10
狩猟祭の後、アーデ公爵家の屋敷には連日のように王宮から荷が届くようになった。
差出人は、アルベルト・ルディア。ルクレツィア宛に届くそれは、どれも高価な品ばかりだった。宝石、装飾品、上質な仕立てのドレス。おそらく、彼なりの誠意なのだろう。婚約者を大切にしようという意思表示だ。
「……」
だが、それを受け取るルクレツィアの心はどうにも晴れないままでいた。
自室を埋めるほどの贈り物の数々。
こんなこと、一度目の人生から数えても初めてだった。届いたばかりの宝石を手に取り、光にかざす。澄んだ輝きが散った。美しい。価値だって、次期王子妃である彼女に申し分ない。それなのに。
何か胸のつかえが取れない。それがどうしてなのか、自分でもわからなかった。
アルベルトがリアに私財を投じてドレスを贈ったと聞いたときは、心の底から怒りが湧いたと言うのに——
「——今思えば、わたくしは『悔しかった』のでしょうね。『寂しかった』と言い換えてもいいわ。貴族として正しくあることは、殿下に、ひいては国に尽くすことだと信じていた。それが自分の価値だと思っていたの。なのに殿下は、その理想とは正反対の在り方をするリアを選んだ。わたくしという存在を、軽んじられたように感じたのだと思うわ」
ルクレツィアは、宝石から視線を外さないまま、ぽつぽつと語った。
単調な声色だった。自嘲するでもなく、ただ事実として語るような。
「わたくし自身を——生き方の全てを、否定された気がして」
言葉が、わずかに滲む。向かいに控えるゼノは、何も言わずそれを受け止めた。
ルクレツィアはふと息を吐くと、ゆっくりと宝石を下ろした。
部屋に静寂が落ちる。しばしの後、ゼノが口を開いた。
「……ずっと、不思議だったんです。あなたは苛烈ではあるが、愚かではない。なのになぜ、『守護の巫女』に手をかけるような真似をしたのか。——きっと、羨ましかったのでしょうね。あなたと対照的な生き方をして、なのに誰からも愛される彼女が」
静かに言い切る。その言葉に、ルクレツィアは僅かに目を見開いた。
ああ、そうか。あれが——
「あれが、『嫉妬』という感情だったのね」
胸の奥に、何かが落ちる。
ルクレツィアが欲しかったのは、舞踏会のための高価なドレスではなかった。それを贈ろうと心を配るアルベルトの方。それを心から喜び受け取ることができる、リアの方だったのだ。
いつしか、リアの屈託ない笑みを眩しく感じた時のことを思い出す。なんの衒いもなく「アルベルトが好き」だと言ってのけた彼女に、心から羨望を抱いたこと。
あの時は抱いたその気持ちの意味がわからなかった。
今ならわかる。
ルクレツィアは、リアに憧れたのだ。
自分にはできないその在り方に。自分の欲しいもの全てを持っていた彼女に。
そしてその全てが今、ここにある。贈られた宝飾品の数々は、アルベルトがルクレツィアに心を配っている何よりの証左だ。
この二度目の人生では、アルベルトはルクレツィアを選んだ。
なのにどうして、こんなにも胸が晴れないのか。
同時に思い出す。
少し寂しげに、「おめでとうございます」と告げたリアの顔。それを、ただ見つめることしかできなかったアルベルトの横顔も。
「……」
沈黙が落ちる。ルクレツィアは、何かを考え込むように視線を落とした。
「——でも、よかったじゃないですか」
静寂を破ったのは、ゼノだった。
いつものような、軽薄な口調。だけどその中にどこか硬質な色を嗅ぎ取って、ルクレツィアは顔を上げた。
「よかった? 何が?」
「だって、これできっと、最悪の未来は回避できたでしょう? この贈り物は殿下の決意の表れでしょうし、きっともうリア嬢に心を移すことはありませんよ」
「え? そう……なのかしら?」
整然と分析するゼノに、ルクレツィアはまるで今思い至ったかのようにたどたどしく返事をした。
そんな彼女に、ゼノは「お嬢様は相変わらずですね」と軽く苦笑を交えながら、
「そうでなくとも、彼の方は貴女様を憎からず思っている。何かあったとしても、処刑などという結末には至らないはずです」
確信めいて、そう言った。鈍色の瞳は伏せられて、その中に何を宿しているのかルクレツィアにはわからない。ただ「そうね」とだけ返事をした。
たしかに、ゼノの言う通りなのだろう。現状、ルクレツィアを取り巻く環境は前回とは大きく違っている。
ルクレツィアはリアに対してなんの悪行も行なっておらず、だからアルベルトも彼女に恨み一つ抱いていない。兄であるクラウディオとの関係も良好で、これなら万一罪に問われることがあっても減刑の嘆願くらいはしてくれるだろう。
これで、あの冷たい塔に閉じ込められることも、近づいてくる処刑の日に怯えることもないのだ。喜ばしい。喜ばしい、はずなのに。
「それでは、これで俺も、もう必要ないですね」
続いたゼノの言葉に、ルクレツィアは凍りついた。
「……必要、ない?」
「そうでしょう? 今まで俺が侍女のように付き従っていたのは、あなたの見た未来を回避するためです。この話を知るのは俺だけですから、二人だけで話す必要があった——それが叶ったのなら、俺が常にお側にいる理由はありません」
「そ、れは……」
ゼノは淡々と語った。正論だった。ゼノは続ける。
「ちょうどよかったですよ。年頃の令嬢に異性の従者がつきっきりというのは問題があると、最近しきりに指摘されていましたしね。やっぱり、王族に嫁ぐ身ともなると護衛の仕方にも気を使わなきゃなんですねえ」
おどけた言い方だった。初めて聞いた情報にショックを受ける。「そんなこと、知らなかったわ」とこぼすと、「でしょうね」とゼノは肩をすくめた。
わざと茶化すようなその態度に、胸の奥がざわついた。軽薄なのは元からのゼノの性格だ。なのに今だけは、それがどうにも癪に障った。
「で、でも……! あなたは、わたくしの護衛でしょう? 職務を放棄する気?」
「護衛は今まで通り、影から行いますよ。これまでだってずっと、そうだったでしょう?」
「……っ!」
「ご安心ください。王室に入るその時まで、貴女様には傷ひとつ負わせません。——それが俺の、“役割”ですから」
そうしてゼノは、一切の迷いなくそう言い切った。
従者としての決意表明。主人に忠誠を誓うその言葉は、だけどもどこか一線を引くような響きを帯びていた。
「……あなたは、それでいいの?」
「いいも何も。仕事なんですから、指示に従うだけですよ。貴女様の幸福が確約されたのなら、俺にできることはもうないでしょう」
思わず問うルクレツィアに、ゼノははっきりとそう言った。その言葉に、ルクレツィアの胸の内がぐちゃぐちゃに掻き乱される。
(わたくしの、しあわせ?)
(何を言っているの。だって、あなたは。あなたが——)
言葉にならない想いが渦巻く。月夜が何度もフラッシュバックした。
だが、それが形になる前に、ゼノは静かに言葉を落とした。
「——どうか、お幸せに。ルクレツィア様」




