愛のない婚約
優しそうな笑みを浮かべ、彼は私の手を取る。
ほんの数年前まで憧れていた舞踏会で、誰もが憧れる貴公子と元平民の私がこうして踊るなんて誰が想像できるだろうか。
オスカー・エンデ様。
私の、婚約者様。
次期、侯爵様。
見目麗しく、誰もが振り返るような美丈夫で文武両道の秀才。
常に優しく微笑んでいる彼は、いつでも人気者だ。
婚約者様はこんな私にも律儀に優しくしてくれる。
けれど、一つだけ分かっている事がある。
彼は、私の事を愛さない。
ダンスが終わると、私はすぐにベランダに出て夜風に当たりながら城の中を見ていた。
見た目だけはキラキラと煌めく世界だが、実情はドロドロの恨み妬みの世界。
その中心に私の婚約者様はいた。彼の周囲にはその美貌と家名に目がくらんだ女性が多い。
そして、私のいる場所に気付いた人々がこそこそと何かを言っているのが見えた。
「あれが、噂の……」
「契約で……とか」
「所詮成り上がりの……」
こちらに聞こえるか聞こえないか、そんな微妙なところでクスクスと笑う声も聞こえる。
優雅に踊る彼と、固くぎこちない私のダンスはさぞ笑えたモノだろう。
一年前に婚約が発表されてから慣れているし、元々、奇異な目で見られることには慣れている。
無表情で、悪意のある言葉を聞き流す。
一応、婚約者様は誰それが私を貶めるような事を言ったと聞くと、抗議や制裁をしてくれているらしい。聞いただけだけど。
そのせいで、さらに陰で嫌みったらしく契約を盾に婚約者に泣きついた女だと言われるだけだから、私は聞かないふりをして、彼にも聞こえないようにたちふるまうようにしている。
婚約者様が、周りの人と別れて私の元へと向かってくるのが見えた。
「大丈夫ですか? 疲れましたか?」
「……はい。やはり、人が多いところはなかなか慣れませんね」
先ほどの人達へ向ける笑みと変わらない笑みを浮かべながら、彼は私の手を取った。
「では、そろそろ帰りましょうか」
「……もう良いのですか?」
「遅くなっては貴女のお父様たちも心配なさるでしょう」
そう言って、手を引いた。
確かに、数年前から物騒な事件が続いている。若い女が殺されただとか、街で行方不明な人が出たとか。
確かにそうなのだが、舞踏会を後にする私達の姿を見る人達の視線は分かりやすい。
婚約者様の姿を憧れた目で見つめる人、私を睨み付けるように見る人。
目立つ集団が私を見ながらおしゃべりをしている。その中でも中心になっていた赤毛の娘が婚約者様の髪色と同じ黄色のピアスを見せつけるようにしながら私に憎しみにも似た視線を向けていた。
早くここから去りたくて、私は少しだけ足を速めた。
実家に戻ると、ほっとしてベッドに倒れ込む。
婚約者様は律儀だ。だから、彼は私を愛せないと二人っきりになったときに最初に言ってきた。
当然だろう。
特に、私は驚かなかった。
愛されるようなことは無いだろう。むしろ、優しくしてくれるほうが驚きだ。
私と婚約者様では身分も立場も経歴も、何もかも違う。
所詮、私と彼との関係は契約。
金繰りの悪い侯爵家と、貴族と繋がりが欲しかった、金で爵位を買った成り上がりの私の家との利害関係が一致してしまった関係なのだから。
「なんで私がこんな事をしなければならないのかしら」
そんな文句を言いながら、妙齢の女性が眉をひそめた。
ヒルダ・ライン。彼女は、婚約者様の義母の姉だ。夫人としての基礎を教えて貰っているところだった。
いつものことなので、何も言わずスルーをする。
「エレノア・アインホルン、背筋を伸ばしなさいっ。まったく、この前と何も変わっていないじゃない」
持っていた本を机に叩きながら、彼女は指示をする。
元々家業を手伝っていたおかげで書類関係はどうにかなったが、礼儀作法に関してはなかなかうまくいかなかった。
「こんな嫁じゃあ、エンデ家も笑われモノね」
ぶつくさと言いながらも、私の体を触り、姿勢を直していく。
彼女は決して手を出してこないし、陰口も言わずに堂々と私に言ってくる。そもそも、婚約者様とは血の繋がらない親戚なのに私のためにわざわざ侯爵家に教えに来てくれる。なんだかんだ言いながらも、良い人だと思う。
婚約者様の母親は、幼いときに儚くなった。そして、その後にやってきた義母は、婚約者様の弟を産んだものの、二人とも亡くなってしまったそうだ。
それで、侯爵家に嫁ぐ私のために、花嫁修業や礼儀作法を多くの子女に教えてきた彼女が教育を買って出てくれたのだ。
「集中しなさいっ」
「はい……」
少しばかり厳しいが。
「あの子のせいで……こんなことにはならなかったでしょうに」
あの子というのは、誰のことなのか。妹のことだろうか。いつも、そうつぶやく。
彼女は、いつも怒っているようにふるまっていた。
たしか、オスカー様の弟は幼いときに事故で死んでしまい、そのせいで義母は精神を病んでしまいお亡くなりになったらしい。
自らの子が死んでしまうなんて悲劇、精神が壊れてしまってもおかしくない。
事実、私の両親もそうだった。
私には兄がいたらしいが、私が赤子の時に亡くなった。その時の後悔から、両親は壊れてしまった。
見た目や立ち振る舞いこそどうにか世間に出てもおかしくないぐらいには取り繕っているが、私は両親の歪なあり方を知っている。
家族を、子を失うと言うことは、たいていの人にとって生きた地獄なのだろう。
私はまだ経験したことのない、奈落なのだ。
「貴女、オスカー様との婚約を破棄しなさい!」
そう言ってきたのは、以前舞踏会で見かけた赤毛の彼女だった。
今日も、婚約者様の髪色と同じ黄色のピアスをしている。
面倒くさそうな人に絡まれてしまったなぁと若干現実逃避をしていると、彼女はさらに詰め寄ってくる。
「貴女のような人が、よりにもよってオスカー様の婚約者だなんてっ」
どうしようかと辺りを見回すが、誰もいない。
婚約者様に連れられて来たパーティーで、いつものようにある程度挨拶が終わった後に彼から少し離れた場所にいて、メイドに婚約者様が呼んでいるからと呼ばれて庭園の奥へ連れてこられたらこれだ。
なにも考えずついていった自分も悪いが、彼女もどうしたものか。
「わたくしが婚約するはずだったのに! わたくしの方が貴女よりオスカー様の隣にふさわしいのにっ!!」
肩をつかまれてガタガタと揺らされる。
暴力になる前に逃げなければと思うが、さすがに体がすくんで動けなかった。
「わたくしの方がオスカー様のことを愛しているのに!!」
私だって、かわいらしくて貴族としての礼儀作法を知っている彼女の方があの王子様のような彼とお似合いだと思う。
けれど、決められてしまった婚約だし、私にはどうにもできない。
だから、婚約を破棄するようにと言われてもどうにもできないのだ。
涙を流しながら叫ぶ彼女に、私は何も言えなかった。
泣きたいのは、私もなのに。
替われるのならば、替わったのに。
突然、彼女が私から手を離すと、震えながら後ずさり始めた。
その視線は、私を見ているようで見ていない。私よりも後ろのほうにあった。
「オ、オスカー、さま」
震える小さな声で彼女は言った。
振り返る。
そこには、何時もの微笑みを浮かべた彼がいた。
「私の婚約者になにか用かな、シュトラウス令嬢」
いつもと変わらないトーン。私の婚約者様は、何時だってこんな感じだ。
「な、なんでもございません」
そう言うと、彼女は涙を浮かべながら走り去って行った。
愛するヒトにこのような姿を見せたくなかったと言うことだろうか。
「大丈夫ですか」
「……はい」
捕まれて乱れたドレスを直しながら、私は淡々と答える。
彼は、笑みを崩さない。
そう、彼は何時だってこの顔だ。
婚約を決められた顔合わせの時も、私を貶めた貴族を追求するときも、熱烈な令嬢に愛していると告白されても、何があっても。
婚約者様と過ごすうちに分かった事がある。
何時も優しげな笑顔を振りまく誰にでも優しい貴公子。
表向きの姿だけを見ていればそう見えるだろう。
だが、違う。
彼は私を愛せないと言ったが、それも違うだろう。
たぶん、彼は誰にも興味が無いのだ。
もうすぐ春だというのに、酷い雪が降った。
その数日後、婚約者様が風邪をひいたという話を聞くことになった。
「すみません、お見舞いに来ていただいて」
いつもの笑みを崩さず、しかし顔は赤く声はひどくしゃがれてしまっている婚約者様に、私はこんなところでも笑顔を崩さないのかと思った。
「大丈夫ですか?」
そう言いながら、侍女に持ってきた花を預ける。
すぐに花瓶を用意すると飾ってくれる。ふわりと良い匂いが香った。
婚約者様の部屋は、酷く無機質な部屋だった。
ベッドと机と本棚。そして今は私の持って来た花があるだけ。私物はないように見える。
「よく眠れていないと聞きました。こちらの花の香りは安眠によいそうです」
「ありがとうございます。……良い香りですね」
そう言った彼は、幾分か表情が和らいだ気がした。
そして、私も風邪をひいてしまった。
たぶん、夜更かしと手洗いうがいを忘れてしまったからだ。
弟が薬屋の娘が何してるんだとブツブツ言いながらも看病をしてくれる。
ごほごほと咳をしていると、弟が誰かを連れてきた。
熱でもうろうとしているせいか、よく顔が見えなかった。
何かを話しているけれど、よく聞こえない。
ふと、気付いたときには誰かは帰ってしまった後だった。
少しだけ寂しさを感じながら、私は眠りについてしまった。
春の祭りは一週間かけて行なわれる国を挙げての一大行事だ。
厳しい冬を乗り越えてようやく訪れた春を祝う城では毎晩パーティーが開かれ、城下町では出店が並び夜遅くまで騒いで楽しんでいる。
貴族は大抵パーティーに出席しているのだが、若者たちの間ではこっそりと城下町に遊びに行くのが流行らしい。
その話を聞いたのか、律儀な婚約者様は私を祭りに行かないかと誘ってくれた。
とはいえ、小さい頃から散々遊んでいた城下町なので、私は知らない場所はほとんど無い。
「あそこの焼き鳥が美味しいので、買ってきましょうか」
「君はよく知っているね……ありがとう」
勉強してきたようだが、それでも実際はなかなか違う城下町の様子に戸惑う婚約者様の手を引きながら、私はなるべく明るい道を選んで案内をする。
裏通りなんてさすがに生粋の貴族様には見せられない。
観光名所や祭りの目玉になってる舞台などを二人で巡っていく。
夜になると、花火が上げられるからと、花火のよく見える場所へと向かった。
郊外の公園の広場には、地元の人達が持ち寄ったごちそうを広げながら花火を見ている。
少し離れた場所で、私達は空を見上げた。
二人そろって風邪をひいていたので、久しぶりのお出かけだった。
「綺麗ですね」
赤や金の火花が飛び散り、夜空に軌跡を描く。
幾度も幾度も。
飽きないようにと様々な形で夜の花が咲く。
「そうですね」
当たり障りのない会話。当たり障りのない二人の時間が過ぎていく。
その時間は、嫌いではなかった。
「今日は、私が誘ったというのに、案内をさせてしまってすみません」
「いえ。城下町については私の方がよく知っていますから」
たぶん、結婚をした後もこんな時間が続くのだろう。
彼は私を愛さないと言ったけれど、とても律儀だから。
「……?」
突然、婚約者様が私の手を引いてまるで庇うように前に立った。
近くの茂みが揺れる。
何事かと見ると、茂みから黒い子猫が現れた。
なんだ子猫かと婚約者様は私の手を離す。
「いきなりすみません」
「い、いえ……」
少しだけ、緊張してしまったが、過ぎてしまえばなんてことも無い。
「にゃー」
力ない声で鳴く子猫は、後ろ足を引きずりながらそのまま倒れてしまった。
おなかをすかせているのだろう。体はガリガリで毛並みは悪く、目ヤニが沢山付いている。
春になったとは言え夜は寒い。このまま放置すれば、死んでしまうかも知れない。
しゃがんで、子猫を捕まえる。
すると、足に酷い傷を負っているのが分かった。黒い毛並みだからよく見えなかったが、だいぶ血を流していたらしい。
「あまり触らない方が」
衛生面を気にしているのか、婚約者様は汚い子猫をあまりよく思っていないようだ。
だが、怪我を見逃せなかった。
懐にある袋を取り出す。
公園の水場に向かうと、そこで子猫の傷を洗って、傷薬を出すと手袋をして塗っていった。
「いつも、持ち歩いているのですか?」
「えぇ。我が家のしきたりなのです」
さっと包帯を巻いて、子猫を持っていたストールでくるんで抱いてやる。
小さい頃から、怪我の応急手当は習っていた。ある程度の医学も勉強している。
薬屋の娘だから。
そう。我が家は薬屋で大成功し貴族に成り上がった一族だ。
子猫の食べられるものを持っていないので、適当にミルクでも買って帰ろうかと考えていると、彼は黒猫を見て言った。
「なぜ、そんなものを」
思わず彼を見る。
婚約者様は、いつもと変わらない顔だった。
「その怪我ではすぐに動かなくなってしまいますよ」
「私が助けたいから助けるんです。もし死んでしまうとしても、せめて寒空ではなく温かい場所で眠らせてやりたいじゃないですか」
「そうですか」
貴族は、こういう事はあまり好きじゃないのだろうか。
あまりよく分からないが、婚約者様はとても変な様子で子猫を見ていた。
なにか違和感を感じながら、その日はその後すぐに別れることとなった。
「オスカー様、お疲れ様です」
春の祭りの最終日、お城で闘技大会が行なわれた。
貴族たちの娯楽の一つで、婚約者様も参加していたので私も応援に来ていた。
ぎこちなく婚約者様の汗を拭いに行く。
ヒルダ様に事前に闘技大会で婚約者が何をするのかなど教わってきている。
闘技の終わった婚約者様を待機室で出迎えて世話をしたり、次の準備を手伝ったりするらしい。
予選を終えて、本戦に進む参加者が発表される。
勝ちを重ねていた彼は、楽々と予選を突破していた。
続いて、本戦の最初の対戦相手が発表される。
休む暇も無く、婚約者様は会場へと戻っていった。
婚約者様のいなくなった待機室は嫌な視線を感じる。
同じように婚約者として待機室にいた令嬢が何人か居る。
数人が集まってこそこそとこちらを見て何かを言っていた。
興味が無いので、さっさと離れることにする。
婚約者様が戻ってくる前に戻れば大丈夫だろう。
待機室から出ると、参加者たちの戦う姿が見える。待機室からも見えたが、また違う場所から見ると新鮮だ。
そんな中、祭りにはあまり似つかわしくない会話が聞こえてきた。
「そう、あのシュトラウス家の令嬢が……」
「怖いわね」
シュトラウス家? どこかで聞いたことがある気がして、思わず足を止める。
周りの人たちのように観戦をしているふりをして、耳をそばだてる。
「連続殺人ですって」
「若い貴族の娘が狙われるって」
「良家の娘も殺されているそうよ」
「城のメイドも行方不明ですって」
シュトラウス家のことを思い出す前に、話はどんどん進んで行ってしまう。
少し前から物騒な事件が続いていた。そのことだろう。
だが、そこまで被害が広がっているとは知らなかった。
ふと、婚約者様の試合の方を見ると、決着が付きそうだ。そろそろ戻らなければならない
どこか嫌なモノを感じながら、待機室へと戻っていった。
婚約者様のお世話……と言っても、汗を拭いたりするだけなのだが。
ふと、袖に隠れた腕に怪我をしているのが見えた。
「オスカー様、失礼します」
いつもの癖で持っていた薬を広げる。
袖をめくると、刃を潰した剣で試合をしているが、それがぶつかったのだろう、あざになっていた。
打ち身に効く軟膏をさっと塗っていく。
他にも無いかと見れば、反対の手には擦り傷がある。すぐに消毒をして薬を塗る。
「……ありがとうございます」
「いえ……」
傷を、見逃すことなんてできなかった。
「こんな、気にしなくて良いのに」
「いいえ。一つの怪我で死に至ることもあるのですから」
私も、両親に毒されているのだろう。
我が家は四人家族で、両親と弟がいる。
そして、十年以上前に亡くなった兄がいた。
兄は小さな怪我から病気を発症した。両親は異常なほど高額になっていた薬を買うことができず、兄は死んでしまったそうだ。物心つく頃には、ひどくやつれた両親が忙しく働いていた事を覚えている。
両親は、薬を手に入れられなかったことを後悔し、薬問屋へ。
我が家は小さな怪我でも病に繋がると薬を持ち歩き、応急手当の心得を学ぶようになったのだ。
「いってらっしゃいませ」
すぐに手当を終えると、私は静かに彼を見送った。
結果、彼は次の試合で現騎士団長と当たってしまい敗れてしまった。さすがに、現役の騎士団長と当たってはどうにもならなかったようだ。
試合を見て、脇腹に攻撃を受けたことを知っていた私は、彼が戻るとすぐに服をめくった。
困惑する彼を気にせず、打ち身に効く軟膏を塗っていく。
「ありがとうございます」
「いえ」
その後、それを見ていた騎士団長から軟膏のことを聞かれ、よければと未使用の軟膏を譲った縁で騎士団に薬を卸すことになり商売に繋がったりもしながら、少しずつ時間は流れていった。
春の祭りから一月が経った。
黒猫は、元気になって我が家で昼寝をしている。連続殺人はまだ続いているらしいが、犯人は未だに捕まっていない。
シュトラウス家の令嬢……婚約者様の髪色と同じ色のピアスをしたあの令嬢だった。彼女も、噂通り連続殺人鬼によって殺されたそうだ。
殺された人々は貴族の令嬢、城のメイドや平民の中でも良家の娘。良い家の者ばかりかと思いきや、物乞いの娘もいるらしい。
物乞いでは他の事件に巻き込まれたのでは無いかと思われてしまうところだが、殺し方が特徴的だった為に同一犯だと分かっているらしい。
もちろん、その特徴は発表されていない。
被害に遭った人達のあまりの人数の多さに、史上最悪の連続殺人だと言われはじめていた。
私のことを良く思わず一度は呼び出しまでしてきた相手とは言え、知っている人が殺されていたのはショックだった。
いつまで、このようなことが続くのだろうか。
人の命を奪うなんて、なぜそんなことができるのだろうか。
犯人はどんな人なのだろうか。
「お嬢様、お客様がいらっしゃいました」
待ち人が来たので、すぐに思考を切り替える。
今日は、婚約者様と我が家でお茶をする日だ。粗相の無いようにしなければ。
いろいろと用意していた庭園で顔を合わすと、婚約者様はどこかいつもと違う笑みを浮かべていた。
「なにか、ありましたか?」
そう聞くと、少し驚いた顔をする。
すぐに何時もの笑顔にもどった。先ほどのことなんて無かったように。
「実は、結婚式の予定が伸びてしまうかも知れません」
半年後に結婚をする予定として動いてきていたのだが、一体どうしたのだろうか。
私の礼儀作法の勉強がなかなかはかどらないせいかと一瞬ヒルダ様のことを思い出す。
「父が倒れて、急遽侯爵家を継ぐことになりました。その引き継ぎ作業で忙しく……」
「そうでしたか。お義父様の容体はいかがですか? なにか、病でしょうか? 我が家でなにかできることがあればおっしゃってください」
「ありがとうございます」
現侯爵様には侯爵家に行ったときに何度も会っていたが、倒れるようなお年では無かったはずだ。
急なことで忙しいだろうに、律儀な婚約者様は今日のお茶会に休まず来たらしい。
簡単な手紙か人を送って伝えてくれれば良かったのに。
そんなことを伝えると、彼は少し困った顔でそうですねと言っていた。
週に何度か行なわれるヒルダ様の授業が終わった後、私は侯爵家の屋敷を散策していた。
婚約者様に挨拶して帰ろうとしたのだが、どうやら重要な話し合いをしているようで、その話し合いが終わるまで時間を潰すためだった。
無駄に広い侯爵家はまだ私の行ったことのない部屋で一杯だ。
侍女が二人案内として着いてきてくれるので、いろいろと聞きながら散策をしていく。
「あれ……?」
婚約者様の部屋からかなり離れた場所まで来た。
なんとなく雰囲気がかわった気がする。そして、廊下の奥に巨大な肖像画があった。
婚約者様のお父様である侯爵様と数年前にお亡くなりになった夫人、そしてその間に金髪の幼い子どもがいる。侯爵様とよく似た彼は、いつもの笑みでは無い、もっと明るくて子どもながらの笑顔を浮かべていた。
「オスカー様は、子どもの頃どんな子だったのですか?」
侍女に問いかける。二人のうち、若い侍女が申し訳なさそうに眉を下げた。
「私が侯爵家に仕えるようになったのは数年前なので、知らないのです」
そう言って、隣の少し年を重ねた先輩の侍女に視線を向けた。が、彼女も首を振る。
「私も、奥様がお亡くなりになった後に雇われたので、あまり詳しくは知りませんが、幼い頃からとても聡明な方だったそうです」
「そうだったんですね、ありがとうございます」
今度、他の人にも聞いてみようと思いながら、もう一度肖像画を見る。
普通の家族の様子が描かれている。
が、ふと違和感を覚えた。
婚約者様の顔をよく見る。笑顔もそうだが、なにかが違う気がするのだ。だが、それがわからない。
なにか違和感を感じながら、私はその肖像画の前を後にした。
そろそろ良い時間だろうと婚約者様の部屋へと向かう。
あの、無機質な部屋は、まだ無人だった。
もう帰ってくるはずなので、少し本棚を覗きながら待つことにする。
本棚はとても難しい本ばかりだ。一冊手に取ってみるが、すぐに戻してしまった。
「あ、れ?」
本棚の端にキラリと光るモノがあった。
思わずそれを手に取る。見ると、黄色い宝石のついたピアスだった。
「……え?」
見覚えが、あった。
このピアスを、ピアスをつけていた人を、知っている。
けれど、この場所になぜあるのか。あるはずがない。
だって、彼女は……。
「すみません。お待たせしてしまいましたね」
思わず手のひらのピアスを握って隠し、私は振り返った。
何時もの笑みを浮かべた婚約者様が話しかけてくる。
「どうかしましたか?」
「いえ」
その後、何を話して、どんな顔で帰ってきたのか、よく覚えていない。
ただ、握りしめていたピアスが痛かった。
お読みくださりありがとうございます。
三話完結の短編となります。




