終止符
アカリが裏口に駆けつけた時、目に飛び込んできたのは、真新しい光沢を放つ高級車だった。
闇に溶けるかのような艶やかなボディは、まるで自分たちの権威を象徴するかのように威圧感を放つ。
だが、その堂々とした姿は、傍らに置かれたジャッキと工具で台無しになっていた。
「タイヤがパンクだと!? こんな時に何をやっている!」
スーツ姿の上層部たちが声を荒げながら、慣れない手つきで修理を急ぐ。
だが、焦りで手元が狂い、ジャッキがずれたのか車体が傾く音が響いた。
「……まさか、この『フウカゲツ鉄道』が鉄道ではなく車で逃げようとしてるわけじゃないでしょうね」
アカリの心臓がさらに激しく打ち始める。だが、その鼓動は恐怖ではなく、怒りによるものだった。
息を整え、彼女は静かに歩み寄る。
靴底が硬い地面を叩き、音のない緊張が張り詰めた。
「どこへ行かれるおつもりですか」
その冷ややかな声に、スーツの男たちは一斉に振り向いた。
一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐに嘲るような態度に変わる。
「なんだね、君は。ここは立ち入り禁止だよ、即刻立ち退――」
彼らの命令を遮るように、アカリの鋭い声が響いた。
「CA機関隊のお偉いさん方々が、まさか現場の前線で命を懸けている私達を見捨てて、自分達だけで逃げ出そう……なんて考えている訳ないですよね?」
スーツの男の一人は、思わず持っていた工具を落とした。鉄の重い音が地面に響くと同時に、一斉に立ち上がる。
「君には分かるまい。我々が犠牲になれば、組織そのものが崩壊する。この状況で、頭脳を失うわけにはいかないのだ」
アカリは、その一言で全てを理解した。
彼らは自分の命惜しさに、組織を売ろうとしているのだと。
そして、その決断の背景には、上層部の腐敗と保身が絡んでいるということも。
アカリは、大きく深呼吸をした。
「頭脳を失うわけにはいかない……? それはつまり、私たちの命を軽んじるということではありませんか?」
言葉の刃が空気を裂いた。男たちが思わず一歩後ずさると同時に――鋭い銃声が鳴り響く。
弾丸が壁に命中し、火花を散らす音が耳を貫いていく。
アカリは咄嗟に近くの車の影に身を隠し、息を潜めた。
振り返ると、スーツの男たちの前に立つ一人のボディガードが、冷ややかな瞳で銃を構えていた。
「止まれ、アカリ隊員」
その声には、凍てつくような威圧感が漂う。
この期に及んでも、逃げるべきか戦うべきかで頭が混乱していた。
「同じ組織の人間に向かって銃を向けるなんて、それでも組織を率いる人間なんですか!?」
アカリの悲痛な叫びは、冷たく空を切るだけだった。
その言葉に、男の目が僅かに窄まる。だが、次の瞬間、彼は躊躇なく銃口を向け直した。
「命令を邪魔する者は排除する。それが規則だ」
アカリは深く息を吸い込む。
スーツの男たちの中でも、責任ある立場か、それとも自己保身に長けた男か――。
高級なスーツを纏った一人が一歩前に出て、右腕を水平に振った。
その仕草を見たボディガードの男は、すぐさま銃口の狙いを定めた。
「――ここで終わらせる訳にはいかないのよ!!」
アカリが影から飛び出した瞬間、銃を持つボディガードがすばやく反応した。
閃光が再び虚空を切り裂き、壁に弾丸がめり込む鈍い音が響く。
そのすぐ横をかすめた衝撃で、アカリの呼吸が一瞬止まる。
だが、彼女の足は止まらなかった。
「同じ手は二度も通じないわ!!」
心臓が鼓動を早める中、彼女の視界はただ一点に集中していた――男たちの胸ぐらを掴む自分の姿。
その目的だけが、揺るぎない光のように彼女を突き動かしていた。
――しかし、そこまでだった。
物陰に隠れていたらしい、二人目のボディガードがアカリの背後に回り込むと同時に、強い力で腕を掴み捻じ上げる。
鋭い痛みが肩を襲い、彼女の身体はその場に沈み込んだ。
「――ッ!」
悲鳴をこらえ、必死にもがくが、関節を固められた状態では抗う術もない。
「君のような者が、いくら正義を振りかざそうと無駄だ。世の中は権力だ、頭脳だ。組織を動かす我々がいるからこそ、前線が成り立つということを何故理解できない?」
スーツの男の一人が冷淡に吐き捨てる。彼の足音が硬い地面を叩き、ゆっくりとアカリに近づいてきた。
「おい、立たせろ」
無理やり引き起こされると、アカリの視界にスーツ姿の男が映った。
その冷たい目には、感情の色が微塵も感じられない。
「この女を前線に送れ。いい見せしめになる」
短く、切れ味鋭い命令がその場の空気を凍らせた。
「な、何言ってるの!? あなたたち、どっちの味方なのよ!」
アカリは目を見開き、声を張り上げた。
混乱と怒りがない交ぜになり、激情が喉から飛び出す。
「これじゃ、反鉄道同盟とやってることが変わらないじゃない!」
だが、その叫びも虚しく、男は眉一つ動かさずにアカリを見下ろした。
氷のような冷たい視線がアカリを貫く。
「我々は、鉄道を守るために行動している。その過程で、多少の犠牲はやむを得ない」
言葉を切ることなく、淡々と続けられる彼の声は、まるで合成音声のように無遠慮で無機質だった。
「これは正義の執行であり、決して私利私欲に依るものではないからだ」
その言葉が静かに、だが確実にアカリの耳に突き刺さる。
アカリの背筋に冷たいものが走った。男の言葉に曇りはない。迷いもない。
彼は本気だ――鉄道を守るという使命のためなら、どんな犠牲も受け入れるつもりなのだ。
その信念が、同時に彼の残酷さを際立たせていた。
「……ふざけないで! そんな正義、誰が認めるもんですか!!」
アカリは怒りで歯を食いしばりながら吐き捨てた。だが、その声は震えていた。
自分自身でも、それが恐怖から来ているのか、怒りから来ているのか分からない。
その時だった―― 「――アカリッ!!」
突然の声が、重苦しい緊張を裂いた。
アカリの視界の端で、影が動いた。
その声には聞き覚えがある。仲間の――いや、それ以上の信頼を置いている人の声だった。
「セイジ! 来ないで!!」
慌てて叫ぶが、すでに遅かった。
地面が振動する。爆発音とともに火花が散り、空気が一瞬焦げたような臭いを放つ。
その混乱の中、セイジが姿を現した。
彼は影のように静かに、素早く動くと、ボディガードの背後に忍び寄った。
腕の一振りでスーツの袖を掴み、銃口を下げる。鋭い音が耳を裂き、弾丸が地面に跳ね返った。
「おい、アカリに何をした。答え次第では許さないぞ」
銃を構えたセイジがボディガードたちの前に立ちはだかる。
その眼差しには、冷静さと怒りが同居していた。
「こう見えても、一通りの訓練は受けてる。望みとならば、殺し合いにも応じるが」
静かに告げる声の中に潜む威圧感が場を支配する。
銃の安全装置が外されたことを示す僅かなクリック音が聞こえた。
その瞬間、空気が凍り付く。
スーツの男たちの表情にわずかな緊張が浮かんだ。
だが、その沈黙を破ったのは彼らではなかった。
「セイジ……」
アカリの唇が震えながら名前を呟いた。
彼が来てくれたという安心感と、危険な場所に自ら足を踏み入れてしまったという焦り――相反する感情が胸の中でせめぎ合う。
しかし、セイジの視線はアカリではなく、男たちに向けられていた。
その目に宿る決心が、場の緊張をさらに高めていく。
ボディガードは銃を握る手を強張らせながらも、後ずさる気配は見せない。
だが、セイジの銃口がその額を正確に捉え、わずかな躊躇も感じさせないことに気づいた瞬間、男の額に一筋の汗が流れる。
「貴様、何者だ」
ボディガードが低く唸るように言い放つ。
だが、セイジは動じなかった。
「ロコモティ部の、ただの隊員だよ」
その言葉には、自嘲するような響きがありながらも、鋼さながらに決して折れない意思が宿っている。
彼の瞳は静かに敵を見定め、全身から放たれる圧力は、言葉以上に雄弁に「脅威」であることを示していた。
アカリは、痛む体を引きずりながらもセイジの姿を見つめていた。
彼の背中は、いつもよりずっと大きく、そして頼もしく見える。
「セイジ、大丈夫なの」
「悪い、向こうに気を取られちまってさ。シグルを一人にするのも気が引けたんだけど――それより、お前を一人にしとくほうが心配でさ」
セイジはアカリに目線を送り、少し照れた様子で薄く笑った。
その笑顔には、いつものような優しさが満ち溢れる。
「さて、どうする? まだ続けるか? それとも、このまま大人しくお縄につくつもりはあるかい?」
セイジの言葉が挑発となり、場の緊張感をさらに高まらせた。
静かな言葉の裏側に秘められた闘志が空気を震えさせる。
「黙れ!」
焦りを隠せないボディガードが怒声を上げると同時に、一人の男が後ろへ下がり、隠し持っていた無線機を手にした。
その動きに気づいたセイジがわずかに視線を移す――その一瞬の隙を狙って、ボディガードが銃を構え直した。
「――セイジ、危ない!」
アカリの声が鋭く響く。
セイジが反射的に身を引くと同時に、銃声が轟いた。
しかし、次の瞬間にはもう、セイジは銃を構えて走り出している。
その足捌きに迷いはなく、ただ真っ直ぐ向かっていくだけだ。
ボディガードが次々と発砲するが、彼はまるでそれを予期していたかのように動き回る――「こちらも命が掛かっているんでね、悪いが、加減はできない」
銃を構え、撃つ。その動作に迷いはない。セイジの目には、決意が宿っていた。
銃弾が次々と放たれ、その度に火花が飛び散る。
「――おらぁぁぁあッ!!」
セイジの闘志に火がつく。
その熱が、彼の迷いを消し去っていく。
この戦いに終止符を打つ事は、果たして彼らの勝利となるのか、それとも。




