壊れていたモノ
『そう、あのシュトラウス家の令嬢が……』
『怖いわね』
そう、話していたのは誰だっただろうか。
『私の婚約者になにか用かな、シュトラウス令嬢』
婚約者様の言葉に震えていた令嬢がつけていたピアスは、どうしてあの部屋に落ちていたのだろうか。
いやな予感が巡っていく。
彼女を殺したのは、もしや――
いや、そんなはずがない。そんな理由がないはずだ。
彼女は私に対して悪意を持っていた。それを、彼が制裁した? いや、うぬぼれも良いところだ。ありえない。
それよりも、逢瀬を楽しんでいたとかのほうがあり得るはずだ。
それに、彼女は殺人鬼に殺されたのだ。
数年前から殺人鬼の話はあった。何人もの女性を殺していると聞いた。
きっと、婚約者様はシュトラウス令嬢が殺される前に何かしらでお会いしたのだ。
そう、思えれば良かった。
「連続殺人について、ですか……」
薬には様々なものがある。
我が家の薬屋でも、様々な薬を取り扱い、その中には、腐食防止剤などもあった。それを取り扱うのは、基本解剖医や葬儀屋などだ。
薬屋の伝手で、というか昔からのお得意様の元に私はこっそりと訪れていた。
「シュトラウス家のご令嬢の解剖した方をご存じではないですか?」
昔から孫のようにかわいがってくれていた解剖医は、まっしろになってしまった髪を掻きながら苦い顔をする。
「たしか、知り合いが対応したと聞いていますが……なにかありましたか?」
「彼女は、本当に連続殺人に巻き込まれたのでしょうか……」
静かに彼は頷く。
「連続殺人犯に殺された方たちと同じ特徴がありました。世間には決して発表していない特徴でしたので、確実に同じ犯人でしょう」
「そうでしたか……ありがとうございます」
解剖医と別れ、家に帰ると友人や伝手をたどって調査した結果が少しずつ届いていた。
シュトラウス家のご令嬢の殺された日の事、連続殺人について、婚約者様の事……。
ご令嬢は、私を呼び出してから数日後に殺害されていた。深夜に城下町の裏道での事だったらしい。目撃者はなし。どこかで殺害されて、そこに捨てられてしまったという事だった。
その日、婚約者様は屋敷で仕事をしていたとの話も出てきた。
殺害された女性たちの共通点はない。シュトラウス家のご令嬢のように別の場所で殺された者も居れば、その場で殺害されていた女性もいたらしい。婚約者様と貴族の令嬢ならパーティーなどで会ったことはあるし、城のメイドなどは婚約者様がよく城に行っているので知っている人も居るだろう。良家の子女や物乞いまではわからなかった。
これ以上、調べても何も出ないはずだ。だから、もう調べるのは止めるべきだ。
けれど……。
連日、眠れない日が続いていた。
その夜も、遅くまで眠れずに静かに自分の部屋で過ごしていた。
ふとした瞬間に思い出し、何かをしていないと気持ちが落ち着かないのだ。
そんな中、馬の嘶きが聞こえた。
窓の側にいた私は、なんとなく窓を見る。
月明かりで、外はいつもよりも明るかった。
誰かが馬に乗って走っていく。近くの路地に曲がっていくのが見えた。
――あれは。
気付いたときには、思わず立ち上がって走っていた。
「あれ、姉さん?」
物音に気付いた弟が目をこすりながら起きてくるが、その時の私には立ち止まる余裕など無かった。
早く、見失う前に。
相手は馬に乗っているのだから、どうがんばっても追いつけないとわかりつつも、それでも行かなければと思ったのだ。
玄関から外に出ると、涼しい夜風が頬を撫でる。
靴を無理矢理履いて、先ほどあの人が曲がった道へ走る。
曲がり道でチラリと見えたあの横顔は……あの婚約者様に見えたのだ。
こんな夜中に護衛も無く、一応婚約者である私を訪ねてきたわけでも無く、どうして?
不安が蝕んでいく。
もしかしたら。いや、でも、そんなはずはない。
否定を繰り返しながら、ようやくあの道を曲がった。
誰もいない。
細い道が続いているだけ。
少しだけ、ほっとした。
きっと、見間違えだったのだ。
月明かりの届かない暗い道を、それ以上進むことを止めようとした。
ヒ、イ、ヤアァ
か細い、悲鳴のような音が聞こえた。
目の前の暗い道の先で。
一歩、踏み出すのに勇気が必要だった。
足音を立てないように進もうとするが、手足が震えた。
一歩、また一歩。
すぐ側で、物音が聞こえる。
狭い十字路がある。
音の聞こえた方を、のぞき見た。
暗い路地で、地面に倒れた女に覆い被さるようにのぞき込む青年が、短剣を突き立てていた。
心の臓へ。失われてはいけない器官へ。
「っ……」
息が苦しい。
言葉が出ない。
ただ、後ろに下がろうとして、うまく歩けず崩れ落ちた。
その音を聞いて、青年がこちらを見た。
――その光景を、一生忘れないだろう。
赤い返り血を浴びた、婚約者様の顔が見えた。
何時もの笑みは無く、無表情で振り返り、私の姿を見ると笑った。
どこか、もの悲しく、見ているだけで苦しくなる笑みを。
「やぁ、エレノア。今夜は月が綺麗だね」
月など隠れて見えない細い路地で、彼は返り血をしたたらせながら……笑った。
そこからのことは、途切れ途切れにしか覚えていない。まるで別の世界にいるようだった。
私を心配して追いかけてきた弟が悲鳴を上げ、周辺の住民を起こし、気付けば警邏が集まっていた。
婚約者様は現行犯で捕縛され、牢へ送られたそうだ。襲われていた女性は、その後大量出血で死亡してしまったとも聞いて苦しかった。
エンデ家から連日のように手紙が来て、父が怒り狂い、母が泣いていた。
連日、我が家の周りには記者がまとわりつき、根も葉もない噂話をさぞ本当のようにゴシップ記事にしていた。
殺人鬼の婚約者もまた狂人だとか、オスカー・エンデが殺人鬼になってしまったのは婚約者のせいだとか、元平民の婚約者の罪をかぶったのではとか。
人は、どれだけ妄想を膨らませられるのだろうか。きっと、彼等は記者では無く小説家なのだろうと思う。
やがて、誹謗中傷に傷つかないように、情報をシャットアウトするのは当然のことだった。
何もしなくても、日々は過ぎる。
一週間がとても短く感じた。
今後のことを話し合うために、父がエンデ家に向かうと聞いて、気付けば私は同行を申し出ていた。
なぜそんなことを言い出したのか。何もかもが非現実的で、通い慣れた彼のいないあの屋敷へ行けば少しは納得できると思ったのかも知れない。
最初は難色を示した父だったが、私の意思は変わらなかった。
そうして、エンデ家とアインホルン家での今後について話し合いが行なわれた。
エンデ家と私の結婚をする約束のもとに行なっていた援助をどうするのか、噂やゴシップ記事への対応などを話し合う予定だったが、私はそこには行かずに婚約者だった彼の部屋へと向かった。
いつ見ても必要最低限の物と本棚しかない殺伐とした部屋。
ここであのピアスを見つけなければ私達は結婚をしていたのだろうか。
堅苦しい本ばかり並ぶ本棚を眺めながら、ゆっくりと歩く。
彼は、なぜ殺人鬼となったのだろうか。
なぜ、女性を凄惨な方法で殺していったのだろうか。
連続殺人である特徴は、犯人逮捕と共に報道されていた。
彼は、生きている女性の心臓を見えるようにと胸を切り開いていたそうだ。そして、死ぬまで見ていたと。
被害者の女性たちはどれほど痛く苦しかっただろうか。私には想像しかできない。
彼は、犯行を認めたものの、動機は一切話していない。それが、ゴシップのネタとなり、我が家への誹謗中傷にも繋がってしまっていた。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
考えながら、本棚に寄りかかった。
その途端、綺麗に並んでいた本のうち、小さめの本が押されて奥へと入り込んでしまった。
あっと思い、慌てて寄りかかるのを止めるとでこぼこになってしまった本を直そうと本棚の奥に手を入れた。
「……あ、れ?」
手に、何かが当たる。直そうとしていた本ではない。
また、あのピアスのような物だろうか? しかし、手触りは紙のようだ。
怖々と、本を取り出して、手に当たった何かを取り出す。
それは、使い古された日記帳だった。
意外とずっしりと重く、うまく出し損なって本棚から落ちた。その衝撃で、最初のページが開かれる。
『りっぱなこうしゃくけとうしゅになるために、ひびのきろくをかきしるしていこうとおもいます』
まだ幼い筆跡で、一生懸命書かれたであろう文が見えた。
少しずつ、めくっていく。
日々の生活が、語られていく。
「……なに、これ」
ふらふらと、歩き出す。
彼の部屋から、ずっとずっと先。離れた場所へ。
あの、親子の肖像画の元へ。
あの日と変わらず、その肖像画は飾られていた。
彼の父と継母、そして金髪の幼い子。明るい笑顔の子。
最初に見たときから、違和感があったのだ。
その子を見る。
彼だと思ったけれど、きっと違う。
この子は、あの人じゃない。
「ここでなにをしているの」
鋭い声が聞こえてきた。
振り返ると、声とは裏腹に憔悴した様子のヒルダ様がいた。
こちらのことを疲れた表情を隠すこともできない様子で見ていた。
「……ヒルダ様」
「ここには来ない方が良いわ」
「……教えてください」
「…………聞こえていた? ここから、早くどこかへ行きなさい」
ここから遠ざけようとするヒルダ様に、私は先ほど見つけた日記帳を見せながら言った。
「『あの子のせいで……こんなことにはならなかったでしょうに』、それは、どう言う意味ですか?」
ヒルダ様はじっと私と日記帳を見て、静かに彼女は日記帳を手に取った。
おもむろに開き、ページをめくるたびに表情が失われていく。
きっと、彼女からは言わないだろう。様子を見ながら思った。だから、私は言葉を続ける。
「彼は……オスカー様は、虐待を受けていたのですね」
そう伝えると、ヒルダ様はそっと側の部屋の扉を開けて入っていった。
『りっぱなこうしゃくけとうしゅになるために、ひびのきろくをかきしるしていこうとおもいます』
そんな一文からはじまる日記帳の記録は、あまりにも悲惨な記録だった。
初めは、父による教育と言う名の体罰。やってきた継母による無視。
やがて、継母の子が妊娠、出産をすると、その弟が当主になるなんて話も持ち上がり、孤独だけれども少しだけ平穏な日々が続き、弟の死と共に地獄が訪れた。
『お前のせいだ』『存在しなければ良かった』『代わりに死ねば良かったのにっ』
我が子を失った継母による陰惨な虐待の始まりだった。
弟と接点の無かった彼は、弟の死と全くの無関係だった。そもそも、彼は弟とは離れて暮らしていた。
それでも、我が子を失った継母は彼を憎しみの対象とし、狂っていった。
毎日、暴力や暴言を投げかけられ、継母の言いつけにより使用人たちも彼を無視した。暴力をふるうこともあった。ほぼ放置で彼が風邪をひいても何もしなかった。
父は、継母の行動を、使用人たちの事を知っていながら見ないふりをした。むしろ、教育という名の暴力を続けていた。
そうして、精神的に病んだ継母は徐々に衰弱し、亡くなった。
その頃には、彼も壊れてしまっていた。
ヒルダ様の後をついて、部屋に入ると、そこには沢山の肖像画が飾られた女性の部屋だった。
優しそうに微笑む女性と男の子とその父。
初めて廊下の肖像画を見たとき、違和感があった。それが何だったのか、この大量の肖像画を見て、確信した。
「この絵に描かれているのは、オスカー様の、弟さんなのですね」
そう言うと、ヒルダ様は静かに頷いた。
「あの子の成長した姿を想像して描かせていたのよ」
なんとなく、彼の顔に似ていないと思っていたのだが、それは当たり前だろう。彼では無かったのだから。
「オスカーはあの子のせいで……私の妹のせいで、壊れてしまった」
「……人を、人と認識できないまでに」
彼は、虐待の末に、自分以外の人が人であると認識できなくなっていた。動き、話す人形とか、よくわからない存在にしか認識できなかった。
度重なる暴力と暴言、無視などを受けたせいだ。
彼等はなぜ痛いことをするのか、きっと彼等は痛みを感じないのだ。
なぜ酷いことを言うのだろう、きっと彼等は心がないからだ。
なぜ無視をするのだろう、きっと彼等と自分は違う存在なのだ。
彼等はきっと、自分とは違うのだ。だから、痛くても苦しくても悲しくても、しょうが無い。だって、自分とはかけ離れた存在だから。
そんな彼等に何をされても、しょうがない。
たぶん、自己防衛の結果だ。
「妹が死んで、私が気付いたときにはもう手遅れだったわ」
ヒルダ様ができたのは、自分の妹の後始末をすることだけだった。
妹の死後、生まれてすぐ生母をそして弟を、さらに継母を亡くした甥を心配して屋敷に出入りするようになって、ようやく気付いた。
妹のように彼を虐待していた使用人たち、ほぼすべての者達を解雇し、侯爵に彼への体罰を抗議し、彼を医者に連れていった。
少しずつ侯爵の暴力も落ち着き、彼も普通の人のふりをできるようになった。
そんな中の婚約だった。
そんな中の、殺人だった。
「あなたに辛く当たって、ごめんなさいね。あの子のことをただの玉の輿だとか愛していない人と結婚させるのが嫌だった。けれど、貴女はそんな人じゃないって、わかって、けど……ごめんなさい。あの子が、こんな、ここまで壊れてしまって、いた、なんて……」
血の繋がらない甥。それでも、かわいがっていたのだろう。ボロボロと涙を流しながら、日記を握りしめる。
「ごめん、なさい。私の妹がオスカーを大切にしていれば。ちがうわ。私があの愚かな妹を、矯正させられていれば、結婚していた侯爵のことを運命の相手だなんて戯言を言った時に……」
……私は、謝りつづけるヒルダ様から日記帳を取り戻すと、彼女を残してその部屋から出て行った。
吐き気を感じるような部屋だった。
結局、話し合いの後、犯罪者となった彼との婚約は当然ながら破談になった。
罪人となった彼は、貴族用の牢に入れられた。
裁判が開かれたが、彼が犯行動機を語ることは無かった。
史上最悪と呼ばれた連続殺人犯。犯行を否認はしなかったので、有罪判決により、重罪人が送られる塔に行くことが決まったという知らせを聞いたとき、私はどうしても最後に会いたいと思ってしまった。
彼と会うのは、比較的簡単に許可が下りた。
エンデ家の人が、もしかしたらヒルダ様が何か裏から手を回してくれたのかも知れない。
とにかく、私は彼とおそらく最後の別れをすることになった。
貴族用の牢は、普通の罪人用の牢と全く違った。かなり小さい窓と鉄格子がはまっていること、衛士たちが常に監視していることなどはあるが、部屋の中はある程度の家具もあるらしい。
面会室に通されると、すでにそこには彼がいた。
少し痩せた感じもあるが、いつもと変わらない笑みを浮かべていた。
あの夜のことを思い出し、少しだけ手が震える。
「お久しぶりです」
私が口を開くよりも先に、彼がいつものように声をかけてきた。
「おひさし、ぶりです」
「こんな場所まで、どうなさったんですか?」
まるで、今日の天気を聞くかのように、笑って彼は言う。
「……」
なぜか、私の方がいたたまれなくなってしまった。
彼の顔を見れず、思わず下を向いてしまう。
そして、静かにあの日記帳を出した。
「あぁ、それ……見つけたんですね」
「……すべて、読みました。ヒルダ様からもお話を聞きました」
「そう……」
彼は、それでも何も変わらない笑みを見せていた。
「……だから、私を愛せないと言ったのですね」
同じ人として見れないから。
「だから、ですか? 人に見えなかったから、女性たちを、殺していたのですか?」
「違います」
「では、なんでっ」
そう問いかけると、彼はそれまでの笑みを消した。
「知りたかったのです。私を愛しているという人達が、本当に生きているのか」
だから、胸を開いた。
そんなこと、絶対許されることはない。けれど、彼にとっては、切実な問題だった。
同じ存在でいる、生きている証明が欲しかった。
「あなたは……愛したかったのですね」
愛していると言った人を。
「でも、それは間違っています」
なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
なぜ、こんな悲劇が起こってしまったのだろう。
「もう少し――、――――――たら……」
視線を外して、ぽつりとつぶやく彼の言葉は、私には届かなかった。
けれど、彼は私の目を見ると最後にこう言い残した。
「ありがとう、エレノア」
「なん、でっ、なんでありがとうなんて言うんですかっ。あなたは、どうしてっ」
思わず叫んだ私の様子に、衛士たちが慌てて止めに入ってくる。
そのまま、面会は終了となった。
私と彼はそれから二度と会うことはなかった。