月丸と鞍馬天狗 参
鞍馬の話が終わると、あやめは驚いたように声を上げた。
「お爺様と月丸さんにそんな逸話があったなんて…。」
月丸は笑いながら言う。
「あやめの小太刀。あれは俺の腹を刺した小太刀だよ。案外記憶に残るものだなぁ。初めてあやめとあった時、直ぐに思い出せた。」
驚くあやめを他所に、ころころと笑う月丸。それに応じるように、鞍馬も高笑いを上げる。
「がはは。あの小太刀は妖霊の血を吸ったことで、神器に近いものとなった。ならばと、儂の可愛い孫娘を守らせる為に持たせたのよ。」
あやめはぽん、と掌の上に小太刀を現す。まじまじと見ながら、『そんな事があったんだ…』と呟いている。
雄座としても驚いた話であったが、そこに疑問が生まれる。
「なぁ、月丸。吉房殿にお前が会ったのは、南北に朝廷があった頃であろう?以前聞いた時は、その…随分と鬼やらを討ち滅ぼしていたと聞いたが…。」
雄座の聞き辛そうに尋ねる姿に、月丸は困ったような笑みを浮かべ、それに答えた。
「この鞍馬との戦いによって、まだ未熟な俺の気配が知れたのであろう。おれの力を狙って、数多の妖が襲ってくるようになった。妖霊の血肉を食らえば、その力を受け継げるなんて話になっていてな。それは以前話したかな?」
月丸の言葉に、横から鞍馬が口を挟む。
「妖霊の力を継げる妖などあるものかよ。」
月丸は鞍馬の言葉にくすりと笑いながら、続ける。
「それから数十年。毎日のように襲われ、悪意を向けられ、自分を拒絶され、今思えば、俺も穢れとなりつつあったのだろうな。それを吉房が助けてくれた。」
月丸は笑いながら話すが、毎日のように悪意を向けられ命を狙われ続け、その心はいつしか病んでしまった。以前聞いた、鬼を喰らい、討伐に来た人も、平気で命を奪う妖霊へと変えて行ったのであろう。吉房がもう少し、遅ければ、月丸も悪しき妖霊となったのであろうか。妖怪の頂点と聞き及ぶ妖霊。それが穢れとなると、それこそ人間などひとたまりもないのではないだろうか。
目の前で、穏やかな笑みを浮かべる月丸が、河童化けや死姫のように、笑いながら命を狩る存在になっていたのであろうか。そう思うと、雄座の中で吉房に改めての感謝の念が湧く。
あやめがふいに、鞍馬に尋ねた。
「月丸さんがそんな大変な時に、お爺様は何をしてらしたの?天狗の里に連れて帰ったなら、月丸さんが辛い目に遭うことなど…」
孫娘に言われ、少し口を尖らせた後、ため息とともに鞍馬が言う。
「ふむ。あやめ。儂は月丸と戦った数日間で、妖気を使い果たしておったのだ。それこそ、百年近く眠りにつくほどにな。せめて、他の者に手出しをさせぬよう、妖霊に近付くなと言い伝えた。知っていれば、一族総出でも妖霊を救いに行ったのだがな。」
そう言うと、鞍馬はビールをグイッと飲み干した。そんな鞍馬に、月丸が声を掛ける。
「鞍馬が教えてくれた戦い方があったからこそ、俺は生きられたんだ。色々あったが、そのお陰で師と、吉房と出会う事ができた。鞍馬が気にする事ではない。」
月丸はビールの瓶を持つと、鞍馬のグラスにとくとくと注ぐと、続けて雄座のグラスに注ぎながら、言葉を続ける。
「雄座よ。天狗は、鞍馬天狗は誇り高く、強く、正しい義を持つ山神。そしてその気高い思念を受け継いだあやめ。お前はそんな凄い者達と膝を合わせて酒を交わしている。役得だな。」
そう言いながら、月丸は無邪気な笑いを浮かべた。
その通りである。伝説の大妖である鞍馬天狗である。悪妖を討ち、義経の育ての師。今では歌舞伎などの演目でも語られる本人が目の前にいる。確かに役得であった。
だが、鞍馬と月丸の出会いの話は、雄座の好奇心を一層大きくした。
百鬼夜行
月丸がこの神社に封じるという、恐ろしき存在。絡新婦を人に変え、黄泉神さえも討つ月丸が恐る存在。百鬼夜行が存った時代を生きる者がここには二人いる。
聞いてみたかったが、話題を変え、無邪気に笑う月丸を見ると、「そうだな」、と笑うしかない。
当の鞍馬は、月丸に賞賛され、複雑な顔を浮かべるが、孫娘を褒められたのは嬉しかったのか、嫌がるあやめの頭を撫でていた。
そんな雄座と鞍馬を眺めながら、月丸はふと、雄座に語りかける。
「知りたい事が沢山ある。そんな顔をしているな。」
月丸の言葉に雄座は困ったように頭を掻く。
「敵わぬな。心を読む術でも使っているのか?」
月丸は微笑み応える。
「いや、顔に書いてあるよ。お前の好奇心は分かり易い。」
月丸は手に持つビール瓶をことりと床に置くと、ふう、と一息付いた。
「そうだな。雄座には全て教えておきたいな。百鬼夜行相手に一緒に戦ってくれた鞍馬も居るしな。」
笑みを浮かべ語る月丸の言葉に、雄座は驚きの顔を浮かべ鞍馬を見る。あやめも雄座と同じような顔を見せる。
当の本人は、あやめに拒絶され、肩を落としてビールを飲んでいたが、二人の目線に気付くと、笑みを洩らす。
「懐かしいのう。百鬼夜行か。どうだ?妖霊の願いは叶いそうか?」
穏やかに尋ねる鞍馬に月丸が応える。
「ああ。もうすぐだと思う。」
「そうか。」
月丸の応えに、鞍馬は短く応えると満面の笑みを見せると、グラスを口に運び、ビールを飲み干した。
それを見て、月丸は鞍馬にビールを注ごうと、瓶を持ち上げ、下すと、別の瓶を上げる。ふるふると瓶を振ると、困ったように笑った。
「折角買ってきてもらったビールが、なくなってしまった。」
鞍馬がこぼした月丸の願いとは?昔語りを聴くなら、酒があった方が良い。月丸の言葉で、雄座は腰を上げる。
「どれ。ではちょっと一走り買ってこよう。鞍馬殿もビールを気に入ってもらえた様だし。」
雄座が遊びに来るたびに酒を持ってきたので、神社にはまだ酒は残っているのは雄座も知っている。しかし、旨い旨いとビールを嬉しそうに飲む鞍馬天狗を饒舌にするなら、ビールの方が良いであろう。雄座はそう思った。
雄座に応じる様に、月丸も立ち上がる。
「では俺も荷物持ちに付き合うとしよう。鞍馬、ちょっと待っていてくれ。」
そう言うと、すっと立ち上がり、雄座と共に小屋を出た。
「俺一人でも大丈夫だぞ?積もる話もあるのではないか?」
境内を歩きながら、雄座が問う。自分やあやめは、しょっ中顔を出しているが、聞けば鞍馬とは数百年ぶり。少しでも話をと、雄座が気を利かせようとするが、月丸は笑って応える。
「雄座、忘れたのか?一緒に行くと言っても、行くのは分身だよ。俺自身が行ける訳なかろう。」
月丸の言葉に、あぁ、と納得する雄座。鞍馬天狗との出会いや月丸の昔話を聞き、その事を失念していた。月丸はそんな雄座をくすりと笑うと、池の側に咲く小さな花を摘むと、いつもの様に分身を作り上げた。
「さぁ。行こう。」
分身の月丸は雄座の手を引き、鳥居に駆け出す。その小さな手を感じながら、雄座はふと思う。鞍馬が出会った月丸は、今の分身よりも幼いのであろう。そんな幼子が、鞍馬天狗と渡り合い、数多の鬼や妖怪を屠ったのだ。心が傷付くのも仕方がない。そんな思いから、雄座は月丸の手を握り返す。月丸も気付き、雄座を見上げ、満面の笑みを浮かべる。
雄座も、月丸の笑みに釣られて口元が緩む。そんな二人を本体は見送り、小屋に戻った。
「何じゃ?ビールを買いに行ったのではないのか?」
小屋に戻った月丸に鞍馬が訊ねる。
「俺はこの神社からは出られん。知っているだろう?分身を雄座に連れ出してもらったんだよ。」
そう言いながら、月丸は元の場所に腰を下ろし、温くなったお茶を啜った。そんな月丸を他所に、鞍馬が驚いた様に声を上げる。
「馬鹿な事を。この社の結界は天津、国津の八百万の神達、妖共、人が施した結界だぞ。それを分身とはいえ妖霊を引っ張り出すなど…。」
鞍馬の言葉を月丸は笑いながら遮った。
「だが、連れ出してもらえているんだよ。神々の結界も物ともせず、夏の暑い日に、涼むためだけに、この社へやって来た。そんな雄座だから、もしかしてと思い、分身を連れ出してもらったのだ。するとどうだ。結界など何もない様に、外へと出られたのだ。」
あやめも、雄座と手を繋ぎ、二人して外に連れ出る姿を何度も目にしている。それはあやめにとっても当たり前の光景であり、それを気にすることはなかったが、改めて思う。
「雄座さんって、何者なんだろう…。」
そんなあやめの呟きに、月丸が返す。
「ただの人で、俺の親友だよ。」
月丸の言葉は、本心から雄座を信頼しているのであろうことが感じられた。微笑みながら無垢な言葉を紡ぐ月丸を見て、あやめは見惚れて赤面した。




