月丸 捌
吉房の話では、百鬼夜行とは具現化した悪意、恐怖なのだという。なので、見るものによって姿が変わるそうだ。吉房に百鬼夜行の姿を尋ねられた月丸は、鬼、武士の姿をした者、首のない女、不気味な獣と答えた。
妖霊が恐れる姿に興味を持った吉房の問いであったが、月丸の応えに納得する。
月丸はこの地に現れ落ちてから、様々な妖達に襲われ続けてきた。それを返り討つのは容易かったが、やはり殺意を向け続けられるのは、辛かったのであろう。女や獣は、吉房と出会って、人や人が愛でる犬、猫と接するうち、それらを受け入れた月丸が恐怖するのは、その者の死であろう。月丸にとってすずが死ぬとすれば、どれほど恐ろしいものであろうか。その思いが具現化したのであろう。
百鬼夜行の姿を見ることのできるものは稀である。通常の人には見ることはできない。しかし、百鬼夜行はその進む道に在る者を喰らう。喰らわれた者はその恐怖と怨みで夜行に取り込まれる。その道に居らぬとしても、夜行のニ、三町の範囲にいる者は、夜行の怨によって創り出された疫病に侵され、苦しみながら死んでしまう。苦しみと、痛み、十分に味合わせ、死してはその怨として百鬼夜行に取り込まれる。それ以前に近づき過ぎれば、直ぐに気が狂れてしまい即座に取り込まれるであろう。
神でも、人でも妖でも、獣でも。その実態のない悪意の列は誰にも打ち消すことのできないものであった。何よりこの百鬼夜行。月丸の考えたとおり討ち祓うことができるであろう。しかし、討たれた百鬼夜行は討たれた怨を更に強くし、より強大な百鬼夜行として生まれ出づる。手を出してはならないのはそういう理由であった。
「都の方向へ向かっていないか?百鬼夜行が都を歩いたら、それこそ沢山の人が死ぬ。何とかしないと…。」
月丸は吉房の話を聞くなり、立ち上がり声を上げた。吉房もふむ。と頷く。
「幸い日も昇ってきた。唯一、百鬼夜行の列を止める事ができるのは、天照大神のみ。日の光があるうちは、百鬼夜行は姿を隠す。その間に奴らの進む方向を騙してやるのじゃ。元々陰陽寮があるのは百鬼夜行が都に入るのを防ぐため。きっと陰陽寮の連中も、百鬼夜行の存在には気付いておろう。あれは都の者達に任せておけば良い。何より…。」
吉房は少し言い悩むと、溜息を一つこぼし言葉を続けた。
「儂等が出向いたとて、百鬼夜行の側に妖霊が居れば、お前の事を悪妖と言われかねん。そんな言葉は儂も聞きたくないでな。」
この日本に禍を齎すとされている妖霊。それが禍を運び歩く百鬼夜行の側で見られれば、それこそ言い伝えをなぞってしまう。吉房はそれを恐れた。
「さぁ。行くぞ。いつまでも此処にいる訳にもいかん。」
吉房の言葉に月丸も夜行を気にしつつも、目的の小屋へと向かった。
吉房の考えでは、陰陽師達は、百鬼夜行を元来た道へ戻すだろうと思っていた。それが百鬼夜行の被害を抑える常套手段であった。
山中の一本道を百鬼夜行の通りとして、日が昇り、夜行が消えた場所から、進む先を逆に欺き元来た道を戻らせる。七夜歩かせ、再び日が昇ったら、道を逆に欺く。そうすれば、百鬼夜行は同じ道を行き来するのみとなる。取り込まれるのは、山の獣のみ。怨を取り込まぬ百鬼夜行は、その怨を数年で散らす。百鬼夜行が散るまで、陰陽師達が欺き続けるのだ。
時間は掛かるが、最も安全な対応である。
だが、御所の陰陽師を信じ、任せた吉房を後悔させる事となる。
御所の陰陽師は百鬼夜行を散らす事なく、呪いとして使用したのである。術により道を欺いたのはこれまでと同じであった。しかし百鬼夜行を向けた先は、後醍醐天皇が朝廷を置く吉野であった。
都から吉野まで、山道や田畑の間を歩かせたとはいえ、百鬼夜行が吉野に向かう道に面した家々に住まう者達は気が触れてしまった。ある者は自ら命を断ち、ある者は愛する者をその手に掛けた。
そうして生まれた新たな怨は、百鬼夜行に取り込まれ、その列は、月丸達が見た何倍にも膨れ上がっていたと言う。
後に南朝と呼ばれる後醍醐天皇を祭る吉野でも、百鬼夜行がやって来る事は知っていた。だがそれが御所の謀とまでは気付いていなかった。
その為、吉野では、町に入る前に、百鬼夜行の進路を欺くことに成功した。吉野側の陰陽師は、百鬼夜行が農民達が暮らす村の方面からやって来たのを不審に思い、戻しては農民に被害が出るやも、と、東の山へ向けて百鬼夜行を促した。
翌夜、百鬼夜行は吉野側の陰陽師の術によって、東へ向かって行った。禍々しい気配が遠のくのを感じ、吉野側の陰陽師は胸を撫で下ろした。
だが、七夜歩かせ、再び進む道を欺かねばならぬことを、吉野側に居た陰陽師で知る者はいなかった。
以後、日本全体に禍が撒き散ることとなる。
百鬼夜行と遭遇し、七日が過ぎた。
吉房はすずの居る村へ月丸を連れて行くべく、東へと山道を下っていた。しかし、気になるのは、百鬼夜行が戻ってこなかった事である。厄災を撒き散らす百鬼夜行の歩みは遅い。もしかしたら、自分達の歩いた随分後ろの方で、夜行を引き返させたのかもしれない。そう思いつつも、吉房の頭に疑念が湧く。
月丸はと言えば、友に会えると喜び、道行く旅の者が、月丸を見て頬を緩めるほど、道中笑顔であった。
「月丸や。今日はあそこの古寺の庇を借りて休むかのう。」
そう言って吉房が指さしたのは、古寺どころか、住職もいないのであろう。幾年も手が付けられていないような、荒れ果てた小さな廃寺であった。普通の者なら、気味が悪いと逃げ出そうものだが、この二人には関係なかった。
廃寺に辿り着き、本堂を開けると、すっかりと荒らされてはいるが雨風は凌げる。吉房と月丸は久々に野宿から解放された。
その夜の出来事であった。
残り少ない竹筒の酒を舐めるようにして呑んでいた吉房がぴくりと動き、眉間に皺を寄せる。
月丸もすぐに異変に気付く。
目を凝らせば、吉房が安土に仕掛けた式神への力を繋ぐ線が、これまでは、ぴん、と張られたように張っていたものが、ゆるゆると宙を舞っている。
「安土…。」
ぽそりと呟く吉房。その刹那、その力の線を辿って、ぼう、と光る光の玉が現れる。
「お師様!」
式神返し。式神を放ち、それが返されれば、術者に跳ね返る。月丸は直ぐに思い立ち、光の玉を打ち祓おうと立ち上がる。
「止めよ。月丸。」
焔の剣を右手に現した月丸を止めたのは吉房。見えてはいないはずだが、ほろほろと目から涙を流しながら、光の玉に話しかける。
「安土よ。すまなんだな。儂では守りきれなかったかよ。」
吉房は光の玉を安土と言った。月丸は分からずに光の玉と吉房を交互に見やる。すると、吉房の声に応じるかの如く、光の玉はゆっくりと姿を変え、吉房の目にも安土の姿となった。
正確には人の様な形となり、光っているのだが、何故か月丸にも、それが安土だと理解できた。
何処からともなく声が聞こえる。
「吉房様。申し訳ございません。この安土。帝のお目を覚まさせようと尽力しましたが、願い叶わず、力尽きました。」
安土の言葉に月丸が目を見開き、膝をつく。
「儂の式神は三度、お主を救うように命じてあった。何故、逃げなかった?」
吉房の問いに、光は応える。
「宮の陰陽師達から呪詛を受けながらも、何とか、帝と話の場を設けていただけました。安堵し、その場に行ってみれば、掛けられたる部屋一面の陣。その真中に、帝が座っておられました。」
その言葉に吉房はかっと目を見開いた。光は言葉を続ける。
「私が受けなければ、帝が呪詛を受けたでしょう。ならばと吉房様の式神を留めました。陰陽寮の者が独断であれ程の事をするとは思えませぬ。何者かが裏で操っていると思われます。お気を付けを。」
月丸はただ、黙って聞いていたが、ほろりと言葉をこぼす。
「安土…。死んじゃったのか?」
光は僅かに揺めき、応えた。
「ええ。でも、私の命で帝をお救いする事ができました。貴方のおかげで、私も良き者として最後を迎える事ができました。ありがとう。」
光は徐々に弱くなってゆく。既に人の形も成していないぼんやりとしたものに変わっている。
「吉房様より学んだ陰陽術のお陰で、最後にお二方に会う事ができました。」
吉房は顔を伏せ、ため息と共に呟く。
「馬鹿もんが。術は己を守るために使わんかい。」
「御所の陰陽師達は都に現れた百鬼夜行を吉野に送りました。吉房様…どうか、お助けを…。このままでは、多くの罪なき民が犠牲に…。」
言葉途中で、光は消えた。
吉房は再び、溜息をこぼすと、光のあった宙を大きな手で掴んだ。
「欲に塗れた馬鹿者どもが…。百鬼夜行まで使うかよ。」
吉房は上げた手を下ろすと、月丸を見る。
「人は愚かだ。あんな良い奴を殺し、欲のために百鬼夜行まで使う。だが、それでも良い奴らは多い。其奴らを守るために、手伝ってはくれぬか?」
吉房の頼みに、月丸はこくりと頷く。
「ああ。安土の敵討ちだ。」




