽く息を整える。

 既に人工筋肉は安定した温度域に入り、冷却系も問題なし。

 一見クールな表情の裏で、内燃する闘志が静かに見え隠れしていた。


 向かったのは、選手控えエリア。

 各チームに与えられたパーソナルテントが並ぶ中、彼は自分たちのチームが集まる一角へ足を踏み入れる。


 そこでは数人の機関者たちが、機器の最終チェックや連携の確認を行っていた。

 皆、無駄口ひとつ叩かずに集中している。


 だがその中央に、異彩を放つ一人の少女が座っていた。


 白いパラソルの下、金色のツインテールを揺らす少女がひとり。

 ピニオンを模したボンネットを頭に添え、四つ這いの新人隊員の背に足を乗せていた。

 彼は、まるで家具のように、「脚置き」としてその役割を果たしている。


 こんな可憐さを身につけているが、彼女も、一端の機関者である。


 だが、出場登録に名前はない。

 だが、誰よりもこのチームを仕切っていた。


「あんたたち、そんなに堅くならなくていいのだわ」


 少女は、脚を組み直しながら小さく笑った。

 その声音は穏やかであり、どこか冷ややかでもある。


「今日の主役はあたしじゃないもの。あんたたち“駒”の方よ」


「ですが、リーダーが組み上げた戦略がなければ、我々はただの集合体に過ぎません。全員、感謝していますよ」


「そう、感謝なさい」


 まるで当然だと言わんばかりに胸を張る少女に、周囲のメンバーも思わず苦笑を漏らす。


 彼女はどこか、常識から逸脱した存在だった。

 無邪気で、冷酷で、天才的。

 一見するとただの少女――しかし、誰もが口を揃えて言うのだ。


「あの方の言葉は、外れたことがない」と。


「でもね――」


 少女の声色が、ふと冷たいものへと変わった。

 その瞳が、遥か遠くを射抜くように細められる。


「今回のルールは分かっているわね? 三人一組。前回までは、ゴウマ・ゴウキのペア。今回は、そこにサードランナーが必要になる」


 ゴウマが即座に応じる。


「問題ありません。調整は万全です。ですが最終ランナーは――」


「そう、あの出来損ない」


 少女はあっさりと言い捨て、髪をそっと揺らした。

 唇に浮かぶのは、残酷と期待が混ざった笑み。


「だけど、面白いのよ。一度走らせれば、あれだけの欠陥を抱えてなお、“何か”を持っていた。理論値ギリギリの状態で走ろうとするあの執念――面白いでしょう?」


 少女は、どこか狂気じみた熱を孕んだまま、無邪気に微笑んだ。


「完全なモノじゃ、ここまでワクワクできないのだわ。ガラクタの機体に賭けて、逆境の中で輝く――それこそ、最高の見せ場になるの」


 会場の隅、テントから少し離れた場所。

 鋼鉄の柱に背を預けながら、ゴウヤはひっそりとこちらに視線を寄越していた。


「それからね――」


 少女の声色が、ふと冷たいものへと変わった。

 その瞳が、遥か遠くを射抜くように細められる。


「“シグル”って機関者。あれは、ただの競技者じゃないわよ」


 言葉に、兄弟の空気が一瞬止まった。


「あたしの嗅覚が告げてるの。……あれは、何かが“違う”」


 彼女の直感は、理屈では測れない。

 でも、これまで幾度となく“正しかった”。

 だからこそ、ゴウマはそれを無視しなかった。


「リーダーがそうおっしゃるなら、何かしら手を打ちます。可能であれば、俺が相手をします」


「ええ、お願いするわ。“エース”の仕事でしょう?」


 少女は満足そうに頷いた。

 脚置きにされた青年が「いててて……」と呻いたが、少女は一切気にしない。


「……油断しないことよ、ゴウマ。あのシグルって機関者――もしかしたら、“何か”を壊しにくるわ」


「壊す……とは」


「秩序か、流れか、それとも――あんたたちの常識かもね」


 ぞくり、と背筋を撫でるような感覚。

 少女の語る“何か”は、いつだって後から意味を持つ。

 それを理解するのは、大抵、事が起こった後だ。


「了解しました。全力で挑みます」


 ゴウマは最後に、チームを見渡す。

 弟二人は、無言で頷き返した。


 その表情に、迷いはない。

 彼らは、走るために生まれてきたのだ。

 ただひたすらに頂点を取るために。


 そして――その向こうに立ちはだかる存在が、“シグル”という名の異物であるならば。


「俺が、それを証明してみせよう」


 4


 大会が始まる。

 選手宣誓の声がスピーカー越しに会場へ響き渡り、ざわめきの中で、ようやく開会式の幕が上がった。


 だが、ほとんどの選手の意識は、すでに競技へと切り替わっている。

 壇上で続く式辞も、会場に舞い散る色とりどりの紙吹雪も、今の彼らにとってはただの背景に過ぎなかった。


「さぁ、始まりました……!」


 司会者のその一声を合図に、会場の空気が一段、張り詰める。


 ツヨシは拳を握りしめ、自然と口角を上げていた。

 全身に走る高揚を隠す気もない。

 対照的に、隣に立つシグルは肩をぐるりと回しながら、視線だけで周囲の配置や動線を確認している。


「張り切りすぎんなよ」


 低く、抑えた声。

 だが、その言葉の裏で、彼自身もまた確実にスイッチを入れていた。

 皆が同じ目標――優勝へと向かい、静かに、しかし確実に熱を帯びていく。


 その群衆の中で、ひときわ場違いなほど落ち着いた存在感を放つチームがいた。


「あらあら……始まってしまいましたのねぇ」


 どこかのんびりとした、年長者の独り言のような声。

 緊張感に満ちた会場には、少々似つかわしくないほど柔らかい。


 観客席に向かって、優雅に手を振る女性がひとり。

 その所作は上品で、どこか懐かしい。


 ヨシコ・タバタ。

 その名を、シグルはぼんやりとだが覚えていた。


 慎ましくも品のある“ため色”のドレス。

 艶を湛えた髪は丁寧に整えられ、競技者というより――式典に招かれた来賓のような佇まいだった。


「うぉぉぉぉおっ!! ロイヤルゥゥゥゥ!」


「教祖さま~!」


「ロクイチィィィ!」


 呼び名は好き勝手だが、そこに混じるのは揶揄ではなく、長年親しまれてきた存在への、素直な歓声だった。


「教祖……? 宗教でもやってんのか?」


 シグルは眉をひそめ、小さく呟く。


「ほほう! ロイヤル様をご存じありませんか?」


 ツヨシは目を輝かせ、半ば感動したように言う。


「長く第一線で活躍されてきた、大先輩ですよ! いやぁ、生で拝めるとは……!」


「あんまり興奮すんな。本人、困ってるだろ」


 実際、ヨシコは観客の声援に対し、少し戸惑ったように首を傾げながら、申し訳なさそうに微笑んでいた。


 そこへ、テレビ局のクルーがインタビューのために近づく。

 慣れた様子というより、何を聞かれるのか分からず様子を窺っているといった方が近い。


「これから始まる競技について、意気込みをお聞かせください!」


「意気込み、ですか?」


 ヨシコは少し考え込み、ゆっくりと言葉を選んだ。


「わたくしはお誘いを受けただけですので、あまり立派なことは言えませんけれど……」


 一瞬、会場が静まる。


「……えっ? では、出場は……?」


「ええ、勿論、お仕事ですので出ますわよ」


 にこやかに頷いてから、何かを思い出したように小首を傾げる。


「ただ……貨車を牽く競技でしたわよね? あら、わたくし、過去にそういうものを牽いた事があったかしら……?」


 悪気も、含みもない。

 ただの、記憶を辿るような口調だった。


 沈黙のあと、会場のあちこちから、くすくすと笑いが漏れ始める。


「……ああ、そういう奴か」


 シグルは、ようやく納得したように息を吐いた。


「続いて『チーム・ロイヤル』のこの方、キヌヨ・ヌマヅさん。本日はどうぞ、よろしくお願いいたします」


「よろしくお願いするわね」


 淡々とした応答だった。


 キヌヨは、流線型のボディラインを際立たせるマーメイドドレスを身に纏い、背筋を正してカメラを見据えている。

 その立ち姿は、華やかさよりも整然さを先に感じさせた。


「え、えっと……本日の大会に対する意気込みなどは、ございますでしょうか?」


「ええ。『勝ち』を取りに参りますので。……必要な段取りは、そちらで整えて頂戴と、運営にお伝え願えるかしら。――以上」


 短い。

 余計な言葉は一切ない。


「流石はムーミン殿……」


 ツヨシは小さく息を呑む。


「相変わらずのお方だ。自分で進行方向を変える気はない。変わるのは、いつだって周りの方だ」


 その言葉の通り、キヌヨは常にすべてを視界の端に収めながらも、微動だにしないその背中には、確かな威厳が宿っている。


「うぉぉぉお!! ニィィィナァァァ!!」


 割れんばかりの歓声が会場を揺らした。

 熱気はすでに最高潮。


 声援の渦の中心に立つのは、『チーム・ロイヤル』のリーダー――ニーナ・フキタ。


 可憐さと、豪快さと、そして天真爛漫さ。

 相反する要素をすべて併せ持ちながら、それらを破綻させない稀有な機関者。

 その存在は、もはや「人気者」という言葉では収まらない。


 まごう事なき――アイドルだった。


 一挙手一投足が視線をさらい、笑えば空気が和らぎ、手を振れば、性別も年齢も越えて人の心を掴む。


 魔性、という言葉すら生ぬるい。

 ニーナは、ただそこに立っているだけで、人を惹きつけてしまう。


「ニーナさん、本日の大会にはどのような思いで臨まれますか?」


 ニーナはカメラを真っ直ぐに見つめ、小さく――しかし確かに頷いた。


「ええ。俺、じゃなくて……私。一生懸命がんばりますので、みなさん、応援してくださいね♪」


 それだけだった。

 大仰な抱負も、勝利宣言もない。

 ただ素直すぎる、あまりにも健気な言葉。


 それなのに――会場の男たちは、理屈抜きで拳を突き上げていた。


「ニーナぁぁぁぁぁ!! ニーナこっち向いてくれぇぇえ!」


 熱狂は、もはや制御不能だ。


「……なあ」


 ぽつりと、シグルが呟く。


「アイドルっていうにはさ……首とか肩幅とか、なんか……全体的に、ゴツくないか」


 その一言に、ツヨシは反射的に視線を逸らした。

 ――触れてはいけない核心だった。


 観客席のどこかから、ひときわ場違いな叫び声が飛ぶ。


「ダニエルゥゥゥゥ!!」


 ――次の瞬間。


「てめぇ、シメんぞオラァァァァァァァ!!」


 弾けるような怒声。

 可憐なアイドルのものとは到底思えない、腹の底から響くドスの効いた声だった。


 会場が、凍る。


「……あっ」


 我に返ったニーナは、はっと口元を押さえた。


「ち、違……!  えっと、その……」


 慌てて取り繕うように、ぎこちなく笑顔を作る。


 ――が、遅い。先ほどまで拳を振り上げていた男たちは、今や別の意味で拳を握りしめていた。


「……最高かよ」


「今の声、録音した?」


「やっぱニーナは、“現役”だわ」


 ざわめきは、恐怖ではなく――さらに熱を帯びた、熱狂へと変わっていく。


「……え、ええと。今回は、どういった経緯で『チーム・ロイヤル』を立ち上げようと?」


「それはですね」


 マイクに乗る、澄んだ声。

 どこか芝居がかっていながらも、耳に心地よい響きだった。


 一拍置いて、ニーナは続ける。


「引退勢――いいえ、古い機関者でも、まだやれるってことを。世間に示すためですよ」


 いたずらっぽく笑い、肩をすくめる。


「……俺たちは、まだ走れる」


 飾り気のない言葉。

 だが、そこに迷いはなかった。

 冗談めかした態度とは裏腹に、手を抜くつもりなど微塵もない――その姿勢が、はっきりと伝わってくる。


 ニーナは、ふっと口元を吊り上げる。


「賞金は全部俺たちがもらうからな。覚悟しとけよ、そこのテメェら」


 その一言で、会場の空気がピリ、と張り詰めた。


「……ふっ、楽しみだな」


 静かに、シグルが呟く。


「ここまで言い切って負けたら、一体どんな言い訳をするんだろうな?」


 煽るように、にやりと笑う。

 だが――シグル自身は気づいていなかった。


 その笑みが、挑発よりもずっと、楽しさと期待に満ちたものだったことに。


「さぁて。熱狂が冷めやらぬまま、続いてはこちらのチームの登場です!」


 アナウンサーの声が、会場に響き渡る。


「“熱血”と“疾走”をコンビネーションで体現する、今大注目の――『チーム・山男ブラザーズ』!」


 チーム名とともに、観客席から歓声が湧き上がる。

 普段なら聞き慣れない名前なのに、この熱量――滅多に味わえるものではない。


「……なんだその、取ってつけたようなチーム名は」


 シグルは眉を寄せ、アナウンサーが読み上げる紹介文を冷めた目で睨む。


「やはり、我々は山岳向け機関者なので『山男』が良いと思いまして……!」


 ツヨシは胸を張り、誇らしげに頷く。

 全身から、自分の名づけたチームに対する愛と自信が溢れていた。


「……確かに方向性は間違ってないが、お前のネーミングセンスはどうかと思うぞ」


 シグルは小さく、誰にも聞こえない声で愚痴をこぼす。


「――次はこちら! 次鋒は、本大会にて初出場となる――シグル・ナガツキさんです!」


 名前が呼ばれるや否や、シグルはカメラから視線を逸らす。

 嫌そうに眉をひそめ、渋々ながらも歩を進める姿は、観客の期待と熱狂の波に少し戸惑っているかのようだった。


 だが――チームの編成は、まだ完全ではない。


 観客は気づいていないが、『チーム・山男ブラザーズ』のリーダーは、まだ姿を現していない。

 ツヨシは気にする素振りもなく、得意げに胸を張って熱気を楽しむ。


 シグルは淡々と歩きながらも、内心で小さく舌打ちする。


「……まだ来ないのか」


 二人だけでも存在感は充分に高まる。

 だが、本当の力――リーダーが加わるその瞬間に、チームの全貌がようやく明らかになるのだった。


 ――その時。


「――おっと、すまんすまん! 遅れてしまった!」


 突如、会場の喧騒に涼やかな声が混ざる。

 観客が一斉に振り向くと、そこには悠然と歩いてくる一人の機関者の姿。

 シグルの背筋に、緊張の糸がピクリと走る。


「……やっと来たのか」


 ようやく迎えた待ち人――リーダー、サトシ・オギノをシグルはじっと見つめる。

 安堵と苛立ちが、微妙に入り混じった表情。


「ロク兄ちゃん、遅いですよ!」


 ツヨシが膨れ面で迎える。


「悪い悪い。ちょっと途中で長話に捕まっちまってな」


 そう言いながら、サトシは軽く笑う。

 だがその瞳は鋭く、会場を見渡す眼光は決して衰えない。


「ふむ、なかなかの盛り上がりだ。さて、そろそろ始めるとするか――大会に、風穴を開けてやろうじゃないか、なあツヨシ」


 サトシはそのまま、シグルとツヨシの隣に立ち、三人で一列に並ぶ。

 観客の熱気はさらに高まり、割れんばかりの歓声が響き渡る。


「これより、チームの皆さんがコースのスタート地点へ移動されます。皆さま、盛大な拍手でお送りください!」


 司会者の呼びかけに合わせ、観客は声援をさらに大きくする。

 その熱気に押されるように、三人はスタート地点へ向かって歩き出す。


「さぁ、ツヨシ、シグル! 共に行こう!」


 サトシは二人の肩を軽く叩き、励ますように声をかける。

 ツヨシは嬉しそうに頷き、力強い足取りで前へ踏み出す。


 三人の背中からは、自信と情熱があふれているのが、確かにわかる。


 大会はいざ、始まりへ――己の限界を超える為に。


 5


 選手入場が終わると、会場には張り詰めた空気が満ちていった。


 先ほどまで渦を巻いていた観客のざわめきも、次第に遠のき、やがて静寂が訪れる。

 その静けさの中で、緊張が――細い糸のように、幾重にも張り巡らされていく。


 その糸を断ち切るかのように、スピーカーから力強い声が響いた。


「みなさま、大変長らくお待たせしました。本日のメインイベント――牽引力競争を、ただいまより開始いたします!」


 刹那、会場は割れんばかりの歓声に包まれた。

 興奮の波が押し寄せ、地鳴りのような振動が足元から伝わってくる。


 大会のルールは、至ってシンプルだ。

 競技はリレー方式。三人一組のチームが順に走り、総合記録を競う。

 誰か一人でも歯車が狂えば、記録は崩れる。

 さらに、有蓋車の重量次第では、優劣が一瞬で逆転する――それが、この競技の怖さだった。


「第一走者は、抽選箱から番号の書かれたボールを引いてください。番号の若い順に、重量の異なる有蓋車を任意で選択します。全員がスタートラインに立った時点で、競技開始となるので、お間違えなく」


 案内係の声には、抑えきれない高揚が滲んでいた。


 機関者たちは無言のまま、目を細める。

 その視線の奥には、戦場に立つ者だけが持つ、研ぎ澄まされた気迫が宿っている。


 シグルとツヨシも例外ではなかった。

 張りつめた緊張が、無意識のうちに背筋を伸ばさせていた。


「さて……何番が当たるかな〜♪」


 サトシは口元に薄く笑みを浮かべ、指先でボールを軽く転がす。

 遊んでいるようにも見えるその仕草の裏には、確かな計算と自信が隠れていた。


「俺たちには関係ない」


 シグルは腕を組み、淡々と前を見据える。


「どんな荷でも、引っ張っていくだけだ」


 表情は変わらない。

 だが、その目の奥には、鋭い光が宿っていた。


 抽選が進み、機関者たちは次々と有蓋車を選択していく。

 そして――その中で、ひときわ注目を集める選択がなされた。


「――1,600tだ」


「おーっと!  速報です! ゴウマ選手、最重量の有蓋車を選択!  これは大胆な戦略か!?  それとも、揺るぎない自信の表れか!?」


 司会者の声が会場に反響し、観客の息が一斉に詰まる。


 視線を一身に受けながらも、ゴウマは微動だにしない。

 ただ静かに、スタートラインへと歩みを進めていった。


「……やはり、ゴウマは流石だな」


 サトシが、深く息を吐きながら呟く。


「どんな状況でも、自分のペースを崩さない。それどころか……俺たちへの挑発とも取れる選択だ」


「でも、それでこそ――『INVERTER MAMMOTH LOCO』ですから」


 ツヨシは肩をすくめ、苦笑混じりに応じる。

 二人の視線は自然とコースへ向かい、迫る瞬間に備えていた。


「……で、サトシ」


 シグルが低く問いかける。


「お前は、どの重量を選んだ?」


 シグルの問いに、サトシは反射的にボールを後ろ手へ隠した。


 ほんの一瞬。だが、目線が泳いだ。

 その不自然な揺れは、防護無線のようにシグルの感覚を叩く。


「あ、あれだ……平均的な、ほら。まあ、普通のやつ、かな」


 言葉は慎重に選ばれている。

 だからこそ、その落ち着かなさが、余計に疑念を煽った。


「お前、まさか――」


 シグルの視線が鋭さを増す。


 それを察したサトシは、逃げるように身を翻し、声を張った。


「お、おい!  協賛のスポンサーボード見とけって! ほら、マークの位置とか!  ああいうの、そこそこ結構多分重要なんだぞ!」


「……なぜ今、スポンサーの話になる」


 シグルの声は低く、冷ややかだった。


「あそこ押さえとけば、万が一の時に助けが来るかもしれないだろ!?」


「……何を、意味の分からん事を」


 シグルは一歩詰める。


「お前、嘘ついてるだろう」


「な、何を根拠に――」


 サトシの視線が、宙を彷徨った。


「目が泳いでるぞ」


 鋭い視線が、針のように突き刺さる。

 だが、その瞬間――観客席から再び歓声が巻き起こった。


 二人は同時に言葉を切り、声のする方へ視線を向ける。


「おっと、ここで衝撃の展開! ニーナ選手、なんと最軽量の貨車を選択しました! これは予想外!  誰も読めなかった大胆な一手です!」


 司会者の声には、明確な動揺が混じっていた。


 会場がざわめく。

 だが、選手たちは動じない。各々が、静かに戦闘準備へ移行していく。


 シグルは、無言のままニーナを見据えた。


 最軽量の貨車に触れる手つき。背筋の僅かな傾き。呼吸の間合い。


 ――全部、計算済みだ。


「……あいつの定格出力、俺らの倍はあるだろ」


 シグルは眉間に皺を寄せる。


「軽荷なんぞ選ぶ理由がない。……舐めてるのか?」


「いんや、違う」


 横でサトシが即座に否定した。


「アイツが“楽だから”で選ぶわけがない。むしろ逆だ」


 ニーナは、軽量の有蓋車の前で、いつもの柔らかな笑みを浮かべている。

 だが、その奥には、強かな計算が確かに潜んでいた。


「奴の狙いは、速度と安定だ」


 サトシは続ける。


「重量で張り合うより、軽荷で一気に加速。最初の区間で、圧倒的な差をつける――そういう選択だ」


 シグルは内心で唸る。

 なるほど。これは挑発じゃない。

 徹底して無駄を削ぎ落とした、最適解だ。


 可憐な外見とは裏腹に、その判断は冷酷なほど合理的だった。


 観客席は、騒然としている。


「えっ、あれってアリなの?」


「ニーナって、出力ならゴウマ兄弟の次だろ?」


 期待と不安が混じった熱が、会場を包む。


 その中心で、ニーナは軽く両手を広げ、観客に向かって手を振った。


「皆さーん。応援、よろしくねん♪」


 一見、愛嬌のある仕草。

 だが、シグルの目には――どこか、引っかかる。


 僅かな動作の硬さ。

 ほんの一拍、遅れる重心移動。


 数値には出ない。

 だが、経験が告げていた。


「……何か、訳ありか」


 シグルは視線を戻し、横目でサトシを睨む。


「んで」


 低く、探りを入れるかのように問いかける。


「……重量は?」


「こちらですね」


 ツヨシが、まるで空気を読むという概念を知らないかのように、貨車を指さした。


 ――重い。

 掲示ボードに表示された数値は、ゴウマが選んだものに次ぐ、会場内二番目の重量だった。


「……サトシ」


 シグルは半眼のまま、ゆっくりと視線を向ける。


「どういうつもりか、説明してもらえるか?」


「い、いやいやいや!  待って!  早まらないで!? まだ人生に未練あるから!  殺さないで!」


「ちなみにですが」


 ツヨシが淡々と続ける。


「抽選番号は最後尾だったようでして。残っていた重量が、これしかなかったそうです」


 追撃だった。


 シグルは視線を外し、額に手を当てる。

 サトシの挙動、視線、無駄な誤魔化し――それらを一つずつ脳内で反芻する。


「……なるほど」


 小さく頷く。


「抽選は最後だったのか。それなら、原因はそのくじ運のなさだな」


「え、いや、その……」


「そうか、そうなんだな。それなら、仕方ない」


 声音は柔らかい。

 だが、背後に漂う何かを察し、サトシの顔が引きつった。


「……廃車回送なら任せておけ」


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!! それだけは!  それだけは、ご勘弁を!!」


 シグルは、にこりと笑った。


 だが、その笑顔には、微塵の安心感もない。

 あるのは、純度の高い圧だけだ。


「お前のくじ運のなさのせいで、二番目の重量を選ぶ羽目になったんだぞ!? ……責任取れよ」


 淡々と告げる。


「覚悟は、できてるんだろうな?」


「だから違うって言ってるだろ! 聞いてる!?  ねぇ、聞いてる!?」


 サトシは涙目で抗議したが、

 シグルはもう、完全に聞く気を失っていた。


「――まあ、いいさ」


 唇の端を吊り上げる。


「これで……お前の素晴らしい走りを見る楽しみが、増えた」


 サトシは顔面蒼白のまま、「……なんでそうなるんだよ……」と、かすれた声で呟く。


 その時。


「さあ、選手の皆さん。ご準備は、よろしいですか?」


 司会者の声が、張り詰めた空気を切り裂いた。


 ざわめきが止み、

 全員の視線が、一斉にコースへと集まる。


 ――始まる。


 機関者の意地とプライドが正面からぶつかり合う、夢の祭典が。


 サトシは深く息を吸い込み、人工肺の奥まで空気を送り込む。

 そして、迷いを振り払うように――ピシャリ、と両手で自らの頬を打った。


「……っしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」


 一瞬の静寂。


「ツヨシ、シグル、行くぞ!!」


 その声が、合図だった。


 張り詰めていた空気が、目に見えない波となって震える。

 観客の歓声がうねりを上げ、機関者たちの昂ぶりとぶつかり合う。


 熱。振動。期待と恐怖が、同時に押し寄せる。


 誰もが息を呑み、誰もが次の瞬間を待ち構える。


 ――そして。


 戦いの火蓋が、切って落とされた。


 6


「さあ、いよいよ――牽引力競争が始まります! 選手の皆さま、準備はよろしいでしょうか!?」


 司会者の声が、会場全体に響き渡る。


 割れんばかりの歓声の中、機関者たちは静かに、それぞれのポジションへとついた。

 ざわめきとは裏腹に、コース上の空気は研ぎ澄まされていく。


 視線の先にあるのは、遥か彼方に引かれたゴールライン。

 そこへ至るまでの距離が、やけに遠く感じられた。


 腰部に連結された貨車。それは、ただの貨物ではない。


 機関者としての存在意義。

 積み上げてきた力と誇り、そのすべてを背負う象徴だった。


「……みんな、頑張って」


 観客席では、アカリをはじめとしたロコモティ部の面々が、固唾を呑んで見守っている。

 誰もが声を張り上げたいのを堪え、ただ祈るように視線を向けていた。


 そのすぐ傍では、子供たちが小さな旗を振っている。

 色紙を切り貼りしただけの、いかにも手作りらしい応援旗だ。


「がんばれ、なの~!」


 元気な声が、場違いなほど無邪気に響く。


「……あれ?  君たちも応援?」


 声をかけたのは、ロコモティ部の一人だった。


「親御さんが見えないけど……もしかして、子供だけで来たの?」


 問いかけられた少女は、こくりと小さく首を傾ける。


 銀糸をコロネのようにくるくる巻いたツインテール。

 整いすぎるほど整った顔立ちは、まるで精巧な人形のようだった。


「うん。大丈夫よ♪」


 無邪気な笑み。

 だが、その目の奥に宿る光は、年相応とは言いがたいほど静かだった。


 彼女は、再びコースの方へと視線を向けた。

 ――まるで、これから起きる出来事を、すべて知っているかのように。


「……オトメちゃんたら、本当にどこへ行っちゃったのかしら」


 ぽつりと、もう一人の少女が呟く。


「『あたし一人で大丈夫!』だなんて……。もし、何かあったらどうしましょう」


 不安げな声とは裏腹に、その仕草はどこか落ち着いている。

 濡羽色のおかっぱがさらりと揺れ、透き通るような薄紅の瞳が、無言のまま観客席をなぞった。


 その姿は、現実感が希薄だ。

 まるで、この場だけが切り取られた別世界のように、淡く、儚い。


「あらあら……お友達、いなくなっちゃったの?」


 心配そうに、ロコモティ部の隊員が身を屈める。


 だが――少女たちは、まるで取り合わない。


「……大丈夫でしょ」


 三人目。

 金髪のツインテールを揺らし、無愛想に言い捨てる。


「どうせ、厄介ごとに首突っ込んで、今頃どっかで泣いてるだけよ」


 辛辣な言葉。

 だが、その声音には、突き放すような冷たさはなかった。


 三人は、ふと顔を見合わせる。


 言葉はない。

 だが、その視線には、疑いようのない信頼が宿っていた。


 ――この世界において、彼女たちは異質だった。


 誰かの勝利を願っているわけでもない。

 誰かの敗北を恐れているわけでもない。


 ただ、“起きるべきものが起きる事象”を、“ありのままの結果”を見届けるために、ここにいる。


 その佇まいは、未来を占う者というより――すでに結果を知った上で、頁をめくる観測者のそれに近かった。


 やがて、コース上に、張り詰めた沈黙が落ちる。


 その瞬間を、彼女たちは、確かに待っていた。



 一方――。


「うぉぉおおお!!  ダニエェェェェル!!」


 観客席最前列から、野太い咆哮が叩きつけられた。

 それはもはや歓声ではない。

 興奮と欲望が混じり合った、剥き出しの雄叫びだった。


「だ・か・ら!! ダニエルって呼ぶんじゃねぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 怒鳴り返す声が、スタートの合図とほぼ同時に響く。


 ――第一走者、発進。


 横一線で駆け出した機関者たちの中で、軽荷を牽くニーナが、半拍早く地を蹴った。


 一歩。

 たったそれだけで、差は決定的だった。


 牽引姿勢が安定したまま、速度が伸びる。

 貨車は振れず、音も乱れない。


 気づけば、他の選手たちを――置き去りにしていた。


「うおおおおおっ!!」


「はっや!?  マジかよ!」


 観客席が沸騰する。

 理屈も分析も吹き飛ばし、ただ“速い”という事実だけが場を支配していた。


「さあ、第一走者の牽引力競争が始まりました! 各選手、出だしはほぼ同時――しかし! 一気に前へ躍り出たのは『チーム・ロイヤル』、ニーナ選手!!」


 司会者の声が、興奮を煽るように跳ね上がる。


 一方の『チーム・山男ブラザーズ』、その第一走者――サトシはというと。


「お、お兄ちゃんだってやれば出来るんだ! ツヨシにばっか頼ってちゃ、兄ちゃんの名が廃るッ!」


 ……気合いは十分。

 だが、その裏には、どうしても拭えない“兄貴ぶった余裕”が滲んでいた。


 そのせいか、初動が鈍い。

 踏み込みが甘く、スタートは、ほんの一瞬――だが致命的に遅れた。


「ロク兄ちゃん!  ファイトですッ!」


 遥か向こう、第二走者の待機位置で、ツヨシが声を張り上げる。


「ああ!  任せておけぇぇぇ!!」


 返事だけは、やけに威勢がいい。


 だが――その意気込みは、数秒と持たなかった。


「ウ……ゴ……ゴゴゴォ……ッ!!」


 足が、上がらない。


 現役を退いて、すでに早ウン十年。

 そもそも彼の機体は、勾配線区向けにギア比を調整された設計だ。

 平坦区間での貨物輸送など、想定外もいいところ。


 ましてや――牽いているのは、超重量級の貨車。


 さらに言えば。

 この日のために整備こそ受けたものの、日頃から身体を酷使しているツヨシとは違い、サトシのそれは“使われなくなった年寄りの身体”だった。

 油は回っても、筋は鈍り、反応は遅い。

 とっくの昔に、限界線は越えている。


「……っ、ぬおおおおおお!!」


 雄叫びとともに、サトシは地面を蹴る。

 土煙が舞い上がり、足元が乱れる。


 それでも、止まらない。

 止まれない。


 一歩、また一歩。


 全身から、かつての栄光が剥がれ落ちていく。

 現役時代の軽やかさも、誇らしさも、今はもう影も形もない。


 あるのは――ただ、前に進もうとする泥臭い意地だけだ。


「……がんばれ」


 誰に向けたとも知れない、か細い声が、観客席のどこかから零れた。


 それは声援というより、祈りに近かった。


 そしてサトシは――その声に応えるように、歯を食いしばり、なおも重荷を引きずりながら、前へ進み続ける。


 たとえ、遅くても。

 たとえ、みっともなくても。


 ――ここが、自分の走る場所なのだと。


 その横を、ゴウマが颯爽と駆け抜けていく。


 定格出力――六千キロワット。

 狭軌という枠組みの中では、ケタ外れと呼ぶほかない数値だ。

 重量級の貨車を牽いているという事実すら、もはや意味を持たない。

 軸はぶれず、姿勢は崩れず、力は一切逃げない。


 地を抉るような一歩、一歩。

 その踏み込みが、そのまま「進める道」を刻んでいく。


 チーム『INVERTER MAMMOTH LOCO』のエース。

 現役引退という肩書きすら、この機関者には通用しない。

 誰よりも堂々と、誰よりも静かに――格の違いを見せつけていた。


「……やっぱり、あいつは」


 脚を動かしながら、サトシが小さく笑う。


「引退しても、化け物だなぁ」


 ――だが。

 観客席の一角から、ひそひそとした会話が漏れ聞こえてくる。

 そこには、どこか拭えない不穏さが滲んでいた。


「……てか、変電所、大丈夫なのか?」


「さあな。運営も妙に静かだけど」


「いや……静かすぎだろ。あの大出力で」


「まあ、フルノッチじゃないなら大丈夫じゃないか?」


 少し間を置いて、別の観客が声を潜める。


「なんでも、この日のために、手ぇ入れたらしいぞ……」


「……何を?」


「噂だけど、臨時で変電所を増強したとか、なんとか」


 一拍の沈黙。


「まあ……そこは、ほら」


「……ん?」


「お気に入りってやつだ。出資してるスポンサー陣も、どうしてもゴウマを勝たせたいんだろ」


「ああ……」


 誰も、その先を続けなかった。

 答えが分かっているからか――それとも、考えない方がいいと、本能が告げたからか。


 答え合わせなど、きっと誰も望んでいない。

 この光景そのものが、すでに“常識”の外側にあった。


 第二走者たちの待機エリアでは、言葉の代わりに、緊張だけが火花を散らしている。


 その中へ、サトシが転がり込むようにして駆け込んできた。

 脚は震え、姿勢も崩れかけている。

 それでも――まだ、折れてはいない。


「ツヨシ……後は、頼む……!」


 掠れた声。それでも、確かな意思が宿っていた。


「もちろんです、ロク兄ちゃん!!」


 ツヨシは一瞬の迷いもなく頷く。

 パンタグラフを展開し、手慣れた動作で、連結器のナックルを噛み合わせる。続けてブレーキ管ホースを確実に接続した。


 金属音が、短く乾いた余韻を残す。

 次の走者へ――力と責任が、確かに受け渡された。


 その横では、すでに交代を終えたゴウキが、次の区間へ向けて静かに走り出していた。

 長兄・ゴウマと比べれば、その走りに荒々しさはない。

 だが、内側で燃やす熱量まで失われたわけではなかった。


 ツヨシは、ほんの一瞬だけ視線を送る。

 それ以上は比べない。

 ただ前を見据え、自分の役目に集中する。



「うーん……ちょっと、これはまずいかも……なの」


 観客席で、コロネ髪の少女が小さく呟いた。


「……お姉ちゃん、どうして?」


 おかっぱの少女が首を傾げる。

 問いは投げられたが、明確な答えは返らない。


 代わりに、ツインテールの少女が、呆れたように肩を竦めた。


「また始まったのね。“不吉な予感”」


「だって……このかんじ……。なんとな~く、ヤなよかんが……するの」


 言葉を濁しながら、少女は視線をコースへ戻す。

 そこに映るのは、静かに――あまりにも静かに走り出したツヨシの背中だった。


 第二走者は、先行するキヌヨに続き、ゴウキが追随する。

 さらにその後ろから、他の第二走者たちが連なる。


 第一走者が築いた差は大きい。

 追いつくには、決して容易ではない距離だ。


 それでも、ゴウキの足は止まらない。

 焦らず、急がず。

 一歩ずつ、確実に――一位を走るキヌヨとの差を削っていく。


「……流石だ」


 誰かが、思わず漏らした。


 その走りは、力強さとしなやかさを併せ持っていた。

 粗暴さはなく、無駄もない。

 理にかなったフォームで、重荷を背負いながらも軽やかに前へ出る。


「悪いが――一位は、オレたち『INVERTER MAMMOTH LOCO』がもらう!!」


 一瞬だけ、ゴウキの表情に焦りが滲む。

 だが、すぐにそれは消えた。


 兄から託された責任。

 そして――エースの弟としての矜持。


 簡単に負けるわけにはいかない。

 そう言い聞かせるように、ゴウキはさらに速度を乗せる。


 少しずつ、だが確実に。

 一位との差は、目に見えて縮まり始めていた。


 新型のゴウキ。旧式のキヌヨ。


 ――出力の差は、もはや比べるまでもない。

 比べられるのは、積まれた力と、それをどう使うかだけだ。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉああああああ!!」


 ツヨシが咆哮とともに、大地を力強く蹴った。

 気合いだけで走っているわけではない。

 低速ギアだから高速運転ができない――そんな理屈を、いつ誰が決めたのか。


 引退から、早三十年。

 あの峠を失ってなお、ツヨシの速度感覚は一切鈍っていない。

 一歩、二歩、三歩。

 踏み込みは正確で、力の逃げもない。


 その走りは、老いたなどという言葉を、最初から拒絶していた。


 だが――現実は、時に容赦がない。


 前を行くゴウキの背を捉えようと、ツヨシはさらに速度を上げる。

 ギアを噛みしめ、地面を削るようにして、加速を試みた。


 それでも、距離は思うようには、縮まらない。

 むしろ、少しずつ離されていく感覚があった。


「もっと……もっと、速く走らなくては……!」


 歯を食いしばる。

 踏み込む度に、膝が悲鳴を上げる。

 関節の機構が軋み、微かに焦げた匂いが混ざり始めていた。


 だが、その瞬間だった。


 踏み込もうとした脚が、僅かに――ほんの一瞬、躊躇う。

 出力は出ている。制御もすべて正常だ。


 それなのに。視界の端が、突然暗く沈んだ。


 ――違う。ここは、平坦区間だ。


 そう理解しているはずなのに、脳裏に焼き付いた光景が、現実を上書きする。


 急激に身体が落ちていく感覚。

 視界が狭まり、トンネルの壁が迫り、身体を打ちつけ、擦り削られる感触が蘇る。


 抑速をかけているはずなのに、速度だけが裏切る。

 制動を無視して、針が狂ったように跳ね上がる錯覚。


 回路が悲鳴を上げる。次の瞬間、短絡。

 焼け付くような電流が、一気に全身を貫いた。


 ――そんな一瞬蘇る記憶。


「……っ!」


 ツヨシの脚が、止まった。


 ほんの一拍。

 だが、競技の中では致命的な“空白”だった。


 踏み出せない。

 命令は出しているのに、駆動が拒絶する。


 ――また、同じだ。あの時と。


 喉の奥が、ひくりと引き攣る。

 平坦なはずの線路が、酷く歪んで見える。


 その背後で、歓声が大きく揺れた。

 だが――その中に、明らかに異質な音が混じる。


「ツヨシのバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!! 止まるんじゃないわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」


 甲高く、切羽詰まり、そして遠慮の欠片もない声。


「いだぁぁぁぁぁぁぁぁぁいッ!?」


 そこに別の悲鳴が、間抜けに重なる。

 思わず、反射的にそちらを振り返った。


 視界に飛び込んできたのは――金髪ツインテールの少女が、四つん這いの青年を踏み台にし、身を乗り出して全力で叫んでいる、というあまりにもカオスな光景だった。


「せ、先輩……ッ!? な、何故そのテントに……!」


 少女――オトメは、『INVERTER MAMMOTH LOCO』のパーソナルテントの中から、怒鳴るように叫び返す。


「ここは峠じゃないでしょ!? “上り線”でもなければ、トンネルもない! なのに何を一人で止まってんのよ!!」


 ぐっと、ツヨシの胸奥が締め付けられる。


「……っ!」


「抑速も! 短絡も! 要らないの! 今あんたがやるのは――前に進むことだけ!!」


 金髪の少女が踏み台にしていた青年――それは紛れもなく、ロコモティ部新人隊員・セイジだった。


「ちょ、ちょっと待ってください!? ちょ、痛いから! な、なんで俺がこんな目に……」


「動くな!! 今いい高さなの!!」


「良くないです!! 首! 首に、体重かかってますって!!」


 オトメはセイジの背中を遠慮なくブーツで踏みしめながら、なおもコースへ向けて叫び続ける。


「いい!? ツヨシ!! あんたが今感じてるそれ、全部“昔”!!」


「……っ」


「ここは平坦! 制限もない! 66.4‰の勾配もない! ブレーキ壊れるほど踏み込む必要なんて、どこにもないの!!」


 その言葉が、ツヨシの耳を真っ直ぐ貫いた。


「……ここは……」


 セイジは、踏まれたまま必死に顔を上げる。


「オ、オトメさぁぁぁぁぁぁん! もう、降りてぇぇぇぇ!!」


 一瞬、間があった。


 次の瞬間――ツヨシの足が、迷いなく地面を噛んだ。


「……すみません、先輩」


 誰に向けた言葉かは、分からない。

 だが、その一歩は、もう過去に引きずられていなかった。


 その様子を見て、オトメはようやく満足したように息を吐く。


「……ほらね」


「だ、だからって俺を踏み台にする必要は――」


「あるに決まってるでしょ。高さは正義よ」


「正義の使い方が雑すぎませんか!?」


 だが、その声は、

 再び大きくなる歓声に掻き消されていった。


 7


「いだぁぁぁぁぁぁぁぁぁいッ!?」


 その悲鳴が届いた瞬間、アカリは反射的に立ち上がっていた。


「な……っ!?」


 周囲の観客から苦情が飛びかねないほど身を乗り出し、必死にコース脇を覗き込む。

 そこに広がっていたのは――もはや説明を拒むような、奇天烈極まる光景だった。


 金髪ツインテールの少女――オトメが、パーソナルテントから半身を乗り出し、ツヨシへ向けて檄を飛ばしている。


 その足元では、当のセイジが見事な四つん這い。

 背中には、遠慮という概念を置き忘れた重量が、これでもかと乗せられている。


 完全なるカオスだった。


「セイジったら、強豪チームのテントに、ちゃっかり潜り込んでただなんて……!」


 アカリとほぼ同時に、勢いよく立ち上がった金髪ツインテールの少女――アーデルハイデ。


「――チヨ姉、アタシ行ってくる!」


 だが。


「――およしなさい、アーデルハイデちゃん」


 たおやかながら、はっきりとした圧を帯びた声が、妹の動きを制した。


 濡羽色のおかっぱの少女は席を立つことなく、ただ真剣な眼差しでコースを見据えている。


「見てご覧なさい。あのツヨシさん……まるで、別人のように走っているわ」


「……でも……」


「いいの。オトメちゃんも、きっとじじょうがあって、あそこにいるの」


 言葉を継いだのは、コロネの少女だった。

 いつもより少しだけ背筋を伸ばし、落ち着いた声音でコースを指す。


「あのこには、あのこなりのかんがえがあるの。だから……いま、わたしたちがかいにゅぅすべきじゃない。そうでしょ?」


 舌足らずな口調とは裏腹に、その理屈はあまりにも的確だった。


 アーデルハイデは、ぐっと唇を噛みしめる。


「……悔しいけど。その通り、かも……」


 不承不承、席に戻る。


 一方、コース上。


 ツヨシは歯を食いしばり、ひたすら前を見据えて走り続けていた。

 背後では、他の第二走者たちが着実に距離を詰めてくる。

 中には、その勢いのまま追い抜きを狙う機関者もいる。


「ぐぅ……っ、耐えろ……!」


 軋む関節。熱を帯びる脚部。

 それでも、脚は止まらない。


 やがて――ツヨシの視線が、前方に設けられた交代地点を捉えた。


 待ち受けているのは、第三走者。

 シグル。


 かつて線区は違えど、お互い勾配と向き合い、同じ重みを背負って走ってきた存在。


 視線が、交錯する。


「来い」


 その一言で――ツヨシの全身に、再び火が灯った。


 8


 現在の暫定順位はこうだ。


 第一位『チーム・ロイヤル』、第二位『INVERTER MAMMOTH LOCO』、……そして第五位に『チーム・山男ブラザーズ』が付けている。


 抜きつ抜かれつの接戦。

 序盤は『チーム・ロイヤル』が独走するかに見えたが、差はじわじわと詰まりつつあった。

 ついに両チームの車列が並走する。

 キヌヨはふと横目でゴウキを確認し、淡い微笑を浮かべる。


「流石ね。旧型の私の出力じゃ、とても及ばないわ……」


 微笑の奥に、尊敬と確かな手ごたえが覗いた。


 ゴウキは応えない。

 前方をただ睨み、脚部を通して伝わる負荷の変化を、無感情に拾い上げていた。

 電流値は安定。余力も十分すぎるほど残っている。

 理屈の上では、何一つ問題はない。

 このまま進めば、逆転は確実だった。


「……みなさん、勝負はここからですよ」


 低く漏れた声。

 先ほどまで足を止めていたとは思えない勢いで、背後から迫る影がある。ツヨシだ。

 その一言には、背負う者として選び続けてきた矜持が滲んでいた。


 さらにその先。

 交代地点では、第三走者たちがすでに身構えて待機している。


「うぉぉぉぉ!! ゴウキにぃちゃ――ん! 頑張れぇぇぇぇぇぇ!!」


『INVERTER MAMMOTH LOCO』第三走者、漆黒を纏ったゴウヤの声が割れる。

 両腕を大きく振り、全身で声援を叩きつけてくる様は、もはや儀式めいていた。


 神託を告げる預言者のような熱量。

 だが、その声を受け取るゴウキはというと――一瞬だけ視線を向け、冷え切った目でそれを流すだけだった。


 無言。無表情。

 反応はない。


 あるのはただ、己の役目を果たすために走るという行為だけだった。


 無駄な摩擦を徹底的に排した走行。

 精密機械のように、静かに、整然と進む。


 その背を、他の第三走者たちは見つめていた。

 歯痒さ。羨望。

 そして、否定しようのない敬意。


 絡み合った感情が、目に見えない圧となって、空気を重くする。


「……これが、機関者の真髄か」


 誰かが呟く。

 否定する者はいない。


 彼らにとって、ゴウキはもはや“競う相手”ではなかった。

 理想として語られてきた機関者像が、現実としてそこに在る。


 届かないと理解してしまった瞬間の感動と、無力感。

 その二律背反を胸に抱え、彼らは歯を食いしばるしかなかった。


 だが。その畏敬の空気は、次の瞬間、音もなく霧散する。


 第三走者。ゴウヤ。


 ――次の瞬間だった。


 ギュルルルル……ギギギギギギィィィッ!!


 甲高い異音が、張り詰めていた空気を無遠慮に引き裂く。


「――兄ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!! 空転して進まないよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!」


 背中越しに響く、切羽詰まった叫び。


 完璧だったはずのバトンが、大きく揺らぐ。


「……やはり、か」


 ゴウキは、声色一つ変えない。

 状況を嘆くでも、焦るでもなく、ただ事実として受け止める。


 想定内だと言わんばかりに。


 その隙を逃すまいと、第三走者にすべてを託した各チームが、一斉に捲りにかかる。


『INVERTER MAMMOTH LOCO』

 築き上げてきた優勢が、音もなく、しかし確実に崩れていった。


 それを見届けるゴウキは、なおも無言だった。

 表情一つ変えず、ただ事実として、その推移を受け入れている。


「――おおっと、これは!! ななな、なんと!? 『INVERTER MAMMOTH LOCO』の牙城が崩れました!! ゴウヤ選手、ままままままさかの空転!! 一体、何が起きているのでしょうか!?」


 司会者の声が、驚愕と混乱を孕んだまま、会場全体に響き渡る。


 観客席では、歓声とどよめきが混ざり合い、波のように押し寄せていた。


「……空転?」


 誰かが呆然と呟く。

 だが、その疑問に答える者はいない。


 なぜならそれは、本来“起きてはならない”事象だったからだ。


「待てよ……ゴウヤって、確か……」


 ひそやかな声が、観客席の一角から漏れる。


「空転ばっかりで、結局、製品化されなかったって」


 空気が、一瞬だけ凍る。


「え、じゃあ最初から勝負にならないじゃん。なんで大会に出そうなんて思ったんだ?」


「それ、本人に言ってやれよ」


 隣から返ってきた声は、投げやりで、どこか疲れていた。


「無力なことにも気付かずに参加してさ。それで本番で晒し者になって――ゴウマとゴウキが、あんなに必死に繋いできた走りも、全部台無しだ」


 言葉には、感情がない。

 ただ事実だけが、刃物のように並べられていた。


「……身内を苦しめるのが趣味なのかよ。ゴウヤって奴」


「――それは、違うのではなくて?」


 澄んだ声が、静かにその会話を断ち切る。

 声の主は、濡羽色のおかっぱの少女だった。

 彼女はコースから視線を外さないまま、言葉を継ぐ。


「ゴウマさんも、ゴウキさんも。ゴウヤさんのことをちゃんと知った上で、チームに迎え入れたはずよ」


「……だから、何だって言うのよ」


 苛立ちを隠そうともしない声で、アーデルハイデが吐き捨てる。


 少女は一瞬だけ言葉を探すように黙り、やがて静かに答えた。


「……きっと、伝えたかったのだと思うわ」


「伝える? 何を?」


「それは……分からないわ」


 少女は正直にそう言い、ほんの少しだけ声を落とす。


「でも、誰かにとって大切なもの。ゴウマさんとゴウキさんの“心”が、込められている何か――それだけは、確かだと思うの」


「そんな曖昧な話じゃ納得できないわよ」


 だが少女は、反論しなかった。


「信じるかどうかは……アーデルハイデちゃん、あなた次第よ」


 その頃、コース上では。


 ツヨシが最後の力を振り絞り、交代地点へと雪崩れ込んでいた。

 背に受ける風は、懐かしい感触を帯びている。


 あの日と同じではない。

 だが確かに――“峠”の匂いがした。


「シグルさん!! お願いします!!」


 その声が届いた瞬間、シグルの口元が、わずかに吊り上がる。


「――任せとけ」


 間髪入れず、バトンが渡される。

 正確に、迅速に。


 連結器を噛ませ、ブレーキ管のホースを接続、同時に踏み出す――だが。


 身体が、わずかに傾いた。


「……なっ!?」


 想定していた重量と、明らかに違う。

 違和感は、予測の範疇を軽々と超えていた。


「サトシィィィッ!! てめぇぇぇぇ!! 絶対に許さねぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 怒号が、咆哮となって炸裂する。


 9


 シグルの怒りを知ってか知らずか。

 遠く離れたパーソナルテントで、件のサトシは椅子に腰を下ろし、ぼんやりと宙を見ていた。


「……なんか今、シグルの声が聞こえたような」


 気のせいか、と首を傾げる。


 現役を退いて久しく、すでに第一線からは遠ざかった身だ。さっきの全力疾走はかなり堪えた。

 鉄の身体ですら、想像以上の負担がかかっている。


「ツヨシの頼みだからって、安易に引き受けるべきじゃなかったな……」


 誰に聞かせるでもない愚痴。

 だが、その独り言を拾う者がいた。


「本当よ。まさか、あんたまで出場するとは思わなかったわ」


「うげぇ」


 サトシは露骨に顔をしかめる。

 顔を上げると、案の定――そこにはオトメが立っていた。


「何の用だ! 俺に用があるなら、ツヨシを通してくれ!」


「残念だけど、あいつに用はないの。あんたは黙って座ってなさいな」


 ぴしゃりと言い放ち、オトメはサトシの正面の椅子に腰を下ろす。

 腕を組み、軽く周囲を見渡す。まるで最初からここにいたかのような、図々しいほど自然な座り方だった。


「……で、なんの資格があって、俺たちのテントに来ちゃってんだい、お婆ちゃん?」


 挑発のつもりで放った言葉は、当然のように無視された。


 返事はない。


 サトシは心の中で溜息をつく。この小娘は、人の話を聞かない。


「……あのな、俺はもう引退した身で――」


「分かってるわよ。そんなこと」


 即答だった。


 だが、その言葉に重みはない。

 分かっていて、なお関わってくる。そういう厄介な性質なのだ。

 妖怪みたいなものだ、とサトシは思う。腹が立つ。


「だったら、なんなんだ。まず用件を話せ。それが筋ってもんだろ」


 そう指摘すると、オトメの視線が一瞬だけ泳いだ。


「……あいつは――ツヨシは、まだあの峠に縛られてる。もう部分廃線になって三十年も経つのに」


 どこか独白に近い声音だった。

 誰かに聞かせるというより、自分に言い聞かせるような。


「それは、お前だって同じだろ。他に行く宛なんかない癖に」


 サトシは眉をひそめた。言葉の真意が読めない。

 だが、問いに対する答えは返ってこない。


「……そうね」


 オトメは小さく息を吐く。


「あたしも、どこにも行けずにあの峠に囚われてる」


 少しだけ視線を落とす。


「あいつに居場所を追われて、それでも離れられなかった。……気がつけば、峠そのものがなくなってた」


 静かに、言葉が落ちる。


「あの峠に囚われてるのは……あたしの方なのかも」


「だろうな」


 サトシは荒く息を吐いた。


「俺に言っても、何も変わらん。用があるなら、直接ツヨシに伝えろ。お前の言葉なら、真っ直ぐ聞きいれてくれる」


 オトメは黙って顔を上げた。


 その目には、いつもの怒りも、挑発もない。

 ただ、妙に澄んだ光が宿っていた。


「……分かったわ」


 ***


「――オオォォオラァァァァアアアア!!」


 次の瞬間。

 絶叫とともに、シグルが大地を踏み砕く勢いで走り出す。


 重い。

 とにかく、重い。


 想定を超えた負荷が人工筋肉を軋ませ、関節部に歪みを走らせる。

 それでも――それらすべてを押し潰すほどの熱量が、彼の内側で渦を巻いていた。


「終わったら……覚えてやがれぇぇえ!!」


 怒りが、そのまま燃料になる。

 踏み込むたびに速度が上がり、出力が跳ね上がる。


 ゴウマが刻んだ最高記録へ、シグルの走りが肉薄していく。


 だが――それでも、なお前を行く影があった。


 現時点でのトップ。

『チーム・ロイヤル』の第三走者――ヨシコ。


 驚くべきことに、その走行速度は、シグルをわずかに上回っていた。


 安定している。揺れがない。無理の兆候すら、見えない。


 その光景に、観客席からため息混じりの称賛が漏れる。


「はぁ~……やっぱ教祖様は別格だなー」


 誰かが呟いた。


「いやいや、まだだろ。あれで本領発揮なんて、とても言えねぇよ……」


 歯切れの悪い声が途切れる。


 その視線は、ただ前を走る“頂点”の背を追っていた。


 ゴールまで、残り百八十メートル。

 距離そのものは、ほとんど残っていない。



 だが――そこに何が起き得るかを、誰より理解しているのはシグル自身だった。


 その時だった。


「――……あ、駄目」


 先行するヨシコの声が揺れる。

 誰に聞かせるでもない。


 胸の奥から漏れた、警告にも似た囁き。


 次の瞬間、静かな衝撃が彼女を貫いた。


「……残念だけれど、これ以上はもう走れないわ」


 完璧だったはずの走りに、唐突な“異常”が芽生える。

 そして――ブレーキ。


「――おおっと、ヨシコ選手の足が止まったぁぁぁ!? 一体何が起こったのでしょうか!!」


 実況の絶叫が会場を揺らす。

 観客席がどよめき、歓声と悲鳴が入り混じった。


 その喧騒から切り離されたように。

『チーム・山男』のパーソナルテント裏で、ツヨシは拳を握り締める。


「ようやく……震えが治った」


 張り詰めていた息が、遅れて漏れる。


「ちょっと、あんた」


 すぐ後ろから、冷えた声。


「……先輩」


 ツヨシが振り返る。


「なんで止まったのよ。あのままなら、いけてたでしょ?」


 オトメが険しい顔で、椅子に座る彼を見下ろしていた。

 問いは単純だが、刃のように鋭い。


 あの一瞬。

 ツヨシが確かに“迷った”ことだけは、誰の目にも明らかだった。


「……怖くなったのかもしれないですね。我々にはもう、走る資格も、価値も……ないのかと」


 言い終わるより早く、オトメが切り捨てる。


「はぁぁぁ? 資格? 価値?」


 嘲りでも、怒りでもない。

 ただ、心底呆れた声で言った。


「そんなの、誰が決めたのよ?」


 ツヨシは答えられない。

 その瞬間――視界の端を、シグルが咆哮と共に駆け抜けた。


「おらぁあぁあぁあッ!!」


 重荷を背負ってなお、踏み込みは鈍らない。

 地面を叩く足取りは、ただひたすらに力強い。

 その走りに、ヨシコの視線が一瞬だけ揺れた。


 ゴールまでは、もう僅か。

 だがヨシコの脚は動かない。

 その傍を、後続のチームが次々と抜けていく。


「――あら、また来てくれたのね」


 ふと、そんな言葉が胸の奥で蘇る。


 視界の遥か向こう。

 追い抜いていく“影”を、ヨシコは静かに受け入れていた。


 10


 ゴールは、もう目の前だった。


 残り十メートル。たったの十メートル。

 その瞬間だった。


「なっ……!?」


 背後から、風が迫る。振り向く間もない。

 横から影が滑り込んだ。


 先程まで空転を繰り返していたはずの、『INVERTER MAMMOTH LOCO』第三走者――ゴウヤ。


 小さな身体を前へ叩きつけるように、鬼気迫る勢いでシグルの横へ並ぶ。


「うおおおおおおッ!!」


 咆哮が地面を震わせた。


「な、なんとぉぉぉ!? 先程まで空転を繰り返していたゴウヤ選手が、最後の最後で一気にシグル選手へ並んだぁぁぁ!!」


 絶叫が会場を劈く。


「ん、んな……マジか……」


 シグルの脚が軋む。

 ゴールまで、あと九メートル。

 まさに、あと一歩というところで――追いつかれた。


「――おれ、一位取ったらオトメちゃんとデートするんだぁぁぁぁッ!!」


 ゴウヤの雄叫びが空を震わせる。


「……は、若いな」


 喉の人工弁が軋む。

 人工臓器の冷却系が警告めいた熱を帯びる。


 循環する不凍液の圧力が、限界域へ達していた。


 それでも――足は止めない。


「させるかよ」


 喉まで込み上げた叫びを押し殺し、ただ地面を蹴る。

 もう、五メートルもない。


 視界の端で、ゴウヤがわずかに前へ出る。

 だがシグルも食らいつく。


 脚が悲鳴を上げても、踏み込みだけは緩めない。


 間に合え。


 間に合ってくれ――!


「おおっとぉぉッ!! シグル選手!! 踏みとどまるッ!! どちらが先にゴールを踏むのか!?」


 実況が雷鳴のように轟いた。

 その刹那。


「――……ッ!?」


 風が変わる。

 背後から押し寄せていた圧力が、突然膨れ上がった。


「おらぁぁぁぁぁぁあぁぁッ!!」


 吠える。


 瞬間――大地を削るような踏み込みと共に、シグルが爆発的に加速した。


 限界を越えた出力が、脚部駆動へ叩き込まれる。

 モーターの力が、人工筋肉を通して一気に解き放たれた。


『モーターの出力を、どう人工筋肉へ伝えるか。そこが勝負です』


 ツヨシの声が、ふと脳裏をよぎる。


 考えたわけじゃない。

 身体が、勝手に応えただけだ。


「……こりゃ、整備班に怒鳴られるな」


 ラスト一歩。

 振り払うように、足を踏み出す。


 次の瞬間――二人の爪先が、同時にゴールラインを弾いた。

 白線が、靴底の下で跳ねる。


 一瞬、空白が落ちた。

 静寂。実況すら息を止める。


 そして――。


「ゴォォォォォォォォルッ!! 両チームとも、ほぼ同着ッ!!」


 会場が爆発した。

 歓声と悲鳴がぶつかり合い、観客席が一斉に立ち上がる。

 もはや収拾などつかない。


「うっそだろ……おい……」


『INVERTER MAMMOTH LOCO』のパーソナルテント。

 セイジは、目の前のテーブルを蹴飛ばす勢いで立ち上がったまま、ただゴールを見つめていた。


 会場の熱気とは裏腹に、運営による厳格なビデオ判定が始まる。

 だがシグルは、そんな様子を横目に見ただけだった。


 結果など、どうでもいい。

 今はただ――脚部から立ち上る陽炎の方が気になる。


「にぃちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!! おれ、走れたよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」


 ゴウヤが兄二人の元へ駆けていくのを、視界の隅で捉える。


「……さて」


 シグルは息を一つ吐いた。

 掲げていたパンタグラフを下げ、そのまま踵を返す。


 向かう先は――決まっていた。


「シグルさん、お待ちしていました!」


 相変わらずむさ苦しい。

『チーム・山男ブラザーズ』のテントは、会場よりも明らかに熱量が高かった。


「いい加減、その暑苦しい歓迎やめろよ」


 冗談とも本気ともつかない声が漏れる。


「いいじゃないか。こんな日くらいは」


 サトシが朗らかに笑った。

 その笑顔へ、シグルは無造作に拳を突き出す。


「……ごちそうさん、ってことでよろしく頼む」


「ああ、勿論」


 拳と拳が、軽く音を立てた。

 それだけで、十分だった。


 11


 牽引力競争の勝者は――『INVERTER MAMMOTH LOCO』。

 僅差で、ゴウヤの爪先がシグルを上回った、と審判は告げた。


 だが、その差など、もう問題ではない。


 旧型の機関者が、新型の機関者と肩を並べた。

 それだけで十分だった。


「――シグル!!」


 観客席から、アカリが勢いよく駆け寄ってくる。


「ご苦労さま、シグル」


 小さく肩を叩かれた。


「……ふん。僅差で負けたらしいがな」


「流石の走りでしたよ。我々だけでは、あれだけの粘りは絶対に出せなかった」


 ツヨシが静かに言った。


「俺ひとりの力じゃねぇよ。……全員で勝ち取ったんだろうが」


 その時、前方から夕風が吹いた。


「……それじゃあね、あんた達」


 ツインテールが、夕暮れの風に揺れる。

 静かな笑みを残したまま、オトメは『INVERTER MAMMOTH LOCO』のテントを後にした。


 その背中を、ゴウマ兄弟はしばらく黙って見送っていた。


「……良かったのか、ゴウヤ。せっかくデートへ誘える機会だったというのに」


 低く、諭す声。


「分かってるやい、そんな事……。だって、オトメちゃんが本当に好きなのは――」


 ゴウヤは俯いた。


「ああ、そうだな。……だが、確証はない」


 ゴウマがそう言った時、オトメはすでに歩き出していた。


「――先輩ッ!!」


 夕陽を背に、ツヨシが呼びかける。

 振り返ったオトメの横顔を、夕焼けが照らしていた。


「何よ」


 ぶっきらぼうに返すと、ツヨシは深く息を吸う。

 拳を握りしめて言った。


「ありがとうございました。おかげで、心の整理がつきました」


「へぇ。それは、結構なこと」


 オトメが小さく笑う。

 ツヨシは深く頭を下げた。


「……それじゃあね。もう会う事もないと思うけれど」


 ツヨシが小さく頷く。

 オトメはそのまま歩き出し、姉たちの待つ観客席へ向かった。


 夕焼けは、どこまでも鮮やかなままだ。

 その眩しさを胸に、ツヨシは静かにテントへ戻っていった。


 ***


 ロコモティ部の共有ラウンジ。

 壁掛けテレビの下で、シグルは一人コーヒーを飲んでいた。


「――午後五時の特集はこちら!」


 明るいジングルとともに、番組が切り替わる。


「先日行われた機関者による牽引力競争。そこで大きな注目を集めたチームをご紹介します!」


 画面には、思い思いに並ぶ選手たちの姿。


「旧型機関者が新型と互角の走りを見せたあの激戦! その中心こそが、『チーム・山男ブラザーズ』です!」


 画面が切り替わる。


「――いやぁ、それはもう必死でした」


 サトシが、いつもの胡散臭い笑顔でインタビューに答えていた。

 フラッシュが焚かれ、カメラマンが指示を飛ばす。


「俺たち、引退してもう三十年ですからねぇ。初めは普通に走るところから練習しましたよ~」


 シグルは、黙ってその様子を眺めていた。

 カップに口をつける。


「……何が“必死でした”だ」


 小さく鼻を鳴らす。


「お前のせいで、こっちは街もまともに歩けねぇんだぞ」


 カップを静かに置く。

 シグルは席を立ち、部屋を後にする。


 扉を開けると、廊下にセイジが立っていた。


「――よう、シグル」


 セイジはすでに装備を整えている。

 夜行演出の準備らしい。


「俺も後で合流する。装備を整えてく――」


 言いかけて、シグルはピタリと止まった。


「何か言いたそうな顔だが。用があるなら早くしろ」


「いや、なんだ。何ていうか……」


 落ち着かない様子のセイジ。

 そこへ、ひょいとアカリが顔を出した。


「シグル~、整備班が呼んでるわよ~。……うん?」


 二人の微妙な空気を察したのか、アカリは即座にシグルの腕をつかみ、歩き出す。


「……シグル、なんかセイジにした?」


 半ば引きずられる形で、シグルは連れ去られていく。


「してねーよ!? するわけねーだろ!!」


「……じゃあ何よ。セイジのあの態度、告白前の男子みたいじゃないの」


「知らねぇわ!」


 二人の背中が廊下の向こうに消えていく。

 セイジは、その後ろ姿をしばらく見送っていた。


 やがて、小さく呟く。


「……シグルの走り、かっこよかったぜ」


 拳を握る。

 そして、天に向かって突き上げた。

本編より面白いと評判(作者の中でのみ)

書いてて楽しかったのは事実なのでおk

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
Xからお邪魔しました! 一気に最新話まで読ませていただきました めちゃくちゃ胸が熱くなり、ラストのセリフがぐっときました…… 最高に面白いです! ☆とブクマを入れさせて頂きました! これからも楽しみ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ