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二度目の悪役令嬢は自ら破滅の道を選ぶ  作者: ウミノリリオ


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「————ゼノ!」


 砕け散った鉄格子の向こうへ、ルクレツィアは迷いなく手を伸ばした。差し出された手を掴む。その瞬間、全身を満たしていた空虚が一気に埋まっていく心地がした。

 ゼノはルクレツィアの手を引き、そのまま迷いなく牢塔の外へ降り立つ。白い月がふたりを照らした。まるであの夜の再演だった。


「こっちです。見張りの少ない抜け道があります」


 ゼノは振り返らず、暗い夜道を迷いなく進んだ。

 息を切らしながらその背を追っていたルクレツィアへ、やがて苦しげな声が投げかけられる。


「……どうして、こんなことをしたんですか。せっかく殿下とも、リア嬢とも上手くやっていたのに。このままなら貴女は、王子妃として何不自由ない未来を歩めたでしょう。なのにどうして、自分から全部壊すような真似を——」


 そこには、押し殺しきれない感情が滲んでいた。ゼノは、ルクレツィアが処刑される未来を回避するため尽力していた。納得しきれない思いがあるのだろう。 

 ルクレツィアは静かに目を細めた。


「……そうね。リアを害したりしなければ、わたくしは今頃殿下と婚姻を結び、いずれ国母となっていたのでしょうね。それが幼い頃から定められた運命で、果たすべき義務だと……そう信じていたわ」

「だったら、どうして——」


 ゼノは、理解できないとでも言うように問いを重ねた。その声には、純粋な困惑が滲んでいた。

 だからルクレツィアは、はっきりと言い放った。


「——でも、そこにはあなたがいないじゃない」


 ゼノの足が止まった。

 「……え?」ようやく振り返ったその顔を見て、ルクレツィアは小さく笑う。

 場違いにも、きょとんと丸くなった鈍色が可愛らしいと思った。


「こうでもしなければ、あなたはきっと、もう二度とわたくしに逢いに来なかったでしょう? ねえ、どうしてだなんて、そんなの——」


 呆然としたままのゼノに、ルクレツィアは微笑んで続けた。月光が金の瞳の中で揺れる。


「そんなの——あなたが好きだからよ」


 息を呑んだ。

 「な、にを……」告げられた言葉が理解できず、ゼノは喉を鳴らす。


 ゼノのその表情に、冷たい土の感触に、ルクレツィアは一つの記憶を思い出していた。

 月を背に現れた救済者。抱きしめられた腕の温もり。血を吐きながらも自分を離さなかったその力も。そして——


「……ずっとわからなかった。知りたかった。誰かを愛するという気持ちだけで、どうして命を投げ出せるのか。どうして道理にかなわぬことをしてしまうのか。そしてわかったわ。わたくしは、たとえ今ここで死ぬとしても——ゼノ、あなたにもう一度、出逢いたかったの」


 そう言って目を細めるルクレツィアに、ゼノは僅かに頰を引き攣らせた。「まさか、俺は——」愕然とするゼノに、ルクレツィアはひとつ小さく頷く。


 思い出す。

 一度目の人生、その最期。彼女を助けに現れたゼノは、衛兵からルクレツィアを庇い、死んだ。

 『どうして庇ったりしたの』叫ぶルクレツィアに、ゼノは血を吐きながらも答えたのだ。『貴女様は本当に、人の心がわからないお人ですね』と。そして——


『そんなの——貴女のことが、好きだからですよ』


 思いもよらない言葉に、ルクレツィアは思わず聞き返した。


『……え?』

『好きです……ルクレツィア、さま。貴女が、初めて……俺を、見つけてくれた時から……。たとえ、今ここで死んでも……貴女を、護れるの、な、ら——……』


 ——続く言葉は、最後まで紡がれることはなかった。力が抜ける。抱きしめていた腕が、するりと滑り落ちた。

 それきり事切れたゼノの名を呼びながら、ルクレツィアは不思議で仕方なかった。

 どうして、自分などが好きだと言うのか。どうして、好きという気持ちだけで自分の命をかけられるのか。

 そんな疑問に苛まれたまま、ルクレツィアもまた矢に斃れた。


 そして目が覚めて——目の前に、ゼノがいた。

 ルクレツィアはこの二度目の人生、ただ、その疑問の答えが知りたくて生きてきた。

 アルベルトも、リアも、破滅に向かう自分の未来も。そんなもの全て、どうでもよかった。

 知りたかったのは、ただ、目の前のこの男。

 ゼノが自分に向ける、その気持ちの正体だけだった。


 没落する未来を知れば、アーデ家ごと見捨てることだってできたはずなのに。

 自分まで死ぬ運命だと知れば、ルクレツィアから離れる判断だってできたはずなのに。


 それでもゼノは、ずっと自分の隣にいてくれた。そして今も、命を懸けてここにいる。

 その事実に歓喜するこの感情を、この月光の下、もう一度この男と出逢えた感動を。


 恋でなければなんと呼ぶの。


「あなたが好きよ、ゼノ。だから——」


 驚愕に固まるゼノの両頬を、ルクレツィアは自分の両手で包み込む。

 僅かに震えるその視線に、ああ、生きている、とルクレツィアは思った。


「——わたくしと一緒に、死になさい」


 ゼノの喉が小さく震えた。月に照らされた肌がどこか熱を持っているように見えた。そんなことがたまらなく嬉しかった。

 誰かとともに生きるなら、この男の腕の中がいい。 

 この男の命が尽きるなら——自分の腕の中がいい。

 それだけが、ルクレツィアの望んだ未来だ。


「——おい! 罪人が脱獄しているぞ!」


 その時だった。二人の背後に、鋭い怒声が投げられた。

 衛兵だった。一度目と同様に、二人は見張りの衛兵に見つかったのだ。


「こっちだ、逃すな!」

「死刑囚だ、殺しても構わん!」


 声と共に、そのうちの一人が光の矢を構えた。振り返る間もなく放たれる。


「——ルクレツィア様っ!」


 身構えた瞬間、強く引き寄せられる。温かい何かが背に触れた。抱きしめられていることに気づいた瞬間、ルクレツィアは自分の心が震えるのを感じた。

 ああ、これだ。これが欲しかった。

 何を差し置いても、ここで命尽きても——この腕の中に、還ってきたかった。


 父も恋に生きた人だというのなら、きっとわかってくれるだろう。クラウディオには迷惑をかけるが、真面目な男だ、またアルベルトが取り計らってくれる。アルベルトもリアも、最初は悲しむだろうが、互いがそばにいるなら大丈夫だ。ただ隣にいるだけで大丈夫だと思える存在があることを、ルクレツィアはすでに知っていた。

 後悔なんてないわ。これがわたくしの選んだ道。


『好きになってしまいました。この想い、簡単には止められません』


 いつかそう言った誰かの笑顔が思い出される。

 ええそうね、リア。好きになってしまったんだもの。簡単には止められないわ。


 衛兵が光の矢を放つ。自分を抱き込む胸にぎゅうとしがみついた。草の香り。次に来るであろう衝撃を、胸を貫く死を覚悟し、


 ——ルクレツィアは静かに、瞼を閉ざした。

















「——『光よ』!」


 瞬間。

 声が響いた。いつまでも降らない矢、代わりに空気を震わせた衝撃に、ルクレツィアは目を開ける。

 そこに立っていたのは、


「——ルクレツィア様、ご無事ですか!?」

「……リア!?」


 ゼノとルクレツィア、ふたりを矢から守るように展開された結界と、リアの姿だった。

 思わず目を見開く。呼ばれた名前に、結界に砕かれた矢に、衛兵が狼狽した声を上げる。


「み、巫女様!? なぜ——うぐっ!」


 が、鈍い音と共に身体が崩れ落ちる。その背後から、今度は杖を構えたクラウディオが現れた。


「お兄様!? あなたまで何を……!」

「安心しろ、一時的に昏倒させただけだ。それより、早くここを出るぞ」


 クラウディオは苦々しい顔で周囲を見回しながらそう促す。

 それでもルクレツィアはすぐには動けなかった。座り込んだまま反論する。


「な……にを言っているの。ここには看守も衛兵もいるのよ? そんな簡単に逃げられるわけ——」

「追手ならもう来ない。アルベルト殿下が手を回してくださっている。今なら、君を逃がせる」

「殿下まで……!?」

 

 クラウディオの説明に、ルクレツィアは言葉を失う。 

 こんな未来、自分は知らない。あの矢に撃たれ、ゼノとともにここで朽ち果てると思っていたのに——


「こっちです! 見張りのいない道まで案内します!」


 と、リアがそう言い駆け出した。

 同じように困惑した表情のゼノと目が合う。だが彼はすぐに瞳の色を変え、ルクレツィアの手を引きそのあとを追った。

 冷たい土を蹴り、暗い通路を走る。息を切らしながら、ルクレツィアは叫ぶ。


「あなた、わかっているの!? 大罪人を逃がすなんて、発覚すればあなたたちの立場だって危うくなるのよ!」

「わかってますよ、そんなこと」

「それじゃあ、どうして——」


 問い詰めるルクレツィアへ、リアはふと足を緩め、振り返った。そして、


「言ったじゃないですか。私、ルクレツィア様のこと、嫌いじゃないんです。だって——

 私たち、同じ恋する乙女仲間でしょう?」


 ——それはまるで、全てを包み込む太陽のような笑顔だった。

 満面に笑みを湛えた、どこまでのも屈託ないその表情。ずっと心のどこかで苛立ちを感じていた、その笑顔が今はどうしようもなく輝いて見えた。 


「……言っておくが、私は最後まで反対だったからな。こんな強行突破、私たちどころか殿下のお立場まで悪くなる」


 今度はクラウディオが不機嫌そうに口を挟む。

 そして、見張りのいない裏口を指し示した。


「——だからせめて、誰にも見つからず逃げ切ってくれよ」

「お兄様……」


 クラウディオはそれ以上何も言わず、ただ妹の背を押した。


「……ルクレツィア様」


 それを見て、ゼノが静かに手を差し出す。

 示された裏口の向こうは昏く、どこに続いているのかルクレツィアは知らない。それでも迷うことなく、ルクレツィアはゼノの手を取った。

 

 駆け出す。

 鬱蒼と生い茂る森は、月光からすら彼らを隠した。素足に夜露が冷たい。振り返らず駆けていく二人の背に、よく通る声が投げかけられた。


「ルクレツィア様——幸せになってくださいね!」


 リアの声だった。ルクレツィアは一度だけ俯き、小さく笑う。


——幸せに、なんて。なんてつまらない願いなのかしら。


 振り返る。リアの姿はもう遠く、表情も見えなかった。

 ルクレツィアは再び前を向く。視界の先には、自分の手を引いて走る男の背中があった。


 幸せなんてもうとっくに、この繋いだ手から全身へ満ち溢れていた。

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