変数
ミナトは、アカリの目前で足を止めた。
雪の上に刻まれた足跡は、等間隔で、狂いなく並んでいる。
まるで最初から測られていたかのような歩幅だった。
「理由が欲しいのか」
独り言のように呟き、空を仰ぐ。
雨を孕んだ雪が、都市の輪郭をゆっくりと溶かし、白く曖昧に塗り潰していく。
「私はね、現場を確認しに来ただけだよ」
その声は、驚くほど乾いていた。
感情の混じらない、報告書を読み上げるような調子。
「部隊は統率が取れているか。想定通りに動いているか。……あるいは、命令系統から逸脱した“変数”が発生していないか、とね」
「変数……?」
アカリの問いに、ミナトは薄く笑った。
眼鏡の奥の瞳は、彼女ではなく、曇天のさらに向こうを見ている。
「君達のことだよ、セイジ君。そして――アカリちゃん」
――アカリちゃん。
その呼び方が、耳に触れた瞬間。
悪寒よりも先に、身体の内側がゾワリと冷えた。
それは名前を呼ばれた感覚ではない。
“認識”された、という感覚だった。
「君達の行動ログは、何度も読み返した。任務への忠実性。戦況分析能力。問題解決までの速度……どれも普通だ」
褒め言葉のはずなのに、皮膚の裏側がざわつく。
数値を読み上げられているようだった。
「だからこそ、不思議でね」
ミナトは、ほんの僅かに首を傾ける。
「どうして君達は、自分の意思で動いている“つもり”なのかと」
セイジが、短く息を呑む音がした。
ミナトの視線が、ゆっくりと彼へ移る。
「この戦いは、単なる制圧作戦じゃない。鉄道を守るための――儀式だ」
淡々と、事実を整理するように。
「血を流すことで民衆を納得させ、恐怖と信頼を再構築する。……そう、ここは舞台だ。だから当然、筋書きがある」
まるで舞台裏の解説をしているかのようだった。
「そのためには、君達のような“優秀な役者”が必要だった。だがね――」
眼鏡越しの目が、わずかに細められる。
「脚本から外れるのは困る」
そして、視線がアカリに戻る。
「特に――アカリちゃん。君は、余計なことを考えすぎる」
次の瞬間、手首を掴まれた。
痛みより先に、冷たさが伝わる。
人の体温とは思えない、無機質な感触。
「なぜ、命令に疑問を持つ? 君の役目は、考えることじゃない。命令を遂行することだ」
「そんな……!」
言葉を返そうとした途端、握る力が増す。
骨に直接圧がかかり、関節が悲鳴を上げた。
「余計なことは考えなくていい」
諭すような声。
だが、そこに慰めはない。
「君は役者だ。私が用意した演出に、忠実であればそれでいい」
静かに、断定する。
「今更、叱責するつもりも罰する気もない。君達の役割は、もう終わった。舞台から降りる時間だ」
セイジが、何かを察したように息を詰める。
アカリもまた、その言葉の裏にある“終わり方”を理解しかけていた。
「撤退してほしい、と言ったね」
ミナトは、笑みを崩さない。
「あれは嘘だ」
さらりと、訂正する。
「君達はもう、舞台を汚すノイズでしかない。撤退という言葉は……私なりの、最後の慈悲だと思ってくれ」
その瞬間、アカリは悟った。
――この男は、最初からここまでを含めて書いていた。
「セイジ!!」
叫ぶが、彼の視線はすでにミナトから外れない。
ミナトの掌が、ゆっくりと上がる。
「とはいえ、ここまで耐えた功績は評価しよう」
そして、柔らかく言う。
「君には特別な“選択肢”を与えよう」
次の瞬間、アカリの身体は軽々と担ぎ上げられた。
抵抗の余地すら与えない、自然な動作。
ミナトは一度だけセイジを横目に見やり、
そのまま何事もなかったかのように歩き去っていく。
雪上には、再び――迷いのない足跡だけが残った。




