HLC64-1030
痛む体を引きずりながら、それでも前へ進む。
溶けかけた雪が、細い線のように足跡を引いていく。
「――アカリ……!」
セイジは、ただ前へ走る。
靴底が雪を踏みしめる感触だけが、かろうじて現実。それが、自分がまだ“ここにいる”証明だった。
雪原の先に、視界が開ける。
瓦礫の山。倒れた人影。
そして、異様なまでに鮮やかな赤。
どれもが現実感を持たないまま、ただそこに在った。
「……シグル……」
掠れた声。雪の中に、彼は跪いていた。
――FKG-DWZ-α01改。その刃に、血が伝っている。
足元には、ミナト高官の首と、崩れ落ちた身体だけ。
「……そんな」
セイジの呼吸が乱れる。
力が抜けていく。
「お前……」
言葉が続かない。
喉の奥で、意味にならない音だけが詰まる。
「……やったのか……」
膝が落ちる寸前で止まる。
それでも、もう支えきれない。
「――シグル!」
声が、雪原に裂けるように落ちた。
肩が跳ね、シグルが顔を上げた。
その瞳が、ゆっくりと焦点を取り戻していく。
「ああ……セイジ」
かすれた声。
それは、ひとつの命を断った者の声だった。
「お前まで巻き込んじまったな」
雪が降りしきる。季節を忘れた春の雪だ。音もなく、ただ静かに。
その白の中で、シグルは再び俯いた。
「シグル」
セイジは声を絞った。
「どうして、こんなことを」
問いかけながら、分かっていた。
答えなど、求めていない。
「お前が手を汚す必要なんて、なかったのに」
「……悪い、セイジ」
ぽつりと落ちた謝罪が、胸を抉る。
分かってる。その一言だけで、何もかも救われそうになる自分が、ひどく惨めだった。
「――HLC64-1030……」
ヒデノリが、低く名を呼ぶ。
そこにあるのは怒りでも、呆れでもない。
ただの確認だった。
「自分が何をしたのか、わかっているのか」
「わかってるさ」
シグルの声は、思いのほか静かだった。
「これは俺の意思で起こしたことだ。誰のせいでもねえ」
その視線が、セイジを射抜く。
「だから、お前が気に病むことは、ひとつもねえよ」
「――じゃあ、どうして……」
その先は続かなかった。代わりに沈黙が落ちる。
雪は、すべてを覆い隠すように降り続いていた。
「シグル……セイジ……」
しゃくり上げるような声。
アカリだった。
「私が……私のせいで、シグルが……」
泥にまみれた拳を握りしめ、泣きじゃくっている。
セイジは黙ったまま雪の上に膝をつき、そっと彼女の背に触れる。
その手は、わずかに震えていた。
「シゲアキ、拘束しろ」
シグルの声は、どこまでも平坦だった。
自らを差し出すような命令。
「……シグル殿」
現実を受け止めきれないのは、死線を越えてきた隊長・シゲアキも同じだった。
「こんな結末、誰も望んでいなかった」
悲痛な声。
だが、それに応える者はいない。
「どんな経緯であれ」
シグルは淡々と言う。
「俺は殺した。この手で、自分の意思で。事実はそれだけだ」
雪が降り続く。赤を覆い隠すように。
ただ静かに、上書きしていく。
「――殺人罪。刑法上、最重量の刑罰に相当します」
ヒデノリの声は、裁定だった。
感情のない判決。
「……よって、当該機体を即時回収。解体とする」
シグルは抵抗しない。
むしろ、それを長い間待っていたように静かだった。
拘束は淡々と進む。
リュウジはただ、その光景を見ていることしかできない。
何も言えないまま。何も止められないまま。
「リュウジ」
シグルの声だけが、最後まで揺らがなかった。
「お前はちゃんと生きろ」
その言葉が、雪の中に落ちる。
溶けるように消えていく。




