夜を照らす光
「俺は一体、何なんだろう。機関者は人間の為に働き、使い潰され、そして終わる。……だが、俺は機関者である事を誇りに思う。例えそれが“紛い者”の感情だったとしてもだ」
躊躇いとも言えるその気持ちを抱えつつも、今は言葉を紡ぐしかない。
自分の中にある答えが正しいのかどうかを確かめるためには、この言葉を吐き出すことが必要だからだ。
そして、それが彼なりの敬意の表れであることを、ノワールはよく理解していた。
だからこそ、あえて茶化すことはせず、静かにその次の言葉を待つ。
「“つきかげ"は、俺にとって唯一の希望だった。冷たい夜の闇を駆け抜けるたび、俺はただ前を向いて走り続ければいいと思った。だが、最後にその灯が消えた瞬間、俺もまた、月に背を向けた存在になってしまったのかもしれない」
シグルの声には、どこか遠くを見つめるような深い影と、滲むような哀愁が宿っていた。
「……俺は、卑怯だった」
シグルの声は、低く、重く、まるでその一語一語が錆びついた歯車を軋ませるように震えていた。
長い時を経てもなお、言葉にするだけで胸の奥が軋む。
懺悔とも後悔とも取れるその独白は、シグルが初めて溢した心の内だった。
あの日――リュウジの両親を轢いた、あの瞬間。
取り返しのつかない過ちと、背負いきれない罪が、シグルの中で何かを壊した。
「つきかげ」の誇り高き牽引機であった筈の彼は、自らの役割を放棄し、その任を他者に押し付け――逃げ出してしまったのだ。
彼にとって、それはただの「失敗」ではなかった。
それは、牽引機としての矜持を深く傷つける、耐え難い汚点だったからだ。
だが……もっと痛烈だったのは、そこから「逃げる」ことを、選んでしまったという事実。
交直セクション境界に位置する機関者交換駅・サバラ。
本来なら、そこまで客車を牽引するのが彼の務めだった。
それなのに、その任を無言で他の機関者に押し付け――立ち去ったのだ。
何も言えない、言いたくなかった。ただ、走りたくなかっただけ。
「……俺は、卑怯者とさえ呼ばれる資格もない。あの時、俺が殺したのは……つきかげの灯そのものだったのかもしれない。」
静寂が落ちる。
夜の底のような沈黙に包まれて、シグルはただ、俯いたまま立ち尽くしていた。
「“つきかげ”……それをずっと、おまえに謝りたかったんだ」
シグルの声は、夜霧のように静かで、けれど確かな重さを持っていた。
ゆっくりと頭を垂れるその姿に宿るのは、ただの懺悔ではない。
それは、逃げてきたすべての責任と、背負うと決めた未来への覚悟だった。
「……そうか、やっと思い出したのか」
ノワールの声は、ほんの少し笑っていた。
だがその笑みには皮肉も怒りもない。
むしろ、ずっと長い間、待っていた者のような、そんな静かな安堵が滲んでいた。
「お前は、忘れたふりをしていただけだ。光を失った夜に、ただ目を閉じていた。見ようとしなかっただけで、“つきかげ”はずっと――お前の中に在ったんだ」
その言葉に、シグルはゆっくりと顔を上げた。
鋼のように冷たかった瞳が、どこか優しさを帯びている。
まるで月明かりのように――一度は背を向けたその光を、再び見つめ返す意志が、確かにそこにはあった。
「……人間を轢いたことは、決して赦されないことだ」
静かに紡がれた声は、しかし揺るぎない決意を宿していた。
「だからこそ……新しい道を拓くために、俺はもう一度走り出す。そこはきっと、誰もが迷う道だろう。だが、今は……それでいい」
その声にこもる感情は、かつての後悔や痛みではない。
それは、未来へ進む覚悟の証だった。
「それが“俺”の答えならば――」
ノワールはどこか満足げに言った。
その輪郭がゆらりと揺れ、まるで濃い影が風にほどけるように、砂塵へと溶けていく。
まるで、長い冬の終わりに春の気配が訪れるような、そんな静かな感触が辺りに広がっていた。
シグルは、今、ようやく自分の中の「つきかげ」を受け入れた。
それは、痛みも罪も、決して消えることのない存在と共に在るということ。
けれど同時に、それは「希望を抱いて進む」という、新たな意志の始まりでもあった。
彼は問いかける。
――自分は何者で、何のために走るのか。
その答えはまだ見えない。
だがかつて、「夜を照らす光」と呼ばれた列車のように、シグルの足元にもまた、一筋の光が、確かに道を照らしていた。




