三話
「た、助けてください! 巧様! シルフィ様!」
『爆塩』で得た資金をもとに借りた拠点兼事務所のドアが、バシャーン! と爆音を立てて開いた。
飛び込んできたのは、魔法学院の制服を着た少女――シルフィの友人であり、学術都市でも指折りの秀才とされる研究員のエリート魔導士、エレナだった。
眼鏡をくいっと直す余裕すらなく、彼女は息を荒らげて一冊のぶ厚い本を机に叩きつけた。
「落ち着いてくださいエレナさん! 一体何があったんですか!?」
「学院の地下大書庫にある『絶対封印の禁書』が……解読作業中に暴走を始めたんです! このままでは学院、いえ、この街全体が禁書の魔力に呑み込まれて滅んでしまいます!」
「滅ぶ!?」
ライナが思わず大剣の柄に手をかける。
俺はため息をつきながら、叩きつけられた禁書に視線を落とした。装丁は漆黒の革張りで、中央には禍々しい紫色の水晶が埋め込まれている。そして、その書名には――。
『絶望と過労を呼ぶ黒き書(Overtime Book)』
(……ん? 今、なんて書いてあった?)
俺は目をこすり、そっと集中してシステムウィンドウを展開した。
Plaintext
Target: [絶望と過労を呼ぶ黒き書]
Status: 深刻な誤字検出
Description: かつて大魔導士が世界を滅ぼすために記した禁書。
本来のタイトル: [Overlord Book(覇王の書)]
神の誤入力: [Overtime Book(残業の書)] ➔ 物理影響:周囲の者に「終わらない業務」と「精神的疲労」を強制付与中。
「……過労死させるための本じゃねーか!」
俺は思わず大声で叫んだ。
エレナは青ざめた顔で首を振る。
「巧様、お戯れを! その禁書から放出されている紫色のモヤに触れた学院の教授や生徒たちが、次々と正気を失い、『まだ書類が終わっていない……』『納期が明日なんだ……』と呟きながら倒れていっているのです! まさに凄惨な呪い……!」
「それは呪いじゃなくて、ただの労働環境の悪化だ!」
叫んでいる間にも、禁書の紫色の水晶が激しく明滅し始めた。
『――愚かなる人間どもよ……終わりなきタスクの海に沈むが良い……』
禁書から重低音の念話が響き渡る。
それと同時に、部屋の中にドロッとした紫色のモヤが広がった。
「くっ……な、なんだこの重圧は……!? 体が、鉛のように重い……!」
ライナが膝をつき、必死に大剣を支えに立ち上がろうとする。
「あ、頭がクラクラします……『提出期限が……レポートの提出期限が……』って幻聴が……!」
シルフィも頭を押さえて座り込んでしまった。
「ふははは! 見るがいい、これが絶対の呪い! 誰もこの過労の連鎖からは逃れられ――」
「うるさい」
俺は無造作に空中キーボードを呼び出すと、凄まじい手つきでブラインドタッチを開始した。
カカカカカカカカカカカンッ!!
「な、なんだお前は!? 呪いの霧の中でなぜ普通に動ける!?」
驚愕する禁書(声)に向かって、俺は冷ややかな視線を送った。
「甘いな。俺は前世で『三日連続徹夜・サビ残当たり前』のブラックSEをやっていたんだ。この程度の精神攻撃、平日の火曜日レベルなんだよ!」
「ひ、火曜日レベル!?」
「デバッグ実行! 属性書き換え!」
Plaintext
Target: [Overtime Book(残業の書)]
Action: テキスト修正&概念置換
Input: [Overnight Bed(極上抱き枕)]
Option: [形状:もこもこクッション] & [付与効果:強制安眠(Sleep)]
ズッシャアァァァン!!
紫色の毒々しいモヤが一瞬で消散し、代わりに部屋全体にほのかなアロマの香りが漂い始めた。
そして、俺の手元にあった漆黒の禍々しい禁書は――。
巨大なふわふわの、猫型もこもこ抱き枕に変形していた。
「……え?」
床に伏していたライナ、シルフィ、エレナの3人がぽかんと口を開ける。
「……あれ? 体の重さが……消えた?」
「すごく……心が安らぐ良い香りがします……」
俺はもこもこの猫型抱き枕をぎゅっと抱きしめてみた。
極上の肌触り。適度な反発力。
『――ふにゃあ……(極上の安眠効果により禁書は意識を失いました)』
「よし、完全鎮圧」
俺が爽やかに言い放つと、エレナは眼鏡をポロリと落とし、喉をゴクリと鳴らした。
「あ……ありえない……! 世界を滅ぼすとまで言われた歴史的禁書が……一瞬で『快適な寝具』に……!? 巧様、あなた様は一体どんな神級古代魔法を使われたのですか!?」
「いや、ただのテキスト修正だよ。『Overtime(残業)』を『Overnight(安眠)』に書き換えて、ついでに物理形状を抱き枕に変えただけだ」
「デバッグ!? てきすと修正!?? 全く意味が分かりません!!」
頭を抱えるエレナを余所に、シルフィは恐る恐る猫型抱き枕に手を伸ばし、ツンツンとつついた。
「たくみさん……これ、すっごく気持ちいいです……撫でてるだけで、なんだかウトウトしてきちゃいます……」
「だろ? 残業の呪いを振りまくくらいなら、疲れた現代人を癒やすクッションになってる方が世界のためだ」
ライナも大剣を収め、呆れ半分、感心半分の顔で苦笑いしている。
「たくみさん……あんたの能力があれば、この世のあらゆる危険な魔道具も、全部『便利な生活用品』に変えられちまうんじゃないですか?」
「まあ、論理的な整合性とキーボードを叩くスピードさえあればな。……というかエレナさん」
「は、はいっ! 何でしょうか巧様!?」
完全に巧を「底知れぬ大魔導士」と勘違いしたエレナが、背筋をピンと伸ばして直立不動になる。
「この抱き枕、学院に持ち帰って『無事に封印(睡眠)しました』って報告しておいてくれ。あ、もし魔法学院で『過労に悩む教授』がいたら、一個金貨3枚で受注生産するぞ」
「商魂たくましすぎますー!」
シルフィのツッコミが飛ぶ中、巧たちの事務所には今日も平和(?)な時間が流れるのであった。




