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行きたいところ

有紀に言われるがままに着いてきて辿り着いたのは、少し古びたアパートだった。


「ボロいだろ?このアパート。でもうちはこのボロさが気に入ってんだ。」


有紀はそう言いながら2階へとつながる階段を上がっていった。ちょっと待ってよと言いながら、私も有紀に続いた。


しばらく廊下を歩いたところで有紀は立ち止まった。


「この部屋がうちの住んでる部屋。ちょっと狭いけどまあ入りな。」


有紀はそう言ってドアを開けた。私はお邪魔します、と言いながら中に入った。有紀の部屋は、ベットが左端にあるだけでひどくガランとしていた。


見まわしてみても、大学で使う教科書と、必要最低限の家電製品しかなかった。


「もしかして、有紀は1人暮らしなの?」


「まあな。てかこんな部屋で家族と住んでるわけねえだろ!」


「あそっか、ごめんごめん。」


私は有紀に謝りながらテーブルの前に腰をおろした。そっか、有紀1人暮らしなんだ。県外から来てるわけでもないのになんでだろ…。


「優梨愛、これ昨日作ったシチューの残りだから食べて。いまサラダとコロッケも持ってくるから。ご飯もいる?」


有紀はシチューが注いであるお椀を私の前に置いた。


「え!ありがとう有紀。あたしご飯はいらないや。」


「うん。分かった。」


私は驚きながらも有紀にお礼を言った。シチューからは湯気が出ていて、いい匂いもするので思わずおなかが鳴りそうだった。


「よし、お待たせ。んじゃ食べるか。残したら許さねーぞ。」


「残すわけないじゃん!だって美味しそうだもん。」


「おい照れるからやめろ。はい、いただきまーす。」


有紀は慌ててシチューを啜るとあっちーといって水を飲んだ。もう、かわいな有紀。私は思わず口元を緩ませた。


「久しぶりに誰かと夜ご飯食べた気がする。」


「ね、うちも久しぶりだ。」


私がサラダを食べながらうんっと頷くと、有紀が私のことをじっと見ながら言った。


「で、いつから家に帰れなくなったんだ?」


そう有紀に聞かれて、思わずギクッとしてしまった。


言いたくなかったらいいからね、と有紀はコロッケを頬張りながらさりげなく言った。


その有紀の言葉に、私はなんだか安心してしまった。


そっかあ、私は今までずっと逃げてきたんだな…有紀となら、私は逃げずにいられるかな…


私は水を一口飲んでから、静かに話し始めた。


「もともと家にはいづらかった。けど、夏休みの入りたての頃くらいから余計帰りにくくなったかなー。」


「そうなのか。もともといづらかったのか。」


「まあねー…あたしの家、もともと父親がほとんど家にいなかったんだ。それで、母親がほぼ1人で家庭を支えてるって感じだったの。」


そっかそっか…有紀は割と驚かずに話を聞いてくれた。私は、思ったより自分がすらすらと家のことを話せていることに驚きながらまた口を開いた。


「私はそんな母親を見ていてずっと辛かった。


どうして母だけがこんなに辛そうなんだろう、何とかして 助けてあげたいなって。


だから、小さい頃から家事も頑張ったし、家ではあんまり母親に迷惑かけないようにした。


我儘を言ったり、学校で辛いことがあっても言わないように、気を使ったりね。」


でも…私はそこで思わずため息をついた。


「ママは、私がいくら頑張っても喜んでくれなかった。


私がママに何かしてあげようとしても、それを受け取ってくれなかった。


ママが頑張るから余計なことしないでってよく言怒られた。でも、そう言うくせにママはどんどん窶れていって、ひとりで隠れて泣いてたりするんだよ。


なのに、私はママに何もしてあげられなくて…しようと思っても拒まれるの。それがほんとに、寂しくて悲しかった。」


うんうん。有紀はただ頷いてくれた。こんなに今までのことを自分の中で整理できたのは初めてだった。


今まで無理矢理ふたをして忘れたことにしていた過去の出来事が、はっきりとよみがえってきた。


「でもね、ママは双子の兄たちのことはすごくかわいがるんだ。


私みたいに我慢したりせずに、いつも我儘ばかり言って、すぐ怒り出したり無理を言うあの2人を。


ママは我儘も何でも聞くし、何より2人といるときは楽しそうにしてる。それが羨ましくて、悔しかった。


いっそ私も我儘になってしまおうかって思ったこともあった。でもそんなことできない。


辛そうにしているママの姿を知っているのに、好き勝手出来るほど私は器用になれなかった。


それで、次第に母と兄たちと自分との間に距離を感じるようになった。兄たちとは、もともとうまくいってなかったんだ。


私に理不尽に怒ったり、八つ当たりすることが多かったんだ、あの2人。いつも2人でつるんで、一方的にあたしを責めたりしてさ。


あたしが少しでも気に食わない態度をとると、いつも怒ってきたなー。


それを見ても、ママは何にも言わないんだよ。なんでこの家にいるのかわかんなくなっちゃうよね。それで、あんまり家に居たくなかったんだ…なるべくいないようにした。」


私はだんだん自分の手足が震えてくるのを感じた。でも、まだ話していたかった。もう少し頑張って、あたしの身体。


「でも、それでもなんとか耐えてはいたんだ。けど、お父さんが去年家を出て行って、しかもそれを家族全員に隠されていたことを知った時に、全部が分からなくなった。」


私が吐き捨てるように言うと、一瞬静寂が走った。


「私は結局、家族にとって邪魔者でしかなかったのかなー。もう、家でどうしてればいいのか分かんないよ。何を信じればいいのかも、何を守ろうとしていけばいいのかもわかんない。


最初はただ、ママに笑っていてほしかっただけなのに…ただそれだけだったのにな…。」


私は両手で頬を覆った。


喉の奥が、じーんと熱くなってくる。今まで我慢して、ずっと出さないようにしていた悲しさや寂しさたちが、一気に込み上げてきた。


「そっか…全然知らなかったよ。お前よく一人で抱え込んでたな。」


有紀にそう言われて、私はふへへ、と曖昧に笑った。


「そうだね…抱え込むしかなかったっていうのもあるけど、あたしずっと自分だけが悪いと思ってたんだ。


うちはさ、親が離婚してるとか、家庭内暴力とかがあるわけでもなくて、特別なことはなにもないから。


でも、だからこそ何で自分がこんなに家にいて辛いのかも、何で家族と上手くいかないのかも分かんなくて、何か理由が欲しくて。それで自分が悪いからだって思うようになって…。」


「お前さ、やっぱ優しすぎだな。あと真面目。あ、それとバカだ。」


「ちょ、バカは余計でしょ!」


思わず突っ込んだ私に、有紀はいつものようにニカっと笑った。


「まあ、とにかくお前が人に話したがらなかったのも何となく分かったよ。こういうのはベラベラと人に言うもんでもねえし。ただ、このままだと永遠に負のループが続くよな。」


うん、まあね…私は素直に頷いた。


「んー…まず、経済面だね。優梨愛がバイトばっかしてんのも金が心配だからだろ?父親がいきなり出て行ったってなると、そうとう厳しいんだろうし。


まあ、いちばん厄介なのが家での人間関係ってとこだろ。」


その通り過ぎて、私は思わず感心してしまった。


「うん。そうなの。そうなんだけどね…。」


「どっちも重すぎるよなー。」


有紀はコロッケの最後の一口を穂張りながら言った。ほんとに、この子は…


「ほんとにそうなんだよね…でも、家での人園関係はもう手遅れな気がする。


私、家族から信頼されてないみたいだし、ずっとこのままなんだと思う…どうしようもないことって、あるじゃん?」


「いや、うちはあえて何も言わないよ。否定も肯定もしない。」


「ごめん、確かに何言っていいか分かんないよね。気遣わせてごめん。」


「いや、そんなこともねーよ。」


ありがと。私は微笑みながら有紀にそう言った。


ねえ、私は有紀に問いかけた。


「有紀は、どうしてあたしにこんなに良くしてくれるの?それにさ、有紀は不思議なくらいあたしの気持ち分かってくれるよね。ほんとに有り難いし、嬉しいことなんだけどさ。」


有紀は私が言い終わると、いきなりふはっと笑った。


「やっぱそう思うよな。いくら優梨愛が天然でもそこはさすがに気づくか。まあな…優梨愛が話してうちが言わねえのもなんだしな。そうだな…よし、うちも話すよ。」


え、どういうこと?私が思わず茫然としているうちにも、有紀はグイッとコップの水を飲んで咳払いをした。


「ごめん、言えるところまでしか話せないけどいい?」


「うん。大丈夫だよ。」


私も思わず少し緊張しながら座りなおした。


「よし…。どっから話そうかな…そうだな、うん。うちには、高校の時にずっと2人でいた親友がいたんだ。クラスも3年間一緒で、ほんとに気の合う、仲のいい友達だったんだ。」


そう言う有紀の表情は、懐かしんでいるようにも、寂しがっているようにも見えた。


「あでも、まずうちの話からするね。実は、うちの母親さ、うちを産むと同時に死んじまったんだ。だから、うちには父親しかいなくって。


それで、うん、そうだな、うちの父親はやっぱりうちのことが憎いらしくてさ…


ごめん、ここまでくらいしか言えないや。」


「全然いいよ。それに、よく話してくれたね。話させちゃってごめん。」


「いや、うちから話し出したんだから謝んじゃねーよ。えっと、どこまで話したっけ…


あ、そうだな、それで、うちが高3のときに、家庭内で大きなことがあって、それだけじゃ分かんねーかもしれないけど、うちにとっては、本当につらいことだったんだ。」


うんうん。私はただ頷いた。今になって、なんとなく有紀がなんで1人暮らしをしているかも、たくさんバイトしているかもわかった気がした。


「だから、うちも高3のときに、優梨愛と同じように精神的にも、身体的にも参っちゃった時期があったんだ。


そのときに、さっき話した友達が、うちのそのことにすぐ気づいて、助けてくれたんだ。うちの話を聞いてくれたり、励ましてくれたりさ。」


けど…有紀の顔に、少し陰がさした。


「その友達さ、実はうちよりももっと大きな苦しみを抱えてたんだ。ずっと黙ってて、言ってくれなかったけど。だから、気づいた時にはもう遅かった。


その子は、もう高校にも来れないくらいに追い込まれてたんだ。」


そうだったんだ…有紀は、泣き出しそうな、怒ったような、緊張したような顔をしていた。


私が何か声をかけようとすると、先にまた有紀が話し始めた。


「それで、その、うち、その子に会いにいったんだ。いてもたってもいられなくなって。でもな、うち、会いに行ったその子にこう言われたんだ。」


「何で来たの?責任も持てないくせに人の事情に首突っ込まないでよって」


そこまで聞いて、私は思わず息を飲んだ。


有紀は、言い終わったあと寂しそうに笑った。


「でも、まさにその通りだったんだ。うちには正直、その子を助けられる余裕も力も何もなかった。


それに、今だから気づけたけど、こんなこと言ったのも、その子なりのやさしさだったのかもな。


お前はまず自分と向き合えって、背中を押してくれようとしたのかもな。あたしのこと気にしてる暇なんてないでしょって。


でも…」


私はこの時に、初めて有紀が泣いているのを見た。


「やっぱり、辛かったなあ…


ほんとに辛かったよ。大切な友達が苦しんでるのに、うち何もしてやれなかった。


それが情けなくて、悔しくて寂しくて…」


有紀…私の目にも、思わず涙が溜まっていた。


「それで、その友達とお別れしたときにうち、決めたんだ。


もしまたうちの前で友達が苦しむようなことがあったら、何が何でも助けてやろうって。力になってやろうって。」


だから…有紀は私の肩に手を置いた。


「優梨愛、うちはもう大切な友達に何もしてやれないのは嫌なんだ。何とか力になりたいって思う。


うちはお前の気持ちを完全に理解できるわけではないかもしれない。


けど、自分も辛い時期を経験してるからこそ、少しは優梨愛のことを分かってやれたり、寄り添うことはできると思うんだ。


だから…その、なんだ…いつでも、頼ってくれよ!」


有紀はそう言って私の肩をどついた。痛いなあもう、と私が言うと、有紀はいつものように、にかっと笑った。


「よし、寝るぞ!うちも話したらすっきりした。さっさと皿洗いと風呂済ませるぞ。」


有紀はさっと立ち上がって片づけを始めた。待ってよ有紀、片づけくらいはあたしにさせて…私はそう言いながら慌てて立ち上がった。



その日の夜は、久しぶりにぐっすりと眠れた。目が覚めると、もうあたりは明るかった。そして、隣には眠っている有紀がいた。


目をつむっている有紀は、普段の男勝りな感じは全くしなかった。ショートカットで小柄な有紀は、こうしてみると可愛らしい感じもした。


このこも、辛い思いをしたことがあったんだな…まったくそういう素振りも見せずに、この子は、強くて優しい子なんだな…


「痛って!」


私は思わず頬を押さえた。伸びをした有紀の右手が私の頬にぶつかったからだ。しかも思い切り。


「んんー、おはよー優梨愛」

「おはよう、有紀。」


ふわああっと有紀は欠伸をして反対側に寝返りをうった。起きるんじゃなかったの?私はそう心の中で呟きながら思わず笑った。


「ねえ、今日って授業は午後からだよね?」


「うん。そのはずだよ。」


「じゃあさ、ちょっとお前に付き合ってほしいところがあるんだけど、一緒に行ってくんない?」


「え?…うん、いいよ!」


「ありがとう。じゃ行くか!」


有紀はそう言うとぴょんっとベットから飛び起きた。朝から元気だな…私はそう思いながら敷布団を畳み始めた。



電車と徒歩で2時間はかけただろう。私と有紀はひたすら山道を歩いていた。


山というか…ここはどこなんだ?山のふもとなのかな…私は息を切らしながらそんなことを考えていた。


「大丈夫か優梨愛?もうちょいでつくから…あ!見えてきた。」


有紀の声に顔を上げると、そこに見えたのは、大きな墓地だった。


「ちょっと有紀、本気で言ってんの?あっちには墓地しか…」


「うちの親友の墓、あの墓地の中にあんだ。」


「…そっか…そうだったんだね。」


「うん。」


有紀は歩きながら、静かに頷いた。お別れって、亡くなったって意味だったんだ…私は一瞬、思わず固まってしまった。


前を歩く有紀の表情は見えないが、きっと色々な思いでここにいるんだと思った。


私はただ黙って有紀の後ろを歩いた。そして、有紀は一つのお墓の前で立ち止まった。


「ゆーな、久しぶりだな。」


有紀は、その墓に向かったそう語りかけた。


“西川ゆうな”と書かれたその墓は、少し汚れているようだった。


有紀は、水を汲んできて墓にばしゃーっとかけた。その後に、いつの間に買っていたのか、黄色の菊の花と、お線香を取り出した。


「有紀、あたし少し離れたところで待ってようか?」


「いや、お前にはここにいて欲しいんだ。」


有紀は菊の花と線香を備えながらそう言うと、手を合わせて目を閉じた。


私は、そんな有紀を静かに見守った。有紀の表情は、とても優しく、柔らかいように見えた。


そして、有紀はいきなり立ち上がるとはーっと叫んだ。


「すっきりしたー!ずっとここに来たかったんだよ。


お前のおかげだぞ、ありがとう。」


有紀はそう言って私の頬っぺたをむぎゅーっと引っ張った。


ちょっとーやめてよ!私がわざと怒って見せると、有紀はにかっと笑った。


「あと、うち宣言してきたから。」


え?っと思って首をかしげると、有紀は私の手を握っていった。


「優梨愛のことは絶対守るって。」


有紀…私は、涙が出そうになるのを必死でこらえながら言った。


「うん。ありがとう!」

「さーってと、んじゃ帰るか。ここから大学までは意外と近いんだぞ!」


有紀はそう言ってさっさと歩き出した。ああ待って…私は慌てて有紀の後について行った。


そして、最後にお墓に向かってこ心のの中でそっとささやいた。


―有紀のことを、温かく見守っていてくださいねー



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