月丸 壱
月丸の話。
吉房に連れられ、月丸は人々の住まう町や村を訪れながら、京へと向かっていた。すずという友と過ごした数日で、月丸は見た目同様、人の子の様に感情が芽生えていた。嬉しくは笑い、喜び、不服は怒り、文句を言う。それは側からみれば、愛らしい幼子のするそれであった。
道中、月丸は妖術を禁じられていた。
「人を知るには、人となるのが最も容易。」
吉房はそう言った。人ならば術は使わない。そういう事であったが、月丸は理解せぬまでも、術は使うな。その一言を了承した。理由は簡単である。すずやその両親をはじめ、知り合った人々は、術を使えなかったからである。そういうものなのであろうと、月丸は考えた。最も、吉房の様な陰陽の術に秀でた者が特異であることすら、知り得てはいなかったが。
京までの旅で、月丸は人が優しく、心穏やかな存在であることを知った。時には飯を貰い、時には暖かい布団で休ませてくれた。行く先々で、月丸の体調を心配してくれる。月丸にとっては嬉しいことであった。
そして、人が邪な考えを持つことも知った。月丸は旅装束ではあったが、すずの古着を着ている。見た目の愛らしさもあって、旅の埃で汚れても、人の目を引いた。そんな月丸を攫おうとする輩も居た。無論、術は使わなくとも、元々、鞍馬天狗と戦い、その後は襲い来る数多の妖を返り討った月丸が、その様な者に連れ去られることはなかったが。
そうした出会いは、月丸に数多くの感情を与えると共に、人の心の強さ、弱さ、美しさと醜さ、相反する感情がある事を学んだ。そして月丸に良き者と悪しき者の区別を理解させた。
最初の友であるすずと別れて数ヶ月。月丸と吉房は山中に居た。捨てられた山小屋を見つけた吉房は、今日の宿をここに決めた。小屋の中は埃っぽいが、雨風が凌げるならその程度問題はない。
吉房が軽く山小屋の掃除をする代わりに、月丸に辺りで晩飯を集めてくる様に言う。この頃には月丸も慣れたもので、辺りに自生する山菜を集めながら、近くを流れる小川に罠を仕掛け、魚を獲った。ただ、自分が好きな栗が落ちているのを見つけ、一晩では食べ切れない程の大量の栗を拾ってきて吉房を笑わせる事となった。
「なぁお師様?明日には京に着くのだろう?神が住んでいるんだろ?会えるかな?」
布団がわりに吉房の衣に包まりながら、月丸が尋ねた。吉房は夜、月丸を寝かせるため、夜語りとして、帝の話をした事があった。自身を喰らおうとやってくる鬼神や土地神は散々見てきた月丸であったが、国や民の安寧を願い祈ると言う帝に、月丸は興味を持っていた。
吉房は笑いながら答える。
「ふむ。日の落ちる頃には着くであろうな。じゃが、帝には流石に会えんぞ。会ってみたかったか?」
「そっか。残念だな。すずのために祈ってくれてるんだろ?会ってお礼をしたかったな。」
そう言うと、月丸はもぞもぞと起き出し、茹でた栗を手一杯に持って吉房に見せた。どうやら、帝に礼としてあげるために、たくさんの栗を拾ってきたと気付くと、吉房は大笑いした。
「がはは。その栗は帝への土産であったか。そうか。そうか。ならば会える様に頼んでみるかのう。」
吉房は嬉しそうに月丸の頭をがしがしと撫でた。
「でも、全部じゃないぞ。土産にするのはこれで…。残りは食う分だ。」
そう言うと、両手いっぱいの栗を大事そうに手拭いに包み、別に置いた。その隣には無造作に茹でた栗が纏められている。
「お師様と俺の明日の飯だ。」
そう言うと、月丸は栗を一つづつ指で二組に分けて行く。如何やら、自分の分と、吉房の分を分けている様であった。
感情豊かになった月丸を嬉しそうに眺めていた吉房は、月丸が栗を数え終わると共に、声を掛けた。
「子は夜は寝るものじゃ。さあ、そろそろ寝るぞ。」
吉房の言葉に月丸は素直に頷き、剥いだ吉房の衣を再び被ると、丸まって目を閉じた。無論、本来であれば妖霊である月丸は余程力を使わない限りは眠る必要はない。しかし、吉房に促されると、なぜか眠ることができた。
翌朝。
二人は何事もなく山小屋を出発し、京へと向かった。山の中腹から、丁度木々の間から、京を見下ろせる場所に出ると、吉房は月丸を抱え上げ、その景色を見せた。
「わあ…今までで一番大きな町だな。」
月丸の目に広がるのは、山に囲まれた盆地。そこに広がる縦横に道が伸び、整然と建物が並ぶ。所々、月丸が初めて見るような大きな建物もある。月丸は吉房に抱き上げられてたまま、その景色に見入った。
「あれが京の都よ。あそこに天照大神より脈々と継がれる帝が住まいし地じゃ。美しかろう?」
穏やかに語る吉房に、月丸は京に目を向けたまま頷く。吉房は言葉を続ける。
「じゃが、町の美しさとは裏腹に、人の心は荒んだ魔性の地よ。お前にはそれを見てほしくてな。」
そう言うと、月丸を下ろし、歩を進め始めた。月丸は吉房の後を追う。吉房は歩きながら、月丸に今の京について語った。
当時この地は、様々な災い事が絶えなかった。幕府と朝廷の間で行われた皇位継承の話し合いの決定に後醍醐天皇は不服を持ち、様々な暗躍を行った。そして至る所は時の幕府の討幕と後醍醐天皇の正式な皇位の継承。後醍醐天皇の不穏な動きを知り、六波羅探題は兵を派遣し、後醍醐天皇に属する御家人等を討ったことにより、討幕の企ては止まることとなる。
そしてその企てはやがて、後醍醐天皇と鎌倉幕府との戦いへと発展してゆく。
後醍醐天皇は奈良の寺院を味方にした。平安の世から強大な力をもつ延暦寺や興福寺を後ろ盾として、再度討幕へと舵を切る。日本国内ではそれに呼応するように各地で反乱が起きた。幕府は大兵力を以て後醍醐天皇を捉え、後醍醐天皇を廃帝として、光厳天皇が即位することとなったが、各地で起こった反乱は収まることを知らず、やがて大きな戦禍となって行く。京も戦場となった。京にある六波羅が攻め入られ、激戦の末、六波羅が落ち、後醍醐天皇の意に反し即位した光厳天皇も捉えられた。
鎌倉の幕府においても、幕府に不満を持っていた内部の武士が挙兵し、鎌倉を多くの屍が横たわる死の町へと変え、北条の収めた鎌倉幕府は終焉を迎えた。
しかしその混乱は、大神より続く天皇を分かつこととなった。南には後醍醐天皇が、北には光明天皇がそれぞれ立ち、世を分かつこととなったのが今、この月丸と吉房のいる世であった。
各所で戦が起き、力のある者は権力という欲に目がくらみ、力なき者はその日を生きるために必死となり、殺伐と、鬱蒼とした世。
「どこでも戦、戦、金や食い物どころか、命まで奪いおる。儂には元々何のための戦であったか、最早分からなくなって居るがな。人の欲とは恐ろしいものじゃ。欲を膨らませすぎた挙句が、人同士で命を奪い合う。これも、帝が世を分けてしまったからであろうかのう。」
吉房はそう零し、言葉を止めた。この京までの旅で、月丸は現世の事を吉房から少しずつ教えられてきた。吉房の言うある程度の事は理解できた。
「帝も…欲を持つのか?神なのに?」
月丸の素朴な疑問に吉房は笑った。
「かかか。そんなもん。唯の人の儂にわかるかよ。じゃが、世が割れたことにより、不幸が増えたわな。」
世が割れるとは理解できぬも、不幸が増えたこと、月丸もそれは理解した。
これまでの旅の中で、食うために人を襲う者、金を奪う者。その目にした。その顔は既に人というよりは、鬼の形相であった。心も鬼となり始め、既に人ではなく、鬼として成ろうとしている者すらいた。そこで月丸は初めて、生成鬼を見た。人が恨みや辛み、欲に塗れ力を欲した結果、自らを呪い、鬼と化す。生成りは吉房によって鎮められたが、人の思いの強さを月丸に知らせることとなった。
そんな光景を思い出しながら歩く月丸。前を歩く吉房は、足を止め振り返ると、月丸の目を見つめ静かに口を開く。
「月丸よ。儂が京へお前を連れて行くのは、人の良し悪しをその目で見て、人という者を知ってほしいからじゃ。知った上で、人を守ってやってくれんかな。お前ならば、いや、妖霊であるお前だけが、それを成すことができると儂は思っておる。」
突然の吉房の言葉に、月丸は首を傾る。
「人を守る?俺が?人がどれだけいると思っているんだよ。俺一人で守れるわけないだろう。ただ…。」
月丸は笑みを浮かべ言葉を続けた。
「お師様とすずとすずの家族は、守ってやる。」
その言葉を聞いて、吉房は嬉しそうに頬を緩め、月丸の頭を撫でた。
「それでよい。守りたい者がおれば、それでよいわ。じゃが、」
月丸の頭をポンと叩くと、笑いながら言葉を続ける。
「儂は守られねばならぬほど耄碌しとらんわ。」
二人は笑いながら、京へと向かった。




