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二度目の悪役令嬢は自ら破滅の道を選ぶ  作者: ウミノリリオ


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3




「…………——様。——お嬢様」



「ルクレツィアお嬢様!」


 声に引き上げられるように、ルクレツィアははっと目を開けた。

 視界に飛び込んできたのは、見慣れた——そして、先ほどまで見つめていたはずの顔。 


「……ゼノ」


 反射的に手が伸びた。

 寝台に横たわるルクレツィアを覗き込むゼノの頬を、両手で挟み込みまじまじと見つめる。「えっ?」その顔は細い手の中でそう小さく声を漏らし、目を丸くした。


 灰色の髪。目立ちはしないが整った顔立ち。どこか不機嫌そうに細められた目。

 間違いない、ゼノだ。長年自分に、アーデ家に仕えている、護衛兼従者。

 最初に出会ったのはいつだったか、公爵令嬢として護衛が必要だと言われ、幼い自分が適当に見繕ってきたことだけは覚えている。それから長く自分に仕え、そして、先ほど衛兵の矢から自分を庇い、冷たい土の上に斃れた——

 なのに、


「……生きているわね」

「は?」


 素っ頓狂な声が返る。しばらく無言のまま彼を見つめ続けていると、ぱしりと軽く手を払われ、ようやくその頰から手が離れた。

 

「寝ぼけてるんですか? うなされているようだったから、起こして差し上げたのに」


 ゼノは呆れたようにそう言うと、「まあ、寝ぼける元気があるんならいいですけど」と小さく付け足した。およそ従者とは思えない、軽薄な態度だった。だが、そうだ、たしかにこういう人間だった、ゼノという男は。

 ルクレツィアは何かに納得したように頷くと、ゆっくりと上体を起こした。長い赤髪が清潔なシーツに触れる。

 見慣れた自室、整えられた調度、身に纏った絹の寝衣、大窓から差し込む光。それら全てを見回して、ルクレツィアは瞠目した。

 ——あの冷たい石の牢では、ない。


「……今日は、何日?」


 問いかけると、ゼノは一瞬だけ怪訝そうな顔をした。


「はあ? 急にどうしたんです」

「いいから答えなさい」

「……わかりましたよ。今日は——」


 有無を言わせぬ声音に、ゼノは小さく肩をすくめ答えた。告げられた答えに、ルクレツィアは息を呑む。

 それは、自分が記憶している日付よりも一年以上前のものだったからだ。

 ゼノが助けに来たあの処刑の日より、いや、なんなら、あの腹の立つ平民女と出会うよりもずっと——

 

 ——どういうこと?

 ルクレツィアは困惑した。 

 あれは、夢だったのか。夢というには、あまりにも鮮明だった。矢に貫かれた痛みさえ、今も身体に残っている気がするほどに。

 冷たい石の独房、夜露に濡れた草の上を駆けた感触。憤りも失望も、最期に目を閉じたあの感覚さえ、実感を持って残っている。

 あれが、夢だというの? 本当に……


「……ルクレツィア様?」


 怪訝そうな声に、ルクレツィアははっと我に返る。

 黙り込んでしまった自分を訝しんだのだろう、はぐらかすようにルクレツィアは言った。


「そういえば、わたくし、どうしてここに?」

「覚えていないのですか? 階段から落ちたんですよ。それで気を失って」

「落ちた……?」

 

 ゼノはあっさりと答えた。曰く、公爵邸の大階段から足を滑らせたところを、近くにいたゼノが支えてくれたらしい。頭は打っていないはずなのに意識が戻らず、こうして自室で休ませていたという。

 ルクレツィアは部屋の中を改めて見渡す。水桶など看病の形跡はあるが、侍女の姿はない。定期的に様子は見に来ていたのだろうが——ずっと付き添っていた、というわけではないらしい。それは、自分のこれまでを思えば当然のことだったが。誰も、そこまで自分を気にかけはしない。

 けれど。


「……ずっと、見てくれていたの? わたくしのこと」


 ぽつりと問いかける。

 ゼノは一瞬だけ視線を逸らし、そっけなく答えた。


「それが俺の仕事なんでね」


 淡々とした言い方だった。

 その物言いがむしろ、ルクレツィアにかつてのゼノの姿を思い出させた。

 いや、かつてと言う表現はおかしいか。それはルクレツィアにとって、つい先ほど起こったことだった。そしてこの世界(・・・・)では、まだ起こっていないはずの出来事。

 頭の奥がぐらりと揺れる。ルクレツィアはゆっくりと息を吸い、意を決して声を放った。


「……ゼノ」

「はい」

「わたくし、どうやら未来から来たみたいなの」

「……は?」

 

 それは、あまりにも突飛な言葉だった。

 ゼノは一瞬、完全に動きを止めた。当然の反応だろう。

 だが、ルクレツィアは構わず語り始めた。


 リアのこと。婚約破棄のこと。断罪され、投獄されたこと。そして——彼が助けに来て、共に死んだこと。

 言葉にするたび、記憶が鮮明によみがえる。冷たい牢、走る足音、血の温もり。目を閉じて、目を開けたら、この寝台に横たわっていたこと。


 ゼノは最初、明らかに訝しんでいた。眉を顰め、半信半疑といった様子でルクレツィアの話を聞いた。

 だが、話が進むにつれ、その表情は徐々変わっていく。やがてすべてを聞き終えたとき、ゼノはしばらく黙り込んだ後、静かに口を開いた。


「……それでは、そのような未来は回避しなければなりませんね」


 あまりにもあっさりとした結論だった。

 ルクレツィアは目を瞬かせる。


「信じるの?」


 問いかけると、ゼノは迷いなく頷いた。


「貴女様は、こんな冗談を言う御方じゃないでしょう」


 まっすぐに見つめられる。

 僅かに光を湛えた鈍色の瞳。その視線に、ルクレツィアは一瞬言葉を失った。


——ゼノって、こんな顔をしていたかしら。


 場違いにも、そんなことを考える。

 こんな瞳でわたくしを見つめるような人だったかしら。こんなはっきりとした物言いをする人だったかしら。

 ——知らなかった、と思う。

 長年そばにいたはずなのに、こんなふうに正面から彼の顔を見たことがあっただろうか。


「要するに、」

 

 ゼノは淡々と続けた。


「その『守護の巫女』とやらに手をかけた上に、王子殿下やご家族の信頼も得られていなかった。だから誰も助けてくれなかった、ということでしょう?」

「……ええ」

「なら話は簡単です。彼らと信頼関係を築けばいい。その巫女さんとやらにも優しくしてやれば、間違っても罪になんて問われないでしょう。協力しますから——同じ道を辿らぬよう、手を打ちましょう」


 あまりにも単純で、あまりにも正しい答え。

 ルクレツィアはしばし呆然として、言った。


「……協力、してくれるの?」

「そりゃあ。俺は、あなたの従者ですから」


 ゼノは肩をすくめて言った。口の端だけ緩めるような、僅かな笑みを浮かべて。

 その瞬間。

 鮮明に、あの光景がよみがえった。月明かりの下、自分に差し伸べられた手を。


「……どうして、」

 気づけば、口にしていた。


「どうしてあなたは、わたくしを助けに来てくれたの?」


 ゼノは一瞬だけ、言葉に詰まったように見えた。

 だがすぐに、僅かに視線を逸らして答える。


「……さあ。未来の自分の考えなんて、知りませんよ」

「……」


 はぐらかすような言い方だった。ルクレツィアは何も言えず、ただ彼を見つめる。


「そうと決まれば、早速行動に移しましょう。起きられますか?」


 誤魔化すようにゼノはそう言い、まだ寝台に腰掛けたままのルクレツィアに手を差し伸べた。

 ルクレツィアは、少し惑いながらも、静かにその手をとる。

 

 こうして、ルクレツィアとゼノの——破滅の未来を回避するための、二度目の人生が始まったのであった。

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