月丸 漆
既に辺りに民家はなく、草や葉が風に揺れる音だけが響き渡る。時折り、梟の鳴き声が聞こえる。普段と、吉房と共に旅した夜と何ら変わる事がない。しかし、月丸の心中は穏やかではなかった。吉房と出会う前に見せた不機嫌な表情を浮かべ、言葉も発する事なく歩いてゆく。
安土と別れることとなった時、安土は月丸に良い奴と思われていたいと言った。何をやるかと思えば、欲に憑かれた帝や御所の者達を説き伏せ、争いをやめさせるのだという。そうすれば、大路に彷徨うような者達も救えると。吉房が止めても聞かなかった。自分は帝からお目を掛けられている。危うくなれば、きっと帝が助けてくれるから大丈夫だと。
吉房にはそれは叶わぬことと分かっていた。何故なら、数十の陰陽師の呪術を以って、つい今しがた自分達を殺めんと式神を放ったのだから。小屋にも呪いを敷いているのだ。そんな者達が、容易く安土の言葉を受け入れるはずはない。
みすみす殺されに行くだけだ。
そんな吉房の言葉に、月丸も何となく理解した。安土は死ぬ気で帝を正そうとしていると。たまらず月丸が俺も行ってやろう。と口を挟んだが、それも安土は受け入れなかった。
「私はこの目で妖霊を…、月丸殿を見て、話して、そして伝説上の恐ろしい物の怪などではなく、優しく純粋な存在である事を知りました。しかし、御所の者は、帝も含め、伝説上の恐ろしい妖霊しか見ておりません。月丸殿を目の前にしても、帝の心は如何に吉野の朝廷を貶めるか…。あのお心優しい帝にお戻りなさるなら、私の命など惜しくもない。今まで帝から戴いた御恩を、お返しできるのは私しかいない。しかし、月丸殿が危険に晒されるのは、本意ではない。どうか、吉房様と都をお離れください。」
そう言って安土は一人、小屋に残った。
「なぁ。今から戻って安土を助けてやろうよ。お師様の弟子なんだろ?助けてやろうよ。」
断れば、自分一人でも戻る。
その様な決意が篭った月丸の言葉に、吉房はふう、と溜息を一つ溢すと、月丸に振り向いた。
「人の穢れを、彼奴は人で祓うてやりたいのだ。己の力でやりたいのだ。それが、奴が自らが為すべき事と決めたのならば、やらせてやってくれ。」
吉房は寂しそうな目で、元来た道を見やった。
「…何だ。お師様も本当は助けたいんだろう?何で助けないんだよ。」
月丸の言葉に吉房はふらりと道を外れると、道の側にあった石に腰を落とした。
「安土はな。あれでも帝の血を引く者じゃ。じゃが、帝が通っておった姫の子でな。その姫も安土が幼き日に亡くなった。家が潰れようとした時、彼奴の歌が帝の心を掴んだのじゃ。それ以来、家も残され、宮仕を赦され、こと何かある事に帝は安土を可愛がっておった。安土も、あの頃の帝を取り戻したいのであろう。」
吉房は腰にぶら下げた竹筒の栓をぽん、と引き抜くと、中の酒をごくりと飲んだ。
「じゃあ、帝が安土のお父さんなのか?」
尋ねる月丸に吉房は頷く。
「安土本人は知らぬがな。知らぬとは言え、何か繋がりを感じるのであろう。欲に憑かれた己の父親を祓い清める。彼奴にとっては、それが命を賭けてでも成さねばならぬ事と定めたのだ。」
吉房は月丸の目をじっと見て、言う。
「お主がやる事は、安土が望む世になったかどうか、見定める事じゃ。お主がもし、気に入らぬ世になっているのであれば、お主の好きにすれば良い。じゃが、安土が生まれ落ち、やっと見つけた為すべき事…やらせてやってはくれぬか?」
自らも為すべき事を探す為に、吉房について来た。安土は見つけたのであろう。それは、吉房にも、月丸にも頼らず、一人で為そうと決めたのだろう。ならば安土の為す事を、決めた事を見守るべきであろうが、それでも死んで良いとは思えない。
月丸は安土を守る方法を真剣に考える。まだそれ程上手くは出来ないが、月丸にも式神は使える。それを安土の守りに放てば、影から支える事はできないか。
そう思い至ると、精神を集中する。そして次の瞬間、空を見上げたまま、月丸は力を抜いた。
「お師様…」
月丸の呟きに、吉房は立ち上がりながら応える。
「安心せい。そう簡単には安土も死にはせん。儂はそう信じておる。」
月丸は先程とは違い、素直に頷くと、歩き始めた吉房の後を付いて行く。
月丸は式神を放とうと集中した際にそれは見えた。吉房より、都へと、安土へと続く術の力を繫げる蜘蛛の糸のような光の線。
口では安土の思いを優先しつつも、影から救おうとしているのは師も同じであった。師がすでに手を打っているのであれば、安土は大丈夫であろう。そう思ったら、落ち着く事ができた。
その日は夜も更けていたため、都に入る前日に泊まった小屋を目指すことにした。夜空を淡く隠す雲が広がり、月の明かりもか細い。只でさえか細い月明かりは、鬱蒼と茂る木々に遮られ、山道は深闇の如くであった。それでも吉房も月丸も昼間と変わらぬ足取りで歩いて行く。
前を歩く吉房がほそりと呟く。
「すずは元気にしておるかのう?会いたいか?月丸」
唐突な質問に驚くが、月丸は応える。
「あぁ。会いたい。また遊びたいなぁ。お手玉も上手くなったのを見せてやりたいしな。」
月丸の応えに満足しているのか、吉房の首が上下に揺れる。
「暫くは旅をせねばならぬようだからな。行ってみるか。」
そんな会話をしていると、吉房の足がぴたりと止まった。月丸が下から吉房の顔を覗き込むと、随分と厳しい顔をしている。
「お師様?」
月丸の問いかけに苦笑いを浮かべる吉房。
「一晩で二度か。偽物と本物に出会すとはな。何とも間の悪い…」
吉房の言葉に月丸は道の先に意識を向ける。何やら禍々しい気配を感じる。それが一つ二つではなく、随分と多くの気配。
「妖か。」
月丸は前方を見据えたまま呟く。
吉房が慌てたように月丸に問い掛ける。
「月丸よ。儂が教えた結界は使える様になったか?」
月丸は頷く。
「あぁ。最初に教えてくれたからな。使えるよ。」
月丸の言葉に、うむ、と返すと吉房はさらに問う。
「お主の妖霊の術の結界と、儂の教えた結界を両方張ることはできるか?」
吉房の言葉に月丸は自分の手を見ながら暫く考えると、頷き応える。
「多分。出来ると思うけど…。何だ?道の先に居るのはそんなに恐ろしい妖なのか?」
月丸の問いに応えることなく、吉房は言葉を続ける。
「良いか。お主の使える結界を全て使って、気配を消すのじゃ。儂も重ねるが、儂だけなら兎も角、お主の妖霊の気配は消さねばならぬ。前からやってくるのは本物の百鬼夜行じゃ。」
吉房に言われ、月丸はほっとする。
「何だ。陰陽師達が式神で作っていた奴らか。それなら、また俺が倒してきてやるよ。」
気軽に向かって行こうとする月丸を吉房は抱き止めた。
「ならん!百鬼夜行には手を出してはならん。訳は後で説明する。結界を張り気配を消せ。奴らの気の一切を取り込んではならぬ。口を開いてもならぬぞ。」
先程とは打って変わり、真剣な表情を浮かべる吉房に、気圧され、月丸は大人しく従うことにした。道の脇の木々に隠れ、呪を唱え、結界を張る。それと同時に妖気を操り月丸と吉房の二人を包み込み、気配を消した。
道の先から禍々しい気配が近づいてくる。
それは決して強大なものではない。月丸から見ても先程の式神と同様、吹けば消し飛ぶような脆弱なものである。しかし、その気配、禍々しさは尋常なものではない。恐らくまだ随分と離れているだろうが、何故かぞっとする気配。吉房がこれ程警戒するのであれば、何かあるのであろう。月丸は百鬼夜行を見てやろうと、木々の間で息を潜める。
百鬼夜行は半刻程掛けてゆっくりと向かって来た。その姿が僅かな月明かりにその姿を晒す。先頭を歩くのは、まるで武士のように鎧を纏っている。しかしその鎧はぼろぼろとなり、その顔は目が落ち窪み、肉が削げ、骨が浮かぶ。左腕は落ち、ふらりふらりと歩いて行く。続くのは鬼であった。その角は折れ、頭の一部は抉り取れている。ぎょろりとした眼球は左右を見回す。体は痩せ細り、まるで餓鬼のように骨の浮いた胸にぼこりと膨らんだ腹。腹の下からは臓物が今にもこぼれ落ちようとしている。
別の者は、服を纏っていない。乳房が見えることから、女であろうか。だが首はない。体の所々、肉が剥げ落ち骨が見えている。
更には、獣の様なものもいる。狼のような頭と体をしているが、手足はなく、まるで蛇のように体を畝らせ進んで行く。怒りの表情を浮かべた鬼の頭に蜘蛛の脚が生えて歩くもの。
皆、うぅ、うぅと唸りながら歩いて行く。
「屍人の列か?」
口には出さず、月丸は百鬼夜行を観察した。見た目は、屍人のそれであるが、誰かに操られている風でもない。それに屍人の様子でもあるが、不思議なのは、人の様なもの、鬼の様なもの妖のようなもの。その数は二十を少し越える程であろうか。
勝てない相手ではない。飛び出してこいつらを撫で斬ってやろうか。いや、こいつらを全て消し炭にしてやるのもよい。そうだ。この禍々しさ。この百鬼夜行を全て喰らってやれば、この何とも言えぬ力を取り込めるのではないか?俺は妖霊だ。こんな奴ら相手に隠れてやり過ごす事などない。
この行列、全て喰らってやる。
月丸の赤い瞳が怪しく輝き、今にも飛び出そうとした時、吉房が月丸を抱きしめた。刹那、月丸は、はっと、正気に戻った。
「今…俺は何を考えていた…?」
吉房に力強く抱きしめられながら、月丸は自身の考えに動揺した。
その僅かな音に百鬼夜行が足を止める。
「人の匂いがする。」
「童の匂い。」
「術の匂い。」
「結界を感じる。」
「どこだ?」
「どこだ?」
「わからん」
「わからん」
夜行の列からざわざわと声が漏れる。
暫く立ち止まり、辺りを伺っていた百鬼夜行は、月丸達を見つけられないとなると、再びふらりふらりと進み始めた。
吉房と月丸は百鬼夜行が十分に離れるまで、その場で留まった。その間、百鬼夜行の進んだ先、都へ続く道から、山犬などの獣の断末魔の鳴き声が山に響いた。恐らく百鬼夜行に出会してしまったのであろう。月丸はその鳴き声を聞きながら、吉房の腕の中で震えていた。
吉房と出会う前も、襲ってくる妖や人を返り討つ事はあっても、自ら相手の命を取ることに執着はなかった。しかし、今の感情はどうであろうか。自らの糧とするため、百鬼夜行を食らおうなどと考えた。これまで自分の中になかった感情に、困惑していた。
既に日が昇りつつあるのか、徐々に景色が輪郭をはっきりとさせている。一体どのくらいの時間が経ったかわからないが、やっと吉房が口を開いた。
「驚いたか?あれが本物の百鬼夜行よ。その正体は、怨みと、憎しみ、悲しみ、後悔、怒り、欲望…本来形なきものが形を成したものじゃ。」
月丸を抱く手を緩め、優しく頭を撫でる。
「俺…今、彼奴らを撫で斬って喰らい尽くそうとか考えたんだ。そんな事する気は無いのに。」
吉房は月丸の頭を撫でながら、うんうんと頷く。
「百鬼夜行は、元々、怨念や恨み、悲しみ、怒、強欲。様々な念が形となったもの。付近に居れば心は夜行に引っ張られ、狂ってしまうこともある。お前も僅かでも引っ張られてしまったのだろう。よく堪えたな。」
そう言われ頭を揺すられながらも、月丸は強さなどではなく、百鬼夜行の恐ろしさを僅かに理解した。




