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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第玖幕 月丸
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静謐

 酒屋ならば本通りまで出ればすぐである。急ぐことはないと、雄座は月丸の歩幅に合わせ、ゆるりと歩いている。

 怪異な事象がある時、月丸はすたすたと歩くが、こういった何でもない時の月丸は、あたりの風景を眺めながら歩くためか、ゆるりと歩く。ただ、歩くだけであっても、月丸の楽しそうな目を見ると、雄座は歩を合わせようという気になる。


 不意に、先程まで当たりを眺めていた月丸が雄座を見上げた。


「俺の分身を連れ出す雄座に、鞍馬が大層驚いていたよ。戻ったら色々聞かれそうだな。」


 そう言いながら、にっと笑う月丸。


「俺が聞きたいくらいだけどな。俺には神社の結界が見えないから、むしろ普通が分からんのだ。聞かれても答えられんよ。」


 雄座は頭を掻きながら応える。そもそも、雄座には結界の存在すら、認識できない。なので、無いものを在ると言われているようなものである。月丸やあやめが発する結界は、淡く虹色に輝くのが見える。しかし、そのようなものが見える事もない。

 何より、他の者、神田御前などは鳥居すら見えないと言っていた。既に見え方すらも違うのだ。雄座に分かろうはずもない。


 街を眺めながら、早々に酒屋に着く。月丸の元を訪ねる時、大抵この酒屋で酒を買っている。雄座馴染みの酒屋である。月丸の神社に程近く、非力な雄座でも何とか酒瓶を運べる距離であった。

 雄座は今の手持ちを全てビールに変えた。瓶にして二十四本。

 蕎麦一杯、精々三、四銭である。瓶ビールは一本二十四銭である。約六円近く。出費は大きい。まあ、鞍馬が喜ぶなら良いか。そう思った。


「兄さん、いつもは四、五本なのに、今日はたっぷりと買い込んで、大宴会だね。一人でこんなに買い込む人は中々居ないよ。」


 酒屋の主人が木箱ごと運んできながら問う。雄座は笑いながら是正する。店主が運んできた木箱を指差しながら、月丸が雄座に問う。


「雄座、これ、持てるのか?」


 雄座ははっとする。鞍馬が水のようにビールを流し込んでいたため、多い方が良いだろうと、何も考えず買えるだけ買ったが、そもそも瓶五本でも雄座にとっては大荷物。さて、数を減らそうか、そう考える雄座。月丸の言葉に返すのは、酒屋の主人。


「何だい。歩きできたのかい?大丈夫だよ。お嬢ちゃん。兄さん、近くなら運んでやってもいいし、荷車なら貸せるよ。」


 荷車なら雄座でも運べる。


「では荷車を貸してもらえるかい?直ぐに返しに来るよ。」


 雄座の返事に、主人は「はいよ」と軽快に返事を返すと、店の奥から少し小さめの荷車を出し、慣れた手つきでビールの箱を乗せて、縄で結んだ。


「兄さんはお得意様だからね。今後ともよろしく頼むよ。」


「ああ。多分直ぐに顔を見せるよ。目新しい酒があったら今度頼むよ。」


 主人の言葉に雄座が返すと、主人は思い出したように手を叩いた。


「そうだ。珍しいと言えばな、本場フランスから仕入れたワインがあるんだが、どうだい?甲州の奴じゃなくて、輸入物だよ。」


 そう言いながら、一本の赤ワインの瓶を持ってきた。


「いやね。プラムタンに下ろす予定だったんだけど、数を間違えてね。五本ほど余ってるんだよ。安くしておくよ?」


 ワインはさほど珍しいものではない。雄座も飲んだことがある山梨の国産ワインもある。しかし、ヨーロッパのワインとなると、保存環境や輸入の手間もあり、中々お目にかかることはない。

 ほう、と声を漏らす雄座。月丸や鞍馬に飲んでもらうのも良いかも知れんな、などと考えるが、首を横に振る。


「すまない。今日はビールで手持ちを使ってしまったんで、欲しいが金がない。有難いけど、今日は遠慮しておくよ。」


 雄座がそう言うと、主人が笑って言葉を返す。


「はは。ツケでもいいよ。兄さんは有名な物書きさんだし、お得意様だからね。金払いの良いのも知ってるから。」


 結局、雄座はフランスワインをツケで持って帰ることになった。雄座が荷車を引くので、月丸がワインの瓶を胸に抱えて、酒屋を出た。


 がらがらと荷車の車輪の音、瓶の揺れる音を聞きながら、雄座の横を歩く月丸がくすりと笑った。


「どうした?月丸。何か面白いものがあったか?」


 雄座の問いに、月丸が返す。


「いや、雄座もちゃんと、市井の中で生きているのだなと思うと、なんだか嬉しくてな。つい笑ってしまったよ。」


 月丸にしてみれば、雄座は小説を書き続け、暇ができれば神社にやってくる。そんな変わった男。そう思っていたが、百貨店に行けば、洋菓子店の店員は雄座を知っているし、先程の酒屋の主人も、同様である。

 雄座自身は、人付き合いは苦手と言う。月丸から見ても、雄座自身は何もしていないのだろう。ただ、好意を持たれやすいのだ。そう思った。雄座には悪意がない。初めて会った者でも雄座を警戒する者は居なかっただろう。

 あやめにしても、和代にしても、多恵子にしても。そして芦屋道満ですら。何より月丸自身も。

 そんな雄座だから、今日の様に店に入っても、店の者が旧来の知り合いのように接している。それが雄座が通う店なら尚更であった。


 そんな、人の良い雄座も、ちゃんと人の世の生活ができている事に月丸は嬉しく思える。


「まぁ、まともな仕事もしていないし、何より稼ぎの大半を酒と菓子に注ぎ込む人間が、ちゃんと生きているかは疑問だけどな。」


 苦笑いを浮かべながら応える雄座に、月丸は笑みで返した。

 母の願いを叶えるために物書きになり、読む者を楽しませようと努力している。稼いだ金を月丸じぶんやナナシ達のために惜しげもなく使う。

 雄座の行動の殆どが、誰かの為、である。雄座自身が意図したものではないし、そこまで考えていないのだろう。自然に他人の為に生きる雄座。月丸の頭にある考えが通り過ぎる。


(ああ。そういうところはお師様にもあったな。そうか。似ているんだな。雄座と吉房は。)


 一人、納得する月丸。


「いやいや、雄座はちゃんと生きてるよ。お前のおかげでワッフルに出会えたのだからな。」


 月丸の言う冗談に、雄座もああ、と納得する。


「ああ、それは重要な役を果たせた様だな。」


 二人は笑いながら帰路についた。






 ビールを待つ間、月丸が用意したお茶を飲みながら待つ。あやめはと言えば、土間で酒の肴にと、多恵子から習ったという料理を作っている。

 月丸と差し向かいになった鞍馬。二人の横ではナナシと魍魎が遊んでいる。随分と穏やかな時間があったものである。護るべき魑魅は、無邪気に遊んでいるし、過去、最も強く恐るべき妖霊は、穏やかに微笑んで魑魅と魍魎を眺めている。


「長生きはするものだな。」


 ふと口から漏れる鞍馬。その気持ちを察してか、月丸は微笑んだまま頷いた。


 外からはガラガラと荷車の音が聞こえる。さて、雄座の好奇心を満たせることやら。月丸はそんな事を考えながら、荷車の音に耳を傾けた。

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