第十話 奈良県北部山地
次の日、昼夜逆転の生活をした私達は、夜中に奈良に来ていた。
といっても、京都と奈良の境目ぐらいの場所だけど。
「ここの霊には油断するなよ」
「確か…遭難が多発しているんでしたっけ?」
「おそらくだけど、遭難は霊と関係ないと思うよ」
「え?なんで?
だって、不可解な遭難なんて、霊以外に原因ないじゃん」
紗夜さんが疑問形で問う。
悠臣さんが紗夜さんの頭を叩く。
「いって!」
「何でもかんでも霊のせいにするな。ここの霊が起こす霊現象は視界を遮る感じのものだ。遭難とあまり関係ない」
「そうかなぁ〜?」
「とにかくだ。俺たちがやるのは遭難者の捜索じゃない。霊の浄化だ」
「ごもっともです」
紗夜さんが言いくるめられた。
「速くハイキングコースの方に行こう。澄乃が眠くなる前に」
「ね、眠くならないから……!
ちゃんと朝から昼まで寝てましたし……」
夜の山道。
気温は低いのに空気は重く、耳鳴りのような圧がある。
霊のせいなのか、ただの山の静けさなのかは分からない。
私は背筋を伸ばし、川沿いに続く細い道へ足を踏み入れた。
―――――――――
暗く狭い森の中。
ハイキングコースといってもあまり人が来ないらしく、少し……いや、かなり荒れている。
足元に気をつけないと。
「わっ――!?」
「澄乃っ!?」
結弦さんが崖から落ちかけた私の腕を掴む。
もし、悠臣さんが掴んでくれなかったらと思うと…私は今頃数十メートル下の岩に激突してた。
「危ないなぁ。ただでさえ視界が悪いんだから気をつけてよ?」
「すみません……」
「ここの霊は中級程度のはずだが、油断はするなよ?」
「はいっ!」
――?
「悠臣さんっ前!」
「え?」
その直後、黒い影が悠臣のもとに突進する。
《聖輝式・第一式――聖光矢!》
とっさに魔法を放つ。
魔法展開をしていなかったからなのか、直撃するが、あまりダメージはなかった。
「しまっ――――――」
影に弾かれてバランスを崩した悠臣さんが、山道の端から転げ落ちた。
「悠臣さん!!」
反射的に声を上げて駆け寄ろうとする。
「紗夜さん、結弦さん! 悠臣さんが――」
後ろにいるニ人に呼びかけたその瞬間、違和感が走った。
返事が、ない。
「……紗夜さん? 結弦さん?」
私の声だけが静かな山に吸い込まれる。
ほんの一秒前まで、すぐ後ろにいたはずなのに。
振り返ると――そこには誰もいない。
「なんで……? どこ行ったの?」
息が急に浅くなり、胸の奥がきゅっと縮まる。
四人とも、あまり警戒していなかった。
本当に一瞬の出来事だったのに。
「……うそ……」
私は自分の両手を見つめる。
手のひらがじんわり汗ばんで、指先が少し震えていた。
何もいない。
何も聞こえない。
本当に、私だけが置いていかれたみたいに。
「落ち着け……落ち着け澄乃……」
何度も自分に言い聞かせる。
でも胸の奥でざわざわする不安は消えない。
悠臣さんが落ちた方向を見ても、姿は見えない。
紗夜さんと結弦さんの気配も、どこにもない。
――まるで一瞬で“切り離された”みたいに。
私は唇を噛んで、暗闇の奥を見据えた。
「みんな……どこにいるの……?」
返事はやはり返ってこなかった。
―――――――――
その頃、紗夜と結弦の様子は……
「……澄乃、そっちは危ないかもよ」
結弦の声に、澄乃が振り返る。
――本物そっくりの“澄乃”が。
「大丈夫。悠臣さんを探すんだよね?」
「ああ。崖沿いなら足跡が残ってるかも」
紗夜も横でうなずく。
悠臣が落ちてからだいぶ二人は落ち着いていた。
“澄乃”はいつも通りの声で、いつも通りの歩幅でついてくる。
呼吸のリズムも、体の揺れ方も、本物と区別がつかない。魔力波形も、小さな癖まで完全に一致していた。
ただ一つ違和感があるとすれば、悠臣が崖から落ちたのに、動揺していないということ。
「……にしても、静かだね。こんなに森って静かだったっけ?」
結弦が周囲を見回す。
紗夜は返す。
「夜ならこんなものよ。動物も減るし。……それより、早く悠臣を見つけないと」
「うん」
“澄乃”も自然に会話へ入る。
影の存在が作り出した偽物は、本物を完璧に模倣していた。
――そのころ、崖下では。
俺は体を起こし、ゆっくり呼吸を整える。
「……ッやれやれ、派手に落ちたな。……痛っ」
骨は折れていない。動ける。
だが、上からの気配は感じない。
みんながこちらに向かっている様子もない。
「……もしかしなくても、はぐれたか」
苦笑し、立ち上がる。
その背後で、なにかが静かに動いた。
俺はすぐに振り返り――眉をひそめる。
「あんたか……さっきの影の……」
黒い影がひっそりと姿を見せる。
目的は、まだ読めない。
(まずい……みんなが近くにいない状況でこれは……)
一瞬だけ迷いが走る。
――でも、選択肢はひとつだった。
「来るなら来い」
俺は足元を踏みしめる。
霧の夜に、ひとり、対峙する。
――三方向に散らばったまま、互いの状況を知らぬまま。
本物と偽物が入れ替わったまま。
霧の山は、静かに彼らを包み込んでいた。




