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「——どうしてこんなことをするんですか、ルクレツィア様!」
学園の廊下に、甲高い悲鳴が響く。
石造りの床に倒れ込んだリアが、赤く腫れた頬を押さえながらこちらを見上げた。薄く潤んだ瞳は、恐怖と困惑に揺れている。
ルクレツィアはそんな姿を冷ややかに見下ろし、静かに告げた。
「……あなたが悪いのよ、アリア嬢」
——その翌日からだった。
ルクレツィアは、リアに対して執拗な嫌がらせを始めた。
最初は些細なものだった。
私物を壊す。呼び出して孤立させる。授業の内容を故意に誤って教える。
リアは反発した。だからさらに手を強めた。
「作法を教えて差し上げるわ」そう言って連れ込んだ個室で教育を施した。かつて自分が受けたものと同じ、逃げ場のない指導。泣こうが怯えようが、手を緩めることはなかった。
魔術の授業では、意図的に難度を引き上げるよう働きかける。ついてこられぬというのなら、容赦なく『守護の巫女』としての足りなさを糾弾した。
人前で腕を掴み、逃がさぬよう引き止めたこともある。廊下で偶然を装い体をぶつけたことも。生意気にも「あなたはこんなことをなさる御方じゃないでしょう」などと泣くものだから、平手で頰を打ったことも一度や二度ではなかった。
それはまるで、一度目のルクレツィアの行動そのものだった。怒りに任せ、リアを追い詰め続けた公爵令嬢。
最初のうちこそ、周囲にはルクレツィアへ同情的な声もあった。「たしかに、アリア嬢はアルベルト殿下との距離が近すぎたよな」「高位貴族の子息ばかりを侍らせて、いい気はしなかったわ」——等。
だが、ルクレツィアのあまりの過激さに、だんだん非難の声が増えていく。リアに批判的だった生徒たちでさえ口を噤み、やがてルクレツィアを遠巻きにするようになった。
「どうしてこんな酷いことをするんですか……!」ずたずたに裂かれたドレスを抱え、リアが泣く。
「さすがにやりすぎだ。このままでは、公爵家としても庇いきれない」クラウディオは苦々しい顔でそう告げた。
「彼女との間には何もない。二度と近づいたりしないから、これ以上リアを傷つけるのはやめてくれ」アルベルトに懇願されたこともある。
そしてある日には、長く姿を見せていなかったゼノまでもが現れ「何を考えているんですか!?」と珍しく感情露わに問いただされた。
だが、それら全てに対し、ルクレツィアはただ一言返すだけだった。
「わたくしは、わたくしの思うままに行動しているだけよ」
その声は、瞳は、あまりにも冷たかった。
それはまるで、アルベルトやクラウディオに寄り添う素振りを見せる以前の。
リアに対して「騒がしい」と諌めながらも、最後まで彼女の話を聞いてやる以前の——
どんどんエスカレートしていく行為。ルクレツィアの悪行は次第に学園を超え、市井にまで流れた。
「高位貴族の令嬢が、『守護の巫女』を迫害しているらしい」
「王子と恋仲にある平民の巫女へ、政略の婚約者が悋気を起こしたらしい」
ある者は貴族の醜聞だと面白がり、ある者はまるで何かの恋物語のようだと口にした。その噂はまるで誰かが扇動でもしているかのように、あっという間に国中に広がった。
これに激怒したのは教会だった。
『守護の巫女』は国の結界を支える存在。実質的な後ろ盾である教会が、高位貴族による迫害を黙認するはずもない。
こうして『悪役令嬢』の噂は、ついに貴族社会にまで浸透した。こうなってしまえば、国王の耳に届くのも時間の問題だった。
——そして、運命の日はやってくる。
誰もが賑わう学園祭。
その日、ルクレツィアはリアを人気のない場所へ呼び出し、魔物をけしかけた。
そしてよりにもよってその現場を、貴賓として招かれていた国王と教会の関係者に目撃される。
魔物に襲われる巫女と、それをけしかける公爵令嬢。まるで物語のヒロインと悪役のようなその構図に、言い逃れなどできはしなかった。
「——公爵令嬢ルクレツィア・アーデ! 貴様のリア・アリアに対する残虐な行い、これ以上見過ごすわけにはいかない! 貴様との婚約は、破棄させてもらう!」
本来なら華やかなダンスパーティが行われるはずだった大広間。全校生徒が集まるその中心で、ルクレツィアはアルベルトから婚約破棄を突きつけられた。
『守護の巫女』は貴族に準ずる権威を持つ。それを害した罪は重い。まして殺害未遂ともなれば、公爵令嬢であろうと極刑は免れないだろう。
ルクレツィアを断罪するアルベルトの手は悲しみに震え、その隣に立つリアもまた、透き通った瞳に涙を浮かべ「ルクレツィア様、どうして」と声を詰まらせた。視界の端ではルクレツィアを助けようとして捕まったゼノの姿も見える。
憤る教会と、頭を抱える王宮。固唾を飲んで成り行きを見守る生徒たち。
その中心で、ルクレツィアだけが扇子の下で静かに笑みを湛えていた。
——かくして公爵令嬢ルクレツィア・アーデは、『巫女殺害未遂』の罪を以て断罪され、投獄されることとなった。
が、そう宣言した第一王子アルベルトや『守護の巫女』リアは、最後までその声を震わせ、ルクレツィアを思い涙していた。
*
罪人となったルクレツィアに用意された牢は、貴族用の簡素だが清潔な部屋だった。
だがルクレツィアはそれを固辞し、自ら大罪人用の監獄へと向かった。人目を憚るような森の奥深く、冷たい石造りのその場所は、いつかもルクレツィアが収監されたところだということは、彼女以外知る者はいない。
陽光すらまともに差し込まぬ薄暗いその塔に、クラウディオやアルベルト、リアは毎日のように面会に訪れては減刑を訴えた。それでも、ルクレツィアは差し出される手をことごとく振り払い、自分の処刑を急かすだけだった。
「私はあなたのことなど恨んでません! 何か理由があるんでしょう? なら——きゃっ」
「……薄汚い泥棒猫。あなたからの慈悲など、たとえ死んでもいらないわ」
「ッ、貴様! 巫女様に向かって何という真似を……おい、連れて行け!」
「ま、待って! 違うの、ルクレツィア様はそんな人じゃ——」
鉄格子越しに必死に語りかけてくるリアも、クラウディオも、アルベルトも——
差し伸べられた全ての手を、ルクレツィアは乱雑に跳ね除けた。そんなもの、ルクレツィアは望んでいなかったからだ。彼女が掴みたいと願う腕は、もうずっと前からたったひとつだけだった。
冷たい石造りの牢。粗末な囚人服。冬の寒さが身に沁みた。
ルクレツィアは、鉄格子のはまった小窓から、毎日のように空を見上げていた。細く尖っていた月が、夜を重ねるごとに膨らみ、満ちていく。その変化だけが、閉ざされた牢獄の中で時間の流れを教えてくれた。
ある日、見回りの衛兵が何気なく口にした。
「処刑日が決まったらしいな」
「もう長くはないぞ」
それを聞いてから、ルクレツィアはさらに長い時間、窓の外を眺めるようになった。
——そして処刑前日。
冷たい牢屋の中で一人待つルクレツィアの元へ、その声は届いた。
「——ルクレツィアお嬢様! 助けに参りました」
弾かれたように顔を上げる。
月に照らされて光る灰色の髪。鉄格子越しに差し出された大きな手。
ルクレツィアの記憶と、寸分違わない姿。
「————ゼノ!」
全身が、歓喜に震えた。




