第3話「断罪イベント、未実装につき」
光が、ゆっくりとほどけていく。
まぶたの裏に残っていた白が消え、代わりに視界へと広がったのは――
天蓋付きのベッドと、見慣れぬ天井装飾。
「……成功、ですわね」
静かに身体を起こす。
指先の動きひとつにも迷いはない。
与えられた役割。
――悪役令嬢。
その響きを、心の中でなぞる。
「ヴィオレッタ=ローゼンベルク……」
口にした名は、違和感なく馴染んだ。
鏡に映る自分は、非の打ち所のない“それ”で。
金糸のような髪。
整いすぎた顔立ち。
そして、ほんのわずかに滲む――傲慢さ。
「悪くありませんわ」
ベッド脇で控えていた侍女が、慌てて頭を下げる。
「お、お嬢様、お目覚めで――」
「本日の予定を」
言葉を遮るように、淡々と告げる。
「は、はい。本日は学園への登校日で――」
「結構」
必要な情報はそれだけでいい。
学園。
卒業式。
婚約破棄。
そして――断罪。
すべては、既に設計済み。
「……舞台は整っておりますわね」
窓の外に視線を向ける。
広がるのは、よくできた“物語の背景”。
不足はない。
少なくとも、現時点では。
お嬢様、本日のドレスを――」
侍女が差し出したのは、淡い青のドレスだった。
「却下」
即答。
「赤のドレスを」
「え……ですが、本日の特別な式典などは――」
「構いませんわ」
迷いはない。
「“映え”ますので」
侍女は一瞬言葉を失い、それでも慌てて頭を下げた。
「か、かしこまりました!」
――まずは視覚。
舞台に立つ者として、印象は最優先事項。
どの瞬間を切り取られても“完成形”であること。
それが前提。
(あとは、配置と流れ……)
階段を降りながら、思考を巡らせる。
観客。導線。沈黙からざわめきへの移行。
そして最後に――断罪。
すべては、設計済み。
◇ ◇ ◇
「おはよう、ヴィオレッタ」
声をかけられ、視線を向ける。
そこに立っていたのは――
「……あなたが、婚約者ですのね」
柔らかな笑みを浮かべる青年。
整った顔立ち。穏やかな声音。
非の打ち所がない、いわゆる“王子様”。
(……妙ですわね)
「え?急にどうしたんだい」
違和感。
ごくわずかだが、確かに引っかかる。
「いえ、確認ですわ」
軽く微笑み返す。
「本日もご機嫌麗しゅう」
「ああ、君もね」
――距離が、近い。
もっとこう、表面上の関係。
冷えた婚約関係。形式的な会話。
そういうものを想定していた。
(対立の下地が、薄い……?)
だが、まだ誤差の範囲。
本番は学園。
すべてはそこで整う。
◇ ◇ ◇
学園。
石造りの校舎、整えられた庭園。
行き交う生徒たちの視線が、一斉に集まる。
「ヴィオレッタ様……」
「おぉ……今日もお美しい……」
――問題なし。
注目度は十分。
(観客の質も悪くない)
ざわめきの素地としては合格点。
「お、おはようございます!ヴィオレッタ様」
声をかけてきたのは、一人の少女だった。
「……どなたかしら」
思わず、そう口にしていた。
少女は一瞬きょとんとした後、慌てて頭を下げる。
「申し遅れました、私マリアと申します」
地味な髪色。控えめな物腰。
どこにでもいそうな、目立たない少女。
(……これが、“ヒロイン”?)
違和感が、もう一段階深くなる。
もっとこう――
光を集めるような存在。
周囲の空気を変えるような“中心”。
そういうものを想定していた。
だが、目の前の少女には、それがない。
「……そう」
短く返す。
興味は、薄い。
(まあ、構いませんわ)
役割は与えればいい。
舞台は作ればいい。
“それらしく”すれば成立する。
――そのはずだった。
「ヴィオレッタ」
再び、婚約者が声をかけてくる。
「今日の授業のあと、少し時間はあるかい?」
「……なぜですの?」
「いや、少し話がしたくて」
穏やかな笑顔。
敵意も、疎ましさもない。
ただの――好意。
(……違う)
これは違う。
「……本日は予定がございますので」
「そうか、残念だ」
本当に残念そうに笑う。
(対立が、存在しない)
婚約破棄に至る導線。
断罪へ繋がる理由。
そのどれもが――
「……欠けていますわね」
ぽつりと、零れた。
計算が、合わない。
設計図と現実が、噛み合わない。
そして、決定的な違和感が浮かび上がる。
(誰も、私を嫌っていない)
「……断罪される理由が、存在しませんわね?」
静かに、理解する。
この世界には――
“ざまぁ”の前提が、ない。
◇ ◇ ◇
――その頃。
「……来たわね」
静まり返ったカウンターに、乾いた電子音が響いた。
ピコン、ピコン、と一定の間隔で鳴り続けるそれは、
普段はまず鳴らない“例外通知”。
「はい来た、シナリオ逸脱」
女神は書類から顔も上げずに呟いた。
「ですよねぇぇぇ!!」
隣でアルスが頭を抱える。
「だってあの人、設計ガチ勢でしたよ!?
“誤差”とか許さないタイプでしたよね!?」
「ええ」
ぱらり、と書類をめくる。
「そのくせ、ベース世界が“ざまぁ非対応”」
「なんで受けたんですか!?」
「お客様だからよ」
即答。
「あと優先案件」
「ろくな理由じゃない!!」
ピコン、と一際大きな音が鳴る。
女神の視線が、ようやくモニターに向いた。
「……あー、完全にズレてるわね」
「どのレベルですか」
「婚約破棄イベント、発生条件ゼロ」
「終わってるじゃないですか!」
「対立構造なし、悪評なし、浮気なし」
「むしろ平和じゃないですか!!」
「だから逸脱してるのよ」
さらりと言い放つ。
アルスはゆっくりと顔を覆った。
「……帰りたい」
「無理よ」
即答その二。
「はい、現地対応」
「やっぱり!!」
女神は一枚の紙をひらりと掲げる。
「担当者:アルス」
「知ってました!!」
「対応内容――」
すっと女神の指が一行をなぞる。
「“婚約破棄イベントの発生補助”」
にっこりと、営業スマイル。
「発生してないなら、発生させてきて」
「俺が!?」
机を叩く音が響く。
「いやいや無理ですよ!?
どうやって!?平和な学園ですよ!?」
「頑張って」
「雑!!」
「元勇者でしょ?」
「だからって方向性!!」
女神は軽く肩をすくめた。
「クレームになったら評価下がるから」
「それさっきも聞きました!!」
「徳ポイントも相殺済み」
「もうゼロ通り越してマイナスですよ!!」
ピコン、と最後の通知音。
モニターに赤字が表示される。
【逸脱レベル:中 → 高】
【自動補正:失敗】
【強制介入:推奨】
女神が、ゆっくりとアルスを見る。
逃げ場はない。
「……行ってきなさい」
静かに、しかし確定の声音で。
アルスは天井を仰いだ。
「……俺、何しに転職したんだっけ」
「さあ?」
「誰か止めてくれません!?」
誰もいない。
女神が指を鳴らす。
光が、足元から立ち上がった。
「ちょっと待ってください心の準備が――」
「いってらっしゃい」
「ブラック企業だぁぁぁぁぁぁ!!」
光に飲み込まれる。
その瞬間、女神はぽつりと呟いた。
「……さて」
書類に目を落とす。
「――壊すのは、あの子かしら。それとも――世界のほうかしら?」
――転送完了。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
お気づきかもしれませんが、この物語――
「ざまぁをやるための前提」が、そもそも存在していません。
にもかかわらず、
・完璧なざまぁをやりたい令嬢
・無理やり発生させろと言われた元勇者
・全部わかってて投げた女神
……という、だいぶ面倒な構図になっております。
ここからどう転ぶかは、正直まだ“確定していません”。
もしよければ、
「どうなると思うか」や「こうなってほしい」など、
感想やブックマークで教えていただけると嬉しいです。
その一つ一つが、この世界の“因果補正”になるかもしれません。




