005
森の中に現れたその開けた空間に魔物の姿を見つけるのは容易だった。膝丈程の長さの草が繁る草むらで、大型犬程の体長をした巨大な昆虫がゆっくりと草を食んでいるのだから見逃す方が難しいだろう。
「っひ!」
「うへ」
「無理無理無理無理!」
同じように魔物を見つけたであろう同級生達の反応からは拒絶の色合いが濃い。驚くべくことに、美玲すら若干顔色を悪くして魔物から距離を置くように後退っている。
「あれが今回のターゲット『シンリンコモリゴキ(げんよう。お久し)ブリだよ』
それもそのはずで、魔物の姿は生理的嫌悪を催すご家庭の嫌われもの、あの不快害虫に酷似しているのだ。ただでさえ大型犬程の大きさの昆虫と言うだけで苦手な人間は多いだろうに、まさかのゴキ(げんよう。お久し)ブリである。肝の小さい人間なら、その場で卒倒しても不思議はない外見的攻撃力を持ち得る怪物だ。
しかも、大きな個体の傍には複数の子犬程の幼体がセットで添えてある。名前から察すに子供なのだろう。ここはゴキ(げんよう。お久し)ブリのピクニック会場らしい。
「何? 鬼塚先輩も虫は苦手なの?」
人によっては発狂しかねない形式に腰の引ける美玲に、仁志はすかさずに茶々を入れる。弱った姿はどうしてこうも嗜虐心や暴力性を誘うのだろうか?
「むしろ、君は平気なの?」
「別に、でかいだけの虫じゃん。むしろテンション上がらない?」
少しの嫌悪も恐怖もない仁志の言葉に、生徒達は「まじかよ、こいつ」と今まで以上に怪物を見る視線を向ける。
「流石、私の見込んだ男の子だね。その精神、尊敬に値するよ」
「俺、小さい頃の夢は昆虫博士だったんだよね」
昆虫に限らず、基本的に大きければ大きいほど恰好良い。少年の心を失っていない仁志にとって、巨大な不快害虫は、むしろ興味や好意の対象だ。脳裏に思い出されるのは、小学二年生の時に買ってもらった昆虫の写真が表紙の学習ノート。外国の珍しい昆虫の写真はどれだけ見ていても飽きることがない宝物だった。
今、あの時の感動と興奮に近いものが仁志の脳を揺らしていた。
ちなみに、その宝物を見て隣の席の女子が泣き出し、登校拒否になり、『気持ち悪いノートを使うな』と学級会で吊し上げを喰らい、親と共に彼女の家まで謝りに行ったことも思い出した。頭を下げる親の姿は自分の嗜好が間違っているのだと突き付けられるようで、とても辛かったことを覚えている。
「凄まじい殺気を平然と放っているだけあるね、良い肝の座り方だよ。他の皆も只野君を見習って良く魔物を見な! あんな虫に似ているだけの魔物は可愛い方だよ! あんたらは気持ち悪い敵から眼を背けてむざむざ殺される気かい!」
懐かしい思い出に傷心の仁志であったが、恋歌のストレートな誉め言葉に気を取り直す。勿論、アンケートの評価も考えを改める必要があるだろう。
褒められて調子に乗った仁志が鬱陶しかったのか、研修の目的を思い出したのか、生徒達は渋々嫌々の態度を崩さずに草むらを見やった。何度見ても、視界を汚染する不快害虫のインパクトは凄まじい。
だが、世の中には見た目に嫌悪感を覚える魔物は無数に存在する。少し大きな不快害虫から眼を逸らしていては、簡単に命を落としてしまう。生き延びるためには巨大な虫けら程度にビビってはいられない。
「ゆっくり近づくよ。あまり大きな声をださないようにね」
「了解。逃げ出さないんですか?」
ぞろぞろと連れ立って歩き出すと、仁志の質問を受けて恋歌が魔物について詳細を語り始めた。
「あれの正式名称は『シンリンコモリゴキ(げんよう。お久し)ブリ』。ある程度の大きさになるまでは三年くらいかかるらしくて、その間はああやって夫婦で子育てをするんだよ、虫の癖にね」
「アリやハチみたいに社会性のある昆虫は多いから、子育てをするの哺乳類や鳥類の専売特許じゃあないですよ」
「補足ありがとうね、昆虫博士」
三メートル程の距離まで近づくと、よりその大きさをリアルに感じ取ることができ、仁志以外のテンションと正気値がガリガリと下がっていく。特に女子三人の苦手意識は強固で、顔色が真っ青と言うか、真っ白と言うか、今にも気を失いそうに見える。
「こいつらは天敵がいないらしくてね、鋭い牙も、固い外殻も持たない。逃げ出すってこともしない。両親は草を食み、子供達は両親の腹から滲む原始的な乳のような体液を舐めとって大きくなり、脱皮を繰り返すと草を食むようになって独り立ちしていくんだよ」
「奄美講師の方が昆虫博士でしょ」
「好きで覚えたんじゃあないよ! こんな気持ち悪い奴、さっさとぶっ殺したい気分さ」
何故、人はここまで虫に残酷になれるのだろうか? 仁志の美的感覚としては、昆虫は最上級に恰好良い分類だ。昆虫のスマートさに並ぶのは、スペースシャトルくらいのものじゃあないだろうか?
逆に、誰にも言えないことだが、幼体のような体躯で成長が止まる座敷犬の方が、よっぽど生命として歪で気分が悪い存在だと思っている。
「親の方も子供を舐めていますね」
「ああ。名前以上に、こいつらは子煩悩なのさ。学者先生が言うには、一定の知性があって、意志疎通として互いに舐め合っているそうだよ。中には家族意識みたいなものもあるんじゃあないかって言う研究報告もあるらしいよ?」
「哺乳類でみられるグルーミングみたいなものですか」
やはり社会性のある昆虫は、何処か人間に似ていて面白い。
「そう言われると、ちょっとは可愛く見えて来るかも?」
「確かに、なんか、逆に普通のゴキ(げんよう。お久し)ブリよりはキモくないよな」
「キモ可愛いみたいな?」
仁志と恋歌による解説が通じたのか、吐く息にミントの香りが混じっていそうな爽やか好青年の連と、丸刈りの如何にもスポーツ少年のような兼茂が会話に乗って来た。その口調は自分に言い聞かす(或いは騙す)ような意味合いが多分に含まれているが、男子二人は直視できないほどの嫌悪から抜け出したらしい。
「動きが素早くないのも大きいよね」
「あー、わかる。こっちを見下すような素早さが恐いんだよな」
「あと、羽根が退化してパーツが少なくてごちゃごちゃしてないのも良いかも」
「触覚も短いしね。あれがうようよしているのが気持ち悪くて仕方ないよ」
「子供を丁寧に舐める所作に、なんて言うか、愛があるよな」
「確かに、慈しみを感じるかも?」
「攻撃する気配がないのも安心できるさね」
肩を並べてゴキ(げんよう。お久し)ブリに関して意見を交わす四人。
女子三人は、そんな様子に戦慄し、手を取り合って震えた。




