百鬼夜行 参
「何と…。月丸と吉房殿の二人で百鬼夜行を封じたのか。」
感心した様に雄座が呟く。
月丸は当時を思い出し語っていたが、雄座がまるでその時代にいたかの様に、感心している姿は面白かった。
「しかし…。後醍醐天皇が討幕を企み、あの時代が混沌としていたのは書で読んではいたが、恐ろしい時代だな。」
前のめりに聞いていた雄座も、背を戻し、若干気の抜けたビールを口に運んだ。
ビールを喉に流し込むと、ふう、と一息付く雄座。改めて月丸に感心する。
隣ではとくとくと小気味良く音を立てながら、手酌でビールを飲む鞍馬が、先程までとは打って変わり神妙な面持ちで注いだビールを喉に流し込んだ。
ふう、と息をこぼすと、鞍馬が呟く。
「今思えば、あの時代の朝廷、幕府の醜い権力争いと、それに巻き込まれ、怨みを募らせた民、それを糧として生まれたのだ。余程、人にとっては暗い時代であったな。」
その言葉に雄座も振り向く。その視線に応える様に、鞍馬が言葉を続ける。
「あの百鬼夜行は世に現れた中でも最大のものであったわ。それをひと時でも封じたのだ。お前の師は歴史に名を残してもおかしくないほどであるのにな。」
鞍馬の話を聞きながら、雄座も同意する。妖霊である月丸を導き、時の朝廷にも顔が利く。何より陰陽術ともなれば、人でありながら月丸とも渡り合う。
恐らく、名を残し、雄座がその目にした芦屋道満や安倍晴明。それらの者達にも引けを取ることはないのだろう。だが、吉房の名を書で見ることはない。
ふと、雄座は気付く。
「鞍馬殿。ひと時封じたと言われたが、まさか封を解かれたのか?」
まるで今、危機に面するかの様に慌てる雄座に、鞍馬も慌てた様に応える。
「う…うむ。確か十年ほどで妖霊達が封じた百鬼夜行は再び放たれた。人の手によってな。」
「馬鹿な!」
鞍馬の言葉に雄座が声を上げる。僅か後ろに座していたあやめの肩がびくりと上がった。
「いくつかの村が犠牲になったとはいえ、月丸達が人々の為に百鬼夜行を封じたのであろう?それを何故人が再び放つ必要がある?」
語を荒げる雄座に、鞍馬は静かに応える。
「あの時代、二つの朝廷が争っておった。つまり、神と神の争いよ。相手方を討つには、百鬼夜行の力も欲したのであろうな。」
雄座の目が驚きに見開く。
「朝廷が…百鬼夜行を放った?」
その言葉に今度はあやめが返す。
「ですが、百鬼夜行は操ることすら叶わぬのではないですか。自らも危うくなる様な愚行を…。」
あやめの言葉を遮り、鞍馬が呟いた。
「妖霊よ。」
雄座とあやめは鞍馬の言葉に、月丸と鞍馬を交互に見やる。
鞍馬はふう、と一息付くと言葉を続ける。
「この妖霊がこの社に姿を隠したため伝承は潰えたが、あの時代に伝わる最悪の厄災が妖霊の存在であった。ただ存在するだけで病いを振り撒き、死を運び、人を狂わせる。その様な言い伝えであった。」
鞍馬の言葉に、雄座が吠える。
「あるはずがない!そうであるなら、月丸と共に在る俺は生きておるはずがないではないか!そんなことはない!月丸は穏やかで、心優しく、人を思いやれる良い奴ではないか!それを…」
まるで月丸の事を言われた様に怒るかの様に鞍馬に詰め寄る雄座。そんな雄座を嬉しく思い、笑って宥める月丸。
「雄座落ち着け。当時の人の言い伝えだよ。俺が現れる前の妖霊の話だ。その妖霊は全ての者に敵対し、言い伝えの通り、禍を振り撒く存在だった。恐る伝承が残るのもやむを得ないさ。」
月丸に宥められるも、尚も雄座は声を荒げる。
「実際に接した安土さんや呉葉さんは月丸がそんな禍を振り撒く存在でない事はわかったはず。ならば、他の人たちだって、朝廷の者だって、見ればすぐに…。」
何かに気づいた様に、言葉を止める雄座。皆の注目が集まる。
「…百鬼夜行が居たからか。」
百鬼夜行は存在するだけで病いを振り撒き、死を運び、人を狂わせる。それは妖霊の存在を語り継がれていた逸話と一致する。全く同じ逸話を百鬼夜行も持つのは不自然であった。
過去の理性のない妖霊が居た時、たまたま百鬼夜行が現れたとは考えられないであろうか。妖霊は暴れていただけに過ぎず、厄災は百鬼夜行がもたらしていたとしたら。いや、もしかしたら…。
そんな思いから溢れた雄座の言葉。
「禍を撒き散らしたと言う月丸の前の妖霊…。もしかしてそいつは百鬼夜行に呑まれてしまったのではないか。そして狂ってしまったとしたら、その結果、妖霊が神も妖怪も人も恐れるほどの脅威になってしまったとしたら…。」
雄座の言葉に、鞍馬がむう、と考えながら応える。
「成る程な。まぁ、規模の小さい百鬼夜行はあの時代、ほろほろと生まれ出ていたが、妖霊に影響を与える程の百鬼夜行はそうは居らん。」
鞍馬の言葉を聞いて、雄座は力無く腰を落とす。
月丸も、道満が語った妖霊である安倍晴明もも、人でも妖怪でも、虫ですら命を奪う事を良しとしていない、心穏やかな者だと雄座は思っている。月丸の話では、僅かにでも気を緩めると、百鬼夜行に呑み込まれてしまいそうだと言っていた。だからこそ、月丸以前の妖霊は百鬼夜行の負の気に呑まれ、狂い、暴れたのではないか。
鞍馬に否定されたが、昔とはいえ、月丸が恐れられ、忌諱されるのは雄座にとって不愉快であり、いつしか妖霊を悪く言われる事に不快感を覚えた。
そんな雄座に鞍馬は話を戻す。
「さて、話の続きだが、あの時代、妖霊が在ったのは朝廷も知る所。最大の厄災、まぁ妖霊が存在するのだ。百鬼夜行なんぞは本来、大きくなる前に封じられる。だからこそであろう。当時の者達は妖霊が在ったため、百鬼夜行の恐ろしさを見誤っておったのだ。」
鞍馬の話だと、百鬼夜行を放ったのは南朝の者達だという。
元々、南朝は自らの正当性に執着していた。皇位を取り戻す為、邪魔となる北朝、それに付く武士達を一網打尽にするには、百鬼夜行は最も適した呪であった。この企ては、後醍醐天皇によるものではなく、配下の公家や陰陽師達で行われ、後醍醐天皇の知るところではなかった。最も、後醍醐天皇が知っていれば、その凶行を止めることもできたであろうが。だが、少なくとも、百鬼夜行の恐ろしさを知る術者が吉野には居なかった。
月丸達が封じて後、十年ほどの歳月を経て、百鬼夜行は封を解かれた。その封を護っていたのは、呉葉と数十名の術者であった。術者の多くは野で活動していた者たちで在ったが、百鬼夜行の恐ろしさを知る北朝の陰陽師も、数名志願し、呉葉に従っていた。
南朝の術者は、様々調べ上げ、百鬼夜行の封を探し当てる。そしてそれを護るのが高名な呉葉で在ることも。元々、第六天魔王の力を継いだ呉葉は恐るべき妖怪としても名を残していた。これを南朝は利用する。
山中に現れた妖怪、呉葉の討伐という名目で、南朝は三十名程の術者の一団を送り出した。
南朝の術者は巧妙であった。百鬼夜行の封印を護る術者を数日に一人呪殺した。そして、その者は都に帰ったという事にし、交代の者として取り入った。やがて他の交替の者も来るとして、一人づつ、怪しまれぬ様消して行った。
その話は呉葉にも届いていたが、家に家族のある者も多くいた為、交代で帰ると言う話に納得した。半年程かけて、その殆どが入れ替わり、企ての準備が整った。
南朝の術者はまず、高位の妖術を使いこなし、百鬼夜行を放つのに最も邪魔となる呉葉の退治を優先したのである。
南朝の術者は、仲間の内の一人の若者に、呉葉に弟子入りしたいと申し出て近付かせた。呉葉はそれを素直に了承する。
数日共に過ごし、呉葉が若者を信頼した頃、行動は起こされた。疲れたであろうと、若者は呉葉に山小屋で休む様促した。自らの事を案じてくれる若者の言葉を無碍にはできず、呉葉は小屋で休む事となる。その山小屋を陰陽師達が三重に囲む。最も小さき円の術者は、呪によって呉葉の妖の力を抑えた。その術者の周りに、更に大きな円を作って術者が並ぶ。この者達は山小屋を封の器とし、呉葉を小屋の中に封じ止めた。
最後に大きく円に並んだ術者達は、この小屋一帯を封印として、誰も入れず、誰も出られない様に呪を掛けた。
その呪は三日三晩続けられ、呉葉は封じられる事となったという。
後は簡単であった。敵は京に在る。吉野の術者達は、吉房がやった様に京までの横道を封じた上で、吉房が張り、十年もの長い間、野の陰陽師達が護り続けていた百鬼夜行の封印を壊した。
どん。
雄座は床に拳を打ち付けた。
再びあやめの方がびくりと上がる。
「呉葉さんを封じるとは…。吉野の陰陽師達はどれほど愚かなのだ…。体を張って百鬼夜行の封を護っていた野の術者も皆殺しとは…。」
まるで、今、目の前に危機が迫っているかの様に激昂する雄座を見て、月丸が苦笑いを浮かべる。
「雄座、これは昔の話だぞ?今そこまで怒らなくとも良い。」
そう諭す月丸に、鞍馬が訊ねる。
「その時、お前はどうしておったのだ?近くに居れば百鬼夜行が放たれれば気付いたであろうに。」
鞍馬の言葉にすっかりと興奮した雄座が加わる。
「そうだ!急がねば京が大変な事になるぞ。」
鞍馬と雄座の言葉に、少し微笑むと月丸は静かに語る。
「武蔵に居た。すずの村だ。百鬼夜行を封じてから、師と共にすずの村で陰陽術を学びながら、過ごしてたんだ。」
鞍馬の語った危機的な状況からは打って変わり、月丸は穏やかに過ごしていた事に驚く雄座。
そして再び月丸が語り出す。




