月丸 玖
月丸と吉房は直ぐに吉野へと向けて出発した。
吉房の企ては、吉野へと向かう百鬼夜行を山へと誘い、そこで再び進行を欺く。本来は多くの術者が交代で両の道端に付き、百鬼夜行を欺き続けるが、今回は吉房一人で道の両端を担う事となる。
百鬼夜行が消滅するまで幾年掛かるか分からぬが、吉房はそれを担う覚悟をしていた。
数日掛けて吉野へと辿り着くと、吉房は打ち捨てられた古寺に身を置く。そこで、武士の姿をした式神を作り出し、吉野の宮へと送り出した。
吉房の話では、自らが赴くと、都の御所の様に、無駄な敵意を育てるやも知れぬ。ならば足を運んでもらおうと言う事であった。
式神に気付かぬ様ならそれも良し。式神と気付く様ならば、直ぐに吉房の使いと気付くであろう。もし、そうと知りつつ式神を討つ様であれば、吉野の陰陽師に味方はいないと言うことになる。だがその際は呪いとして吉房に跳ね返ってくる。呪いの対応は月丸が担う事となった。
吉野の古寺に着いて翌日夜。荒れた寺の境内で、月丸が火を焚いていると、今ではあまり見ない牛車がやってくる。車は黒く漆を塗られているのか、月明かりを受け光っている。装飾も施され、高貴な者が乗っているのだろうと判る。そして、牛車の隣には、吉房の生み出した武士姿の式神が護衛の様に付く。
寺の中にいた吉房を呼び、牛車が着くのを迎えた。
月丸の中では、宮に仕える陰陽師は安土を殺した者であり、都と吉野の違いはあれど、既に陰陽師を信用してはいなかった。もし、吉房を呪にかける様な事があれば、月丸は容赦なく吉野の陰陽師を、吉野の宮を討ち払うつもりでいた。
古寺の壊れた門の前で牛車が止まり、一人の者が降りてきた。一つ、会釈すると、吉房達の元へと歩きてきた。
「やはり吉房様のお使いでしたか。まるで人と変わらぬ式神でしたので、どうやら私以外気付かなかった様でして。」
女であった。
若く、歳の頃は十八、九といったところであろうか。総模様の打掛姿で髪を後ろに束ねて居る。柔らかい笑みを浮かべながら、吉房に深々と頭を下げた。
「何と…。お主しか気付けなかったか。まぁ、何にせよ久々よな。」
「はい。吉房様も御健勝で何よりで御座います。」
蚊帳の外に置かれた様に、二人のやりとりを見る月丸に気付き、女が尋ねる。
「吉房様、この娘さんも妖ですの?」
女の言葉に吉房は頷く。
「お主なら知っておろう。此奴は妖霊じゃ。名を月丸と言う。」
そう紹介すると、吉房はいつもの様に月丸の頭をがしがしと撫でた。だが、女の顔が引き攣るのが月丸にも判った。
「よ…妖霊?吉房様もご冗談がお上手で。妖霊がこんな所にいたら、毒気に当てられてこの辺り一帯の妖も人も狂ってしまいますわ。」
吉房の話を冗談と捉え、女はから笑うが、女の言葉に月丸は寂しげな顔を浮かべる。自分は何もしていないが、自分が地に現れる前にも妖霊が居た。それはこの地に大きな禍を撒き散らし、多くの人を、妖を、神を殺めたと言う。そんな事は月丸は知らない。だが、安土もそうであったが、妖霊が、人々に忌み嫌われて居る、それは自分には関係ない事だが、関係ない事で敵意を向けられるのに悲しくなった。
その月丸の気持ちに気づいたのか、吉房は月丸に言う。
「月丸よ。ほんのちょっとじゃ。妖気を放ってみい。此奴に信じてもらいたいでな。」
吉房の意図はわからないが、言われるがまま、押し隠している妖気を僅かに放つ。すると女はかっと目を見開き、尻を付き、がたがたと震え出した。その目は月丸を恐れる様に見る。
その目が月丸の気分を更に沈める。
「月丸よ。紹介しよう。此奴は呉葉と言う。お前と同じ…元は人に忌み嫌われた妖怪よ。」
今度は月丸が驚く番であった。どう見ても、気配からも人の女にしか見えないが、妖という。驚き立ち尽くす月丸の側から吉房は呉葉の元へ歩み寄り、その手を取って立ち上がらせた。
「驚かせたな。呉葉。この月丸は、以前の妖霊ではなく、お前と同じく、人の心を、喜びも悲しみも分かっておる、優しい妖怪じゃ。どうか、怖がらんでやってくれ。」
吉房の言葉に呉葉は深呼吸し、息を整えると、月丸の元へ歩み寄り、にこりと笑みを浮かべた。その表情には先程までの恐れはない。
「月丸さんというのね。取り乱してごめんなさい。妖霊という名を聞いて、そしてあの妖気に当てられて、怖くなったの。でも吉房様が優しい妖怪というなら、きっとそうなのね。」
呉葉に言われ、月丸もつられて微笑む。
「呉葉…さん?あなたも妖なのか?」
月丸の言葉に呉葉は頷く。
「はい。呪われ、狂うた私を人の道に誘ってくれたのが吉房様に御座います。」
そう言って呉葉はちらりと吉房を見る。月丸もつられて吉房に目を移すと、吉房は、かかっと笑い、古寺へと戻って行った。月丸と呉葉は顔を見合わせ笑うと、吉房の後に続いた。
古寺の中で、吉房が割った竹を湯呑に、白湯を口にしながら、呉葉の紹介を受けた。
呉葉は朝廷に関わる高貴な両親の元に生まれる。なかなか子に恵まれなかった父母は、第六天魔王に子を授かる様に祈った。
そして生まれたのが呉葉であったが、第六天魔王の悪戯か、その力も呉葉に授けられていた。美しく育った呉葉であったが、その呪われた力によって、鬼女とされ、迫害を受けた。やがてそれは怨みとなり呉葉を狂わせ、長きに渡り、悪行に手を染めた。
悪行を重ねる呉葉の動きを術で封じ、二年もの間、語り続け、呉葉に人の心を取り戻させたのが吉房であった。
人の心を取り戻した呉葉は、今では第六天魔王の力を使い、吉房と同じく、野の術師として貧しき者たちのために働いていた。
呉葉は既に四百年近くを生きていた。そのため、月丸の生現せる前の妖霊とも戦い、その折は手も足も出なかったと言う。だからこその、先程の驚きぶりであったのだろう。
「二日前に京の方角より百鬼夜行の気配を感じました。私も慌てましたが、後醍醐天皇の元の陰陽師が、道を欺いた様にございます。」
呉葉の言葉に吉房は安堵した。
「定石通り、行先を欺いたか。ならば、百鬼夜行はもう恐れる事はないか。」
こくりと頷く呉葉。しかし、その次の言葉は吉房の顔を険しくした。
「しかし、百鬼夜行は都より人里のある道を通ってきました。恐らく、通りの人々は取り込まれたやも知れませぬ。」
ふう、と息をこぼすと、吉房は竹の湯呑に酒をとくとくと注ぐと、勢いよく口に運んだ。
「腐っても陰陽寮…。そう思った儂が甘かったわ…。」
そう呟くと、吉房は押し黙った。何も言えない月丸に変わり、呉葉が慰める様に言う。
「吉房様…、被害は出たやも知れませぬが、百鬼夜行は封じたも同然。後は都と吉野の蟠りが無くなれば、きっと平和な世になると思います故、どうかお怒りをお鎮めください。」
吉房は俯いたまま、呉葉に応える。
「死なんでいい者が死んでも、上の者は気にも止めぬ…。欲に飲まれた者は己の事しか考えん…。人は業が深い。妖怪達の方がどれだけ優しい存在であるか…。」
吉房は月丸と呉葉を交互に見ると、頭を下げた。
「どうか、お前達は他の人を、妖怪を思いやってくれ。人に、それを見せてやってくれ。人が自らの行いを反省する様に…。」
いつになく弱い声の吉房に、月丸は押し黙ってしまう。呉葉は、一つ、こくりと頷いた。
深夜、明日見送りに来ると言い残して呉葉は帰って行った。
吉房はといえば、安土を殺し、民を殺すのも厭わず百鬼夜行を吉野に向けた陰陽師に気を落としつつ、黙した。
月丸は月明かりの下、境内で寝転び、風に靡く枯れ葉の音を聞いていた。
すずの様に、まるで妖霊など気にせずに、遊んでくれる人。
村々で、月丸の身を案じてくれる人々。
他の者の為に、良い者であろうとした安土。
人とは、知れば知るほど、何と素晴らしい者だろう。そう思った。しかし、帝も、帝に仕える者達も、北と南に分かれ、何方も敵としている。敵を討つためなら、関係のない者も巻き添えにする。何と恐ろしい事を考えるのか。
人とは複雑である。だが、その複雑な感情を月丸には理解しかねる。
あの妖、呉葉は、まるで人の様であった。元々人の子として生まれたからだろうか。自分は妖霊だから、欲が分からないのであろうか。それが分かれば、人に近づけるのだろうか。
考えがまとまらぬまま、ただ空の星を眺めた。




