百鬼夜行 肆
月丸は吉房と共に百鬼夜行を封じ、その後を呉葉達に任せて東へと向かった。
旅の途中で様々な妖怪や人々と出逢いながら、一年程旅した後に、すずのいる村へと帰った。
吉房は月丸に人の営みを体験させる事として、この村で暫く暮らすように命じた。これに大喜びしたのはすずであった。また一緒に遊べると月丸の手を取りぶんぶんと振り回す。月丸も照れながらもすずになされるままに共に喜んだ。
吉房は佐ノ丈一家を集め、月丸が妖霊であることを明かした。妖霊という名は一昔にこの国に破滅をもたらした妖怪の名として馳せており、母やすずは知らなかったが、佐ノ丈だけはびくりと驚く表情を浮かべた。
月丸は吉房の説明を黙って聞いていた。もし、怖がられたらどうしよう。そんな恐怖にも似た思いで吉房の言葉に耳を傾けた。だが、月丸の人柄を知る家族は、容易く月丸を受け入れ、この家で暮らすように言う。月丸の不安は杞憂に終わった。
無論、すずの父、母には不安がなかったわけではない。
世を破滅寸前まで追い込んだ妖霊を育てるのだ。全く安心できるわけではないが、数日とはいえ月丸と共に過ごし、幼いながらも娘のすずと遊ぶ姿を見ている。その姿はなんら娘と変わることはない。何より、すずがこれ程月丸がこの家で暮らすことを喜んでいる。ならば、受け入れない訳にはいかない。
「妖霊を育てるなんぞ、これは重責ですな。」
佐ノ丈は笑いながら吉房の頼みを了承した。
それからは月丸はすずとまるで姉妹のように暮らした。離れていた二年近くですずは僅かに背丈も伸び、月丸を妹のように可愛がった。共に遊び、共に家事を手伝い、時には喧嘩し、それはそれは仲の良い姉妹として、村の者にも受け入れられていた。
だが、人の年数で成長しない月丸は最初に村を訪れた時から容姿が変わらない。何より吉房が連れてきた童である。村の者は月丸の正体を知らないまでも、月丸の見た目と所作の愛らしさから、座敷童ではないかと噂する程度であり、やはり村の者からも可愛がられた。
それは月丸が過ごしたとても穏やかで幸福な時間であった。
吉房はといえば、安土の弔いや改めて京の術者を諭すため、一人京に向かった。月丸もついて行くと言ったが、吉房は月丸を佐ノ丈に預け、一人旅立った。
吉房は京での仕事を終え、半年程で戻ってきた。その後も時々一人で旅立つ事はあったが、その殆どの時間を月丸と共に過ごした。
やがて、そんな穏やかな生活が続き、歳月が流れた。歳も十四になったすずに縁談が上がった。すずは一人娘であり、村の豪農である佐ノ丈は跡取りとして、隣町の豪商の次男を婿入りさせる事にした。この男は人柄も誠実で、優しく、働き者と評判であり、何よりすずを一眼見て惚れ込んでいたので、縁談もとんとんと進んだ。
勿論月丸もこの話には大喜びした。すずの父母を見ていた月丸は、夫婦を理解している。二人を見ていると、仲睦まじく、娘のすずにも月丸にも、分け隔てなく愛情を与えてくれた。次はすずが、その夫婦となるのだ。月丸はそれがとても嬉しかった。この頃には月丸とすずは並び立つと母と子のようであったが、二人共、そして二人を知る村の者も、それを受け入れた。すずの夫となる正次郎には佐ノ丈から月丸の正体が明かされた。月丸の事をすずの年の離れた妹と思っていた正次郎は驚くが、月丸を、妖霊を心から信じる両親とすずを見て、やはり月丸を受け入れてくれた。
そして村の者に祝われながら、すずは正次郎と夫婦になった。婿を迎えたため、すずと離れる事もなかったが、これまでずっとすずと同じ布団で寝ていた月丸であったが、その日から一人で寝る事になったのが、若干寂しかった。すずもそれに気付いていたのか、三、四日に一度は月丸と枕を並べ、月丸と夜咄に興じた。正次郎も、姉妹の仲を認め、それを了承していた。
正次郎とすずが夫婦となり、一年程が過ぎた。人柄も良く、働き者の正次郎は村の者にも慕われ、佐ノ丈の後継として、すっかりと村の顔になっていた。吉房も正次郎の人柄を認めるほどであった。
そんなすずと正次郎の二人が子を授かった。両親も、吉房も大いに喜んだが、月丸は余程感動したのか、号泣して喜んだ。
それからと言うもの、子が産まれるまで、月丸は付きっきりですずの世話をした。すずが安心して子を産めるよう、すずがしていた機織りの仕事や畑仕事も月丸がやった。忙しくはあったが、新たな生命を産もうとしているすずのために出来る事は全てやろうと決めていた。
そして十月が流れた。
すずが産気付いたのは夜中であった。苦しむすずに気付き、月丸は慌てて両親と正次郎を起こすと、いつも様子を見にきてくれていた産婆の家へ全力で駆けた。産婆を起こすと、おぶって屋敷に戻った。あまりに焦る月丸の姿に、苦しみながらもすずはくすりと笑い、礼を言った。
吉房や佐ノ丈、そして正次郎は湯を沸かしたり、布を集めたり、慌ただしく動いていた。子を取り出すのは産婆と母の役目である。月丸はすずの横に座り、手を握り続けた。すずが力むと、月丸も力み、すずの呼吸が乱れると月丸も乱れる。
本来、大きな強さを持つ月丸が、これ程取り乱したのは後にも先にもこの時だけだろう。
すずが苦しんでいる。
すずが死んだらどうしよう。
そんな様々な不安が溢れ、気付けばぼろぼろと泣きながらすずの手を握り続けた。ずっと続くと思われた不安な時間は、日の昇り始めた明け方に終わりを告げる。産婆が赤子を取り出し、大きな鳴き声を上げた。
湯で洗われ、か弱く、愛らしく泣く小さな赤子を抱きながら、涙で顔をくしゃくしゃにしながら月丸を撫でると、月丸は堰を切ったように声を上げて喜び泣いた。
月丸にとって幸福を感じ取った瞬間であった。
赤子は男児で、月丸から一字をとって月太と名付けられた。
それから月丸は一日一日が幸福であった。泣く月太が可愛く、産後で動けないすずの代わりに月太の世話をした。泣けば抱き、おしめを変え、湯で洗い。月太がすずの乳を飲む姿に自然と笑顔になった。
赤子は
そんな幸せを感じている月丸。だが、その時は終わりを告げる。
西の空に日が沈み始める夕刻。干していたおしめを取りこむ月丸は、はっ、と西の空を見上げる。
縁側で茶を啜っていた吉房も月丸同様に西の空を睨む。
西に感じる気配。それは、吉房があの時封じた百鬼夜行の気配である。封じてから十年程の歳月が流れている。通常、百鬼夜行は封じられている間に、新たな怨を取り込めずに、徐々に消失消えてゆく。だが、今現れた気配は、明らかに封じた時と変わりない大きな怨の気配であった。
「お師様!」
封印は呉葉率いる術者達が行っている。月丸程ではないにしろ、呉葉も大きな力を持つ妖である。その呉葉が指揮しているのだ。封印は護られて当然であった。だが、この気配はあの百鬼夜行である。何故かはわからない。月丸は吉房を呼ぶだけで精一杯であった。
吉房は一つ頷くと、立ち上がり屋敷に入っていった。直ぐに旅道具を手に出てくる。
「お前は留守番じゃ。ちと、様子を見てくる。」
吉房は月丸を置いて旅立った。
月丸は吉房から留守番と言われ、大人しく待っていたが、それから数日、陽が沈む度に感じる西の気配に不安を感じた。しかし、月太が泣けばその世話をすることで癒された。
ふた月ほど過ぎた頃、そろそろ吉房が到着しているはずであったが、夜ごとの不気味な、不快な気配は消えることがない。そしてその気配は徐々に強くなっている。簡単なことであった。恐らく百鬼夜行は東に向かっている。近づいているのだ。
月丸は家族を見回す。囲炉裏を囲み、談笑する正次郎と佐ノ丈、母とすずはすずの胸で眠る月太を愛でている。もし、百鬼夜行がこの村に来たら、来なくても、近くを通りかかったら、この笑顔は消えてしまう。この優しい笑みが怨に飲み込まれてしまう。そう思うと、途端に怖くなった。
吉房からは留守を言い渡された。しかし、徐々に近づいていると思われる百鬼夜行もほおっておくことは出来ない。
守る。
家族の笑顔を見ながら、月丸はそう決断し、その夜、すず達には何も告げずに家族が寝静まった頃、西へと駆けた。




