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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第漆幕 絡新婦
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絡新婦 漆

 通りは先程までの人通りのおかげで、淡く地面を白くする程度の雪であったが、手を繋ぎ、鳥居を潜ると、箒の跡が波打つ綺麗な境内は、雪の化粧を施され、一面が白く輝いていた。


「ほう…これは見事な…」


 鳥居を潜ると、雄座は足を止め、境内の風景に見惚れた。普段見慣れた境内だが、一面に敷かれた雪が、夜の僅かな光を受けて、境内をまるで夕刻のようにその景色を照らす。銀座の美しさは人の作った光に照らされた姿であり、この神社の景色は、銀座のとは違い、自然が作り出した光に照らされた美しさである。

 上を見れば、葉をなくした木々は、真白な雪の花を枝々に咲かせ、枝の一本まで輝かせている。


「どうした?雄座。」


 急に立ち止まり、放心したような雄座を月丸が心配そうに見上げた。


「月丸。」


「うん?」


「お前の神社は美しいな。」


 月丸は一瞬、驚いたような顔を見せると、すぐに微笑むと、惚けたように境内を見る雄座の手を引っ張り、いつもの小屋へと向かった。


 からりと戸を開くと、月丸とあやめが出迎えた。分身は雄座の手を離すと、ふわりと花に戻り、月丸の手に落ちた。


「戻してくるよ。」


 月丸はしゃくしゃくと雪を踏む音を立てながら、池の方へと歩いていった。


「雄座さん。火鉢の横にどうぞ。寒かったでしょう?」


 あやめはそう言いながら、雄座を火鉢の横に座らせると、慣れたようにお盆の上の急須に湯を入れ、お茶を用意して雄座に渡した。恐らく、雄座が出かけている間に、事の顛末を肴にお茶を啜っていたのであろう。


「月丸さんから話は聞きましたよ。妖怪と人との純愛。何て素敵なんでしょう。」


 ずっ、と受け取ったお茶を啜る雄座の横で、胸に手を当てながら嬉しそうな笑みを浮かべるあやめ。


 何故婦人は人の恋話が好きなのだろうか。雄座はそんな事を考えながら、やはり人の娘も妖怪の娘も、変わらぬものなのだろうと改めて思うと、それはそれで面白く、くすりと笑みをこぼした。


「人と妖怪であったが、あと三日もすれば人と人だ。珍しいものではなくなるさ。」


 湯飲みを横に置き、手を火鉢に当てながら、雄座が言う。

 あと三日で絡新婦が人になる。妖怪が人に変化するという月丸の術には驚いたが、きっと三日後には照れながら惚気る長門石と、その横で微笑む多恵子が見られるであろう。そう思えば、自然と雄座の顔色も明るくなった。


 再びからりと戸が開き、月丸が戻ってくると、火鉢を挟んで雄座の正面に腰を降ろした。


「さて雄座。多恵子は三日ほどは誰にも会わせることができない。ただ、長門石とやらに弁当を渡すのであろう?何か考えがあるのか?」


 月丸の言葉に雄座は頭を掻きながら申し訳なさそうに応えた。


「いや、女将さんの希望を聞いて、つい口走ってしまったが、俺が運んでやればよかろう?」


 そう語る雄座に向かって、あやめが否定した。


「駄目ですよ。雄座さんと多恵子さんが出会った矢先に、会えなくなった。しかも雄座さんがその多恵子さんの作ったお弁当を持ってくるなんて、色々勘繰ってしまいませんか?」


 そんなものであろうか?雄座には思いつきもしなかったが、残念ながら現実の色恋などよくわからない。あやめの言うことなら、そうなのであろうか。雄座は腕を組んで考えた。


「うふふ。そういうことなら、私に任せてください。」


 腰に腕を置き、胸を張ってあやめが言う。だが、あやめに手伝ってもらわなくても、月丸の分身とともに長門石を訪ねれば済むであろう。


「いや。あやめさんに苦労をかけなくても、何とかなるかと…。」


 雄座が言い切る前に、あやめが言葉を続けた。


「雄座さんは恋愛に疎そうではないですか。月丸さんも数百年此処にいては、今の恋愛事情などお分かりにならないでしょう?こういったお話は、女同士が一番良いのですよ。」


 あやめはそう言うと自慢げに胸を張った。雄座としてはあやめに任せるのは良いとしても、和代の世話だってあるのだろうし、態々、弁当を届けさせるのは心苦しい。月丸の意見を聞きたいが、月丸を見ると、いつもの微笑みを浮かべたまま、雄座とあやめを眺めている。


「和代さんの世話や地の守護だってあるし、あやめさんは忙しいのではないか?」


 そう訊ねる雄座に、あやめはころころと笑いながら言う。


「まぁ、お任せくださいな。立派にお力になってみせますよ。その代わり、この件が上手くいったら、雄座さん。一つお願いを聞いてください。」


 あやめの言葉に、月丸はくすりと笑う。雄座も怪訝な顔を浮かべながらあやめに尋ねた。


「それは構わないが、願いとはなんだい?」


 あやめは人差し指を口に当て、悪戯に微笑む。


「終わってからのお楽しみです。」






 翌朝。

 月丸の社に泊まった雄座が目覚めたのは、日の光がすっかりと辺りを照らす時分であった。頭の上に置いた懐中時計を見ると、時刻は午前八時を過ぎた頃であった。もぞもぞと夜具から身を起こすと、慣れたように土間に向かい、桶に張られた水で洗顔を済ませる。

 準備を終えると、からりと戸を開いて小屋を出ると、相変わらず雪が僅かに舞っている。日の光を受けて舞う雪、地に積もる雪、木々の枝に積もる雪がきらきらと輝いている。その中に、参道の雪を箒で払う月丸がいた。冬の朝の空気は、月丸の白い肌と銀色の髪を際立たせた。まるで雪と同化したような月丸の姿は、昔語の妖怪、雪女を思わせる。そんな月丸の赤い瞳が雄座をとらえる。


「おぉ。起きたか雄座。」


 神秘的とも思えた月丸は、やはりいつもの月丸である。穏やかな微笑みを浮かべ、雄座に声をかけた。


「今日はゆっくり眠れたようだな。あやめは朝、顔を出してもう出たぞ。」


 あやめは昨晩、話を終えると一度神田邸に戻った。和代に外出を申告するためだ。そして朝、一度月丸の元に顔を出すと、さっさと多恵子の元に向かったそうだ。


「いつもながら、あやめさんの行動力は凄いものだなあ。」


 腕を上げ、伸びをしながら雄座が言う。腕をだらんと下ろすと、両の頬をぱんと叩いた。


「よし。俺たちも行こうか。」


 気合を入れる雄座に、月丸は笑みを浮かべたまま、頷くと、辺りを見る。僅かに積もった雪は、月丸の分身となる野花を隠していた。木々には雪の花が満開である。

 月丸は少し考えると、にやりと笑った。


「雄座。行く前に面白いものを見せてやろう。」


 そういうと、境内で一番太い桜の木の元へ雄座を連れて歩いた。木の袂に雄座を立たせると、月丸は雄座の少し前に立ち、手を上に上げると、くるりと回った。そしてその手をそのまま桜の木に添える。


「おお。」


 雄座が立つその桜は、瞬く間に雪を溶かし、芽吹かせ、薄紅色の花を枝々に広げた。白銀の境内に、薄紅の花が雪が反射する光に当てられ、境内をさらに明るく染め上げた。その景色を雄座は驚きを含めつつ、嬉しそうな顔で眺めた。


「昨日、桜の話をしたであろう?つい、やってみたくなった。」


 そう言いながら雄座と共に桜を見上げる月丸。空から舞う雪が日の光を反射し、より一層桜が美しく輝いた。


「雪の中の桜も、見事なものだなあ。」


 雄座が感嘆の声を漏らす。月丸はくすりと笑うと、桜の枝を一本折った。その枝は月丸の手によって分身に変わる。


「桜に元気になってもらわないと、分身が作れなかったのでな。きちんと帰ってこられるように、桜に気を分けたのだ。これほど見事に咲くとは思わなかったがな。」


 分身とともに月丸が笑った。月丸と分身が桜の袂で笑う姿は、雄座から見て、父と娘にも、母と息子にも見える。分身であるから当然であるが、似ている大人と子が並ぶと、こうも微笑ましいものかと、雄座の頬が緩む。


「さあ、あやめが待っているだろう。行こうか。雄座。」


 そういうと、分身は雄座の手を取り鳥居に向かって駆け出した。


「おい月丸。分かったから、引っ張るな。」


 もう少し桜を眺めていたかった雄座は、名残惜しそうな顔を浮かべながら、分身に引っ張られ、鳥居の外へと消えていった。

 一人残った月丸は、先程と同じようにその場でくるりと回ると、先程まで見事に咲き誇った桜は、元の雪を被った枝へと姿を戻した。

 寂しくなった枝を眺めながら、月丸は先程の嬉しそうな雄座の顔を思い出し、ころころと笑った。




 やがて雄座と月丸は、多恵子の店。雲庵の前にいた。雄座は眉間に皺を寄せている。


「なぁ。月丸。多恵子さんの店は、多恵子さんが結界を張っているんだよな?」


 雄座の問いに月丸が答える。


「ああ。だが、人の呪を掛けたので、いつかは結界を維持できなくなると思って、昨日俺も結界を張ったのだが…。それも無くなっているな。」


 月丸にもなぜかは分からないようであったが、店の結界は消え、雄座の目にも店がわかる。何より、人通りの増える時間帯。通り過ぎる人もちらりちらりとこちらを見ていた。最も、店に気付く者も居たが、その視線は月丸に向けられたものであったが。


「兎に角、入ろう。」


 雄座は店の引き戸を開け、月丸と共に中に入った。


「あら。いらっしゃい。」


 店に入った二人に、板前の奥から和装に前掛けを付けたあやめが笑顔で声を掛けた。


「あれ?あやめさん。何で店の中に?それにその格好は…。」


 驚く雄座と月丸にあやめは板前の席に案内すると、前掛けの端を摘んでくるりと回った。


「どうですか?小料理屋の給仕に見えますか?」


 普段の洋装は幼く見えるあやめも、留袖に前掛けを付け、髪を結った姿は、中々にしっかりとした美人である。月丸も雄座もうんうん、と頷く。


 あやめは一足先にここに来て、女将と話していた。女将は天狗がやってきたことで、驚き、恐縮していたが、手を貸してくれると言うあやめに甘えることとした。

 二人で話した結果、長門石に弁当を届けるだけでは話がややこしい。ならば、普通に店を開き、あやめが長門石を迎えて、食事を与えれば、多恵子も安心する。あやめはこうすることにした。何より、長門石は多恵子に会えぬが、多恵子は店の小上がりの障子を閉めた中にいる。小上がりには結界が張られ、人は立ち入れない。こうすれば、一日、ひと目でも長門石の姿を目にすることができる。あやめなりの配慮であった。


「はぁ。それであやめさんが女将の代わりにここに立つことになったんだね。」


 雄座が感心した。昨晩の思いつきがこういう結果になるのも面白い。だが、あやめが店に立つのなら、弁当はどうするのだろうか。雄座が訊ねると、あやめが答えた。


「ここでお出しするのは多恵子さんの料理ですよ。お弁当はやめです。それで雄座さん。長門石さんを呼んできてください。」

 そう言うあやめに雄座が訊ねる。


「呼ぶのは良いが、ここに呼んで良いのか?」


 あやめはこくりと頷くと、言葉を続ける。


「良いんです。その代わり、女将が体調不良なので、お店は三時までとお伝え下さいな。」


 そういうことになった。

 



 雄座は月丸を連れて、銀座へと引き返し、長門石の仕事場に向かう。長門石の職場は、雄座の通い慣れた新聞社である。てふてふと向かうが、政治記者の長門石。良く外を駆け回って取材しているため、いるかどうかは分からない。

まぁ、行くだけいってみよう。と、雄座は気楽に歩を進めた。


 既に十時近い銀座は活気を取り戻し、往来も務め人や買い物客が埋める。停車した市電からはぞろぞろと人が降りてくる。仕事へ向かうものはその表情も些か真面目に、買い物にでもきたのであろう者は、連れと笑顔で歓談しながら。雄座にとっては普通の光景であるが、月丸にとってはまた、この風景も新鮮であった。夜の沈黙した銀座、日中の繁華の最もたる銀座を眺めたことはあったが、街が目覚める寸前の光景も、また新鮮であった。


「みんな、銀座へと向かっているのか?」


「逆方向に歩いてゆく者は何処へ行くのだろう。」


 月丸はそんな事を雄座に聞きながら、興味津々に辺りを見回していた。通りすがる人も、そんな月丸を微笑ましく眺めて行き過ぎてゆく。

 神社の装束に薄紅色の髪色、真白い肌は、側から見れば、外国の子供程度にしか見られない。こんな日常に妖霊と呼ばれる妖怪が街を歩いているなど、知るはずもないのだから、誰も気に留めない。月丸の見た目は美しいが、人そのものである。知る形だからこそ、周りの人も恐れない。それどころか、その姿に好意的な目を向ける。多恵子と変わらぬ妖怪なのに。多恵子も、雄座の知る人の娘と、何ら心は変わらない。しかし、外に出れば化け物だ何だと恐れられるであろう。長門石であってもそうであろうか。何となくそんな事を考えながら歩いていると、すぐに新聞社に到着した。


 

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