1-28 王と王妃
「どうして……」
悔しさに思わず目を閉じた。もう手がない。既に、手遅れだった。
両手で顔を覆う。私は、なんて非力なんだろう。
「どこで間違ったんだろう……」
悲しみに暮れる私の肩に手が置かれる。
それは、優しいようでいて――上から私を見下ろすような、そんな優越感を孕んでいた。
「諦めなよ……君には勝てない」
その声に、少しイラッとして。キッと睨みつけるように、顔を上げた。
「いいえ!まだまだよ!!」
「へぇ、こんなにコテンパンにやられたのに懲りないね」
「今に泡を吹かせてみせるわ!」
「そう……期待してるよ」
ニヤリと笑ったアレクは、機嫌よく私の頭をポンポンと撫でると、ベッドの上に広げたチェスの駒をガチャガチャと片付けた。敗北に涙目になりながらその姿を眺める。
あの日倒れたアレクは、凄まじい過労だと診断された。今日は倒れてから三日目。高熱も出たアレクは、しばらく城の客間で療養していた。ついに熱も下がり暇だということで、アレクとチェスをし始めたのだけど。
「くぅー!何でクイーンがあんな所にいたのよ!動き過ぎでしょう!?」
「それ君が言うの?お転婆姫のくせに」
「う、うるさいわね!」
アレクとのチェスに10連敗した私は悔しさに身悶えた。私だって結構強いはずなのにどういう事なの。アレクの勝ち誇った顔がその悔しさを余計に加速させる。
「まぁ、ここまで来たらもはや才能とかセンスの問題だから。無理しないで」
「むかつく!!」
「皇女がそんな汚い言葉を使うんじゃありません」
可笑しそうに笑ったアレクは、悔しがる私を一通りなだめてから、甘さを含んだ碧色の目を細めて、柔らかく笑った。
「手取り足取り教えてあげようか?」
「は!?」
「時間なんていくらでもあるから」
その言葉の意図がわからなくて一瞬キョトンとするけれど。
もうずっと、一緒だから。
アレクの妙に甘い視線に、そういう意味だと分かって、一気に顔が熱くなった。
「っふ、ちょっと、顔赤すぎ」
「し、しししかたないでしょう!?」
くっくと笑うアレクは、一拍おいてからそっと私の頬を撫で、その綺麗な顔を近づけた。
「慣れてよ」
「っ、む、無理……」
「なんで」
「だって、だって!今までと違いすぎるもの!!」
そうなのだ。あれからというもの、アレクの態度は日増しに甘くなり、友人だった頃のさらりとした――適切な距離を保った雰囲気は、どこかへ行ってしまった。
甘い。甘すぎる。いっぱいいっぱいになった私は、もう無理だと顔を覆った。
「も、もうちょっと前みたいに、あっさりしたらどう?」
「は?嫌だけど」
「なんでよ!」
「なんでって……まだ分からないの?」
若干イラッとしたようなアレクの声に、怒らせたかと気になって、顔を覆った手を離す。すると、そのままぐいっと手を引かれた。
ぽす、とベッドに横たわるアレクの胸の上に引き寄せられる。
「何度でも言うけど――僕らはもう友達じゃない」
すぐ近くで囁くアレクの声に、思わず胸がどきりと跳ねる。
じっと私を見つめるアレクの表情はとても真剣で。そして、びっくりするほど熱を持っていた。
視線も逸らせず息をのんで固まってしまった私に、顔を近づけて。じっと私を見たアレクは、耳元で囁くように呟いた。
「……逃げようとしたって、逃さないからね」
「――っ、」
「もう君は僕の腕の中だ」
耳元で囁くその言葉に、身体がふるりと震える。
だめだ、もう甘いなんてもんじゃない。
ダダ漏れる美形の色気に白旗を上げながら、涙目でアレクに問いかける。
「っ、な、なんで、そんなに……」
「そう……まだ伝わってないんだね」
すぅ、と綺麗な目を細めたアレクから、何かひやりとした冷気を感じた。
これは、まずい。
なんとなくそれを感じたのだけど。
狼に迫られたうさぎのように、逃げることができなくて、そのままアレクにしっかりと捕まえられてしまった。
「いい?こうなったら一つ一つ説明していくから、今日という今日は完全に理解して」
「は、はい」
有無を言わさぬその声に、否応なく頷く。ベッドの上で半身を起こしていたアレクは、私を膝の上に座らせると、背後からしっかりと抱きしめた。
「王太子になったのも、ドメルティス帝国を滅ぼし縮小した国を属国にしたのも、全部エレナを僕の妻として、エランティーヌ王国に連れ帰るためだ」
「待って、流石に激しすぎるでしょう!国益も考えたわよね!?」
「もちろんだ。元々ドメルティス帝国は周辺国にとっても危険な動きをしていたから対策を練っていたし、王太子だって、父上から内々に打診を受けていた。でも、こんなに無茶なスピードで進めたきっかけは、全部エレナを他の男にやりたくなかったからだ」
そう言い切るアレクを、唖然としながら振り返る。
アレクは不満そうな顔をしていた。
「……俺は死ぬほど頑張った」
「知ってるわ……こんな、倒れるほど無茶して」
「全部、エレナが欲しかったからだ」
目をパチパチとした私を見て、アレクはもっと不満そうな顔になった。
「分かってる?あんな無茶をしたのも、徹夜で馬を駆けさせたのも……全部、エレナを俺の国へ連れ帰りたかったからだからね?」
「うん……」
「じゃあ、なんでそんな驚いた顔するの……」
「にわかに、信じられなくて」
そう告げると、アレクは疲れたように私の肩に頭を乗せた。
「……なんで伝わらないかな」
「だって……こんな、面白みのない強そうな鉄の皇女なのよ?こんな、よりどりみどりなキラキラの王太子殿下が、私を選ぶだなんて……ロメリアになら、まだ分かるけど……」
「そういう事……」
気の抜けたようにため息を吐いたアレクは、私をぎゅっと抱きしめた。
「お転婆姫が面白みのない奴な訳ないだろ」
「でも……可愛くないし」
「は?」
怒ったようなアレクの声に、ビクッと肩が跳ねる。
「あ、あの……アレク?」
「誰がエレナのことを可愛くないって言ったの?」
まずい。そういうことかと慌てて首を振る。
「だ、誰にも言われてないから!ただ、私がそう思ってるだけで……」
「俺のかわいいエレナを貶める奴は、例えエレナであっても許さない」
「……は!?」
なにかトンデモ理論を聞いた気がする。理解が追いつかなくて固まっている間に、アレクは私の身体をぎゅうぎゅうに抱きしめながら耳元で呟き始めた。
「エレナは可愛いよ。ほんとに……めちゃくちゃ可愛い。すぐ下町に飛び込んじゃうところも、一生懸命仕事をしている姿も、窓を飛び越えるお転婆っぷりも、照れてアワアワしているところも、全部」
「えっ……え、あの、」
「見た目?見た目だって可愛いだろ。サラサラの髪は夜空みたな群青色だし、瞳は深い海のように綺麗だし、立ち姿もすらりとしていて美しくて、皇女の時は誇り高くて……二人の時は、真っ赤になった顔が、特にかわいい」
そう言うと、アレクは後ろからすくい上げるように私の顔を振り向かせた。
真後ろから、美しいアレクの顔が間近に迫る。
「僕がどんなに君に恋い焦がれてこの国に足を運んでいたか、わかる?」
「っ、え……と……」
「下町で、狭い飲み屋のカウンターで、あんなに近くにいたのに。真横に並んで座る君と、朝までずっと一緒にいたのに。抱きしめることも、愛を囁くこともできなかった」
私の腰に回したアレクの手に、ぐっと力が入ったのがわかった。首筋に顔をうずめるように、アレクの金の髪が私の肩にかかり、吐息がかすめる。
「僕はもう王太子だ。国には婚約者もいない。ペリスは奪還したし、ドメルティス帝国も滅ぼした。君の父上にも兄上にも君との婚姻を了承してもらった。――もう、君は敵国の花嫁になる必要なんてない。君はもう名実共に王太子アレクシスの婚約者で――僕の大切な、恋人だ」
そう言ったアレクは、少し身体を離してから、私を向かい合わせになるように膝の上に座らせた。吐息がかかる距離で、アレクのひどく熱の籠もった碧の瞳が私を見つめている。
「愛してる、エレナ。王太子妃は、大変かもしれないけど――僕の最愛として、ずっと一緒にいて」
あまりに真っ直ぐな言葉に、思わず言葉を失って真っ赤になってアレクを見つめ返す。アレクは、ほんの少し待った後、少し焦れたように首を傾げた。
「……返事は?」
「っ……は……はい…………」
「…………ほんとに?」
「ほ、ほんとよ……」
「僕の婚約者で、僕の妻になって、そして僕の恋人だからね?」
「う……うん…………」
「ずっと、だよ?」
「わ、わかってるわよ!」
恥ずかしすぎて真っ赤になったまま必死で答える。アレクは、そんな私を見て、ふっと満足そうに甘やかに微笑んだ。
こつんと、アレクの額が、私のおでこにぶつかって。金と群青が、さらさらと星空のように混ざる。
「好きだよ、エレナ」
「――っ、ぁ……の……」
「愛してる」
「っ、わ、わかった、から!」
「わかってないよ」
「わかってるわよ!」
「なにを?」
「そ……その…………ア、アレクが、私のこと、す、す、好きだ、って……」
「……そんなんじゃ、足りない」
囁くような低い声に、びくりと肩が揺れる。アレクは、優しげな、でも煮詰めたようなどろりとした甘さをまとった声で、静かに呟いた。
「そろそろ、分かって……そうじゃないと、危ない」
「……危ない?」
その言葉に、首を傾げる。不思議そうな私を、アレクはじっと見つめた。
「僕が、どのくらい君のことを想ってるか、きちんと自覚して」
「どの、くらい?」
「そう……ちゃんと、分かって。――僕は君の為なら、国も滅ぼす」
間近で見えた碧色の瞳は、いつも通りとても綺麗だったけど。
そこにあった底無しの熱さに、あの日届いた黒薔薇を思い出した。
「ア、アレク……」
「好きだよ」
柔らかく唇が重なる。
「好きだよ、エレナ」
「――っ、」
「愛してる」
「っ、わ、わかった!わかった、から……」
「何を?」
「っ、ア、アレクは、く、国を滅ぼすぐらい、私のことが、すす、好きなのよね!?」
「そうだよ」
ちゃんと分かったのに、きちんと復唱したのに、何故かアレクは止まらない。一瞬目が合ったアレクの瞳は、綺麗な碧なのに、何か獲物を狩るような、焼き切れそうな何かを宿していた。
「ま、待って……」
「待たない」
もう一度しっかりと唇が重なる。私は息も絶え絶えに、ぎゅっとアレクの胸を押し返した。
「っ、待って!」
「なんでだよ。まだ分からないの?――なら、」
「違うから!!」
顔が熱い。しかも、これ以上は何か危ない気がする。もうダメだと、私は叫ぶようにアレクに言った。
「マリアが見てるから!!!」
部屋の端のドアの向こう。マリアが顔を覆った両手の指の間から、こちらをじっと見ている。
「申し訳ございません、アレクシス殿下。陛下より、『未来の王と王妃になる者に、この城の中で婚前交渉をさせるな』との厳命がございまして」
「……ちょっとぐらいいいだろ」
「殿方の『ちょっとだけ』は守られる事のない約束であると母に教わりました」
「…………素晴らしいお母様だね」
深いため息を吐いたアレクは、渋々という風に私を抱きしめていた腕の力を抜いた。
そっとそこから抜け出し、ベッドから這い出る。
振り返ると、アレクは心做しかしゅんとして、真っ白なシーツを見つめていた。
「……アレク」
「ん…………」
「…………あの、ね」
そっとベッドの上で半身を起こしていたアレクに近づく。マリアの様子を伺いつつ、マリアに聞かれないように、アレクの耳元にそっと口元を近付けた。
「……私も、大好きだよ」
「――っ、」
「ちゃんと、分かってるから。だから……その、アレクの国に、行ってから……ね?そしたら、好きにしていいから」
お父様のご指示は、あまり城の中でいちゃつくなと、自由に振る舞うのは自国に帰ってからするように、という事だろう。その意図をきっちりと理解し、アレクを諭したのだけど。
アレクは目をまんまるにしてから――私を羽交い締めにした。
「ちょっ……アレク!私の話聞いてた!?」
「聞いてた」
「じゃあ離して!?」
「離せるわけないだろ」
「だめだってば!」
「ちょっとだけ」
「そ、その約束は守られないものなんでしょう!?」
「…………ちょっとだけ」
「アレク!?」
結局ぎゅうぎゅうに私を抱きしめたアレクから離れられたのは、お腹いっぱいなったマリアが『鼻血がでそうなので』と助け出してくれる、もう少し後になってからのことだった。
読んでいただいてありがとうございました!
アレクは我慢が過ぎて暴走しています。
「暴走しています、じゃねぇ!冒頭ビビらせんなクソ作者!」と作者へ熱いヘイトを贈ってくださった読者様も(ごめんなさい)
「お母様の教え的確」と深く頷いた酸いも甘いも知るあなたも(本能には抗えぬのか)
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