第3話 母の一言
夕方近く、畑仕事を終えて家に戻ると、母が井戸端で野菜を洗っていた。
「おかえり。今日は早めね」
「兄さんが速いからな」
バケツを横に置いて、俺も手を洗い始める。
冷たい水が、土で汚れた指を清々しく流していく。
母がふと、こちらを見た。
「レイン、最近少し顔つきが変わった気がするの」
「……そうか?」
「前より、落ち着いてるというか。急かされてる感じがしないというか」
母はそう言って、軽く笑った。
責めているわけでも、心配しているわけでもない。ただの感想だ。
俺は返事に詰まった。
確かに前世の頃のような焦りは薄れている。
この村での生活は、急がなくていい。
そして、あの「傾ける」感覚を知ってから、余計にそう思うようになった。
「まあ、慣れたんだろ」
「そうね」
母はそれ以上深く追及しなかった。
ただ、洗い物の手を止めずに、こう付け加えた。
「あなたが穏やかなら、それでいいのよ」
その言葉が、妙に胸に残った。
夜になって、自分の部屋に戻る。
窓の外はもう暗く、虫の声だけが聞こえていた。
ベッドに寝転がりながら、改めて自分の中を探る。
あの感覚は、確かにある。
自分の運を、ほんの少しだけ動かせる。
他人のも、触れられる気がする。
ただし、大きく動かそうとすると、何かが引っかかる。
今日の畑で試した程度なら、問題はなかった。
だが、それ以上は、まだわからない。
「……焦る必要はない」
呟いて、目を閉じる。
この村で、ゆっくりやっていけばいい。
幸運を、必要な分だけ、静かに使っていけばいい。
そう決めた夜だった。




