甘くて苦い
目の前にいるモノはなんなのか、ずっと考えて居た。
自分とよく似たソレは、きっと自分とよく似た『物』なのだ。
そう、思った。
だって、自分と同じ存在だとは思えないのだもの。
同じ、人だと思えないのだもの。
「彼女が、お前の婚約者となるエレノア・アインホルンだ」
侯爵はそう言って少女を紹介した。
垢抜けない彼女は、一生懸命貴族のまねをして化粧をしてドレスを着た田舎娘のような物だった。
「よろしく、おねがいします」
たどたどしく言いながら彼女は頭を下げる。
「貴女を、私は愛せない」
そう言うと、不思議そうに、彼女は私を見上げてきた。
「律儀な人ですね」
それだけ言うと、彼女は苦笑した。
そんな彼女は、今まで出逢った物たちとは全然違った。
風邪をひいた時に、彼女が訪ねてきたことがあった。
わざわざ眠れないという私のために花束を持って、貴重な薬を両親からだと渡してきた。
そして、風邪をひいた。
お見舞いに行くと、彼女の弟がそっと教えてくれたことがある。
どうも、彼女は私のお見舞いに行く前の日、ずいぶん長いこと書籍を読みあさり、夜更かしをして、朝早くから市場に向かって少し珍しい花を探して私に会いに来ていたらしい。そして、帰ってくると手洗いうがいを忘れて、夜中まで起きていたとか。そのせいで病気がうつったのだろう。恥ずかしい姉で申し訳ありませんと。
なんで、私にそんなことをするのかと思った。
春の祭りで、彼女は猫を拾った。
血まみれで汚い、すぐ動かなくなるだろうソレを、大事そうに抱えて治療をしていた。
傷を見ると、怪我をしてもいないのに痛そうな顔をしていた。痛みなんて感じてないはずなのに。
おかしな娘だった。
私が怪我をすると、酷く心配そうに治療をした。
その手が震えていたのを私は知っている。
どうか、早く良くなりますようにと小さな声で言っていた。
不思議だった。
どうして、そんなことをするのか。
なんで、私を心配するふりなんてするのか。
彼女は、自分と同じ、生きている人なのだろうか。
私は、侯爵家を継ぐ『物』だ。
父のように完璧でないといけない。
義母によれば、存在してはいけない。死んでしまって当然の存在。
赤ん坊を抱いた義母が城を徘徊する。いつまで経っても成長しない、泣かない、息をしない布きれを抱いた義母が赤ん坊をあやす。そして、私に言うのだ。
消えろ。死んでしまえ。野垂れ死ね。
みんな、周りの物は見て見ぬふりだった。
いや、もしかしたら見えていなかったのかも知れない。
だって、そうだろう。
血が出ても痛いと泣いても、誰も助けてはくれなかった。
いたいというのは、もしかしたら自分だけなのかも知れない。
だって、まわりの物たちはいたいと言ってもわからないのだ。
どれだけくるしくてもつらくてもないても、だれも、わかってはくれないのだ。
きっと、わからないんだ。だって、じぶんとはちがうそんざいなのだから。
「知りたかったのです。私を愛しているという人達が、本当に生きているのか」
胸を開いて、心の臓が動いているのを確認しないと、本当に彼等が生きている自分と同じ存在なのかわからなかった。
だって、不快だろう?
自分とよく似た、けれど全然違う存在が愛しているだとか好きだとかのたまうのは。
意味がわからないだろう。
だから、君を愛さない。
彼女にも愛しているとか好きだとか言われないように、最初に告げた。
彼女を殺しては、契約が反故になってしまうから。
彼女との結婚があの人が浪費して傾いたエンデ家への援助の契約だったから。
最初は、そのはずだった。
愛したら、自分は彼女が自分と同じ存在なのか、確かめたくなる。だから、愛せない。
そんな思いを抱くようになったのは何時だろうか。
知りたい。本当に彼女は私と同じ存在なのか。
風邪をひいただけなのに、心配そうに花束を渡してくる少女は、血まみれの猫を大事そうに抱える少女は、怪我をしただけなのに、手を震えさせて手当てをしてくる少女は、私と同じ存在なのか。
「あなたは、愛したかったのですね」
ふと、目の前が開けたような気がした。
そうか、愛したかったのか。
愛していると言ってくれた人を、私は。
そして、目の前の――。
「でも、それは間違っています」
潤んだ目で、彼女は私に言った。
じゃあ、どうすればよかったのだろうか。
「もう少し早く、貴女に会えたら……」
なにか、わかったかもしれない。
そんなこと言っても、もうどうにもならないけれど。
「ありがとう、エレノア」
だから、最後に感謝をしよう。
止められなかった自分を止めてくれた彼女に。
壊れていた自分に、ここまで『何か』を与えてくれた彼女に。
まだ言葉にできないけれど、大切な『何か』を、教えてくれた彼女に。
旅立ちの日の空には、雲がかかっていた。
雨が降りだしそうな、天気であった。
私は、父たちが用意してくれた馬車を見た。
泣く両親と、どうして行ってしまうのかと引き留めようとする弟に別れを告げて、黒猫の入った籠を大事に持ちながら乗り込む。
ここから、遠く離れた修道院へ向かうことになっていた。
家族とは離れることになるが、黒猫と一緒だから寂しくはない。
婚約が破談になった傷物、しかも理由が婚約者の犯罪で、ソレを見つけたのが自分だなんてもう貴族の嫁のもらい手はいないだろう。それに、もう婚約だとか結婚だとかから離れたかった。
跡取りである弟はいるし、今回の事件で修道院に行きたいという私の願いはすぐに叶った。両親はほとぼりが冷めたら戻って来て欲しいと思っているようだが、もう、戻らないつもりだった。
私は、両親の思いを知っている。
兄は、怪我から病気になった。薬が高くて買えなかったから死んだ。
では、なぜ薬が高かったのか……それは、その薬を買い占めた貴族のせいだった。
必要だった薬は、兄のかかった病気だけでなく、流行病にも効く薬だった。その病が流行したことをし知り、薬を買い占め、高額で売りさばいていたのだ。
運悪く、兄はそんな時期に病にかかって、死んでしまった。
だから、両親は考えた。
常に薬を手に入れられる薬問屋になろう。
けれど、買い占められたら?
だったら、金持ちになれば良い。
権力を使われたら?
なら、貴族になろう。
もう、二度と残された子ども達を失うモノか。
妄執とか狂気とかそう言って良いだろう。本当に、両親は狂ったように働いて、事業を興し、資金を集め、男爵となってしまった。
もっと、権力をと私の嫁ぎ先を探すうちに、たまたま利害が一致してしまったのが、侯爵家だった。
両親の願いはシンプルだ。私達に死んで欲しくないのだ。
両親は私と弟を愛していた。けれど、私達は寂しかった。
いつも、両親は仕事に夢中で。ずっと、苦しかった。
愛とは、なんだろう。
籠の中の黒猫を撫でながら考える。
彼は、愛をささやく人達が本当に同じ人なのか知りたくて、愛したくて殺した。
侯爵は息子を立派な侯爵にすることが愛だと教えられてきたことで暴力をふるったそうだ。
結婚をしている侯爵に一目惚れをしたわがままな令嬢は、自らの欲しいものを手に入れたけれど、一番愛した子どもを失って壊れた。
姉は家族である妹をいさめきれず、大事な甥を失った。
空を見上げる。
今日は、彼が塔に送られる日でもあった。
あれから、ずっと考えた。
けれど、未だにこの胸にはしこりが残っている。
それが何なのか、わからない。
空には酷い灰色の雲だ。
この空を、オスカーも眺めているのだろうか。
そんなことを考えながら、馬車に揺られていく。
だいぶ体の大きくなった黒猫が、膝に乗るとみゃおと鳴いた。
思えば、私は彼の事を好きになりかけていたのだ。
だから、彼の事が知りたかった。
彼の思いを聞きたかった。
彼を、救いたかった。
でも、もう手遅れだ。
いや、もう私達が出逢う前から遅かった。
彼は犯罪者で、沢山の命を奪った重罪人だ。
もう、何も変わらない。
変われない。
初恋だったそれは、自覚をする前に儚く消えていった。
これにて完結となります。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
登場人物などの語られなかった話を少しだけ活動報告に載せたいと思います。




