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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第玖幕 月丸
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百鬼夜行 壱

 白々と夜が明けた。

 冬も僅かに迫るこの季節の朝は、気付けば息も白くなっている。

 月丸は境内に寝そべったまま、朝を迎えた。日が東の山々の輪郭を映し出し、真っ黒な空を朱に染めている。


 月丸はぶん、と、上半身を起こすと、明るくなりつつある空を見上げる。


「俺の成すべき事…それを探す為にお師様に付いて来た。人と出会って、人の良さを知った。お師様は、都で悪い者もいる事を知る様に言った。」


 月丸はこれまでの事を考えながら、ぼそりと呟く。


「悪い者もいる。良い者もいる。妖霊の力は世を滅ぼせるらしい。その力を俺は何に使うんだろう。少なくとも、すずやお師様を守ってやろうとは思うな…。」


 月丸は自らの呟きに、ふと、頷く。


「そうか。だから安土を守ってやれなくて悔しかったんだ。悲しかったんだ。俺は俺が好きな人や妖さえ守ってやれればいい。今は、それが成す事でいいや。お師様は俺が守ってやるさ。」


 月丸はすっと立ち上がり、まだ僅かに薄暗い境内を、古寺に向け歩いて行った。




 日も昇り、辺りがすっかりと明るくなった頃、月丸と吉房は旅支度を始めていた。


「もう、百鬼夜行は大丈夫じゃ。遠回りになったが、すずの村へと行こうかのう。」


 吉房の言葉に月丸も笑顔で返す。


「ああ。今度こそだな。」


 そんなやりとりをしながら準備を整えている月丸が、はっと顔を上げる。吉房も同じく気付く。それは妖気であった。大きな妖気が、異常な速さでこちらに向かってくる。


「陰陽師か?」


 月丸は相手を見極める為に古寺の外に飛び出し、妖気を感じる方向に神経を向ける。


 やがて見えてきたのは、地を駆けず、空から舞い飛んでいた。一直線に向かってくる。月丸はすぐに身構えるが、吉房が止める。


「待て、月丸。あれは呉葉じゃ。」


 吉房の言葉に驚く月丸。昨日は人にしか思えぬ程の気配であったのに、今の呉葉は大妖とも言えるであろう妖気を隠す事なく向かってくる。


 程なく、呉葉は境内に立つ月丸達の面前に舞い降りた。その表情は困惑の色を滲ませている。


「吉房様!急ぎお伝えしなければならぬことがございます。」


 降り立つなり、吉房の前に膝をつき、声を上げる呉葉。その姿は昨日同様、華美な総模様の打掛姿であるが、その顔は昨日に見た柔和な笑みを浮かべる美女ではなく、額より長く鋭い角を生やし、背にはからすのような黒い羽根が八対、大きく広がっている。目つき鋭く、第六天魔王が此処に在ると言われてもおかしくない姿であった。


「吉野の陰陽師は皆、歳若く知も熟しておりませぬ。どうやら、百鬼夜行を山に放っただけの様に御座います。」


 吉房の眉がぴくりと動く。


「山に放っただけ…?百鬼夜行の行先を再び欺かねばならぬであろう。まさか、行先に向かったのが、一人というのではなかろうな?ならば儂等が旅途中で手伝ってやるわい。」


 吉房の言葉にぶんぶんと首を横に振る呉葉。


「放っただけでございます。誰一人、百鬼夜行の行先には向かっておらぬとの事で御座います。」


 そう言うと、呉葉は力なくしゃがみ込み、土下座の様な姿勢となる。


「朝一番で、陰陽寮に確認いたしました。間違いございませぬ。彼等は、百鬼夜行を逸らす術は知っていても、封じる術を知り得ておりませなんだ。百鬼夜行は東へと歩み続けております。吉房様に一刻も早くお伝えせねばと、妖の姿にて飛んでまいりました。申し訳ございませぬ。私が気付いていれば…。」


 吉房は呉葉の肩を抱き起こし、手の砂を払ってやった。


「お主が謝る事ではない。よく知らせてくれたの。ならば儂が百鬼夜行を止めてくれるわ。心配するな。」


 呉葉にそう言うと、吉房は月丸に向き直す。


「月丸。すずとの再会は後回しになるが、手伝ってくれるか?」


 吉房の言葉に、月丸は迷わず頷く。


「私も!吉房様のお手伝いを…。」


 呉葉の申し出に吉房は頷いた。



 百鬼夜行が吉野から逸れたのが二日前。山へと向かったとの事だが、まっすぐ山道を進めば、人里が幾つもある。百鬼夜行が人里に入れば、大勢の者が殺され、取り込まれ、百鬼夜行を大きくする。大きくなった百鬼夜行は手がつけられなくなってしまう。また、百鬼夜行が進む先の人々を守るため、一刻を争う事態となった。


 吉房は呉葉に吉野と京界隈に住まう野の術者に百鬼夜行封じに力を貸す様、説得を任せた。説得とはいえ、野の術者の間にも、呉葉の術師としての名は馳せている。何より、吉房の名を出せば、幾人も集まるだろう。野の術者を廻ったら吉房に合流するとして、呉葉は飛び立った。月丸達も、百鬼夜行が向かったとされる山道を東へと向かい駆けた。


 山道に入ると、月丸は駆けながら百鬼夜行の気配を探る。人である吉房と違い、月丸は一度感じた妖気であれば感じることができる。

 しかし、百鬼夜行の不気味な気配は感じなかった。まだ遠いのであろうか?そんな疑問はあるが、急ぎ見つけなければならない。押し黙り気配を探り続ける月丸。その様子に、吉房はすぐに気付く。


「月丸。有難いが、日が有るうちは百鬼夜行の気配は一切無くなる。今は緊張せずとも良い。日が落ちてから頑張ってもらわねばならんからな。」


 そう言うと、吉房は穏やかな笑みを見せた。


「百鬼夜行は夜しか現れないのは聞いたが、気配くらいはあるだろう。」


 言い返す月丸に、吉房が言葉を続ける。


百鬼夜行あやつらはこの世の悪意が具現した者。人でも、妖怪でもなくなっておる。この世の理から外れておるのじゃ。

だから、天照大神の化身が有るうちは、地獄にでも姿を消しておるのか、現世にその痕跡は全く残らん。」


 暫く考え、月丸が訊ねる。


「妖気も消え失せるのか?」


 月丸の問いに吉房が頷く。


「然り。唯一わかるとすれば、百鬼夜行が通った後には、死が積まれておるはず。少しばかり離れておれば、疫病や気狂いが現れるじゃろう。その者達は可哀想だが、それくらいしか進む方向を知る術はない。」


 本来であれば、百鬼夜行の道を欺き、十人程の術者が百鬼夜行の後を離れて付いて歩くのだと言う。そうする事で、百鬼夜行を見失う事なく何処を歩いているかを把握する。

 七夜歩かせ、その先頭を把握したら、日のあるうちに再度反対側へと道を欺く。あとは人が誤って入り込まぬ様、外からも結界を張り、生きる者の目を欺けば良い。

 後は取り込む悪意がないまま、一本の道を行ったり来たりする内に、自然とその怨は消えるのだと言う。


「討ち滅ぼす事は、出来なかったんだよな?」


 月丸の確認とも思える言葉に、吉房は再度頷く。


「進みながらではあるが、月丸。お前にも百鬼夜行の封術を教えておこう。お前ならば、儂等人がなす様な術よりも遥かに強い術になるじゃろうからな。」


 そう言うと、かかっ、と笑う吉房。月丸も淡く笑いながら、頼む。そう返した。



 途中、休憩をとりながらも、かなりの距離を駆けた。山を二つ、三つ超えただろうか。間も無く日が沈もうとしている。空は暗く、遠い西の山の輪郭が、沈む日に浮かんでいる。

 月丸は直ぐに辺りを漂う不快な気配を感じる様になった。


「本当だ…。日が沈んだら、百鬼夜行の気持ち悪い妖気を感じる様になった。」


 月丸は辺りを見ながら呟く。


「儂にはまだ感じぬな。まだ遠いか…。月丸や。何方の方向に百鬼夜行がおるか、分かるか?」


 吉房に問われ、月丸は目を瞑り、この不快な気を発する元に集中する。そして、山三つほど越えた辺りであろうか。巨大な怨の塊を見出す。

 月丸はかっと目を開き、その方向を見据える。


「居た。この方向だ。まだ随分離れているが…。追い抜いた訳ではないよな?」


 吉野から東に続く道へと百鬼夜行は進んだ筈であった。呉葉が陰陽寮の者から聞いた道を月丸達は駆け進んできた。それでも歩の遅い百鬼夜行とは思えぬほど、離れている。


 何より月丸が疑問に感じた事は、吉房もすぐに気付いた。


「いかんな。此処より北ではないか。獣に誘われ獣道にでも逸れたか。月丸。まだ随分と離れておるなら好都合。夜も駆けるぞ。」


 月丸は素直に頷く。しかし、月丸が気にかけるのは別のことであった。


「お師様。今日はずっと走り続けてるんだ。大丈夫か?」


 己の身を案じてくれる月丸に、吉房は月丸の頭を撫で、穏やかに言う。


「ふむ。ちと、疲れておる。もしもの時は、お前に任せるぞ。月丸。」


 任せると言われ、月丸の目にもやる気が見えた。


「任せろ!」


 月丸の威勢の良い返事と共に、二人は道を逸れ木々の間を駆けた。


 半刻程走ると、数軒が並ぶ人里があったが、二人は立ち寄る事なく、人里を横断した。寄らずとも月丸は理解した。家々から漂う血の匂い。今日は日が落ちて間もない。恐らく昨日か一昨日か。百鬼夜行の怨に当てられ、人同士で殺し合ったのか、はたまた、百鬼夜行の目に留まり蹂躙されたか。いずれにしてもこの里に生を感じる事はなかった。


「生を見れば喰らい、ただ歩いておるだけでも生を狂わせる。昔から百鬼夜行は現れたが、その度にしっかりと封じておった。朝廷を別つ様な事をしたから、封ずる術を知る者と知らぬ者が出るのじゃ。そもそも、百鬼夜行を利用しようとした時点で、どちらの陰陽師も堕ちたものであるな。」


 口の様に呟く吉房。しかし、最後に小さく月丸に言う。


「百鬼夜行を封じ終えたら、せめて、この里の者を弔ってやろう。」


 月丸は吉房の背を見ながら頷いた。

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