006
「あの、そんな何もしない生物を殺す必要あるんですか?」
暫く魔物観察で盛り上がっていると、もう我慢できないと怒り混じりの声を委員長の擬人化のような風貌の菜々緒が上げた。目は閉じたまま、そっぽを向きながらの悲鳴のような言葉を続ける。
「そんな家族愛のある虫を殺して何になるんですか? 訓練の為とは言え、人間の都合で殺すなんて! 他の魔物でも良いじゃあないですか!」
奮える彼女の言葉は、確かに最もかもしれない。人間が嫌悪感を抱く存在は虫だけに限らない。もっと気持ちよくぶっ殺せる魔物だって探せばいるだろう。なんなら、人を殺した魔物を縛って持って来ても良いはずだ。
それをわざわざ、無力で無害な生命を対象に取ると言うのは悪趣味と言われても仕方がない。
「そんなことを言われても、私も雇われでね? そんな権限はないのさ」
人道的な少女の問いに、大人の女の回答は『仕事だからしゃーない』と言う、屈託ある言葉。
「それに、だからこそ訓練になるってもんだろう? 魔物にだって家族はいる。悪人だって人を愛する。当たり前のことだよ。でも、そんな相手を殺さなければ、殺されてしまう。これは生き延びるための最初のステップだよ」
「それでも、無駄な殺生は――」
「こいつらの脚の関節部からとれる特定のマナ蛋白質にはアルツハイマー型認知症を治療する効果が認められ、研究が進んでいるよ。今回も勿論、脚を持ち帰って提出するさ。あんた達にもそれなりの礼金が貰えるから安心しな」
恋歌の説明に、目の前の魔物を殺さない選択肢はいよいよなくなって来た。
魔物は人類の不?戴天の敵であり殺すべき対象だ。その死体が病魔に苦しむ人々の助けになり、経済的な活動として社会を回す活力になる。随分と人間本位な話ではあるが、様々な観点から、この暴力は決して無駄な行為ではない。
むしろ推奨すべき行いだろう。
ただ、ちょっと、その見た目と生体がために気が乗らないと言う話なのだ。
「お遊びはここまで。さあ、どれでも好きな奴をやっちまいな」
議論を打ち切り、有無を言わせぬ迫力で恋歌は腕を組んで言い切った。
改めて、六人はターゲットを見る。
見た目は不快害虫にそっくりだ。だが、男子達はその姿に脅威は感じなかった。人間の害意をまるで予想せずに、暢気に草を食んでいる様子はまるで無力だ。その動きには奇妙な愛嬌を覚えないでもない。感情なんて感じさせない複眼の先には、小さな個体。不思議とその視線には慈愛のようなものを感じる。
逆に、女子達はひたすらに不愉快だった。男子達は頭がおかしいのか直視しているが、視界に写っただけで狂いそうな気分である。親指サイズですら悲鳴と共に両親を呼ばずにはいられない、日常に潜むグロテスク。その何十倍も大きな怪物に触れるなんて、正気の沙汰ではない。
家族愛を感じる生物を殺害する。
怖気が走る存在に立ち向かう。
脳の激しい拒絶を乗り越えて、自らの殺意でもって魔物を殺す。
これが本当に難しいことを恋歌は良く知っている。自分自身がそうだったし、自分の子供達もそうだったし、研修で見る数多の高校生達もそうだった。これは誰もが苦しむことになる耐え難い大人へ試練だ。
例えどんな姿をしていようとも、魔物は絶対に殺す。その意思がなければこの世界を生き抜くことは難しい。恋歌からすれば幼いと言える子供達にこれを強制するのは心が痛むが、子供達の命を守る為には必ず必要な儀式なのだと言い聞かせる。
例え嫌われようとも、何時間でも、何回でも、恋歌は子供達に付き合う所存だ。
「よいっしょ、っと」
誰もが目の前の現実に覚悟を決める中、何処か抜けた掛け声の後に、ぐしゃりと柔らかいものが潰れる音が森の中に生じた。
一番大きな――親と思わる個体の頭と胸の繋ぎ目に足を乗せた仁志が、空き缶を潰すように接続部を踏み潰したのだ。外敵に襲われることを想定しない昆虫の身体は柔らかで脆く、少年の右足は簡単に断頭台の役割を果たした。
「おーわり」
地面に千切れた頭部が転がると同時に、司令部を失った胴体の六本肢が痙攣し、しばらくも待たずに自重に潰れた。
「ほら、簡単だよ。皆もさっさとやったら?」
歯を見せて笑い、仁志は難しいことをも恐れることもないと告げる。人が嫌がることを率先して行う。誰もが躊躇することを悩まずに決断する。自身のリーダーシップに、仁志はとても満足そうである。
「いやいやいや! お前、葛藤とかないのかよ? 恰好良いとか言ってなかった!?」
「昆虫好きアピールは何だったんだよ!」
対して、他のメンバーの反応は肯定的とは到底言えず、むしろ拒絶するように兼茂と連が仁志を指さす。その糾弾は確かに真っ当なものに思えたのか、他のメンバーもその台詞に追従して頷く。
「いや。個人の嗜好と上司からの命令は別だろ」
だが、仁志はその態度こそ理解できないと首を傾げる。ここは戦場。自分の個人的な感傷で、プロフェッショナルである恋歌の命令に背くなんてありえない。これは座学の時に散々に言われたことである。
「今回は絶対講師の命令に従うことって研修前に言われたじゃん」
自分は命令に従っただけ、非難される言われはない。
勿論、悪いとは思っている。何が起こったか理解できていない子供達が、親の首、首のない胴体に集まり、まるで回復を祈るようにその傷口を舐めている姿には心が打たれる気分だ。
だが、まあ、それはそれ。命令だから仕方ない。
「そ、そうさね。私から非難することはできないよ」
仁志の真っ当なセリフに、恋歌は末恐ろしい物を感じながら首を縦に振る。
この一〇年、恋歌は講師として無数の子供達を見て来た。その中でも仁志は群を抜いて殺しに対する適性が高過ぎる。ただ早いだけなら、仁志よりも早い者はいないでもない。だが、普通の生徒は威力が足りず殺し切れないか、殺した確信を得るために過剰攻撃して魔物の死体を滅茶苦茶にしてしまうものなのだ。首を落すだけと言う、ぴったり丁度殺害するだけのダメージを与えることに成功した者はいない。
必要な分だけ殺す。ある程度の経験を積んだ者でなければ、そんなことはできない。
だが、いともたやすく仁志はそれをやって見せた。それを可能にしたのは、恐るべき殺しの才覚。鏖魔人の守護霊を得たのは伊達ではない、殺戮者としての天賦を仁志は持ち得ている。




